三
三
「何があったのかな」
袋を下げて買出し組が戻ってきてみれば、庭に出ている者たちが口々に何事かを騒いでいる。ちらりほらりと「怪盗だ」「いやお化けだ」といった下らない論争が耳に入る。その中で、「二年前の再来か?」という声が、哲也の胸に引っ掛かった。
あくまで他人事だと思っていたのだが、いざ部屋に戻ってみれば誰もいない。先程揃って出てから帰ってきた様子もなく、吸い殻も飲みかけのジュース缶もそのままである。どこかで寄り道しているのだろうかと再度表に出てみたら、丁度竜司が走ってくるところだった。
「白石先輩、うちの子たちを見ませんでしたか」
「おお、何だ、美杉か。お前達は別行動だったのか、ならお前の仲間達が兵長と一緒に南へ駆け出していったことは知らないんだな」
「……どういうことです?」
「俺も事情を知りたいんだが……まあわかるところまで話そうか」
屋上を走り抜ける影を見たのは、何も悠人たちだけではなかった。やはり幾人かがその姿を目撃していて、竜司もその一人である。
竜司の場合は窓から外を眺めていて、前方の離れた棟の屋上に三つの影を認めた。逃げる影を途中まで後を追いかけた人間が長い髪であったことから、女であることに気付く。そして女が蛍であると直感的に見抜いた。
それで部屋を飛び出してその棟の麓へ急行すると、蛍が悠人や怜ら五人を伴って南へ向かうところに出くわした訳である。後を追おうと思ったが、周囲が俄かに騒ぎ出したのでやめた。騒ぎに便乗して問題を起こす輩が出てくるかもしれない、そう考えたのだ。
「何事だ」
騒ぎを聞きつけて忍がやってくる。一連の説明を受けて、顎に手を添えた。
「先に逃げた影を追っていったことは疑いようがないが、今から追っても追いつくとは思えんからな。ここは大人しく、彼らの帰りを待った方がいいかも知れん」
「そうですね、そうしましょう」
哲也は同意する。竜司が自室に帰っていったのを見届けて、自分達も部屋に戻った。
「なるべく変なことに巻き込まれなければいいんだけどね」
何気なく哲也が口にすると、望と瞬は思わず苦笑した。
「どうでしょうね、こういうときに限って災難に巻き込まれたりするもんですからねえ。無事に帰ってこられないかも知れんね、ありゃ」
「……不吉なことは言わんときなよ」
望の不吉な予言は、ずばり的中していた。
一同が卓についている中で、怜と蛍が険悪な空気で睨み合っていた。
「絶対に殺させない。既に拘束しているんだ、それで充分だろう」
「例外は認めん。拘束して、ずっと飼うのか? もし逃げられたらどうする、また被害が拡大するだろう。今まで全てを斬る事で安寧を得てきた。ここで例外を作ったら他のグールはどうなる、下手な同情だけで生かしておく訳にはいかんだろう!」
先程から同じ論議で堂々巡りである。
「今すぐに答えは出ないんだから、少し落ち着けって……」
篤が見かねて仲裁に入ろうとしたが、
「貴様はどっちの味方だ!」
「邪魔をするな!」
と一喝されて、すごすご引き下がった。肩身の狭い思いである。
また一方で、悠人が唇を噛んで俯いていた。何か思うところがあるのだろうが、それが見当つかなくて、真浩は少し苛立つ。「どうした」と訊いても、「何でもない」という答えしか帰って来ない。
「何でもないんならよ、何かありそうな顔すんな」
冷たく言い放たれて、悠人は尚のこと俯いた。それぞれ違う思いを胸にして、彼らは揃って溜息を吐く。
……時は少し遡る。怜の懇願を受けて、二人の男は剣を下げた。鞘に戻すと、二人がかりでグール――慎太郎の身体を抱えあげ、意識を戻さぬうちに公園へと向かった。入り口前に広い空間があり、車が数台止められるようになっている。駐車されている中の一台のワゴン車に歩み寄ると、おもむろに後部扉を開け、荷物の中から拘束具を取り出す。
「万が一にも生け捕りにすることが出来たらと思って備えておいたんだが、まさか本当に使う日が来るとは思わんかったな」
などと呟きながら手早く慎太郎に着せると、その身体を後部座席に積み上げた。
「彼をどうするつもりですか」
