第八話「筋を通すのは男だけやない(前編)」
アルノルドが四人と向き合っていた頃、エリゼもまた動いていた。
誰にも言わずに。静かに。しかし確かに。
◆◆◆
王太子婚約者 セレスティア
東屋にセレスティアがいると聞いたのは、侍女からだった。
最近、一人でいることが多い。食事も細くなっている。
そう耳にした時、エリゼは静かに立ち上がった。
東屋は学園の東の端、手入れされた薔薇の垣根に囲まれた小さな場所だ。午後の光が柔らかく差し込んでいた。
セレスティアは一人、ベンチに座っていた。背筋は伸びている。しかし目が、どこか遠くを見ていた。
エリゼは足音を立てて近づいた。
「セレスティア様。お一人でしたか」
セレスティアが顔を上げた。エリゼを見て、わずかに目を細めた。
「……エリゼ様。何か御用でしょうか」
警戒している。当然だ。婚約者同士とはいえ、これまで深く話したことはない。
エリゼは向かいのベンチの前で立ち止まり、丁寧に一礼した。
「よろしければ、少しお時間をいただけますか。お邪魔でしたら、すぐに退きます」
セレスティアは少し間を置いてから、小さく頷いた。
エリゼは静かに腰を下ろした。ドレスの裾を整えて、両手を膝の上に重ねる。
しばらく、二人は黙っていた。
薔薇の香りが、風に乗って流れてきた。
エリゼは急がなかった。焦らなかった。ただ、静かに隣にいた。
やがてセレスティアが、ぽつりと口を開いた。
「……何を聞きに来たのですか」
「聞きに来たのではありません」
エリゼは穏やかに答えた。
「ただ、あなたのお顔が気になって」
「……私の顔が」
「最近、笑っていらっしゃらないから」
セレスティアの目が、わずかに揺れた。
エリゼは続けた。
「無理に話してくださらなくていいんです。ただ、もし話せることがあれば――聞かせていただけますか」
長い沈黙の後、セレスティアはゆっくりと口を開いた。
「……信じたいんです」
声が、かすかに震えていた。
「殿下が、そんな方だとは思いたくない。今まで一緒に歩んできた。国のために、民のために、共に頑張ってきた。その殿下を、私は信じてきた」
エリゼは黙って聞いた。
「でも……でも、現実が目の前にあって。それでも信じていいのか、わからなくて」
セレスティアの目から、一粒、涙が落ちた。
気丈な令嬢が、必死に堪えながら、それでも溢れてしまった涙だった。
「信じることが、馬鹿みたいに思えてきて……」
エリゼは少しの間、黙っていた。
それからゆっくりと、口を開いた。
「セレスティア様。あなたが信じてきたものは、間違っていません」
静かな、しかし揺るぎない声だった。
「殿下は今、自分自身と向き合っています。正面から、耳の痛いことをぶつけてくれる人間と出会って、今まさに立て直そうとしている」
「……本当に、ですか」
「本当です。私が保証します」
エリゼはセレスティアの目を、真正面から見た。
「あなたが今まで見てきた殿下の姿は、本物です。国のために頑張ってきたその姿は、消えていない。ただ少し、道を踏み外しかけていただけです」
セレスティアの唇が、小さく震えた。
「人間ですから、踏み外すことはある。大切なのはそこから戻れるかどうかです」
一拍置いて。
「殿下は必ず戻ってきます。その時に――あなたに、隣にいてほしいんです」
セレスティアは、しばらく俯いていた。
やがてゆっくりと顔を上げて、涙を拭った。
「……待ちます。信じます」
その声は、震えていたけれど、しかし確かだった。
「あなたが、そう言うなら」
エリゼは静かに微笑んだ。
「ありがとうございます」
◆◆◆
ガイウス婚約者 カミラ
訓練場の外、木製のフェンス越しに、カミラが腕を組んで立っていた。
フェンスの向こうでは、ガイウスが一人黙々と剣を振っている。
エリゼはカミラの隣に歩み寄った。ドレスの裾を整えて、丁寧に一礼する。
「カミラ様。少しよろしいですか」
カミラがちらりとエリゼを見た。
「……エリゼ・フォン・クラヴィエ。宰相候補の婚約者か」
「はい。突然申し訳ありません」
「用件は」
単刀直入だ。エリゼは少しだけ笑った。話が早そうだと思った。
周囲に人がいないのを確認して、エリゼは口調を切り替えた。
「あいつが信じられへんのやろ?」
カミラの目が、丸くなった。
エリゼは構わず続けた。フェンスに肘をついて、ガイウスの背中を見ながら。
「でもな、一度の失敗でへこたれるほど、あいつは柔な奴じゃないのはあんたも分かってるだろう」
「……まあ、そりゃあ」
「何度打ちのめされたって前に進む姿を、あんたは見てきたはずだ」
カミラは黙った。フェンスの向こうのガイウスを見ている。
エリゼは続けた。
「私の連れが、今必死に説得しとる。だからもう一度だけ信じてやってくれないか」
カミラがエリゼを見た。
「……あんたの連れって、宰相候補か」
「そう。不器用やけど、本気のやつや」
カミラは少しの間、黙っていた。
それからフェンスの向こうのガイウスに視線を戻して、小さく息を吐いた。
「……へこたれてたら、どうすんだ」
エリゼはにやりと笑った。
「背中叩いてやってくれ。それでもだめなら殴り飛ばして、好きにしたったれや」
カミラが、一瞬だけ目を丸くして――それから、噴き出した。
「……あんた、面白いな」
「よう言われる」
二人並んで、フェンス越しにガイウスの背中を見ていた。
カミラは腕を組んだまま、ぼそりと呟いた。
「……わかった。もう一回だけ、信じてみる」
エリゼは何も言わなかった。
ただ、小さく頷いた。




