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 出動要請を受けて、総長から各長へ手早く指示が伝達されていく。先鋒隊が一足早く現場へ赴いた。

 本営で装備を確認する蛍の下に、竜司が訪れた。彼を一瞥してから用を聞く。

「待機命令を出していただろう。隊長が抜け出してまで、何の用だ」

「いや、特に用はないんだが」

「ならさっさと失せろ、じきに私たちも出るぞ」

 彼女の反応はにべもない。竜司も慣れたもので、つれない態度に傷つくこともなく、そのまま蛍の傍に居座る。

「お前、無理はしてないか?」

 唐突な問いかけにも余所見をしたまま、は、と蛍は冷笑した。

「寝言を抜かすな。何に対して、何の為に無理をする必要があると」

「近頃は一層笑わなくなったな」

「笑いたいときには笑う。笑う場面がたまたまないだけだろう」

「お前が剣を取って戦う理由は?」

 畳み掛ける質問に対し、ようやく蛍は向き直る。

「さっきから意味のよくわからんことをべらべらべらべら、一体何を訊きたいんだ?」

「お前がグールを忌み嫌う理由だ。木村慎太郎の処遇について、頑なに『殺せ』の一点張りなのは、奴がグールになってしまったからだろう。前はそれなりに敬意を払っていたのに、随分と豹変したな。そんなにグールが嫌いか」

「ちっ、お前まで奴を庇うか。……ああ、グールなんざ嫌いだね。殺されるとわかって放置する馬鹿はおるまいよ。グールが人間を殺そうとするから、そうはさせないために剣を取る。この答えで満足か」

「まだ微妙だな」

 竜司は苦笑する。今の科白は嘘偽りない真実だろうが、全てではないことを知っていた。

「本当は、市民を守るなんて大義名分はどうでもいいんだろう。お前が守りたいものは」

「自分の命。私は死にたくない、他人なんぞ知ったことか」

 彼女は即答した。剣を振るう理由は自分の命を守る為。自衛の手段がグールを斬るということ、それがたまたまグールに脅える一般市民を守ることに繋がる、ただの利害の一致である。

「何か文句あるか、暴力嫌いのお優しい竜司さんは」

 皮肉を込めて睨みつけるが、竜司は首を振った。

「実はお前ほどグールを忌んではいないよ。むしろどうでもいいかな」

 意外な答えに、蛍は軽く目を瞠った。知る限り竜司は正義感が強く、目の前で傷つく人間を見過ごせずに身体を張って助けるような男で、まさか彼の口からどうでもいいなどという言葉を聞くとは思わなかった。

 呆ける蛍に気付いて、竜司は頬を掻く。

「いや、俺も本当は大義名分なんてどうだっていいんだ。俺も、本当に守りたいものだけ守れれば充分だ、だから好きでもない剣を取って戦ってる。お前の気持ちはわかるよ」

「は、は……驚いたな、お前のことだから拳を掲げて世界中の人を守ってみせるとか言ってのけるかと思ったが」

「まあそれが出来れば理想だがな」

 照れたような顔をするが、次の瞬間には真摯な眼差しを蛍に向ける。

「ただ、今のお前を見ていると不安になる。死にたくないからグールを倒すという手段と、目的が摩り替わってる気がする」

「私を、どこぞの愚かな初期生と同じだというのか?」

 腹立たしげに顔を顰める彼女へ、宥めるように語り掛けた。

「そうなって欲しくないから言ってるんだよ。なあ蛍、戦う理由なんて自分本位でいい、身に危険が及んだら抵抗するのは当然だ。だけど自分から好んで手を汚すような真似をしないでくれ。お前にそんなことをさせたくない」

 反論しようとして言葉が見つからず、蛍は拗ねたように口を噤む。そんな彼女へ爽やかに笑んでみせ、両肩に手を置いた。

「というわけで、俺は命懸けでお前を守るから」

「はあ?」

 以前、竜司と望の間で交わされた会話を蛍は知らない。唐突な申し出に、目が点になる。

「他人はどうでもいいけどお前は大事だ。蛍にだけは無事でいてほしいからな」

 しばしの間。

 呆然と開いていた口を閉じ、拳を顎に叩き込んだ。綺麗な一撃を食らい、竜司が顎を押さえて蹲る。相当痛むらしく、涙を目にいっぱい溜めている。

「寝言は寝て言え」

「酷い、痛い、酷い、幼稚園の頃からアプローチしてるのに」

「お前、まさかとは思うが本気でお嫁さんになる夢を見続けてるんじゃあるまいな」

「流石にもうそれはないぞ。俺はお婿さんで、嫁は」

「その先を言ったら殺す」

 脅しをかけるように腰の剣を鳴らすと、竜司は両手を上げて降参を示した。

 さて、と一息つきかけたところに、忍が現れた。両者に目を向け、相変わらず無表情のまま口を開く。

「夫婦漫才は後回しだ」

 全部聴いていやがる。蛍は内心毒づいた。

 忍から、先鋒隊より通信が入ったことを知らされる。回線を開くと、真っ先に飛んできたのは悲痛な声だった。

『助けてください、先鋒隊だけじゃ手に負えません!』

 ほとんど泣き叫ぶような応援要請に異常事態を悟って、蛍は気を引き締める。

「落ち着いて報告しろ。先鋒隊の現状は? 白兵は何をしている」

『は、白兵はグールを相手取るのに手一杯です』

 先鋒隊はグールのおおよその数と位置を確認して、後から追いつく本隊と合流する手筈だったのだが、予定が狂って既に戦闘状態に入っているという。

『畜生、初めは数が少なくて楽勝だと思ってたのに、後から後から涌いてくるんです!』

 次々にグールが現れて、その数は二百に近くなっており、先鋒隊だけで対応しきれる数ではない。

「わかった、すぐに行く。しばらく持ちこたえろ」

 通信を切ると、忍と竜司を振り返った。忍が頷く。

「事態は急を要する。行け」

 本営を出、待機していた全部隊に指令を飛ばす。俄かに慌ただしくなった。


 現場に到着した本隊は、かつてないほど大量のグールが溢れかえっているのを見て慄いた。今までどんなに多くとも百体を越えた例はない。異常な光景に多くの兵が平常心を欠く。各隊長らが激励して、どうにか混乱寸前で士気を取り戻した。