「どうするかを決めかねているから、とりあえず一度連れ帰る。それに、決めるのは俺達ではなくお前達だ」
少年達に乗るよう合図して、運転席で待機していた仲間に声をかける。
「今日は切り上げだ。いっぺんアジトに戻してくれ」
了解、と返答して、運転手は車を発進させた。そのまま揺られること二十分ほど、やがて小さなビルに到着した。ワゴン車の姿を認めて、守衛が車庫のシャッターを開ける。車を降りてから、二人の男はまず慎太郎を抱えて地下へと降りていった。少しして戻ってくると、少年達を最上階へと案内する。
「ようこそ、『自警団』のアジトへ。自警団と言っても、まだ正式な名前を決めてないから仮で呼んでるだけだがな」
ワイシャツの男が席を勧めながら自己紹介をする。
「俺は秋吉琢磨、眼鏡の奴が梁雲だ、よろしくな。俺たちがどんな奴かっていうと、見てのとおり無断で剣を握る犯罪者さ。英雄気取りの集団だと思ってくれればいい」
「やけに堂々とした犯罪者ですね。もしも私たちが通報したらどうするおつもりか?」
「逃げる」
蛍の皮肉にも、さらりと答えてのける。
「それに今は通報するより、目の前の問題を片付ける方が先決じゃないか、お嬢ちゃん」
蛍は鼻を鳴らして、軽く琢磨をねめつける。
「では、質問させて頂きましょう。まずは貴方達が何者であるか、あそこで何をしていたのか、他に何を知っているのか、全てを」
「いいぜ。まずは俺たちが何者か、だったな。……なあ、どうして一般人が武器を所持しちゃいけないんだろうな」
答えるといいながら逆に問うてきた。
「馬鹿にしているのか。それが一体何の関係がある?」
露骨に眉を寄せると、琢磨は苦笑いしつつ大袈裟に両手を挙げた。
「はあ、短気だね嬢ちゃん。まあ迂遠過ぎたのは認めよう。基本的に一般人が武器の所持を認められないのは常識だが、でも、それでさっきみたいに突然グールに襲われたらどうする。一般人は自衛手段がないから為す術がない。新鋭軍はグールを倒す為に編成されたものだが、事が起こってからしか動けない。その間にも被害はどんどん広がってるって言うのにな」
だから自警団は、行動を制限された新鋭軍よりも早く現場へ駆けつけ、事態を解決する為に、有志が集って出来た地下組織であるという。全国にこういった集団がちらほら存在するらしいが、自警団はその中でも規模が小さく、人数も数十名程度らしい。
「次は俺たちが何をしていたかだ。ここらを巡回するのが、まあ習慣になっていたわけだけれども、今日はたまたま怪しげな車を見つけたのさ。それで気になって後をつけてみたんだが、途中で見失ってな」
方向だけを頼りに、琢磨達は車を向けた。ところが、公園につくより先に、すれ違うようにその車が通り過ぎてしまった。追跡するには進路を変えればいい。だが、公園付近一帯の奇妙な静謐が、琢磨には気にかかった。表に人影がなかろうと、寝静まるにはまだ早い。それなのにどの家の窓からも灯りは漏れて来ず、何の音沙汰もないのだ。
「まあ、とにかくこれは異常だということで、公園前で車を止めてみると、遠くから人声がするわけだ」
その人声が悠人たちのものだった訳だが、そんなことは知る由もない。急に辺りが闇に閉ざされて、明かりを求めて空に目を向けると、遠く屋根の上で何かが動いていた。暗い地上よりも上から見た方が状況を掴みやすいかと思って、琢磨達も屋根に上ってみる。入れ替わるように何かが飛び降りて、途端に人声が緊迫したものに変わった。駆けつけてみて、少年達がグールに襲われている現場を目撃する。
「という訳で、あの場に馳せ参じた訳だ。ご理解頂けたかな」
今度こそ、琢磨の問いに対して蛍は頷いた。
「しかしなんだってあの一体はあんなに静かだったんだろうな。どうにもね、作為的なものを感じるんだよ。……っと、ネタを振っておいてなんだが、とにかくこの疑問も後回しだ。まず先に、目の前の問題を片付けたいと思うが、どうだ」
卓に着く少年達を、琢磨は改めて見渡した。
「今は応急の処置として、拘束具をつけて地下室に閉じ込めているが、いつまでもあのままにするつもりはない。彼をどうするか、君達の意見を聞こうか」
