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 ――中学校の制服を着て、悠人は帰り道を急いでいた。

 真浩は部活動がある為、帰ってくるのは夕方を過ぎるだろう。だが悠人は早く帰って制服を脱ぎ捨ててしまいたかった。今日は楽しみにしていたゲームの発売日で、制服のまま寄り道するのは憚られるから、一度着替えに帰らなければならない。それに財布も取ってこなくては。

 息を切らせて、自宅の玄関に辿り着く。普段はきちんと閉められている門が、今日は何故か開いていた。誰か訪ねて来たのだろうか。けれども特に気にも留めず、庭に滑り込む。

 反対に出ていこうとしていた誰かと、悠人の肩がぶつかった。相手は背の高い男で、謝ろうとして悠人は男の顔を見上げる。向こうも悠人を僅かに見下ろしてきたが、すぐに謝るより先に去ってしまった。

 心に留まるほど観察していなかったから、あっという間に男の顔を忘れてしまう。そんなことよりも、早く家の中に入ろう。

 家主は悠人の祖父で、同時に育ての親でもある。たった今まで客がいたのだから、外出している事はないだろうと思って扉を開けた。案の定、鍵は掛かっていない。

 ただいま、と奥に向かって声をかける。しかし返事がない。悠人は首を傾げて居間を覗き込む。

 ちゃんと祖父は家にいた。いたけれど、絨毯の上に倒れ伏している。

 どうしたの、と部屋に足を踏み入れると、祖父が痙攣しながら顔を上げた。手が真っ赤に染まり、身体の下にも赤いものが影のように滲んでいる。そして、首から金属が生えているという、有り得ない状態を目にした。

 目の前は赤く、悠人の頭は真っ白になりながら、恐る恐る祖父の下に近づいていく。いい加減、どんな状況であるかは気付いていた。惨状を目にしてそれでも叫びださなかったのは、理解するのを拒絶していたからかも知れない。

 祖父の前にしゃがみ込むと、祖父は悠人の腕に縋りつき、赤く染まった口を開け、

「頼みがある」

 掠れた声で言った。悠人は目を離せない。頼みとは何か訊ねると、おもむろに悠人の腕を持ち上げて――


 懐かしい夢を見た。

 目覚ましが鳴ると同時に意識が現実へ連れ戻される。

 久しぶりに昔の夢を見て、懐かしさが胸に込み上げた。その懐かしさは、必ずしも良い思い出に繋がる訳ではないのだが。

 ……あの晩から、既に一月経過しようとしていた。

 事件の明朝、蛍は報告の為に総長の下へと赴いた。無論自警団や慎太郎のことを話す訳にはいかず、どこまで話すべきか迷ったものだ。ところが、忍の反応は意外に淡白だった。

「勤務時間外の事は問わん。大柴が欠勤という報告だけで充分だ」

 あれから大柴がどこへ消えたのかは皆目見当がつかなかったが、いきなり行方不明という扱いにはならず、ひとまず無断欠勤という形で処理された。それだけである。あまりの呆気なさに、蛍は狐に抓まれたような思いだ。

 そんなに無責任な対応でいいものかと、腑に落ちない哲也が同様に忍と掛け合ったが、やはり答えは変わらない。それどころか、

「私生活のいざこざを仕事場に持ち込むな」

 とまで言い返される始末。

 やむなく引き下がったが、よくよく考えれば確かに、大柴のことにかかずらっている場合ではなかった。彼らには、まず解決せねばならない問題がある。言うまでもなく慎太郎をどう処置するかについてだ。

 琢磨達から猶予を与えられて、考える時間は充分にあった。これだけの期間を置きながら、しかし尚、結論を出すまでに至っていない。

 むしろこの一月の間に、関係に齟齬をきたしてしまった。蛍と怜は言わずもがな、ここしばらく、悠人も怜とまともに顔をあわせていない。

 事件からしばらくしたある日、悠人は怜に、あの晩に呟いたことと同じ内容を提案してみた。死を以て救いとする道もあるのではないだろうかと。すると怜は射抜くような視線をぶつけてきた。

「なるほど、お前も兵長と同じか。もしかしたらいずれ完治までは行かなくても回復する可能性だって無ではないのに、あらゆる希望を断ち切って死を賜れと」

「そんなこと……違う、そうじゃないんです。だって、あの人の救いを求めるような呻吟がずっと耳から離れないんです。ずっと苦痛に晒すくらいなら、楽にして差し上げるのも一つの方法だと……」