 援軍の到着に先鋒隊から安堵の声が聞こえる。早々に戦線を離脱した非戦闘員は辛うじて軽傷で済んだが、前線に立つ白兵は半分以下に減り、瓦解寸前である。

 展開した新鋭軍とグールが入り乱れて互いに殺しあう。こうなっては援護射撃も出来ず、狙撃隊はお役御免だ。主導権は白兵部隊に託せられた。

 やはりというべきか、リコの活躍ぶりは鮮やかだ。蛍と竜司も柔軟に部隊を率いて果敢な働きを見せ、悠人は三度目の出動にして初めてグールを切り結んだ。

 だが標的が多く活躍の機会が増えるということは、一方で危険度が増すことを意味する。ただでさえ通常の数でも少なからず犠牲は出るのに、こんなにも多くのグールを相手取れば、死傷者の数が倍に跳ね上がるのは道理だ。後方部隊が目まぐるしく動き回る。

 それでもどうにか、少しずつ数を減らしていくうちに形勢が新鋭軍の有利に傾いてきた。一匹残らず殲滅が信条ではあるが、現在は隊員の無事が優先である。逃げるグールは無理に追わず、自軍の退路を確保するのに専念した。

 長い攻防の末、辛うじてではあるがグールの大半を撃退する。一割程度は逃亡を許してしまったが、致し方ない。あまり取りたくはない手段だが、中央地区の管轄外に出て行ってくれれば、役割を隣接地区に押し付けることも可能だ。怪我人を収容して、全体が撤収を始めた。

「へ、もう退いちゃうの?」

 異論を唱えたのはリコである。撤収と聞いて、呆気に取られたような、不満そうな声を出す。

 彼はある事実に気が付いていた。逃げたグールはそう遠くへは行っていない。それどころか、新たな勢力と合流して戻ってくるだろうということに。

 だが彼一人が異存を口にしたところで、全体の決定を覆すことなど出来はしない。不承不承ながら大人しく隊列に従うも、一度気になってしまうとどうにも気分が収まらない。集団において単独行動は禁じられているが、リコはこっそり抜け出す決意をする。

 基地に戻ってすぐ、人ごみの中で瞬の気配を捉えた。すぐ傍に篤と望もいる。折角だから協力してもらおうと考えて、彼らを呼びつけた。

「おーい、リンリン! あっちゃんと望にゃんも来てくれ!」

「ちょっと、勝手に変な渾名をつけないで下さいよ」

 大声で呼ばわるリコに、三人が頭を抱える。リコはそんな彼らを気にも留めず、話の先を進める。

「怪我はしてねえよな、体力に余裕あるか」

「余裕とまでは行きませんが、大丈夫です。何の御用です?」

 早速リコはグールの影が潜んでいることを打ち明ける。その上で相談した。

「装備かっぱらって、様子を見に行こうぜ」

 いいですよ、と彼らはあっさり同意する。すぐに引き返そうとする彼らだが、出来れば徒歩よりは車が一台欲しいところだ。ただその為には、誰かを説得して鍵を借りるか、或いは説得が通じなければ強奪するしかない。

 瞬がこともなげに言った。

「なら、僕と望で一台借りてきましょう」

「おおお俺もかよ」咄嗟に望がうろたえる「何で俺?」

「説得するなら男性より女性の方が丸め込みやすいでしょう、そんなときこそ君の面が役に立つんじゃないか」

 確かに望は美形と呼んでよい顔立ちだが、同程度に整った者なら世の中腐るほどいる。絶世には程遠いのだが、彼の利点は『女性受けしやすい』顔立ちにあった。きりりと上を向いた目じりや筋の通った高い鼻、薄く引き締まった唇が、女性から見れば爽やかな印象を受けるらしい。その分、同性からは反感を買いやすいのだが。

 この際だからと、瞬は望の利点を最大限利用しようと目論んだのである。

「それはつまり、俺に女を篭絡させようってことか」

「まあ簡単に言えばそんな感じですね。だって、口説くのは得意だと豪語していたじゃないか」

 さらりと肯定する。

「ざけんな、あれはあくまで冗談であって、俺は別に女遊びが好きな訳じゃねえ! そりゃ今まで多くの女性と親しくなってきたけど、その時その時は真剣に付き合ってたんだからな!」

「別に女に限らなくたっていいじゃねえか。前に恥ずかしい真似をするなと言ってたくせに、手前勝手な理由で女をナンパさせようだなんて、虫がいいにも程が……」

 激昂する望とそれに同調する篤。非難囂々の二人に、にこやかに瞬は言う。

「ふーん、君達、よりによって僕に逆らうんだ。ふぅーん、へぇーえ」

 にこにこにこにこ微笑みながら指の骨を鳴らす。尋常ならざる気配に、傍観していたリコがたじろいだ。仏顔の瞬が、前触れもなく望の襟首を掴み上げる。

「いい度胸してやんな。手前、当然覚悟ぁ決めてんだろうなぁ」

 口調、声色、表情全てをがらりと一変させて、脅しをかけるように拳を振り上げた。『優等生』という猫の皮の下には、邪悪な本性が息を潜めていたのだ。

「よ、よし、わかった、俺が悪かった。言うとおりにしよう、な、な?」

 焦って望が取り繕うと、ぱっと締め上げていた手を放す。即座に優等生の仮面を付け直し、頻りに頷いた。

「そうだよね、望は優しいから、僕の頼みくらい聞いてくれますよね」

「そりゃそうだろー、あははははー……こんの似非優等生が!」

「誰が似非ですか、失礼な」

「どう見たって似非だろ、それにその妙な口調止めろよ、余計怪しさ大爆発だっての」

「随分と滑りのいい口ですねぇ、さぞ縫い付け甲斐がありそうだ。いいから黙りくされ」

 一睨み利かせて、瞬がリコを振り返った。

「というわけでリコ先輩、俺たちが車を調達してきますけど……リコ先輩?」

 リコは瞬から離れて遠く、身体を小刻みに震わせて脅えていた。初めて露呈したもう一つの人格、しかも腹黒い本性を見せ付けられれば、驚くのも無理はない。望と篤が顔を見合わせて、瞬に対する腹いせとばかりに爆笑した。