「簡単だ、首を刎ねればいい」
と、蛍があっさりと結論付ける。すると急に怜が立ち上がり、卓を叩いた。
「それだけはさせない、絶対に!」
不安げにリコが怜を仰ぐ。怜と蛍の間で火花が散った。
「やけにこだわるが、お前にとって奴は一体なんなんだ?」
「身内に生きていてほしいと願うのは悪いことなのか?」
「身内……兄弟か」
「そうだ、文句あるのか」
これには驚いて、残りの者も怜を見上げる。この前の会話で、関係なさそうな事を言っていたのだが……と、そこまで考えて、悠人はあの時の違和感の正体を知った。彼の理屈を切り捨ててはいたが、兄弟かとの問いに対しては否定も何もしなかったのである。
蛍と怜の舌戦は続いている。
「フン、血縁の情なんて下らない。貴様とて今までグールを何体も手にかけてきただろう、それが身内だと途端に偽善者ぶるのか」
「他人ならどうなろうと知った事か。知らない奴にまで同情するほど俺はお人好しではないんでな。自分に関係がないなら、いくらでも斬り捨ててやるさ。それが俺たちの仕事だろう。だが身内を殺せと言われて黙っていられる筈がない」
「馬鹿が、それをエゴイズムというんだ」
「あんたの意見だって充分エゴの塊じゃないのか。どう言われようと、俺は曲げない」
「生かしておいたって、あれではもう自我など取り戻さないとわかるだろう! どうせならば苦しまないよう楽に死なせてやったらどうだ」
「苦しもうが元に戻らなかろうが、命がある限りは生きていてほしいんだ!」
互いに譲ろうとしない為、論議はずっと平行線を辿っていた。どちらが正しいという問題ではないから、誰も口を挟めずにいる。
堪えかねて真浩が目を逸らす。と、隣の悠人が青ざめているのに気がついた。小刻みに震えているようで、目は怜達に向けながらも、心ではどこか遠くを見ている。
「おい、大丈夫か」
「……」
「悠人?」
「……ん、ああ、大丈夫」
そう答えて、唇を噛んで俯いた。その様子はちっとも大丈夫などではない。
……結局、いつまで経っても答えが出ない。琢磨の妻が入れてくれた茶はすっかり冷め切ってしまった。見るに見かねたのか、琢磨が提案した。
「よし、わかった。気分転換に散歩しよう」
「そうだな、とりあえず外の空気を吸ってきた方がいいだろう」
梁雲が賛同する。続けて言った。
「ついでだから、残った質問にも答えてやる。俺たちが何を知っているのかを。お前達の知らない世界を見せてやろう」
そう言われると、急変する事態に鳴りを潜めていた好奇心が鎌首を擡げてきた。どこか釈然としないながらも、大人しく琢磨たちに従って席を立つ。蛍と怜も、興を削がれたのか、舌戦を中止してついて行く。しかし険悪な空気はそのままに、互いに目を合わせようともしなかった。
本拠地のビルから少しだけ歩くと、繁華街に出る。派手な電飾が煌々と灯されており、昼に劣らぬ眩しさは時間の流れなど無縁といった風情である。だが道を一本外れると、空気はがらりと変わる。表通りと同様、様々な光で彩られてはいるのだが……そこにいる人間は皆、曰く有りげな者ばかりだ。
「あー、あの、どこへ行くつもりなんスか?」
「別に、特定の場所があるわけじゃないさ」
素っ気なく答えて、大人たちは何食わぬ顔で先を行く。それとは対照的に、少年達の表情は微妙に強張っていた。軒を連ねる店構えは、一見しただけで如何わしい内容とわかる。唯一の女性である蛍だけが、男を差し置いて平然としている。もとより興味などないといった風である。
こんな街中を少年達が行くのは、周りの風景からかなり浮いて見えるようで、ちらちらと視線が向けられる。或いは怪しげな勧誘をかけられたりもしたが、一行は敢えて目を合わせないようにして、ただただ琢磨達の後に付き随っていく。
「お、あそこのサンドイッチマン、人が変わったんだな」
「サンドイッチマン……あれが……」
どうやらここには何度も足を運んでいるようで、特に行き先を決めていないと言う割には、二人の足取りに迷いはない。ふらりぶらりと買い食いなどしながら、やがて更に奥まった路地裏へ足を踏み入れた。途端に景色は一変する。