「だから、その考え方が嫌なんだよ! 苦しませる事は重々承知の上だ。それでも俺は、死んで欲しくない、死なせたくない! 二年前に失踪して、弟の俺がどれだけ帰りを待ち侘びていたかわかるか? どんな形であれ生きて帰ってきたのに、たった一人の家族にどうして死ねと言える」

 怜の目には、憤慨と怨恨と無念などが入り混じった、複雑な色彩が滲んでいる。

「或いはお前なら、共感してくれるかも知れないと思ったが、どうやら見込み違いだったようだな」

 そんな物言いは卑怯だ。だが、悠人は反論出来ない。踵を返す怜の背中を、無言で見詰めているしか出来なかった。

 以来、怜の荒れ方は目に見えて酷くなった。眠れない夜を過ごしているのか、目の下の隈は日毎濃くなり、些細な事でも神経質な反応を示すようになった。悠人と道の途中で鉢合わせても、露骨に顔を背けられてしまう。それが悠人にはなんとも心苦しい。

 実はこの間に一度、出動する場面が有ったのだが、今まで目立った戦績を上げたことのなかった怜が、その日は蛍に次ぐほどの目覚しい活躍ぶりを見せた。一方から見れば活躍だが、事情を知る者が側面から見れば、鬼気迫る勢いが逆に痛々しい。

 以前宣言したとおり彼は「他人ならばいくらでも斬り捨ててみせ」た訳だが、実行してみせるだけならここまで剣の錆にせずとも良かったのだ。やり場のない怒りを剣に変える怜を、悠人は更に直視出来なくなった。

「そこまで出来て何故ただ一人を庇うのか」と、蛍は尚のこと怜への印象を悪くする。亀裂がまた深く大きく広がっていく。

 怜だけではない。兄弟だから、会話さえ交わさないといったことはないものの、真浩ともぎくしゃくした状態が続いている。

 恐らく、真浩は悠人が隠し事をしていることを知っている。真浩が鋭いというより、悠人が隠し下手なのだ。ということは誰もがとっくに知っているだろう。わかってはいるのだが、悠人は隠している内容を真浩には言えない。言ってしまえば、辛うじて保っている兄弟という繋がりまで断ってしまいそうで恐かった。

 こうして一月が経ったが、いつまでも手を拱いている訳にはいかない。琢磨達はゆっくり答えを出せばいいと言ってくれたが、だからといって甘えるにも限度というものがある。そろそろ答えを出さなくては。

 幸いにして悠人には伝手がある。相談に乗ってもらう為に、居場所を探して歩き出した。


 哲也は休憩室で、自動販売機に金を投入する。コーヒーを買って振り返ると、忍が目の前に立っていた。気配を少しも感じなかったので、かなり動揺する。

「わ、総長! ど、どうもこんにちは、今日も良いお天気で」

「外は雨だ」

 緊張のあまり頓狂な科白を口にしてしまい、その上即座に突っ込まれて、穴があったら入りたい心境である。耳まで真っ赤に染める哲也を、だが忍は気にも留めず、自販機の前に立つ。

「今日は美杉一人か。近頃、お前の仲間が勢揃いする場を見ないな。喧嘩でもしたか」

 同様に金を入れながら忌憚なく訊いてきた。ボタンを押して、紅茶の缶を拾い上げる。

「そう見えます? いつもつるんでるからって別行動しないとは限らないでしょう。」

 内心どきりとしながら、平静を装う。

「ああ、見えるな。お前と井藤と木村、初期生の山野辺と宮澤と鈴置と、村瀬兄弟。ついこの前までは群れて楽しげに騒いでいただろう」

「わあ、よく名前を覚えてますね」

 この基地だけでも兵は腐るほどいて、また付き合いがなければ到底覚えきれるものではない。それなのによく知っていると感嘆する。

 話しながら、二人は備えつけのベンチに腰を下ろした。

 今は普通に会話が成立しているが、二人は特に親しい間柄ではない。

 いや、哲也は明知で才幹に富む忍を憧憬の対象として見ていて、だからこそ気軽に話せるような相手ではないと思っている。こうして雑談を交わすのは、もしかしたらこれが初めてではなかろうか。

