第七話 私の気持ちを信じて
「……エミールのことか?」
ピーターが尋ねると、ソフィアはうなずいた。
「それもあるわ。でも、その前に聞きたいことがあるの」
「何だ?」
「あなたは、私が誰かと結婚しても平気なの?」
ピーターは、息を止めた。
ソフィアは目をそらさなかった。
「私、あなたに結婚を申し込まれたって話したとき、待っていたの。あなたが何か言ってくれるのを」
「……」
「驚いてほしかった。困ってほしかった。少しでも、私を失いたくないと思ってほしかった」
言葉にするほど、胸が痛くなった。
「でも、あなたは『よかったじゃないか』って言ったわ。私の夢を応援してくれる人だから、よかったって」
「ソフィア……」
「あなたは、私のことをどう思っているの?」
ピーターは、答えられなかった。
好きだ。
その一言を口にすればいい。
ずっと前から、彼女が好きだった。
けれど、言葉が喉につかえて出てこない。
ソフィアは、その沈黙を見つめていた。
やがて、悲しそうに笑った。
「……そう。分かったわ」
「違う」
反射的に声が出た。
ソフィアが顔を上げる。
「違うって、何が?」
「俺は……」
ピーターは拳を握った。
今までなら、ここで言葉を飲み込んでいただろう。
彼女のためだと自分に言い聞かせ、何も言わずに見送っただろう。
でも、それではまた同じことになる。
「……俺は、ソフィアが好きだ」
ソフィアの目が、大きく見開かれた。
「ずっと、好きだった」
言ってしまえば、ひどく簡単な言葉だった。
それなのに、口にするまで、どれだけの時間がかかったのだろう。
「お前が町に店を持ちたいって知っていた。お前が何を作りたいのかも、どれだけ努力しているのかも、ずっと見てきた」
「……だったら、どうして」
「お前の夢を、俺が邪魔するのが怖かった」
ピーターは、視線を落とした。
「俺には、町へ出るための金も、人脈もない。お前が必要としているものを、すぐに用意してやれない。俺と一緒になったら、お前は夢を諦めなければならなくなるかもしれない。そう考えていた」
「私は、そんなことを言った?」
「……言っていない」
「でしょう?」
ソフィアの声が震えた。
「あなたは、私に何も聞かなかった。私がどうしたいのか、あなたとどんな未来を望んでいるのか、一度も聞いてくれなかった」
ピーターは、何も言い返せなかった。
「私のためだと思っていたのかもしれない。でも、私には、あなたが私を選んでくれないように見えたわ」
「……すまない」
「謝ってほしいんじゃないの」
ソフィアは首を振った。
「私は、あなたに何でもしてほしいわけじゃない。私の夢を全部叶えてほしいわけでもないの」
彼女は、胸の前で両手を握った。
「私は、自分の力で店を持ちたい。もっと技術を学んで、いい服を作れるようになりたい。お金だって貯めるし、失敗したらやり直すわ。あなたに全部背負ってほしいなんて思っていない」
「……うん」
「でも、苦しいときに話を聞いてほしい。うまくいったときには、一緒に喜んでほしい。あなたが困っているときには、私にも相談してほしい。二人で暮らすなら、そうやって一緒に考えていきたいの」
ソフィアは、ピーターを見つめた。
「私の未来を、勝手に決めないで」
その言葉が、ピーターの胸に深く刺さった。
彼は、ソフィアの夢を大切にしていた。だからこそ、自分では足りないと思い、彼女のために身を引こうとしていた。
けれど、本当は違った。
彼女の意思を確かめることもせず、拒絶されるのが怖くて、選ばれる可能性から自分を遠ざけていたのだ。
彼女の未来を守ろうとしていたのではない。
自分が傷つかずに済むよう、彼女の気持ちを確かめることから逃げていた。
「……お前の言うとおりだ」
ピーターは、顔を上げた。
「俺は、お前に何も聞かなかった。お前ならきっと、俺が思っているよりずっと、自分の未来を考えていたはずなのに」
「……ええ。考えていたわ」
「すまなかった」
今度の謝罪は、言い訳を伴わなかった。
ソフィアは、ゆっくり息を吐いた。
「それで、あなたはどうしたいの?」