電飾が及ばないこの道で、まず彼らが認識したのは悪臭だった。次いで、笑い声や呻き声。いずれもどこか狂った響きを含んでいる。喋り声も聞こえてくるが、耳を済ませて内容を聞いてみるに、薬物売買の取引だろうか。
先頭に琢磨、間に少年達を挟み、殿に梁雲と並び順を変えて、一行は黙々と歩み続ける。絵に描いたような薬物の売人とその顧客、隅で倒れ臥して静かにトリップしている中毒者などが、路のあちこちに点在していた。悠人には中毒者達の病的なその表情が、見知った何かに似ているような気がしてならない。
と、急に腕を掴まれて、心構えが出来ていなかった悠人は心臓が飛び跳ねた。青くやつれた男が、脂汗をかきながら痙攣する腕を懸命に伸ばして悠人に縋りつく。思わず悲鳴を上げそうになったが、声を出す暇もなく、梁雲の蹴りと蛍の鞭が飛んできて男の手が振り払われた。だが高鳴る鼓動はそう簡単には収まりそうもない。
「まったく、ジャンキーなんぞグールと何ら変わらんな」
蛍が悪態をつくと、何が可笑しいのか、梁雲が忍び笑いを洩らす。蛍が苛立ち半分、疑い半分の目を向けると、彼は言った。
「よくわかっているじゃないか」
「……何がですか」
「なんだ、わかってて言ったのではないのか。だとしたら相当鈍感だな」
初め不審な顔をして、すぐにはっとした。特に考えず口をついて出た科白だったが、改めて思い起こせばとんでもないことを口走ってはいなかったか。
「……まさか」
蛍のみならず、流石に他の者達も気がついたようである。誰もが互いに顔を見合わせる。悠人の心臓は、不安に煽り立てられて静まる気配がなかった。
「とりあえず、ここを抜けよう。話はそれからだ」
路地裏を抜けると、再び繁華街の電飾が目に飛び込んできた。更に歩いて、閑静な住宅地へ出る。
やがてアジトに帰ると、ようやく梁雲は切り出した。
「さて、もう気がついただろう。あれこそがグールの正体だ」
大袈裟に手を広げ、舞台で演説するかのように、彼は高らかに語る。蛍の科白は核心に触れていた。
「人間が異形だ怪物だと決めつけ、排除の対象としたのは、己と何ら変わらぬ紛れもない人間さ。強いて違いを挙げるなら、薬物中毒か否か、それだけだ。ふふふ、人は新鋭軍などという『英雄』を祀り上げ、誰もがグールを殺せと口を揃える。子供達は英雄になる為に教育され、生まれた時から同属殺しの業を背負わされる訳だ。それが常識として罷り通っているから、誰も不思議に思わない。ははははは、どうだ、面白い話だろう?」
その場に居た誰もが絶句した。言っていることが本当だとしたら、事態はあまりにも異常だ。悪寒が走って、知らず知らずに己の身体を抱き締めた。梁雲の演説は続く。
「どこからグールが現れたのかわかるか? どうして新鋭軍という組織が作られたか考えた事はあるか? 何故新鋭軍は二十歳にも満たない子供だけで編成されるのか知っているか? 未だにグール化する原因が公表されていないのは? 新鋭軍が出来てからもう何十年と経つんだ、いい加減に解明していない筈がないだろう。だのに世の中は解明していないという『事実』を鵜呑みにして疑念すら抱かない。一度でも世間が『常識』と認めると、何故それが常識となったのかなど考える者はいなくなる。ふん、情報操作するより都合がいいな、はは」
空虚な高笑い。演説を一息に終えると、茶を一気に呷って目を閉じた。入れ替わりに琢磨がなるべく柔らかい口調で後を引き継ぐ。
「お前さんたちも、今の話を聞かなければ、現状に疑問は抱かなかったかも知れないな」
またも沈黙。しかし責めるでもなく琢磨はただ頷いた。
「別にいけない訳じゃない。それが『普通』だろう。ただ、世の中には必ず『異端』と呼ばれる者も存在する。グールと人間の関係や新鋭軍のあり方に、不条理さや疑念を抱いてしまった者たち、即ち俺たちのような地下組織に属する人間だ。隠された部分に触れてしまったわけだから、いつ口封じに殺されるかわからない危険な状況の上に立っている。果たして気付かなければ幸せだったんだろうか、俺には判断つけかねるが……」
