第九話「筋を通すのは男だけやない(後編)」
アルノルドが四人と向き合っていた裏で、エリゼはまだ動いていた。
◆◆◆
従者クラウスの両親
国王陛下の従者と、王妃陛下付きのメイド。
クラウスの両親に話をつけるのは、簡単ではなかった。王城に出入りできる立場ではあるが、陛下方の側近に個人的に話しかけるには、それなりの理由が必要だった。
エリゼは侯爵家の名を使った。父には事情を話さず、ただ「必要なことがある」とだけ伝えた。父は何も聞かずに、王城への訪問を取り付けてくれた。
(さすがお父様や)
心の中で手を合わせながら、エリゼは王城の廊下を歩いた。
応接室に通されると、二人が待っていた。
父親は背筋の伸びた、口数の少なそうな男だった。息子に面影がある。しかし目が、どこか険しい。
母親は穏やかな顔をした女性だった。柔らかい笑顔だが、目の奥に芯がある。
エリゼは丁寧に一礼した。
「突然のご連絡にもかかわらず、お時間をいただきありがとうございます。エリゼ・フォン・クラヴィエと申します」
「……クラヴィエ侯爵家の御令嬢が、我々のような者に何の御用でしょうか」
父親が、静かに問うた。警戒している。しかし無礼ではない。
「クラウス様のことで、お話があって参りました」
室内の空気が、一瞬だけ張り詰めた。
母親の手が、膝の上でわずかに動いた。
エリゼは丁寧に、しかし包み隠さず話した。
今の学園の状況。クラウスが置かれている立場。王太子が道を踏み外しかけていること。
そしてアルノルドが今、正面からぶつかりに行っていること。
父親は黙って聞いていた。表情一つ変えなかった。
母親は静かに頷きながら聞いていた。
話し終えると、しばらく沈黙が続いた。
父親が、低い声で口を開いた。
「……息子が、情けない真似をしているということか」
「情けないとは思いません」
エリゼは真っ直ぐに父親を見た。
「ただ、楽な道を選んでしまっただけです。それは誰にでもある。大切なのは、そこから戻れるかどうかです」
父親は何も言わなかった。しかし目が、わずかに和らいだ。
母親が、静かに口を開いた。
「……あの子は、今苦しんでいますか?」
エリゼは少しだけ間を置いた。
そして令嬢の顔が、すっと消えた。
「苦しんでると思います。真面目なやつほど、自分が間違ってたと気づいた時、一番しんどいもんやから」
母親の目が、柔らかくなった。
「……そうですね。あの子は昔から、真面目すぎるくらい真面目で」
「それがあいつの強みやと思います。だから必ず戻ってきます」
エリゼは母親の目を見た。
「戻ってきた時に、温かく迎えてやってほしいんです。責めんでええ、ただ、いつも通りに」
母親は少しの間、目を伏せた。
それから顔を上げて、静かに言った。
「当たり前です。何があっても、あの子は私の息子ですから」
その言葉に、迷いは一切なかった。
「仕事を追われようとも、全てを失おうとも――息子の味方であることだけは、死ぬまで変わりません」
エリゼは、その言葉を胸に刻んだ。
(強い人や)
母親の強さが、静かに胸に染みた。
帰り際、父親が初めて、自分から口を開いた。
「……クラヴィエの令嬢」
「はい」
「息子を、頼む」
たった一言だった。
しかしその一言に、全てが込められていた。
エリゼは深く、一礼した。
「必ず」
◆◆◆
セシルの母の墓前
学園から少し離れた丘の上に、小さな教会があった。
セシルの母が眠っているのは、その教会の墓地だとエリゼは調べて知っていた。
一人で来た。誰にも言わなかった。
墓石は白く、清潔に保たれていた。誰かが定期的に手入れをしているのだろう。小さな花が、墓前に供えられていた。
エリゼはその前に立って、静かに手を合わせた。
しばらく黙っていた。
風が丘を渡っていく。遠くに学園の塔が見えた。
エリゼは、ゆっくりと口を開いた。
「突然お邪魔します。エリゼ・フォン・クラヴィエと申します。セシル様と同じ学園に通っております」
誰もいない墓前に、静かに語りかける。
「今日は、ご報告に参りました」
一拍置いて。
「セシル様は今、ご自身の信仰と正面から向き合っておられます。少し道を踏み外しかけていましたが、耳の痛いことをぶつけてくれる人間に出会って、今まさに立て直そうとしています」
風が、墓前の花を揺らした。
「あなたの育て方は、間違っていなかった。あの方の根っこには、本物の信仰がある。それは本物です」
エリゼは続けた。
「どうか天国から、あの方を見守っていてください。きっと、あなたが誇れる息子になります」
言い終えて、エリゼはしばらく黙っていた。
風が止んだ。丘の上が、静かになった。
それからぽつりと、誰に言うともなく呟いた。
「……私にも、ちゃんと向き合えんかった奴らがおった」
◆◆◆
前世の記憶が、静かに浮かんでくる。
横暴になっていったあいつ。掟を破ったあいつ。もっと早く、正面からぶつかってやれば良かったと、今でも思う。
「あの時の私には、できんかった。怖かったんか、面倒やったんか、今となってはわからへんけど」
エリゼは墓石を見つめた。
「これは――私の罪滅ぼしや」
静かな独り言だった。
誰にも聞かせるつもりのない、本音だった。
丘を下りながら、エリゼは空を見上げた。
夕日が、学園の塔を赤く染めていた。
(アルノルド、ちゃんとやれてるか)
心の中で呟いて、足を速めた。




