第282話 日陰のひ弱な苗と、オカン流・暗闇のキノコ栽培
手作り換気扇で悪臭を吹き飛ばし、レモン飴とオカンの説教で「スラムの闇医者」を真っ当な町医者へと転職させたうちら一行。
空気も綺麗になり、怪我人たちもすっかり健康を取り戻した海溝スラム街には、今まで見たこともないような前向きな活気と笑い声が溢れるようになっとった。
……やけど、オカン・ユニオンの組合長としては、まだ一番大事な問題が手付かずのまま残っとったんや。
「……静江さん。住環境と医療の地盤は固まりましたが、このスラムには決定的に『物資』が足りません。上の階層からのおこぼれや、わずかな配給ペーストだけに頼っていては、いつか必ずジリ貧になります」
ミナちゃんが、情報端末でスラムの備蓄データを弾きながら、深刻な顔で報告してくる。
「せやな。うちらが持ってきた大和郷の備蓄かて、無限やない。それに、中層のエリートどもに『ゲリラ営業(密輸)』を仕掛ける言うても、売るための肝心の『商品』があらへんがな」
うちは特大のゴミ拾いトングを肩に担ぎ、スラムの広場を見渡した。
「よっしゃ! 腹が減っては戦はできん! スラムのみんな、集まりなはれ! 今日からこの広場の半分をぶっ壊して、うちら専用の『特大地下農園』を作るでぇぇッ!」
うちがメガホンで号令をかけると、すっかりオカン・ユニオンの組合員としてまとまっていたスラムの住人たちが、「おおぉぉッ!」と歓声を上げて集まってきた。
第七ドームの荒野を豊かな大農園に変えた、あの「農業の奇跡」を、この海底都市のどん底でもう一度起こしたろやないか、という算段や。
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それからの数日間、スラムはまさに泥んこ遊びのお祭り騒ぎやった。
うちらは広場のコンクリートを引っぺがし、大和郷や第七ドームから持ち込んでいた『特製コンポスト(堆肥)』を混ぜ込んで、見事な畑の畝を作り上げた。
そして、大切に保管していたトマトや大根、白菜の種を、スラムの住人たちと一緒に一つ一つ祈るように植えていったんや。
「……おおっ! 芽が出たぞ! オカンの言った通りだ!」
種まきから数日後。
見張りをしていた住人の一人が、歓喜の声を上げた。
「ほんまか! よっしゃ、第七ドームの時みたいに、立派な緑の葉っぱが……」
うちも期待に胸を膨らませて畑に駆け寄った。
……やけど。
土の中から顔を出していたその芽を見た瞬間、うちらは全員、ポカンと口を開けて完全にフリーズしてしもうた。
「……なんや、これ」
そこから生えていたのは、第七ドームで見たような、青々として生命力に溢れた力強い双葉ではなかった。
太陽の光を知らないモヤシのように、ヒョロヒョロと細長く間延びし、色は不気味なほど真っ白で、今にもポキッと折れそうな『ひ弱すぎる苗』やったんや。
「……し、静江さん。お野菜の赤ちゃん、なんだかすごく寒そうで、元気がありません……」
ミナちゃんが、心配そうにその白い苗をツンツンとつつく。
「あかん! 気合が足らんのや! ほら、背筋伸ばしてシャンとせんかい! お天道様に向かって真っ直ぐ育つんやで!」
うちは慌てて特大トングで苗を挟んで真っ直ぐに立たせようとしたが、手を離すとすぐにヘニャンと倒れてしまう。
「……静江さん、無理です。気合の問題じゃありません」
ミナちゃんが、情報端末で苗のデータをスキャンしながら、深ぁくため息をついた。
「これは『徒長』という現象です。この海溝スラム街には、太陽の光が一切届きません。植物は光合成ができず、わずかな光を求めて無理やり茎だけを細長く伸ばしてしまうんです。……このままでは、実をつけるどころか、数日で枯れてしまいます」
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ミナちゃんのド正論の解説に、うちは頭を抱えた。
「そ、そんな……! 土の栄養はバッチリやのに、お日様がないだけでこんなモヤシっ子になってまうなんて……!」
「姐さん! アタシがジャンク品で『特大の人工太陽ランプ』を作ってやるよ! 電気の光をサンサンと当ててやれば、植物も元気に育つはずだ!」
リコが巨大レンチを振り回し、自信満々に提案してきた。
「おっ、さすがリコや! ほな、さっそく特大のランプ作って……」