 二人は連れ立って車庫へと赴く。各車両を点検している整備士の中から、適当な相手を選んで歩み寄った。目をつけたのは中期生の女だ。

 まずは型通り頭を下げて頼み込んでみたが、予想通り拒否された。私的理由での貸し出しは原則的に認められないのだ。ましてや事情は秘密でろくな理由説明も出来ないのだから、拒絶されるのも尚更だ。

 いざ奥の手を発動せんと、望は取り分け気障に振る舞う。砂を吐きたくなるほど大袈裟な挙動は、逆に乙女心を扇情したようだ。口でこそ馬鹿なことを言うなと強がって見せるものの、頬は赤らみ双眸はすっかり望の顔に釘付けである。

 追い討ちをかけるように瞬が得意の優等生面で真摯に説得すると、中期生の女は心が激しく揺さぶられたらしく、二人の顔と車を交互に見比べては逡巡している様子だ。が、かなり躊躇った挙句、やはり貸し出しを断る。二人は思わず落胆の表情を浮かべた。

 出来ることならやりたくはないが、力尽くも止むを得ないかと考えた時、

「良いじゃないの、貸してあげなさい」

 朗々とした女性の声が割り込んできた。

 声の主を探すと、含み笑いを湛えた終期生の美少女が、曰く有りげな目で彼らを見詰めている。望は思わず絶句した。彼女こそ、一月以上も前に望が連れ歩いて、彼と白昼堂々のキスシーンが話題になったあの女性だ。逃げるように立ち去られて以来疎遠になっていたが、よもやこんなところで出会うとは。これは果たして神の気紛れか悪魔の悪戯か、どちらにせよいらぬ節介を焼くなと文句の一つでも言いたい気分だ。

「で、ですが、個人の勝手な使用は禁止されてます」

「構う事ないわ。責任は私が持つから」

 中期生の女が困惑したように言うと、終期生の女は問題ないといった風に軽く笑う。中期生から鍵を取り上げると、望の胸に押し付けた。

「先輩」

「余計なことは言わないの。よく聞きなさい、私は何の為かなんて理由は聞かない。私は何も貸してない、貴方達は何も借りてない。わかった?」

 望は呆然と小柄な終期生の顔を見詰める。彼女は胸を張り、もう一度念を押した。二人は彼女の心遣いに深々と頭を下げた。

「有り難くお借りします。後で必ずお礼をさせて頂きます」

「だから何も貸し借りしてないってば」

 望の肩を軽く叩いて、彼女は中期生を連れて立ち去った。その背にもう一度頭を下げ、二人は車に乗り込む。運転席には瞬が座った。

「いや、君の人脈も案外馬鹿に出来ないものだね」

「誉めてんのか貶してんのか、どっちだよ」

「さあ知りませんね。とにかく、この前はちゃんと顔を見てなかったけど、美人ですね」

「だな。あれほどいい女はそうそうお目にかかれるもんじゃない」

 意気揚揚と待ち人の元へ戻り、リコと篤を回収して早速現場へ向かおうと発進させる。退却してきたばかりで現場へ取って返そうとする車両は、否応なしに注目の的となる。人の波に邪魔をされて思うように速度を出せない。と、そこへ村瀬兄弟が追い縋ってきた。ごんごんと乱暴に窓ガラスを叩く。

「どこ行くの!」

「鬼退治だ。従者は三人揃ってるが、君らも来るかい」

「じゃあ後で団子奢ってくださいよ」

 そんな会話をリコと交わして、悠人と真浩が車内に滑り込んだ。渋滞に苛立った瞬がクラクションを鳴らして、思い切りアクセルを踏み込む。車両を囲んでいた兵たちがわらわらと逃げ去り、速度を上げた車はあっという間に基地を抜け出した。

 ――車内では、兄弟が改めて事情を聞いている。

「ふえぇぇぇ、まだグールがいるんですか?」

「おうよ。ま、放っとく手もあったんだけど、一度気になっちゃうと背中がむず痒くてねー。痒けりゃ痒みを元から絶てばいい。てな訳で孫の手持って出動よ」

「まあそれはわかるんスけど。この人数で不安はないんスか」

「だって俺様がいるんだぜ」

「はあ、さいで」

「そりゃね、本当はきむきむと哲っちゃんもいれば理想だったけど、もう遅いだろ」

 車はもう現場に向かって進んでおり、今から味方を呼びに帰るのは面倒だ。グールが何体出てくるかはまだわからず、真浩に指摘されて今更ながら無謀だったと思えてきたが、こうなったら自棄である。

「もーガンガンやっちゃうぜー、グールなんてちょちょいのちょいだ!」

 その言葉にふと思い出したように、悠人が身を乗り出した。

「そういえば、リコ先輩は平気なんですか」

「うん、何が?」

「グール退治。先輩は事実を知って戸惑ったりしなかったんですか?」

 あの晩に真実の一端に触れてから、悠人に限らず、かの蛍でさえグールに抱く感情が若干ながら変質したというのに、リコの反応を見ると何も気にしていないように思える。

「あー、それね。確かにグールになっちまった人は可哀想だと思うけどよ、俺は戦うしか道がないから、グールには悪いが踏み台になってもらう」

 己自身を嘲笑するように、リコは口の端を歪めた。

 盲目のハンデを架せられた彼には、どこも対応に困ったらしい。徴兵には一切の例外が認められない為、身体の欠陥を理由に兵役を免れることは出来ない。かといって字も読めない者にどんな職を与えれば良いのか。彼一人の為だけに全てを点字対応にするには手間がかかりすぎる。差別はいけないと口にしてみても、現実にはどうしても隔壁というものが存在するのだ。

 籍だけを置いて、実際には遊ばせておくという案もあった。しかしリコ自身がそれを拒んだ。それでは彼の存在そのものが否定されるのと同義だ。否定されるのは嫌だ、自分にも何かを為すことは出来ると証明したくて、白兵隊に志願した。幸い彼には猛特訓の末に得た第六感とも言える知覚能力と、卓越した運動能力がある。そのお陰か、今ではすっかり実力者として名を馳せ、役立たずと後ろ指を差されることはない。