「あれだけ騒いでいれば嫌でも目に留まる」

 缶のタブを起こして開栓する。哲也もコーヒーに口をつける。

「一月経ちましたが、彼は未だに行方が知れませんね」

 何気なく話題を変えた。哲也は大柴政道と面識はなかったが、現在の状態に至った発端は大柴であるから、やはり気にはなる。

「行方不明者などこのご時世、珍しくもないだろう」

「やあ、ただの好奇心です」

「そうか」

 紅茶を一口啜って、忍は意味深な科白を呟いた。

「まったく行方不明という言葉は便利だ、相手がどんな環境でどのような状況にあっても、たった一言でその人間の存在を抹消できてしまう。そうなれば後は相手に何をしようと自由だな」

「……何を言っているんです?」

 哲也の抱いていた感情が、感嘆から不審に変わるのは一秒もいらなかった。

「好奇心はいずれ身を滅ぼす、注意したほうがいい。余計なことを知って、自分まで存在を否定されては笑い話にもならないだろう」

「総長――」

 唖然とする。思わせぶりな発言が、哲也の胸を衝いた。もしかしたら、この男はとんでもないことに関わっているのではないか?

「総長は、何をどこまで知っているんですか」

「何を、とは何についてだ」

 しかし忍は逆に問い返してきた。本当に何も知らないのか、それともとぼけているのか、一目では見当がつかない。

 否、この男は全てを知っている。続く言葉で哲也は確信した。

「いずれ、お前達も決着をつけるべき事があるだろう。どんな答えを出しても必ず傷は残るが、どうせならば傷は小さい方がいい。出来ることなら人間関係に傷を残すことは避けた方がいいだろう。早いところ覚悟を決めておけ」

「……」

「変な事に首を突っ込まなければ、今の事態は避けられただろうにな。だがここまで来たなら、最後までやり通せ。ただし解決したら、それ以上は深入りするな、無事でいられる保障はないぞ」

「それは善意の忠告ですか、それとも脅しですか」

 哲也が剣呑な目を向ける。が、忍は気にした風もない。

「どう受け止めるかは勝手だ。……俺はそろそろ戻らなくてはならん」

 紅茶を飲み干すと、缶を無造作に放り投げた。弧を描いて屑篭へ綺麗に収まる。立ち去り際、忍は哲也の肩に手を置いて、顎を軽くしゃくる。

「そら、心配事の一つがやってきたぞ」

 忍が示した方を見ると、悠人が一人きりで歩み寄ってきた。


 忍と悠人が入れ替わって軽く挨拶を交わすと、哲也の隣に腰を下ろした。二人は並んで缶コーヒーを啜り、悠人から話を切り出すまで待つ。大体の内容は予想できている。

「そろそろ、琢磨さんたちに答えを出さなきゃいけないと思うんです」

 躊躇った末に吐いた科白は、哲也の予想から一歩もはみ出さなかった。

「それぞれ意見が食い違ってるから、誰もが納得出来る答えは出せないのはわかってます。だから誰かがどこかで妥協しなきゃならない」

「うん、成る程ね。それで悠人君はどうしたいのかな」

「哲也先輩に、意見のまとめ役をお願いしたいんです」

 爪が白くなるほど缶を握り締めながら、悠人は哲也を真っ直ぐ見据えた。視線を受け止めても哲也は動じない。

「どうして、その役を俺に?」

「先輩がリーダーだからです。だって、リコ先輩も怜先輩も、何かあると哲也先輩を頼ってる」

 悠人は、特にリコが困ったとき哲也を振り返る癖があることに気付いていた。

 疑いの欠片も見せない悠人を見詰め返して、しばし沈黙する。やがて諦めたように溜息をついて、哲也は答えた。

「大抵の人は、リコをリーダーだと思うんだけどね」

「いいえ。確かに一見、主導権を握っているように見えるのはリコ先輩ですけど、意見の度に『何々で良いよな』とか『わかったな』とか哲也先輩に言うのは、あれってリコ先輩が念を押してるんじゃなくて、哲也先輩に指示を仰いでるんですよね」

「……別に、俺たちに上下関係はないから、厳密に俺がリーダーってわけじゃないけど」

 明確な肯定の言葉はなかったが、ほぼ認めたも同然である。自分の考えが当たっていた事に、悠人は少しだけほっとする。あとは彼に賛同してもらえれば、話は綺麗にまとまってくれるかも知れないと、期待を込めて話を続けた。

