第六話 私が選びたい未来
収穫祭の前日、ソフィアは仕立て屋の戸棚から古い木箱を取り出した。
中に入っていたのは、幼い頃に作った人形の服だった。
左右の袖の長さは違い、裾の縫い目も曲がっている。今の自分なら、もっときれいに仕上げられるだろう。
それでも、捨てる気にはなれなかった。
ソフィアは服を手に取り、裏返した。
縫い目のあちこちに、何度もやり直した跡が残っている。
この服を作ったとき、彼女は失敗したくなかった。上手だと褒められたかったし、誰よりもきれいに仕上げたかった。
だから、袖の長さが違うと指摘されたとき、ひどく傷ついた。
あのとき、ピーターは慰める代わりに、直せばいいと言った。
不格好なものを、不格好ではないと言い換えることもしなかった。
ただ、失敗したからといって、作ったことまで否定する必要はないのだと教えてくれた。
ソフィアは服を木箱に戻した。
あれから、何度も失敗した。
思い描いた形にならないことも、思うように仕事が進まないこともあった。それでも、手を動かすことをやめなかった。
いつか町に自分の店を持つ。
その夢は、今も変わらない。
エミールと結婚すれば、夢に近づくための道は広がるだろう。彼はソフィアの仕事を尊重し、彼女の意思を確かめながら未来を考えてくれた。
そんな人から求婚されたことを、ありがたいと思っている。
だからこそ、返事を急いではいけない。
ソフィアは木箱の蓋を閉じた。
エミールとなら、安心して暮らしていける。
けれど、自分がこれから先、嬉しいことも、悔しいことも、真っ先に伝えたいと思う相手は誰なのだろう。
その答えから目をそらしたまま、結婚を決めることはできなかった。
ソフィアは窓辺に立ち、収穫祭の飾りつけが進む通りを見下ろした。
ソフィアは窓辺に立ち、収穫祭の飾りつけが進む通りを見下ろした。
ピーターに会おう。
彼の気持ちを、勝手に決めつけるのはもうやめる。
自分の気持ちも、曖昧なままにしておかない。
たとえ望んだ答えが返ってこなくても、聞かずに終わるよりはいい。
そう決めると、胸の奥にあった迷いが、ほんの少しだけ形を変えた。
◇
同じ頃、ピーターは工房で収穫祭の準備に使う道具を修理していた。
壊れた留め具を直し、緩んだ金具を締め直す。手を動かしていれば、余計なことを考えずに済むはずだった。
それなのに、作業の合間には、どうしても扉のほうへ目が向いてしまう。
近頃、ソフィアは休みの日になるとエミールと出かけていた。
以前なら、用事がなくても工房に顔を出した彼女が、今はほとんど訪ねてこない。
自分から会いに行けばいい。
何度もそう思った。
けれど、彼女がエミールと過ごす時間を邪魔したくないという理由をつけて、結局は動けずにいた。
ピーターは修理を終えた金具を机に置いた。
邪魔をしたくない。
そう考えること自体は、間違っていないのかもしれない。
けれど、ソフィアが誰と過ごすのかを気にしてしまうのは、彼女の幸せを願う気持ちだけではなかった。
自分が選ばれなかったと知るのが怖い。今までそばにいた彼女を、失いたくない。
その気持ちを認めた今、何も伝えずにいることを、もう彼女のためだとは言い切れなかった。
ピーターは、作業台の端に置かれた針の束を手に取った。
一本一本、形を整え、先端を磨く。
どれほど丁寧に仕上げても、使う人の手に渡さなければ、針は何の役にも立たない。
自分はどうだろう。
ソフィアの夢を尊重しているつもりで、彼女に何も伝えず、何も尋ねず、ただ遠くから見送ろうとしている。
彼女が望む未来に、自分がいるかどうかさえ確かめずに。
ピーターは針を置いた。
彼女の夢を叶えてやれると約束することはできない。町に店を持つための資金を、すぐに用意することもできない。
それでも、彼女の話を聞くことはできる。
自分にできることと、できないことを伝えたうえで、二人で考えることだってできるはずだ。
それをする前から、彼女の気持ちまで決めつける必要はない。
ピーターは椅子から立ち上がった。
明日まで待つつもりだった。
けれど、もう一日、何も言わずに過ごしたところで、勇気が湧いてくるとは思えなかった。
彼女がエミールを選ぶのなら、その答えを聞こう。
それでも、自分の気持ちだけは伝えたい。
ピーターは上着を手に取った。
そのときだった。
工房の扉が開いた。
「ピーター!」
振り向くと、ソフィアが立っていた。
少し息を切らしながらも、彼女の目はまっすぐにこちらを見ている。
「……ソフィア。どうしたんだ?」
「話があるの」
彼女は一度、唇を結んだ。
いつものように勢いよく言葉を続けることはなかった。それでも、今度は目をそらさなかった。
「ちゃんと聞いてほしいの。私の話を」
ピーターは手にしていた上着を、そっと椅子に戻した。
「ああ。聞くよ」
今度こそ、逃げずに向き合おう。
二人は、互いの気持ちを知らないまま、同じ決意を胸にしていた。