 剣を振るうことは、そのまま彼の存在意義に繋がる。だからグールに憐れみを覚えても、手を緩めたりはしない。緩める訳にはいかないのだ。

 そう語るリコだが、自身を哀れむような色は感じられない。それが彼の生き方であるから、同情されるのは御免だと言い切った。

 リコの明朗な喋り方とは裏腹に、車内は沈痛な空気が流れる。悠人は身につまされる思いだ。悠人が人を殺す殺さないで悩む以前から、リコはとっくに覚悟を決めていたのだ。だからきっと彼は強いのだ。流されるばかりの自分とは大違いである。

「……あのさ、俺、さっき言い忘れたことがあったんだ」

 静寂を破って、篤が悠人に声をかけた。

「多分、グールを斬る理由ってのは、人を守ると同時にグールを救う意味もあるんだろうな。悠人が怜先輩の兄貴を苦しそうだと言ったのは間違いじゃないと思う。薬漬けの病人のようなグールを見てると本気で辛そうだと思うぜ」

 だが、と一呼吸置いてから、続けて言葉を紡ぐ。

「殺す事は救いになり得るけど、殺した側は確実に罪を負うし、死なせた命を一生背負っていかなきゃならない。相手が知った顔だろうと赤の他人だろうと重さは変わらないし、覚悟はしなきゃいけないんだよ。でも自分は重みで苦しんでるから他人も苦しめと、そう言えるか? それを他人にやれと、お前は言うつもりでいるのか?」

 篤の言葉に、悠人はさっと顔を上げる。篤は悠人に目を向けたまま何も言わない。他の者達はかけるべき言葉を探しかねて、やはり黙ったままだ。その中で悠人だけ、何かを言おうとして口を開閉させた。

「悠人、どうした?」

 ようやく真浩が口を開く。思考だけが忙しく働くものの言葉が追いつかず口をぱくつかせる悠人を見て、首を傾げた。

「あっ、あのねっ、言わなきゃ! 俺思い出しっ……痛い!」

 挙動が落ち着かず、車内で立ち上がって思わず脳天を打ちつけた。頭を押さえて蹲るが、痛みで冷静さを取り戻す。

「俺、思い出したんだ。そういうことだったんだ」

 再び顔を上げた時には、迷いを吹っ切って決意を固めていた。

「早く、グールを片付けて戻ろう。怜先輩に言いたいことがあるんだ」

「思い出したって、さっき言ってたあれのことか? 一体どんな……」

「まあまあ、それは後でゆっくりね。今は悠人っちのご希望通り、さっさと用を済ませましょうやね」

 話し込んでいるうちに、車はもう先程の現場近くまで来ていた。今ここには怪しい影はいない。更に車を走らせる。

 現場を越えて少し先を行った辺りで、リコは気配を察知した。

「リンリン、上!」

「わかってます!」

 グールが一体、ビルの上から落ちてくる。ボンネットに飛び乗り、身をかがめて窓ガラスを破ろうと構える。だがあくまで瞬は冷静に、大きくハンドルを切った。

 甲高い音を立てながら、氷上を滑るように車両を回転させる。雨で濡れた地面がそれを容易にする。弾みでグールが路上に放り出され、態勢を立て直した瞬が即座に方向転換し、まっしぐらにグールを跳ね飛ばした。

「もうちっと丁寧に運転しやがれ!」

 車内で苦情が飛ぶが、瞬は黙殺した。

 車を道の脇へ寄せ、全員が武器を確認して車を降りる。

 呼応するかのように、十体を優に超えるグールが前から上から左右から、身体を引き摺るように集まってきた。


「すぐ現場へ戻れ」

 蛍が総長の忍からそう言い渡されたのは、基地に撤収してやや経ってからのこと、通信班から戦況結果の報告を受け終えた頃である。彼女の背後には、当たり前のように竜司が添う。

「井藤がいつもの初期生を引き連れて基地を飛び出した」

 忍に言われずとも、件の話は聞いていた。逆走する車は多くの者が見ていたのだ。何のつもりか知らないが、勝手にしていろと本心では悪態をつく。だが総長直々の令とあっては無下に出来ない。

「兵たちは消耗しているが、それでも戻れというのか」

 嫌だ、面倒だと突っぱねようか考えたが、取り敢えずオブラートに包んだ表現にしてみる。しかし忍の答えは彼女の思考力を吹き飛ばすに充分だった。

「何を言っている。兵は出さんぞ」

「は? ……私一人で行けと?」

「必ずしも一人と限りはしないが、部隊は一つたりとも出さん。お前が解決して来い」

 流石に蛍も唖然として、それから声を荒げて怒鳴った。

「奴等はグールの残党を倒しに行ったのだろう、勝手な真似をするガキどもの尻拭いを何故私がしなくてはならん。私には関係無い!」

 ところが忍は飄々と、更に意味不明なことを口にした。

「勤務時間外のことは問わんと言ったろう」

「今はまだ勤務中で――」

「時間外のことは問わんが、その代わり時間外に起きた問題は自分達だけで解決しろ」

「何を言って――」

「一月前の晩」

 蛍に反撃の隙を与えず、次々に言葉を紡いでいく。一月前、と指摘されて、蛍はようやく意味を察した。

「思い出したな。誰よりもお前に関係する問題だ、行って片をつけてこい」

 忍の言葉に、隠そうともせず大きな音で舌を打つ。

 この男はどこまで知っているのだろう。全てを見透かしたような、涼しい顔が癪に障る。

 よし、ならばいっそのこと踊らされてやろう。代わりに帰ったらその無表情な面に拳を叩きつけて、苦痛に顔を歪ませるところを存分に拝んでやろうと蛍は腹に決めた。

「俺がついて行っても一向に構わないな」

 竜司の確認を忍は了承し、更に言う。

「どうせ二人で一組だろう、初めからわかりきっていることだ。ついでにもう何人か斡旋してやろう。……来たな」

 忍が事前に呼び出していた哲也が今、姿を現した。やってきた哲也に、リコたちがグールを追撃しに出て行ったこと、蛍を筆頭に哲也を含めた数人でリコたちを追うことを簡単に説明する。

「車庫に行って、一台借りて来い。既に話はつけてある」

 きょとんと哲也は瞬いた。いくらなんでも手回しが良すぎはしまいか。

「何も訊くな。俺は余計な巻き添えを食うつもりはない。行け」

 疑問を問い質そうとしたが、忍に機先を制された。咽喉まで出掛かった言葉がするりと引っ込んで、飴玉を飲み込んだような不快感が残る。はぐらかす忍に苦虫を噛み潰しつつ、これ以上の問答は無駄だと悟って踵を返した。蛍を先頭に一路車庫へと足を向ける。