「それはダメだ、リコさん」
うちが賛成しようとしたのを、先日仲間に引き入れたばかりの『元・闇医者』の男が、慌てて手で制した。
「そんな強力なランプを一日中稼働させれば、莫大な電力を消費する。……上層のインフラ管理部や、特権商社の連中に、このスラムで『異常な電力使用』があることが一発でバレちまう。すぐに武装ドローンが飛んできて、畑ごと焼き払われるのがオチだ」
元闇医者の現実的な指摘に、リコも「チッ……確かにそうか」と舌打ちをしてレンチを下ろした。
環境は改善したが、ここは依然として敵の足元。派手な真似をすればすぐに察知されてしまう、完全アウェーの潜伏地なんや。
その様子を、物陰でポンコツのフリをして丸まっていたナポが、静かに観察しとった。
(……驚嘆ですね。第七ドームを緑で覆い尽くした彼女の非論理的な農業スキルも、この『光が届かない』という絶対的な物理条件と、『隠密行動』という制約の前には、完全に機能不全に陥ったようです。……さて、この手詰まりの状況を、彼女はどう解決するのでしょうか)
「……しゃあないな。お天道様が無理なら、別の方法考えるしかないわ!」
うちはパイプ椅子をガシャンと広げ、アイテムボックスから使い込まれたタロットカードを取り出した。
バシッ、バシッと二枚展開する。
出たのは、『月(The Moon)』の正位置、そして『隠者(The Hermit)』の正位置や。
「『月』の正位置は、見えないものや隠されたもの。『隠者』の正位置は、暗闇の中で光を見つける暗示やな」
うちはカードの絵柄をデコネイルで弾き、ニヤリと極悪な笑みを浮かべた。
「よっしゃ! 謎はすべて解けたで! リコ、ミナちゃん、スラムのみんな! このひ弱な苗、全部引っこ抜きなはれ!」
「えっ!? 引っこ抜くんですか!?」
「せや! このスラムには太陽の光がない。やったら、光合成が必要ない『暗闇のスペシャリスト』を育てたらええだけのことやろが!」
うちはアイテムボックスの奥深くに両手を突っ込んだ。
ドサドサドサッ!!
うちが広場のコンクリートの上にぶちまけたのは、大和郷で大量に仕入れていた『大豆(豆類)』の袋と、湿った『原木(ただの廃材の丸太)』、そして、アイテムボックスの底でひっそりと出番を待っていた『キノコの菌糸(種菌)』の瓶やった。
「えっ……お豆と、ただの木切れですか?」
ミナちゃんが不思議そうに目をパチクリさせる。
「せや! ええかみんな、お天道様が当たらんのなら、光合成がいらんモンを育てたらええねん! 今日からこの広場は、オカン特製『超特大・もやし&シイタケ農園』に変更や!!」
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「も、もやし……?」
「キノコ……? あんなジメジメしたところに生える、毒のありそうな菌を食うのか?」
無菌の栄養ペーストしか知らないスラムの住人たちが、顔を見合わせてざわめく。
「毒なんかあらへんわ! キノコはな、出汁も出るし栄養も満点の森のアワビや! ほら、リコ! 廃材の木をチェーンソーで切り出して、そこにドリルで等間隔に穴を開けなはれ!」
「おうよ! 穴開けならアタシの十八番だぜ!」
リコがギュイィィン! とけたたましい音を立てて廃材の丸太に穴を開けていく。
「ミナちゃん、スラムのみんな! リコが開けた穴に、この『種菌』をトンカチでトントンと打ち込んでいくんや! それから、暗くて湿気の多い路地裏の隅っこに、立てかけて並べときなはれ!」
「は、はい! 原木栽培ですね!」
「元闇医者のおっちゃんとスラムの兄ちゃんらは、こっちの大豆や! 深めの木箱に大豆を敷き詰めて、濡れた布を被せて、絶対に光が当たらんように真っ暗な箱の中に閉じ込めとくねん! 水だけは毎日ちょっとずつ変えるんやで!」
うちはメガホン片手に、スラム全体を巻き込んだ「暗闇の農業指導」を猛烈な勢いで開始した。
太陽の光を求めず、むしろ暗闇と湿気を味方につける、究極のアナログ日陰栽培。
電力を一切使わず、スラムの廃材と湿気だけで完結するこの農法は、まさに海底都市の下層に奇跡的にマッチした『最適解』やったんや。
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それから、二週間の月日が流れた。