「怜先輩と高木兵長で意見が二分して、他は中立の形を取ってますけど、それじゃあいつまで経とうが決着のつきようがない。だから、せめて折衷案を出したいんです。多分、誰が説得するよりも哲也先輩の説明なら、皆だって受け入れてくれると思うから」

「あ、あのね、俺を期待してくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと重要な事を見落としてない?」

 洋々と語る悠人の言葉を遮って、哲也が首を振った。悠人がはてなと首を傾げる。

「悪いけど、決定権は彼に委ねると言っただけで、俺の意見は怜寄りだからね。正直に言えば、出来るかぎり死なせたくないんだ」

 急な告白に、悠人は愕然とした。期待が音を立てて崩れていく。

「どうして……」

「どうしてもこうしても。俺にとってもね、慎太郎君はお兄さんだったんだよ。ずっと一緒に育ってきた、家族同然の存在なんだから。俺だって自分の意見を譲ってやるつもりはないよ」

 悠人の瞳が揺らぐのを見た。少し言い過ぎたか、と多少の呵責を覚えないでもなかったが、相手のためにも弁解はしないほうが良いと考えて、敢えて何の補足もしなかった。悠人は唇を噛み締めて俯く。

 おや、と気がついて、哲也は目を逸らした。若干の間を置いて、悠人に視線を戻して訊ねる。

「不躾な訊き方で悪いけど許してね。君は何を隠してるだろう、それ、もしかしてこの事態に少なからず関わってたりするんじゃないかな」

 哲也の問いに、さっと顔色を変えた。見る見るうちに表情が強張っていく。

「昔、何かあったんだね」

 逡巡した後、悠人がこくりと頷く。

「真浩君にも言ってないんだね。言うタイミングが掴めないの?」

 更なる問いにも頷いた。

「でも、いつかは言わないといけないことなんだよね」

「……はい」

「じゃあ、今言うしかない。そうでないとこの先ずっと言えなくなるよ」

 え、と哲也の顔を見詰めなおす。彼の目線が悠人から微妙に外れて、肩越しに後方を見ていた。目線を追うように振り向く。

 振りかぶる真浩を視界に捕えた。

 首が吹き飛ぶほどの勢いで頬を殴られる。加減の全くされない一撃を喰らって、悠人はベンチから転げ落ちる。唇が切れたのだろう、仄かに鉄の味がした。

 首だけを起こして見ると、真浩が頬を紅潮させ、肩を怒らせながら荒い呼吸をしている。怒っているのは一目瞭然だ。

「このっ、馬鹿野郎!」

 兄の傍へ廻ってきて、襟を掴んで立ち上がらせた。縋るように肩を揺さぶる。

「なあ、何を隠してるんだよ、そろそろ教えてくれてもいいだろ」

 しかし悠人は目を伏せて、しきりに首を振るばかり。真浩は頭に血を上らせて、今度は拳を叩きつけた。

「まさか隠し事してるのがばれてないなんて思ってる筈はないよな。いかにも気付いてくださいと言わんばかりの隠し方して、そのくせ言及すると逃げるなんて卑怯だろ。なあ、どうなんだよ、お前いつまで悲劇のヒロイン演じれば気が済むんだよ、自分ばっかり哀れんで、蚊帳の外にされる俺の気持ちを考えた事があるのかよ!」