 整備士を一人捕まえて訊ねてみると、隅の一台を指した。指示された車両へ向かうと、誰かが背を凭せ掛けるようにして腕を組み、目を閉じて黙想している。

 一行の足音を聞いて、その人物が顔を上げる。よく知った男だった。

「怜?」

 蛍の姿を捉えて、怜はただでさえ仏頂面だったのに、更に眉を寄せてへの字口になる。誰とも目を合わせないよう伏し目にしながら、顎を酌って乗り込むように合図した。

「鍵は総長から預かっている。俺もついて行けとのお達しだ」

「……本っ当に根回しが良すぎるな……」

 蛍たちが忍から指示を受けたのは、ついほんの数分前である。すぐに車庫へ来たのだから、先回りしていた怜は蛍たちよりずっと早く事情を聞いていたことになる。となると、忍はリコたちが飛び出していったことを初めから知っていたのではないか。知りながら見逃したのなら、何が目的なのだろう。いや、もしかしたら見逃したのではなく――

 哲也は苦笑した。頭を振ってくだらない考えを追い払う。今はあれこれ思案しても詮無いことだ。

 怜を運転手に据え、車が発進した。怜と蛍の険悪な空気は依然として継続しており、哲也と竜司には些か居心地が悪い。

 蛍は扉に寄りかかり、一人思案する。

 ――各務は決着をつけろと言ったな。一月前といえば心当たりは二つだが、わざわざ私に対して言ったとなると木村慎太郎のことではないだろう。するとなると……恐らく、『奴』が来る。決着などというには大袈裟すぎるが、確かにずっと引っ掛かってはいたからな、いい機会ではある。

 だが忍のことが気に入らんと、拳を窓に打ちつけた。大きな音に驚いて竜司が振り返る。

「どうした?」

「フン、見事なお膳立てだと思ってな。まったく、まさに余計な親切大きな御世話、だよ。ああ、さっさと片をつけて帰ろう。各務の奴をとにかくぶん殴らないと気が済まん。どういう思惑か知らんが、他人の意のままに動くのは私の趣味じゃない」

 そう言って窓をばんばんと強く叩くと、また黙想しだした。

 もとより怜は一言も喋ろうとしない。哲也と竜司は話題に困り、やはり何も言えない。再び陰鬱した空気で満たされる。しかしそれも長続きしなかった。どこからか涌いて出たグールによって、車両があっという間に囲まれる。車内に緊張が走った。

「どうやら歓迎してくれるらしいな。でも折角だけど辞退しよう」

 助手席から哲也が目配せすると、怜はアクセルを踏み込んで全開にした。前方のグールを跳ね除けて、一直線に道路を駆け抜ける。間もなくリコたちが剣を手にグールを相手取っているのを発見し、横付けして車を飛び降りた。

「おい、何を遊んでいる!」

「うわぉ、どうしたんだよ皆して一斉に。豪華キャスト揃い踏みだなぁ」

 リコは綽綽といった風に軽口を叩きながら剣を振るっているが、呼吸がやや乱れ始めている。先刻の出動からまだ間もなく、また少人数でグールに囲まれていては、体力の消耗は否めない。更に降りしきる雨が追い討ちをかける。

 それでも哲也たちの加勢により、大分余裕が出てきたらしく、足を止めて息をつく間が出来た。彼らは肩を並べて、入れ替わり立ち代わりで群がるグールを払っていく。

 悠人たち初期生も、まだまだ不慣れながら懸命に戦っている。腕は悪くないので、経験を重ねれば充分な実力を身につけるだろうと竜司は踏んだ。その為にはまずここを生き延びる事が第一条件で、また剣の腕だけ上達したところで、彼らにとって吉と出るとは限らないのだが。

 そんな矢先、真浩の足が縺れた。膝が折れて大きな隙が出来る。

「真浩!」

 その様子を視界の端で捉え、悠人の全身から血の気が引いた。最悪の事態を想像して、死ぬ間際の祖父と重なる。

 ――そんなことにさせてたまるか!

 爆発する感情に身を任せ、考えるより先に飛び出していた。

 これ以上、大事な家族を失いたくない。死なせてなるものか。

 悠人は兄だけは殺させないと叫んだ怜の心情を理解した。そうだ、どうして死が救いになるなどと思ったのだろう。死は死だ。救ったつもりになって満足するのは自分だけ。死んだら全てが終わりなのだ。

 真浩を庇って、隙を見つけて寄ってきたグールを斬り捨てる。ほぼ同時にもう一体が飛び出した。複数をいっぺんに相手取る器用さはなく、紙一重で避けたつもりだったが、微かに爪が額を掠める。

 少しだけ出血したが、この程度、祖父や慎太郎の苦しみに比べればどうということはない筈。

「手ぇ出すんじゃないよ!」

 腹を立てながら剣を払う。しかし勇み過ぎて、濡れた大地に足が滑ってつんのめってしまった。己を心の中で罵りながら固く目を閉じるが、

「危ない!」

 途端に首根っこを掴まれて、真浩と仲良く後ろへ引き倒された。

 ごろりと仰向けの状態で、悠人は救いの手の主を見上げた。目線の先に不機嫌顔の怜がいて、対称的に悠人を見下ろしていた。思わず頬が引き攣る。

「あ、有り難うございます……助かり、ました、はい」

 この一ヶ月、まともに顔を向き合わせていなかったから、どういった態度を取ればいいのかわからなくて困惑する。素直に礼を述べたいと思う反面、話し掛けづらい部分もあって、言葉までがぎこちない。

 しばし無言で見下ろす怜だったが、ぎくしゃくと緊張する悠人を見ているうちに、馬鹿らしくなってしまった。逆の立場であったとしても同じ反応を自分もしただろうという気がしてきて、いがみ合っていた事に呆れてくる。

