第三話「タイマンが筋ってもんじゃボケ」
生徒会室は、いつも通り静かだった。
長机を囲む面々。王太子・レオナルド、従者・クラウス、騎士団長の息子・ガイウス、教皇の息子・セシル。そしてアルノルド。
学園の中枢を担う五人が、それぞれの席に座っている。窓から午後の光が差し込んでいた。穏やかな、何事もない午後だった。
アルノルドは書類を置いて、口を開いた。
「一つ、議題を上げたい」
「どうぞ」とレオナルドが促す。いつも通りの、余裕のある声だ。
「最近、我々五人の学園内の人間関係に不均衡が生じている。特定の人物への過度な集中が、それぞれの本来の役割に支障をきたしかねない状況だ」
室内が、しんと静まった。
アルノルドは続ける。
「このまま放置すれば、学園内の秩序だけでなく、卒業後の各々の立場にも影響が出る。早急に各自が自身の立場を見直すべきだと思う」
言い終えて、アルノルドは室内を見渡した。
誰も、何も言わなかった。
レオナルドは微かに笑みを浮かべたまま、書類に視線を落とした。
クラウスは主の様子を窺うように、静かに目を伏せた。
ガイウスは腕を組んで天井を見ている。
セシルは穏やかな表情のまま、指を組んで黙っていた。
賛成もない。反論もない。
ただ、空気が動かなかった。
(……届いていない)
アルノルドは内心で、静かに舌打ちをした。
言葉は正確だった。論理は通っていた。反論の余地はないはずだ。
それでも、誰の目にも何かが灯らなかった。
(なぜだ)
◆◆◆
生徒会が終わったのは、夕暮れ前だった。
アルノルドは一人、廊下を歩いていた。頭の中で今日の生徒会を反芻する。
言葉の選び方か。タイミングか。それとも――
「お顔が難しいですよ」
声がした。
曲がり角の先、窓枠に背を預けて、エリゼが立っていた。夕日が横から差して、金髪が淡く光っている。
「……なぜここにいる」
「散歩です。それより、生徒会どうでしたか」
「見ていたのか」
「少しだけ」
エリゼは微笑んだまま、アルノルドを見た。
「反応、薄かったでしょう」
アルノルドは答えなかった。答えなくていい問いだった。
少しの間、二人は並んで廊下を歩いた。
アルノルドが、珍しく自分から口を開いた。
「……どうすれば良かった」
エリゼの歩みが、一瞬だけ止まった。
それからまた歩き出して、ふぅと一つ息を吐いた。
周囲に人がいないのを、横目でさっと確認して。
「そんなんてめぇで考えろ!」
アルノルドが、目を丸くした。
廊下に、エリゼの声が響く。さっきまでの令嬢の声色が、どこかへ消えていた。
「自分が宰相になってからも、そんなこと人に聞くんかワレェ! 集めて一遍に話せば伝わると思てんのか!」
「……い、いや、そうは」
「話聞いてもらうんには、ひとりひとり当たるのが筋じゃボケ!タイマンや、タイマン!」
アルノルドは二歩後ずさった。生まれて初めて、女性に怒鳴られた気がした。
「どんな話をしたら相手が聞いてくれるか、考えたことあるか? 耳当りのええことばっかり言うたって、現実は何も変わりゃせん!」
エリゼの声が、少し低くなった。
「耳の痛いこと言うても、それでも一緒に歩めるのが本当の友達ってもんやろがい。」
「……」
「お前が本気でやって、それでも改心せぇへんのやったら――そいつはお前の友やない。それだけや」
言い切って、エリゼは前を向いた。
すっと息を整えて、また令嬢の顔に戻る。廊下の静けさが、戻ってきた。
アルノルドはしばらく、黙っていた。
さっきまでの言葉を、頭の中で反芻していた。生徒会での自分の言葉と、エリゼの言葉を、並べてみた。
(私は……全員に向かって話した。一度に。正論を。)
(それは確かに、誰にも届かない)
論理ではなく、筋の話だった。正確さではなく、向き合い方の話だった。
アルノルドには、その発想がなかった。
歩きながら、もう一つ気になったことがあった。
「……一つ聞いていいか」
「なんですか」
「なぜそこまで本気になる。お前には関係のない話のはずだ」
エリゼの歩みが、また一瞬止まった。
今度は、少し長かった。
夕日が廊下の床を赤く染めている。エリゼは少しだけ顔を逸らした。耳が、かすかに赤い。
「……家同士のつながり、かもしらん」
ぼそり、と呟くような声だった。
「それでも、あんたが歩み寄ってくれたことを――私は、信じてる」
アルノルドは黙って聞いた。
「だから、あんたがこの波乱に飲み込まれるのだけは、防ぎたいんや」
一拍置いて。
「……ほかのやつらは、ついでじゃついで」
最後だけぶっきらぼうに付け加えて、エリゼはさっさと歩き出した。
顔は、もう見せなかった。
アルノルドは、その背中を見ていた。
政略。家のつながり。そう言った。
でも、あの耳の赤さは。あの一瞬の間は。
(この人は――)
頭脳で生きてきた人間だった。感情より論理、関係より実績。
それがアルノルドの生き方だった。
しかし今この瞬間、計算では測れない何かが、胸の中にあった。
(添い遂げる。――この人と)
廊下に夕日が伸びていた。
アルノルドは初めて、明日が少し楽しみだと思った。