 それでも沈痛な面持ちのまま、堪えるようにぐっと唇を噛む。やがて口を開いたが、

「御免……でもどうしても言えないんだ、お前に恨まれるのが恐いよ……」

 濁すだけで少しも心を開こうとしない。真浩は一層逆上した。

「何も言わない方が尚更恨まれるってことくらい、いい加減わかれよ!」

「よせ!」

 連続して拳を振るう真浩の腕を、いつ来たのか篤が掴んだ。それでもなお暴れようとする彼を、望と瞬も加勢して抑えつけた。

「落ち着け、ちょっとでいいから落ち着け。喧嘩したって事態は解決しない、まずは腹を割って話し合うことが先決だろう。ここじゃ人目がありすぎる、一度場所を変えよう」

 休憩室での大声は注目を集めすぎた。更に騒動を聞きつけて、数人が様子を見にやってくる。篤が目配せをすると、了解したように哲也が首を振った。

 沈黙したままの悠人に瞬が、興奮する真浩に篤と望が寄り添って、どこか静かな場所を求めて歩き出す。哲也は一旦その場を離れ、どこかへ消えた。


 雨が強く大地を叩く。梅雨の真っ只中、湿度は高いが、太陽が隠れているせいで気温はあまり高くない。そのくせ汗は出るので、体温を奪われて肌寒かった。

 倉庫には人気がなく、庇が雨を遮ってくれる。彼らは地べたの濡れていない部分を選んで、並んで腰を下ろした。

「ほら、ここなら大丈夫。お前達も互いに言いたいことがあるんだろ、ここでぶちまけちまえよ」

 篤が仕切るが、悠人は何も言おうとしない。真浩が睨めば、顔を背ける。顔を覗き込もうとすると、身体ごと向きを変える。頑なな悠人に、真浩が思わず手を出そうとすると、慌てて瞬が制止する。

 そうして無駄に時間を消費するので、今度は篤が叫んだ。

「あー、もう!」

 兄弟の間に無理矢理身体を割り込ませて座りなおすと、両手で左右の兄弟の顔を自分の方へと向けさせた。

「とりあえず話題転換な。お前ら人を殺した事あるか?」

 悠人ははっとして篤を見た。真浩は怪訝な顔をする。

「人って、グールを含めてか」

「なしで、だ。普通に生きてて、普通の人を殺した経験はあるか」

「おいおいおい、それじゃあこんな所にいられる訳ねえだろ。普通は殺しの経験なんてないって」

「そうだよな。いやまあ、普通はそうなんだけど。……ところが、俺はある」

 突然の告白に、真浩は唖然とした。目をずらせば、望たちは深い溜息をついて、

「馬鹿正直な……」

 呆れたように額を押さえた。

「もう二年も前の話だ。中学校の実技訓練の時に、ついうっかりな」

 うっかりでは済まないようなとんでもない出来事を、まるで世間話でもするような口振りで、篤は昔話をし始める。

 小中学校では、授業の一割が兵役に備えた訓練に当てられる。その枠内で、当然剣術の訓練も行われる。

 訓練に使われる剣は人為的に刃を潰されたなまくらだが、元は真剣である。切れ味は悪くなっていようが、力の入れ方次第で叩き切る程度は容易で、使い方を誤れば充分に殺傷力のある危険な代物となる。

 事の起こりはある日、一対一で試合形式の訓練を組んだ時だ。例え防具を着けていても、手にした物が物だから真剣に取り組まないと何が起こるかわからない。ところが、相手は何に気を取られたのか知らないが、余所見をしてしまった。よりによって篤が剣を凪いでいた真っ最中に。

 篤は相手が当然に、受け止めるか避けるかするものだと思っていた。しかし横一線に払われた剣は、そのまま相手の首に吸い込まれる。どのような結果になったかは――言うまでもない。

「……それで、その後は」

「その後は、俺が今ここにこうしている事で察してほしいなあ」

 相手は死亡、事故とはいえ致死の責任を問われることは覚悟していた。が。

「まさか、何のお咎めもなしか?」

「そういうことで。これってさあ、逆に辛いぜ」

 不注意が原因ということで、責任は余所見をした相手にあり、篤は口頭による注意だけで済まされた。以後気をつけるように、と言われて終わりである。

 そんな馬鹿な、と篤自身が抗議したのだが、取り合ってはもらえなかった。理由はついぞ知り得なかったが、今は何となく推測できる。どうせ誰がいつ死ぬかわからない状況だ。一人二人がどうなったところで関係無かったのだろう。

 責任は問われることなく終わったが、それは反対に篤を苦しめた。彼は罪の意識を負っていたのに、償う機会すら与えられなかったのである。

 苦しみは暴力に形を変え、一時期酷く荒んでいた。意味もなく悪ぶって、近づく者全てに必要以上の暴力を揮い、自分以外の全てが敵にしか見えなかった。

「その頃に望や瞬と知り合ったんだけど、当時は立ち直れるなんて微塵も思ってなかったし、そのつもりもなかったな。で、同じように輪から外れた望とつるんで好き勝手やったりして――」

「あっ、阿呆、馬鹿正直にそんなことまで話さなくていいんだよ!」

「や、まあ、色々あって、似非優等生の瞬と敵対したりして」

「似非ってなんですか、僕は正真正銘の優等生だよ」

「んで姉貴にもぶん殴ら……げふげふ。んなことは置いといて。まあ、何と言うか、アレだ。それで、俺はようやく悩みをぶちまけることが出来て、おかげで気が楽になったってことだ。……どうだ、今のお前らの状況に少し似てると思わないか」

