地に落ちた花びらは戻らない
職員室と扉一枚越しに繋がっており、応接室や校長室のすぐ近く。そんな、学生にとっては居心地の悪さMAXの自販機室だが、ここに飲み物を買いに来る人は多い。
一応、正式名称は第一給湯室と言うのだが、その名前は学生の中であまり浸透していない。原因は第二給湯室との違いにあると思われる。
まず、大前提としてこの学校には生徒に脱水を起こさせないために、ウォータージャグが運動部や体育教員に支給されている。当然、それの使用は強制であるので、給湯室で氷と浄水を取ってから、それぞれの活動場所まで行かなければならないのだ。
そして、グラウンド・体育館からは第二給湯室のほうが近い。だから、基本水汲みに第一給湯室は使われない。そして、第一給湯室には自販機がずらっと並んでいる。
それゆえに、第一と第二の利用者やその目的に大きな差ができてしまったのだろう。
それなら、正式名称で呼ばれなくなっていった事実の説明としても違和感はない。
…と、これらは全て舞から聞いた、考察混じりの話。まぁ、的を得ているとは思うが。
その自販機室の壁にもたれかかっていた双葉さんは、私を見つけて近寄ってくる。
決してタレ目ではないのだが、おっとりというか、ふんわりとした雰囲気を漂わせる人物。ハーフアップの髪型も影響しているのだろうか、初対面の時はそんな印象だった。
「ごめんね、時間もらっちゃって」
よくある社交辞令の言葉だが、それは心の底からのものだろうと、私にはなぜか思えた。
表情か、声色か、態度か。ともかく、そう感じてしまったのだ。
「いえ、お気になさらず。私も双葉さんに用があったので」
「そうだったの?
ならそっちの話を先にした方が良いかな」
ほんの少し、彼女は憂鬱げな表情を見せる。まるで、私のいう用件の内容を予知できているかのように。
そう言われて、私は思考する。そして、明らかに私が先に話した方が良い話題だろうと結論づけた。
しかし、そう伝えようとする前に口が勝手に動いてしまう。
「いえ、先そっちからお願いします。呼び出しをしたのは双葉さんの方ですし」
「…? わかった、じゃあ手短に話すね」
すこし安堵したような、疑問を隠しきれていないような、そんな表情を見せた彼女は、気持ちを切りかえるようにそう言ってしまう。
"…今更相手の話を遮るのは変だ。こっちの要件は後に伝えようぜ。"
何かが私の肩を掴み、そう言ってグイッと後ろへ引っ張ったような気がした。
「その前に…、何か欲しい飲み物ある?」
てっきりすぐに本題に入るかと思ったのだが、右手に財布、左手に飲み物を持っていた彼女はまず一言自分に問いてきた。
「じゃあ、その…赤い自販機にあるスポーツドリンクを」
遠慮せずに500mlのそれを指差すと、わかったと返事が来た。双葉さんは購入したものを取り出し、私に渡す。
意識はしていなかったが、彼女と私は同じ飲み物を持ち、お互いそれを指摘することなく同じようなタイミングで一口飲んだ。
彼女はふーっと一息ついてから、本題に触れてくる。
「桜花ちゃん。お願い、練習試合の助っ人になって」
「…すんません。無理です」
拝むような仕草と共に、頭を下げてくる相手。今更ながら、私は自分の行いを悔いた。なぜ私は、十中八九断らねばならないだろう頼みごとを言わせたのか。
「そこをなんとか、お願いできないかな」
はやく、私の言うべきことを言うんだ。
決着をつけるんだ。
そうも思ったが、まだ一口しか飲んでないスポドリを見て踏みとどまってしまう。
「…せめて、練習試合がいつなのか。あと、その理由を教えてくださいよ」
その指摘を受けて、少し戸惑う相手。
「ごめんっ、先走りすぎたみたいで…。えっと、日にちは5日後の土曜日。試合会場は相手側の学校だけど、私たちは一旦この学校に七時集合。
助っ人募集の理由は、チームメイトのけがでメンバーが足りなくなったから」
スラスラと言い切った双葉さんは、一つ息をつく。
質問は、と問いたいように見えた彼女に、私はぶつぶつと恨み言を呟くように言う。
「…時間が少ないのは分かりますけど、なんで、よりによって私なんですか」
少し、考える素振りを見せた。そのあと、彼女は言う。
「相手がけっこう強いところだから、あんまり不慣れな人を入れてあげたくない…」
確かに、それなら経験者を入れたいという考えも理解はできる。それが、彼女の本音なのかどうかは置いといて。
…いや、そうじゃないだろう。
「だとしても、自分は嫌です」
「…なら、せめて理由を教えて」
双葉さんはあの時言った。貴女の球を捕ってみたかったのだと、キラキラとした目で。貴女と同じチームになってみたかったんだと、興奮しきった様子で。
それは、可愛らしい外見の彼女には少しばかり失礼な表現かも知れないが、"野球少年"という言葉がピッタリだろうと思う。
ともかく、そんな彼女から二度も逃げる訳にはいかない。だから、今私はこうやって向かい合っているのだ。
心臓が、トクントクンと体全体に振動を伝える。少しづつ白くなっていく頭は、確実に思考力が削ぎ落とされている。
一度、手に持つドリンクの方へと目線を移す。一つ、深くため息を吐いてから、彼女の目を見た私はこう言った。
「野球が、嫌いになったからです」
目線が、自然と下へずれた。そのせいで、彼女の顔は見えなくなった。だから、今の彼女の表情は分からない。
ペットボトルを持っていない方の手で握り拳を作った彼女は、制服スカートを少し揺らした。
「…それ、本当なの?」
何かによって震わされたその声は、私の何かを突き立ててくる。左の方へと視線をずらしつつ、当然、上下にはあまり動かさず。私はこう言った。
「…はい。練習疲れるんで、だから、その、それが嫌なんですよ。大体の運動部とかも、なんなら文化部もそうかも知れないですけど」
まるで、子どもが自身の犯した過ちを問い詰められた時のようなたどたどしさ。自分自身のそれを、そう評価した。
「…それが本当なら、なんで、あのあと公園で投げてたの」
あのあとが指す時をすぐに理解できた私は、とてもハッタリだと思えない言い方に、ただ口を紡ぐことしかできなかった。
"見間違いじゃないか?"
たとえ苦し紛れだとしても、そう指摘するしかないのだろう。しかし、そういう風に口は動かない。
「…先、帰ります。双葉さん」
とうとう、私はその言葉と共に彼女に背を向けた。後頭部に目がついているわけでもないので、後ろの様子を見る手段は当然ない。
だからこそ、最後に見た彼女の表情は忘れられないだろう。
そう、自嘲した。
背中を見せた憧れの人を、追うことも、呼び止めることもできなかった。
開きっぱなしのドアから彼女が見えなくなって、私は再び壁にもたれかかる。そして、微かに教員達の声が聞こえる部屋で、一つ呟いた。
「なんで、そんな嘘つくのかな…」
もしかして、給湯室に自販機が大量設置されていることって珍しかったり…。自分の母校がそうだったので、違和感あったとしても勘弁してください。