軽く溜息をついて、気を取り直すように殊更明るい声を出す。
「さて、ここからは憶測を交えての話になるが、現在把握している限りを話そう。長い話になるが、それはまあ勘弁な」
と、自警団が現在持っている情報を彼らに洗いざらい提供した。
――かつて、自警団よりも大規模な組織が、今回と同様にグールの生け捕りに成功した事があった。その組織はパトロールのみの自警団と違って活動の幅も広く、医学面の研究者をも抱え込み、生け捕りにしたグールのありとあらゆる情報を徹底的に調べようとした。
分析結果が出れば、グール化の原因もいずれ判明して、事態は解決の方向へ大きく進むであろうことは疑いようがなかった。
ところが、完全な結果を出す前に、その組織は壊滅した。構成員の全員が逮捕されるか殺害され、もしくは失踪という状態である。逮捕の理由は、武器の違法所持による。
しかしそれだけ大きな騒動でありながら、マスメディアには一切その事件が取り扱われることがなかった。そこから考えるに、グール化する原因を突き止められては困る者がいる事、それはメディアに圧力をかけられる程強大な力を持つ事は想像に難くない。同時に、死亡した者以外の組織構成員の行く末は恐らく――
「連れ去られて、その何者かによって強制的にグールにされた、か」
「多分な。グールは自然発生するものじゃなくて、意図的に作り出されるものなんだと思う。今回の慎太郎君のように、行方不明になっていた者がある日グールになって帰ってきたという例は割とあるんだが、目の前で突然グールに変貌した、という話は今までどの例を見てもないんだ」
「成る程。その説が正しいと仮定すれば、行方不明になる人間は毎年腐るほどいるから、素体にはまず事欠かないだろうな」
――組織壊滅と同時に、分析途中のデータは全て紛失した。こうして事態解決への道は水の泡と消えたのである。
ただ組織同士は横の繋がりがあるから、僅かながら情報は流れていた。グールの血液から薬物反応があった事、薬物の成分は当時の時点ではまだ結果が出てはいなかったが、市場で出回っている代物で一致するものはなかった事。
その薬物で中毒に陥った者を限定して『グール』と呼ぶのではないだろうか、と囁かれた。コカインやヘロインなどの一般的な中毒者を指してグールと呼ぶ事はない。これは余談だが、その薬物には『モンスター』という便宜上の呼称がつけられたらしい。
「何のつもりか知らないが、相手に弄ばれている事は確かだろうぜ。その組織が壊滅した後、特に関係が深かった幾つかの組織も同じような壊滅状態にあったんだ。俺たち自警団が未だに生き延びていられるのは、存在がばれてないんじゃなくて、もしかしたら弱小故に見逃されているのかもしれないなあ」
そう結んで琢磨が口を閉ざすと、深く深く息を吐き出して、リコが言った。
「はあ、俺たち新鋭軍も、向こうにとってはゲームの駒でしかないってことかねえ?」
「……」
疲れきった声音で吐き出された問いに対して、帰ってくる反応は沈黙だけだった。一度に大量の、しかも今まで当然と信じてきたことを根底から覆すような情報を受けて、誰もすぐには考えをまとめる事が出来なかった。
「さて、とりあえず話を本筋に戻そうか」
しばらくして場が冷静さを取り戻してから、梁雲が一同を見回した。
「ここまでの話は、あくまで情報の開示だ。今現在問題にしているのは、こういう事情だから皆で力を合わせて敵に立ち向かおうとか、世界を救いに行こうだとか、そういう話じゃない。地下室に拘束している彼をどうするか、それだけだ。……グールが只の人間だと知って、それでもお前達は剣を振るう事が出来るか?」
痛い所をついた質問である。相手を化物と信じてきたからこそ、今まではグール退治を許容出来ていたと言える。が、相手が人間となると話は別だ。殺人という人道に悖る行為を認めるのは、倫理に唾を吐きかけるようなものである。
それでも蛍は平然と言い切った。
「そんなものは今更だ。相手が何者であれ、殺したことによる罪の軽重が変わるわけじゃない。今までもう何匹も斬ってきたんだ、一人二人増えたところで何も変わりはしない。昔馴染みだろうと何だろうと、奴はさっさと殺してしまうべきだ」