 またも兄弟の頭を掴んで、今度は互いを鉢合わせた。

「悠人、お前には兄弟がいるんだから、悩みだって共有しちまえよ。自分ばかりが辛いと思うな、辛いと思うなら、一人で背負い込もうとするな。真浩だって、置いてきぼりにされるのは寂しいよな。知らないことを知りたいと思うのは当然の権利だ。ほれ、いい機会だから腹を割って話し合えよ」

 悠人が篤と真浩の顔を見比べた。真浩は拗ねたように口を尖らせながら、文句を言いたいだろうが黙って真っ直ぐ自分を見詰めている。話し合いの場を用意してくれた篤の顔を立てているのだ。二人の心遣いが身に沁みる。

 不意に視界が暈けて、鼻の頭が熱くなった。隠し事が出来た日から絶対に泣くまいと決めていたのだが、一粒零れ落ちると、堰を切ったように涙が溢れ出した。

「……ごっ、ごめ、御免ね、御免、俺……おお俺、じいちゃ、じいちゃんをね……」

 涙と共に言葉が洪水を起こしたが、咽喉に引っ掛かってしまって、上手く喋れない。それでも懸命に声を震わせながら、胸に支えていたものが流れていくのを自覚した。


「俺と真浩はね、祖父に育てられたんだよ」

 冷静さを取り戻した悠人は噛み締めるように、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「だけど二年前……あれ、揃って二年前だね。とにかくとある日、学校から帰った俺が目にしたのは、倒れてる祖父の姿だったんだ」

 先日見た夢が、そのまま当時の記憶である。

 ――血に塗れた祖父の前にしゃがみ込むと、祖父は悠人の腕に縋りつき、赤く染まった口を開け、

「頼みがある」

 掠れた声で言った。悠人は目を離せない。頼みとは何か訊ねると、おもむろに悠人の腕を持ち上げて、咽喉の下に刺さったナイフの柄を掴ませた。抜いてくれ、と言うのだ。

 初めは大人しく従おうとしたが、はっと気がついた。皮肉にも今は刺さった刃が塞き止めているが、抜いてしまったら出血が酷くなってしまうのではないか。そうなったら、命の保障はない。

 混乱した頭でも、下手なことをするよりは医者や警察を呼ぶべきだということは考えられる。だから手を離して電話をかけに行こうと立ち上がりかけたのだが、どこにそんな力が残っているのか、祖父は手を離そうとしない。悠人は困惑した。こうしている間にも、祖父の命の灯火はどんどん燃え尽きようとしている。

「じいちゃん、医者呼ぼう、でないと危ないよ……?」

「どうせ、間に合わん……」

 祖父自身、先が長くないことを承知している。頭を振って、悠人が縋りつく。

「ねえ、今すぐ手当てすれば間に合うよ、だから手を離して!」

 それでも祖父はしっかりと握り締める。

「さっき出て行った人にやられたの? あれは誰?」

「あれは……」

 口を開いた途端、咳き込んだ。血塊を吐き出して、崩れるように赤黒い水溜まりへ頭を沈めた。弱弱しく呼吸をして、頭を起こす力ももうなく、目だけを悠人に据える。

「悠人……早くしてくれ……」

 懇願されても動けない悠人を見て、言っても聞かないのなら、と彼は悠人の手を掴んだまま、自分からナイフを引き抜いた。

 驚愕で目を見開く悠人に祖父は苦笑した。息も絶え絶えに、

「どうか、覚えておいて欲しい」

 最後の力を振り絞って悠人に語りかける……。

 悠人は祖父の遺骸に顔を埋め、声を上げて泣いた。

 その後、開け放たれたままの玄関を訝って様子を見に来た向かいの住人が、惨状を目にして警察に通報してくれた。明らかに祖父は他殺であり、不審者の姿が目撃されていた為に殺人事件として扱われたが、未解決のまま短期間で捜査は打ち切られた。

 有耶無耶にされた観は否めないが、悠人にはどうでもいいことだ。祖父に強請されたとはいえ、直接止めを差したのは紛れもなく悠人の手なのだから。

 報告を受けて蒼白になりながら飛んできた真浩には、恨まれるのが恐くて真実を言えなかった。大事な家族を死なせたと、仇として睨まれるのが恐ろしかった。

 洗いざらい喋ってしまえば楽になるのはわかっている。でもそれは安易な逃げであり、自分一人だけ安息を得るなど許されていい筈がない。敢えて胸に圧し込み、苦しみ傷つくのは当然の罰なのだと思い込むようにして、ずっと自分を誤魔化してきたのだ――