 視線をつと外し、溜息がちに呟いてみる。

「誠意が篭もってないな。助けない方が良かったか」

「うわん、そんなぁ」

 がばりと起き上がって泣きつく悠人を、鼻先で笑い飛ばした。

「冗談だよ。……よく頑張ったな」

 身を呈して弟を庇う姿に、『兄』の顔を見た。乱暴に髪を掻き回すと、悠人は照れたように、心から嬉しそうに笑う。

 悠人が真浩を助け起こし、揃ってもう一度礼を言う。もういい、と怜は二人の背中を叩いた。頭を下げて、兄弟は剣を構えなおす。

「まったく真浩ってば、足元には気をつけろよな」

「手前こそ平坦な場所ですっ転んだくせして、何言ってけつかる」

 グールに囲まれている状況とは思えないほど呑気な会話を交わす兄弟を見て、羨む感情と懐かしい気持ちが怜の胸を去来する。そしてようやくにして自覚した。

 彼は村瀬兄弟に嫉妬していた。それは仲の良い兄弟像が自分になかった物だからではなく、兄の失踪と共に無くしてしまったものだったからだ。兄弟という分身が隣にいるという当たり前の環境が懐かしくて、懐かしさを故意に悲愴感と挿げ替えて、不幸な自分に酔っていたのだ。

 ――結局、自分も過去に縋っていただけか――

 小さく溜息をついて、怜もグールに向き直った。肉薄するグールへ剣を凪ぎ、首級を挙げる。手に伝わる感触は重く、血の匂いがより現実を理解させた。

 彼はこのとき、一つの決意を胸にする。


 一方、グールを切り結びながら、蛍は辺りを見渡した。『奴』の姿はまだ見えない。だが絶対に現れる筈。予感ではなく確信だ。

 そして案の定、新たな一団が道の向こうから姿を現す。先頭に立つグールを見て、やはりといった表情で蛍は口の端を吊り上げた。

 その一団は徐々に近づいてきて、顔が判別できる距離になり、ついに指呼の間まで縮まった。先頭のグールは右目の下に火傷痕が目立つ。間違いなく蛍がつけたものだ。

 想像していたとおりのグールが現れたが、顔面に貼り付けた表情は、蛍を少しだけ驚かせた。予想外、とはまた違う。そもそも予想なんてものはしていなかったのだから。その驚きは、未知との遭遇に少しだけ似ていた。

「――フン、成る程な。村瀬の表現はあながち間違いでもなかったか」

 悠人がいつか語った、「苦しそう」という形容が目前のグールにぴったり合致する。今まで蛍はグールの顔など無関心で見てもいなかったから気付かなかったが、こうして知った顔がグールになって戻ってくるという体験は、それがたとえどんなに嫌いな相手だったとしても、口の中を苦くさせるに充分だ。

「蛍、あのグールがどうかしたのか」

 一体のグールばかり注視する彼女の耳元で竜司が問う。

「ああ、あれは私の獲物だよ。奴の始末はつけないとな、その為に来たのだから」

 蛍の言葉に、竜司がぎょっとしてグールを見た。相手の正体を悟ったのである。

 大柴政道。逆恨みで蛍を襲ったが返り討ちに遭い、逃走後に消息不明となった男だ。

 竜司は大柴の顔を見知っていたが、本人とわからぬ程変貌した男の顔を眺めて、初めてグールという存在そのものに薄ら寒さを覚えた。人間はここまで化けるのか。

 まるでここを舞台に出会う事を定められたかのような、二人の因縁めいた関係に、眉間に皺を寄せる。

「本当に馬鹿だな、偶然だと思うのか?」

 正直な感想を述べると、蛍に失笑された。

 さて蛍は大柴に刃を向けようとするが、他のグールが周囲を取り巻き、大芝との間に立ちはだかって突進を阻む。

「邪魔をするな!」

 怒りに任せて目の前に踊り出たグールを斬り捨てる。だが一体を斬ればもう一体が滑り込んでくるのできりがない。戦い慣れ、己の腕にも自信があるとはいえ、今までは人間がグールを囲んで討ち取る人海戦術を取ってきたので、少人数でしかも囲まれた状況というのはどうにもやりにくかった。

 いっそ自分一人ならば却ってやりやすかったかもしれないが、自分が下手に動いて味方を傷つけるような事態にでもなったら目も当てられない。

 次第に面倒になってきて、一気に片をつけようと間隙を探す。比較的グールの数が少ない一角から切り崩し、輪を脱出してさっさと大柴の首を取ろうと考えた。が、現実はそうも上手くいかない。

 彼女にも疲労の色が濃く表れはじめて、剣の振るい方が大振りになってきた。一体を袈裟懸けに切ったその時、脇に隙を見せてしまう。彼女が態勢を立て直すより早く、横合いからグールの腕が伸びてきた。

 内心の動揺を隠せず、まさかこんな失態をやらかすとは、と蛍は己自身に舌打ちをした。油断と慢心があったことは否めない。

 不意に視界が流れた。黒い影が自分に覆い被さっていると気付いて、一瞬グールかと思って慌てたが、すぐに正体を察する。竜司が蛍を抱いて地面に伏したのだ。

「ぐ……っ!」

 伏せるのが一拍遅れて、グールの爪が竜司の頬を抉った。一歩間違えば頚動脈を掻ききられていただろう。そう思うと冷や汗がどっと噴出してくる。

「竜司!」

「俺は大丈夫だ」

 叫ぶ蛍に、心配させまいと頷いてみせる。しかし彼女は空いた手で彼の額を弾いた。

「そうじゃない、退けと言っているんだ。動けないだろう」

「おまっ……男が身を呈して庇って、なんて美味しいシチュエーションでどうしてそう味気のないことを言うか」

「それだけ軽口が利けるのなら問題はないな。いいから退け」

 蛍に睨まれると否とは言えず、しぶしぶ身体を起こす。致命傷ではないが、目の下から耳朶にかけて大きく抉られたので出血が酷く、耳鳴りと眩暈に襲われて方向感覚を失う。痛みでふらつく竜司を見て、蛍がしばらく下がるように命令した。