ピーターは、まっすぐ彼女を見た。
逃げてはいけない。
彼女が何を望んでいるかを聞くだけでは足りない。
自分が何を望んでいるのかも、伝えなければならない。
「……そばにいてほしい」
声がかすれた。
「お前が町に店を持つ夢を、諦めてほしくない。俺にできることがあるなら、力になりたい。できないことがあっても、できないからといって、離れたくない」
ピーターは、一歩だけ近づいた。
「俺は、お前と一緒に生きたい」
ソフィアの瞳が揺れた。
「……それって、プロポーズみたいね」
泣きそうな顔で笑いながら、彼女は言った。
ピーターは、少しだけ困ったように眉を下げた。
「プロポーズのつもりだ」
「……え?」
「俺のお嫁さんになってほしい、ソフィア」
その言葉を聞いた瞬間、ソフィアの目から涙がこぼれた。
「……遅いわよ」
「うん」
「本当に、遅すぎるわ」
「……うん」
ピーターは、何も言わずに彼女を見つめた。
ソフィアは涙をぬぐい、彼の胸を軽く叩いた。
「でも、ひとつだけ約束して」
「何だ?」
「私の気持ちを、勝手に決めつけないで。私が何を考えているのか、何を望んでいるのか、ちゃんと聞いて」
「分かった」
「あなたもよ。困ったことがあったら、私に相談して。私だって、あなたの力になりたいんだから」
「……ああ」
「それから、私が仕事に夢中になって、あなたを後回しにしたら、ちゃんと文句を言いなさい」
「それは、言わなくても言うと思う」
「何よ!」
ソフィアが睨むと、ピーターはようやく笑った。
いつもの二人のやり取りだった。
けれど、もう以前とは違う。
互いの気持ちを知っている。
言わなければ伝わらないことも、黙っていては失ってしまうものも、二人はようやく理解し始めていた。
「……ソフィア」
「何?」
「好きだ」
今度は、はっきりと言えた。
ソフィアは、泣き笑いの顔でうなずいた。
「私もよ。私が、あなたと一緒にいたいの」
ピーターは、そっと彼女の手を取った。
その手を、今度こそ離さないように。
◇
収穫祭の広場は、朝から大勢の村人で賑わっていた。
色とりどりの布や籠が並び、焼きたてのパンの香りが漂っている。水車の音に混じって、子供たちの笑い声が響いていた。
ソフィアは、広場の端でエミールを見つけた。
「エミールさん」
「ソフィアさん。おはようございます」
彼は、彼女の顔を見ると、すぐに何かを察したようだった。
「……お話があります」
ソフィアは、まっすぐに彼を見た。
「結婚のお申し出ですが、お受けすることはできません」
エミールは、静かに息を吐いた。
「そうですか」
「あなたには、本当に感謝しています。仕事のことも、私の夢のことも、真剣に考えてくださった。あなたと一緒にいたら、きっと安心して暮らせると思います」
「ありがとうございます」
「でも、私は……別の人と一緒に生きたいんです」
エミールは、少しだけ目を伏せた。
残念そうな表情が浮かんだが、彼はすぐに顔を上げた。
「その方は、あなたの夢を理解してくれていますか?」
「はい。これから、二人で話し合っていきます」
「そうですか」
エミールは、小さく笑った。
「それなら、私から言うことはありません。あなたが自分で選んだ未来なら、きっと納得できるはずです」
「……ありがとうございます」
「ただし、仕事の話は別ですよ」
彼は、いつもの落ち着いた口調に戻った。
「あなたの作る服には、可能性があると思っています。結婚の話がなくなったからといって、その評価が変わるわけではありません」
ソフィアは、驚いて顔を上げた。
「町の生地商との話も、仕立て屋への紹介も、必要であれば続けます。もちろん、商売として条件が合うことが前提ですが」
「……はい。ぜひ、お願いします」
「では、これからも仕事の話をしましょう。あなたがどんな店を作るのか、私も見てみたいですから」
エミールは、丁寧に頭を下げた。
ソフィアも、深く頭を下げた。
彼は、彼女の未来を開いてくれた人だ。
そのことに、変わりはない。
そして彼女は、誰かが用意してくれた道を歩くだけではなく、自分の足で進むことを選んだ。