「今まで黙ってて御免な。恨まれるのが恐いなんて我侭だよな。傷つくのが平気というのなら、恨まれる覚悟くらい決めておかなきゃいけなかったんだ。御免、本当に御免ね」

「――そうかよ」

 真浩は己の掌をじっと見詰めた。一息ついてぐっと拳を握り締める。何を言うより先に、その手で悠人を殴り飛ばした。

「ケッ。色々と不満は残るが、仕方ないからこれで勘弁してやるよ」

 誰よりも周りが慌てたが、真浩が口の端を上げて笑むと、悠人も微笑んだ。篤たちはほっと胸を撫で下ろす。

「真浩、ありがと」

「おいおい、殴られて笑うなよ。お前マゾか?」

「えーと、いやー、その、ある意味気持ちいいかも、なんて思っちゃったり」

「わ、気持ちわるっ、ぎゃあ寄るな変態!」

 冗談を言えるまでに回復して、兄弟は顔を見合わせて呵呵大笑した。全てを吐露して、今まで二人を隔たっていた壁を吹き飛ばすように、わざとらしく大声を出す。見守る篤たちも調子を合わせて笑った。

 が、ふと眉を寄せて、悠人が項垂れる。

「でもね、俺、どうしても思い出せないことがあるんだ」

 祖父が最後の力を振り絞って、悠人に語りかけた言葉。

 忘れるな、覚えていてくれと祖父は前置いたのに、続く言葉の一切を忘れてしまった。いや、忘れたというより、悄然とした状態で相手の声に耳を傾ける余裕などなかったのだ。

「何かとても大事なことを言ってた筈なのに、俺は少しも覚えてないんだよ。それがずっと引っ掛かってる」

 例えるなら、ビデオ再生したときにそこだけ音声が抜け落ちていると考えればいいだろうか。繰り返し見る夢で、悠人は問う。何が言いたいの、何を伝えたいのと幾度となく叫んだ。だが欠けた情報はどれだけ再生を試みても、エラーが出て開けない。今なら漏らさず覚えておけるのに。後悔するが後の祭りである。

 思い詰める悠人へ、真浩が慰めるように声を掛けた。

「まああまり深く考えるな、いつかは思い出すさ。そのときはちゃんと俺にも話せよ」

「よし、仲直りは済んだな。じゃあそろそろ肝心な部分を考えよう。」

 篤が二人の頭を掻き回す。

「怜先輩の兄さんをさ、救ってやりたいと思うのは確かにそうなんだけど、結局はその方法をどうするかってことなんだよな。生かすか殺すか、選択肢はどちらかだけだ。考えれば考えるほど、人の命は二択でしかないってのは残酷だよなあ」

 確かに酷な話だ。どちらを選んでも、誰かが必ず不幸になる。悠人は先刻、哲也に「折衷案を」と提案したが、取れる間などない。そんなことにも思い至らないほど自分は何も見ていなかったのだと今更ながら気付いて、ほとほと呆れ返った。

 各々が思いに耽って沈黙するが、今ここでこうして頭を捻ってもそう簡単には結論が出そうにない。

「しばらく、考えさせてくれるかな……」

 悠人が呟く。篤は頷いた。

「そうすればいい。急いで出した答えは、後で絶対に後悔するから」


 倉庫の角に、三つの影が隠れている。

「あっちゃんは優しいよなーあ。お人好し過ぎる気もするけど」

 影の一つが口を開いた。小声なら雨音が掻き消してくれるから、悠人たちに聞かれることはない。

 への字口でひたすら渋面を作る男に、残る一人が声を掛ける。

「怜、今の話をどう思う?」

「どうと訊かれても困る」

 怜はとことん仏頂面でそっぽを向いた。哲也とリコが目を交わして肩を竦める。

 どうと言われても、怜には答えようがない。ただ、ある種の腹立たしさが胸中に涌いているのは認めた。

「あの兄弟は仲が良くていいな」

 村瀬兄弟は年齢も等しく、同じ目線で会話できるが、怜は違う。慎太郎は常に「兄」であり、不可抗力の上下関係に甘んじなければならない。

 また何に置いても平々凡々の怜は、博学多才の兄と比べられるのが嫌だった。先日、兄弟かと問われてはぐらかしたのは、引け目によるところが大きい。

 子供の頃からそうだ。兄が怜と同じ位置にいたことはない。いつでも先を歩み、怜は背中を追いかけるだけ。追いつこうと走れば躓いて転び、その間にも慎太郎は前へ前へ進んで行く。