 大柴たちの一団を最後にグールの援軍は現れなくなり、斬り伏せて着実に数は減っていき残るは僅かなのだが、感覚としては斬っても斬っても一向に終わりが見えない。

 そこへ天の采配か、見覚えのあるワゴン車が突っ込んできた。見覚えのある二人組が飛び出してくる。

「よお、悪童ども。助太刀に来たぞ!」

 秋吉琢磨が豪快に笑う。上着は黒のワイシャツ一枚と薄着のまま、防具を一切身につけておらず、剣だけを握り締めて突進してきた。

「子供だけでよく耐えたものだが、ふむ、どうせなら数を残しておいてくれたほうが楽しめただろうに、全く惜しいことをした。まあとりあえず、今いる奴等だけでも楽しませてもらおう」

 眼鏡を外して梁雲が続く。こちらも同様に防具を身につけていない。

「子供だけたぁ失礼な。俺たちゃ現役だぜ、ロートルなんぞに負けるかよ」

 助っ人の登場で鼓舞されて、一躍士気が回復した。殺し合いの場でおかしな話だが、ついつい破顔する。疲労と血の匂いで重くなっていた心身が嘘のように軽くなった。

 一際楽しげに剣を振るう梁雲が、近くにいた大柴に目をつけた。唐竹割りにしてくれようと腕を振り上げる。そこへ蛍が割り込んだ。

「おい、横取りする気か」

「横取りとは違う。こいつはもともと私の相手だ。こいつの始末をつけないことには帰れないのでね、諦めて譲って頂こう」

 抑え気味の小さな声だが有無を言わせぬ強い語調で、梁雲を押し退けて大柴に対峙する。梁雲は肩を竦めて、大人しく一歩下がった。標的を変えて高笑いしながら突っ込んでいく。

 蛍の敵意を感じたのか、大柴は身体ごと向き直って咆哮する。人間離れした動きで駆け出し、大地を蹴って跳躍すると近くの電柱を足場に三角蹴りの要領で襲い掛かってくる。

 蛍は紙一重で避け、振り向きざまに一撃。剣の軌道を本能的に見切って、大柴が刀身の腹を蹴って弾き飛ばした。予想外に重い衝撃で剣が手から離れ、瞬間無防備になった蛍が即座に飛び退いて、互いの距離を離す。

 素手となった彼女に周囲が慌てたが、当の本人はいたって冷静のまま、腰に下げていた愛用の鞭を外した。剣と違い殺傷力に欠けるが、身を守りながら渡り合うには充分だ。

 手を両脇に垂らし、構えを崩しながら相手の出方を計る。一方の大柴も、容易に片付く相手ではないと感じたようで、警戒心を露わに唸る。それでも諦めて逃げるという選択肢はないらしく、一歩一歩確実ににじり寄った。

 周りのグールは大方が片付き、無傷で立つのは蛍と向き合う一体だけ。誰でもいつでも助太刀に入れる状況であるのに、息を飲んで見守るしか出来ない。何よりも蛍自身が邪魔を拒んで目を光らせているからだ。

「なんか、鬼気迫る感じだね……どうしてあのグールに固執するんだろう」

 悠人たちはグールの正体を知らない。蛍とどういった因縁があるのか、推察さえ及ぶ筈もなかった。

 刹那、無言の拮抗を破ってグールが蛍に飛び掛った。

 さっと鞭を構え、両足を踏み締め腹の底から一喝する。

「大柴ァ!」

 蛍は大柴の名を呼んだ。彼がまだ『人間』であった時から、一度も呼んだことのなかった名だ。奇妙な話だが、ここにきて初めて彼女は大柴の人格を認めたのだ。

 猛る蛍の勢いに飲まれたのか、或いは名を呼ばれた事に動揺したのか。そんな理性が残っていたのかどうかは知らない。ただ確かに、大柴は一瞬だけ怯んだ。

 一瞬で充分だった。

 鋭く撓る鞭が顔面に炸裂し、右目の視力を奪われた。続けざまに顔、首、肩、手と縦横に鞭が襲う。グールは痛覚が鈍化しているとはいえ、確実に傷は負うのだ。矢継ぎ早の攻撃と片目の視力喪失で、大柴は恐慌を来たして身動きが取れなくなった。

 蛍の腕は休まず振るわれる。

「この馬鹿が、余計な真似しやがって!」

 腹立たしさをぶちまけながら頻りに頭を肩を叩く。

「人間だった時から畜生同然だったが、本当に畜生となるとはな!」

 次第に大柴の顔面が鮮血で染まりだす。

「何をしたかったかは知らん、知る気もない。だが貴様はこれで満足か? 堕ちるところまで堕ちるのが、お前の選んだ道か!」

 大柴からの反撃もなく、一方的な暴力が続く。

「だから貴様は愚かだと、無能だというんだ!」

 ――あの時、何故私は足を止めたのか。最後まで追って捕えれば、人間のままの大柴に報復できただろうに。言葉が通じないただの畜生を嬲っても楽しくなんかない。生憎と弱い者苛めは趣味ではないのだ。

 そんな事を思いながら、肩で息をしてようやく腕を下ろした。あれほど暴力を揮いながら、腹立たしさは一向に解消されず、むしろ苦々しさが増すばかりで遣る瀬無い。

 大柴は虚ろな目で弱々しく身体を縮みこませる。その顔に浮かぶのは、誰の目にも恐怖だと明らかである。

 何に脅えているのだろう。蛍に対してか、それとも己に向けられる害意か。もしかしたら、グールにとっては自分を討ち取ろうとする人間こそが化物に見えるのかもしれない。だから人間を襲うのだとしたら、やはり人間とグールは同じ生き物なのだろう。人間とは何と罪深い生き物か。同情を挟む余地はないが、流石の蛍も気が重くなった。

 いつしか観客に徹していた一同が、蛍の周りを囲うようにして大柴を見下ろしていた。

「――気は済んだか」

 舞台を譲った梁雲の問いかけに首を振った。

「まだだ、まだ終わっていない」

 そう言って竜司から剣を奪い取ると、ぴたりと刃を大柴の首に添え、睨みつける。

「決着はつけなくてはね。一月前の傷害未遂の罪を、今ここで清算してもらう」

 しばし目を瞑り、深呼吸する。

「せめて正気であったなら、まだ人としての尊厳を持って死ねたものを。貴様が下等と見なし軽んじていた怪物に成り果てたことを、後悔しながら死ね。せいぜい負け犬らしく、地獄で吼えているがいい」