これに猛然と対立するのは、やはり怜だった。
「前半は俺も認めよう。但し、兄だけは殺させない」
「我侭を言うな!」
「何とでも言えよ、それでも俺は譲れないんだ。じゃあ訊くが、これが俺の兄じゃなくてあんたの身内だったらどうだ、それでも殺せると言うか?」
「無論だ。感傷に流されるほど、私は甘くない」
話にならないと見て、怜は矛先を変えた。悠人と真浩に目を向け、同じことを問い掛ける。
「お前達はどうなんだ、互いに互いを殺せるか?」
「ちっ、汚えな、手前らで決着がつかないからってこっちに振るのかよ」
あからさまに顔を顰めて、真浩が吐き捨てた。
「俺はその時になって判断する。今はどっちにもつかねえよ、勝手にしろ」
悠人は何も言わなかった。篤を見ても、首を左右に振って中立の意を示している。
「リコは」
「俺は怜が出した答えに従うよ。でもこっちからは何も口出ししないぜ」
と誰もが一歩下がって、行き着くところはやはり蛍と怜で一対一の論争となってしまうのである。
どれ程時間をかけたところで、事態が終息する気配は一向になかった。やむなく琢磨が止めに入る。
「わかった、しばらく慎太郎君はうちで預かるから、じっくり話し合って答えを決めておいで。どんなに時間がかかっても構わんから。それより今日はもう遅い、送るから帰って寝な」
論争を強制終了させ、少年達を帰途につかせようとする。蛍と怜は肩を怒らせて睨み合ったままだったが、どちらからともなく顔を外し、敢えて大人しく琢磨の意見を受け入れた。二人とも、進まぬ議論に疲れ果てていたのである。
車に乗り込む間際、思い出したように篤が琢磨達に問い掛けた。
「なあオッサン」
「オッサ……お兄さんと呼べお兄さんと」
「琢磨さんたちさ、あんた達はグールが人間だと知った上で剣を取ってるんだろ。どういう覚悟を決めて今に至ったのか教えてくれよ」
問われてふむ、と梁雲が頷く。
「とりあえず俺の場合は趣味で」
「ああああうわあうあう、イカレポンチさんの意見は放っといて」
琢磨が慌てて取り繕う。
「グールの跋扈による死傷者は後を絶たないだろ。それこそグール一体につき何人何十人といった具合だ。結局犠牲を出す羽目になるなら、十を犠牲にするより一の方がましだと信じているんでね。それにやっぱり、俺も死なせたくない人がいるからさ。なんせ所帯持ちなんでな」
その答えに満足したのか、篤はにこりと笑った。
「皆、琢磨さんみたいに割り切ることが出来れば、もっと話はまとまりやすい筈なんだけどな。あんた達が大人でよかったよ、やっぱり俺たちよりも冷静だ」
「何で?」
「俺は、兵長の言い分も怜先輩の言い分も否定する気はない。けど自分の意見を押し通すことばかり優先させてる気がしてさ。意固地になって熱くなりすぎて、あのまま放っといたら血ぃ見たかも、ははは」
ちらりと横目を向ける。同じく目を向けて、琢磨は納得したように口の端を上げた。
「お前も充分冷静だよ。ちょっとお人好しかも知れないが。……あの子たちが暴走しないように見ててやれ」
「おう」
全員が車に乗ったことを確認すると、往路と同じ運転手がアクセルを踏み込み、夜の闇を切り裂いて宿舎に向かって行く。
日付が変わって二時間以上経っていたが、竜司や哲也たちは起きて待ち人が帰るのを出迎えた。予想以上に遅かった上に、揃って顔を曇らせていたから、やはり何か厄介事があったのだろう。
宿舎に戻るなり、蛍は何も言わずに部屋へと直行した。怜も「先に寝る」とだけ言い残し、振り返りもせず立ち去る。
それ以外の者達で、居残り組にここまでの経緯を説明した。実は琢磨たちに他言無用と注意を受けていたのだが、彼らを蚊帳の外にはしたくなかったし、協力者として事情を知っておいて貰いたかった。彼らなら言い触らす懸念はない。
「難儀だね」
話を聞き終えて、哲也が唸る。正答のある問題ではない為、安易な結論は出せない。
「でも、俺は怜が出した結論の邪魔はしたくない。今は中立だけど、最終的には出した答えに従おうと思ってる。哲っちゃんもそれで良いな?」