「君らだって仲良かったじゃないか。いつも慎太郎君に金魚の糞の如くついて廻って、おにーちゃんおにーちゃんって可愛かったよ」

「そんなことを言われても嬉しくない」

「別に馬鹿にしてる訳じゃないって。俺はその光景を見てるのが好きだったんだ」

「ふん、どうせ俺は子供だよ」

 鼻を鳴らす怜に、哲也は眉を寄せた。

「そんな言い方」

「たった一歳差でしかないのに、兄貴はずっと大人で、常に優秀で、きっと俺なんて、足手纏い以外の何者でもなかったんだ」

 言いかけを遮って、渦巻く感情を撒き散らす。一度口をついて出てしまうと、押し寄せる波のように後から後から文句ばかり出てきてしまう。精神的に子供だと痛感するのはこんな時で、怜は感情さえろくに制御出来ない根暗な自分が大嫌いだった。

「……怜は、慎太郎君のこと嫌いだったの?」

「嫌いだよ!」

 咄嗟に叫んで、深く溜息をつく。

「嫌いだけど、家族なんだ。兄弟でなかったらこんな悩む必要なんてなかったのに。だから嫌いだ、でも無視出来ない自分が凄く嫌だ」

 ああそうか、と怜は気付いた。認めたくないが、あの兄弟に抱く感情は――

「あーあ、きむきむってば、何を拗ねてんだよ。それを嫉妬っていうんだぜ」

 リコの言葉はずばり図星を指しており、つい頭にきた。反撃の科白にも棘が入る。

「きむきむ言うな。嫉妬ね、フン。足の速い奴には、遅れる者の気持ちはわからないさ」

「は、なんだよその言い方。知らねー、俺もう付き合ってらんねー!」

 かちんときて、リコは憤然と鼻息を荒くし、怜は一際憮然となる。

 そんな不穏な空気を、哲也が心配げに見守っている。

――どうしてこう、周りには脛に傷を持った人間ばかりかね。

 少し頭痛がしてきた。村瀬兄弟はどうやら関係を修復出来たようだが、怜と蛍、怜と悠人の間には未だ亀裂が入ったままなのだ。

 人がいがみ合うのを見るのは嫌いだ。今まで友情関係を築いてきた者同士では尚更だ。誰の気持ちもわからないではないが、誰もが自分の感情を先走らせすぎて、大事なものを見落としている気がする。重い額を押さえた。

「怜、慎太郎君の様子はどうだ。暇があれば見に行ってるんだろう」

「まだ生きてる」

 返答は短い。そして肝心なことには一切触れない、誤魔化しの答え。

 たった一言で怜の胸中が読めた。兄を救う方法を、彼もまた決めあぐねているのだ。

「どうして、世の中って上手く事が運ばないんだろうな」

 だからこそもどかしい。いつまでこのような状態が続くのだろう。切実に、早く解決して欲しいと願わずにはいられなかった。

 突如、一帯を静かに満たす雨音さえも切り裂くような、耳障りなサイレンが基地中に轟く。緊急召令、つまりグールの出現と新鋭軍出動を合図するものだ。角の向こうで初期生組が立ち上がり、駆け出す気配がする。哲也は二人を振り返ると、リコがあっという間に機嫌を直して走り出そうと構えていた。

「俺の出番がきたきた来た! ひとまず運動すれば、頭もスッキリして考えもまとまると思いマース」

「はあ、単純でいいねリコは。俺はちょっと頭痛いですよ」

「理屈を考えるのは嫌いでな。成り行き任せも一つの道だと俺は信じてんのよ」

「なるほど、それも一理あるかな」

 勢いに呑まれて思わず納得すると、怜が口をよりひん曲げて反論する。

「そんな一理、認めてたまるか」

 言い合いながら三人は、初期生たちと距離を取りつつ後を続く。戦いの場へ挑む為、更なる業を重ねる為に。

 先行き不安で暗闇に迷う彼らだが、しかしここから転機が訪れることを、迷路の出口はすぐそこまで見えていることを、まだ知る由もなかった。


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