「……お、オカン! オカァァン! 大変だぁっ!!」
見張りをしていたスラムの男が、腰を抜かさんばかりの勢いで広場に駆け込んできた。
「どないしたんや! また敵のガサ入れか!?」
「違う! キ、キノコが……! アタシらが打ち込んだ木切れから、とんでもない数のキノコが爆発的に生えてきやがったんだ!」
「よっしゃ、収穫の時期やな! みんな、バケツ持って路地裏に集合や!」
うちらが路地裏の「原木置き場」へ向かうと、そこには信じられない光景が広がっとった。
湿気と手作り換気扇の風のバランスが完璧に噛み合ったおかげで、並べられた何十本もの廃材の丸太には、手のひらよりもデカい、肉厚でプリップリの『特大シイタケ』や『キクラゲ』が、ビッシリと鈴なりに群生しとったんや。
「うおおぉぉ……! なんだこれ、すっげえいい匂いがするぞ!」
住人たちが、その圧倒的な生命力の爆発に息を呑む。
「静江さん! こっちの木箱のお豆も、すっごく長くなっています!」
ミナちゃんが暗所の木箱を開けると、そこには、真っ白でシャキシャキとした極太の『もやし』が、箱から溢れんばかりに密集して育っとった。
「大豊作やないか! 太陽がなくても、水とちょっとの世話だけで、命はこんなに立派に育つんやで!」
うちは特大トングを天に突き上げ、歓喜の声を上げた。
(……驚嘆です。光合成という植物の絶対的な前提条件を捨て、菌類と暗所発芽というニッチな生態系に目を向けることで、電力ゼロの完全なるステルス農園をスラムの地下に構築してしまうとは。……彼女の『生活の引き出し』は、本当に底が知れない)
ナポのレンズが、暗闇の中で、静かに、しかし激しく戦慄の光を明滅させとった。
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「よっしゃ! ほな、今日は待ちに待った『第一回・暗闇の特大収穫祭』や!」
その日の夜。スラムの広場には、香ばしい匂いが立ち込めとった。
うちは巨大な鉄板を用意し、収穫したばかりの特大シイタケを、バターと醤油(大和郷で仕入れた秘蔵の品や)で豪快にソテーし、横で山盛りのもやしを豚肉と一緒に炒めまくった。
「ほら、熱いうちに食べなはれ! もやしはシャキシャキのうちが命やで!」
「……う、うめぇぇぇぇッ!!」
もやし炒めを頬張った元闇医者の男が、涙を流して叫ぶ。
「なんだこの歯ごたえは! ペーストのグチャグチャした食感とは全然違う! 噛むたびに、水気と甘みが口の中に弾けるぞ!」
「こっちのキノコもヤバいぜ! 肉厚で、噛むと中からジュワッと凄え旨味のスープが溢れてきやがる! これが……キノコってやつなのか!」
リコも、シイタケのバター醤油焼きを丸かじりして、目をひん剥いて感動しとる。
「静江さん、もやし、シャキシャキで本当に美味しいです!」
ミナちゃんも、口の周りに醤油をつけながら満面の笑顔で頬張っとる。
太陽の光を浴びていない、真っ白なもやしと、茶色いキノコ。
見た目は地味な『日陰モン』やけど、彼らの胃袋と心を満たすには、十分すぎるほどの旨味と圧倒的なボリュームがあった。
「……静江さん。これで、スラムの食料の自給自足は完全に達成されました。それに……」
ミナちゃんが、情報端末でキノコともやしの収穫量を計算しながら、ニヤリとエリートらしい極悪な笑みを浮かべた。
「この圧倒的な旨味と食感を持つ『特大キノコ』。……これなら、無味乾燥なペーストしか知らない中層のエリートたちに、ペーストの百倍の値段で売りつける『最強のゲリラ商品』になりますよ」
「せやろ! 日陰には日陰の戦い方があるんや! スラムの暗闇で育てたこの『アンダーグラウンド・ブランド野菜』で、中層の連中の胃袋とお財布、根こそぎ搾り取ったるでぇぇッ!」
「「「おおぉぉぉぉぉッ!! さすがオカン、えげつねえ!!」」」
スラムの住人たちが、熱々のもやしを頬張りながら、オカンの強欲なビジネス戦略に大歓声を上げた。
最初の農業失敗というピンチを見事な『生活の知恵』でひっくり返し、最強の地下農園を完成させたおばちゃん一行。
スラムの地盤と商品準備を完璧に整えたうちらの、中層エリート居住区に向けた『特大の密輸(ゲリラ営業)大作戦』が、いよいよ本格的に幕を開けようとしとったんや!