「ああ、わかった」
リコの意見に、哲也は首を振った。そのとき、今までずっと押し黙っていた悠人がぽつりと口を開く。
「俺だってあの二人のどっちが正しいかなんてわかんないよ……でも」
「悠人?」真浩が悠人の泣き出しそうな声に気付いて振り向いた。
「死なせてあげるのも救いの一つだよ……だってあの人、凄く苦しそうだったよ、助けて欲しそうだったよ……」
そう語る悠人の目は遠く、心ここにあらずといった様子である。声をかけようとしたが、かける言葉が見つからなくて真浩は黙った。
「悠人っちはそう見えたんだね」
嘆息するリコに、篤が首を傾げる。
「じゃあリコ先輩にはどう見えたんだ?」
「俺? 俺は見てないよ、なーんにも見てない。今までのことは一切見てねえの」
からかわれたのかと思って篤は怒鳴りかけたが、その前にリコが自分で補足する。
「いやぁ、だからさあ、俺は目ぇ見えないんだってば」
「は」
「四六時中ゴーグル掛けてるのは趣味とかじゃないぜ。俺、赤ん坊の頃に目を潰されて孤児院の前に捨てられてたんだ。だからこれ外すと結構グロいよ、つっても『グロい』ってどんなのか知らねえんだけど」
初期生たちが唖然として、哲也を見る。哲也は頷いて肯定した。
「でさ、そこの井藤院長に拾われて育てられたのさ」
哲也や怜、慎太郎も同じ施設出身の幼馴染であるという。
「んでもって院長爺さんの意向で、俺が日常生活でハンデを受けないようにって、五感の第六感を鍛える為にスパルタ特訓よ。おかげでどこに何があって誰がいるとかいうのはちゃんとわかるようになったわけ。まあ、それでも文字とか絵とか色とかはやっぱりさっぱりわからないけど」
昔を懐かしむようにしみじみと語り、そしてふと声の調子を変えた。
「だから、実は未だに信じられないね……本当にあれは慎太郎君だったのか?」
納得出来ないといった様子で首を竦める。その疑問に答えるように、悲しげな溜息をつきながら哲也が言った。
「信じたくない気持ちは俺も同じだよ。だけどこんなことで嘘ついたって意味がないじゃないか。怜だって、本当はこんな事態を受け入れたくなかった筈だ」
「わかってるよ、否定するつもりはない。ただ、それほど酷く変貌しちまったんだなあと思って。だって、ありゃもう人間の気配してなかったぜ。そうだな、俺個人の正直な感想を言わせて貰えば――それでもあれを兄と呼べる怜が凄いと思ったくらいだよ」
「リコ」
「悠人っちの言うとおり、救いの死を与えてやるのも一つの手かも知れないよな。化物として生きるよりは人間として死んだ方が楽になれるかも知れな……」
「リコ!」
鋭い叱咤を受けて、リコははっと口を噤んだ。話し続けるうちに調子付き過ぎていたことを自覚した。御免、と呟いて顔を背ける。
悠人は歯を食い縛って、目を閉じて一度深呼吸する。目を開けると、作り笑いしかけて失敗したような微妙な表情で、揺らぐ声を必死で搾り出す。
「俺も、先に帰るね。おやすみなさい」
誰とも目を合わせないように、心もち顔を伏せて足早に立ち去った。残された真浩は、ただでさえ良くなかった機嫌を更に悪化させた。後を追おうと踏み出しかけたところ、篤に制止される。
「やめとけ。今は皆、一人になりたいんだろ。一度冷静になった方がいい」
「そんなこと俺の知ったことかよ! 俺には他人の兄貴がどうなろうと関係無いけどよ、今一番腹立つのは悠人だよ! あいつ何か言いたげにしてるくせに、隠し事して悲しい自分に酔ってやがるんだ! 俺にも言えないことかよ、俺そんなに信用ないのかよ!」
「落ち着け、落ち着けってば。今すぐ解決する問題じゃねえってわかれよ!」
篤に肩を強く揺さぶられて、仕方なく叫ぶのをやめた。しかし口を閉ざせば余計に苛立ちが増して、壁に八つ当たりする。
何度も何度も蹴りつける真浩を眺めながら、篤は内心げんなりとした。
――まいったな、想像以上に厄介なことになりそうだ。
ふっと苦笑して、上を向く。空は泥沼化した状況を映したかのように、暗雲低迷としていた。