 毒舌を冥土の土産に、一刀で首を討ち取った。

 大柴の絶命によって、彼女の目的は果たされた。蛍は剣についた血糊を払い、鞘に収める。そして再び目を閉じて息をつく。

 そんな彼女を眺めて、悠人は嘆息した。

 潔い覚悟と決着のつけ方だと思う。また冷酷なようでその実、慈悲が裏に隠されている。

 相手の死を以って終幕とするのは、誰もが納得のいくような決着のつけ方ではないかもしれない。英断だと捉える者もいれば、反感を抱く者とて当然いるだろう。しかし他人がどう言おうと、最後に答えを決めるのは自分自身である。

 生かすも殺すも、何を選ぶも同じぐらいに覚悟がいるのだ。覚悟を決めて、決めたからには恥じる訳にはいかない。この結末が、彼女なりの覚悟だった筈だ。

 悠人は大柴の遺体を横目で見て、脳裏に祖父の姿を思い浮かべる。

 祖父を手にかけたと悔い、罪を甘んじて受けようと考えていた先刻までの自分。だが、そこに『覚悟』というものはあっただろうか。むしろ、罪の意識に苛まれ苦しむ事によって、祖父に当てつけていたのだと自覚した。

 ――俺は祖父を殺した為に苦しみ悩んでいます。弟には可哀想なので言えません。他人に手を汚す事を強請された自分を、誰か慰めてください――

 つまりはそういうことだと今更知る。覚悟なんて微塵も抱いた事がなかった。

「俺ってすっげえ嫌な奴。結構自虐趣味だったんだなあ」

 つくづく愚かだった自分に苦笑して、濡れた顔を拭いた。気がつけば雨は止んでいた。

 ふと視線を怜に向けてみる。黙ったままの姿は思ったより無感情に見えて、何を考えているのか見当がつかなかった。


「おっと、いけない。まだやる事があったな」

 思い出したように手を叩く蛍に、一同の双眸が向けられる。何があっただろうと怪訝な顔をする周囲を意に介さず、つかつかと竜司の前に立ち塞がる。

 傷に布を強く押し当て止血に専念する竜司をねめつけた。何が何だかよくわからないが、竜司はとりあえず笑んでみせる。

 突如、宵の空に破裂音が響いた。

「何をする、というか俺が何をした!」

「黙れこの野暮天、だからいらん怪我を負うんだ!」

 無事な側の頬に綺麗な張り手を食らい、赤く腫らせて抗議する竜司の胸に、蛍は指を突きつける。

「危険なところを助けてもらったことには感謝しよう、だがもっとましな方法があったろう。何の為に剣を持っているんだ貴様は。いちいち抱え込んで伏せるより剣で防いだ方が早かったろうが!」

 指摘されて、成る程、と手を叩く。どうやら本気で思い至らなかったらしい。隠そうともせず侮蔑の目を向ける蛍を、不意に強く抱き締めた。突然の出来事に観衆は開いた口が塞がらない。

「今の会話の流れでどうして抱き締める選択肢になるんだ、放さんか色惚け!」

 目を白黒させ次いで顔色を赤青交互に染め、背中を叩く蛍に構わず、竜司は耳元に囁きかけた。

「何はともあれ、お前が無事で良かったよ」

 その口調が意外に真剣なので、叩く手を休めて竜司を見上げた。

「本当に言われるまで気付かなかったんだ、あの時咄嗟に蛍を庇う事しか思いつかなくて、グールのことなんて見えてなかったな」

「それは視野が狭いだけだろう」

 蛍の反応は素っ気ない。

「そう言われると立つ瀬がないな……とにかく、俺にはお前が無事ならそれでよかったんだ。言っただろう、俺はお前を守るって」

「ああ、なんか言ってたな」

 身体を離して目を背ける。恥ずかしい科白を恥ずかしげもなく言うので、むしろ聞いている側が気恥ずかしい。そんな彼女を己の方に向き直させて、真っ直ぐ見詰めながら説得する。

「大事な人には誰だって生きていてほしいものだ。お前はどうも排他的な考えをする嫌いがある。確固たる意志をもって自分の意見を貫くのも、一つの美点だろう。しかし側面で他者の言葉に耳を貸さず独り善がりの欠点を持つ。なあ、意見を曲げろとは言わない。でも端から他を否定するのではなく、少しは心情を察してやろうとしても良いと思うぞ」

 言外に木村兄弟の事を指しているのだと悟り、蛍は頬を膨らませた。知った風な口を聞く竜司に腹が立つものの、否定出来ない部分もあるから何も言えなかった。昔からこの男に諌められる事が多かったから、こうして真剣な顔をされると蛍は弱い。

「……わかったよ、一考してやる」

「ありがとう。まあ、俺は他人に何と言われようと自分の意見を変える気はないが」

「は?」

 つい頓狂な声を上げる。つくづくこの男の思考回路がどんな構造なのかわからない。

「俺ならたとえどんな手段を使おうとも、他人を蹴落としてでも蛍を優先させるぞ」

「さっきと言っていることが違うじゃないか、お馬鹿!」

 ついこの前まではこんな螺子の飛んだ奴ではなかったはずなのに、どこで間違ったのか。

 もう一度張り手を食らわせる。涙目になる竜司に呆れたような溜息をつきながら、

「まあ――」

 そっと手を伸ばし、額を思い切り弾く。

「そういう馬鹿は嫌いじゃないわ」

 口を綻ばせ、久しく見せなかった柔らかい笑みを浮かべた。

 ……そんな折、躊躇いがちな咳払い。

「お取り込み中申し訳ありませんがね、御二方」

 琢磨の声で我に帰り、ぐるり見回すと、一同が二人を囲んでいた。

「いちゃつくのは二人きりの時にしてもらえないかい」

 砂を吐くほど甘い空気に、呆れたり口笛を吹いたり。

 瞬間、顔を真っ赤に染め、照れを誤魔化すように蛍は竜司を殴り飛ばした。

「酷い、痛い、何で俺?」

「うるさい黙れ」

 痛む頬と熱い頬、種類は違えど同じように頬を押さえる二人を見て、また一同は冷やかすように野次を飛ばす。

「キスしろキス、ちゅー!」

「やかましい、貴様らもまとめて斬られたいか」

「いやぁん」

 辺りにはグールの死体が転がる凄惨な環境の中、場違いのように明るい笑い声を響かせた。


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