第5話 高嶺の花
いつもなら学校へは自転車で通うところなのだが、このピンポン連打女が徒歩で来ていたために、俺も徒歩で登校せざるを得なかった。
大した距離ではないし別にいいのだが、ただでさえ休日に駆り出された上、この暑い中歩かされるというのはなかなかに不快だ。
とはいえ、この人形染みた人に愚痴を言っても仕方ない。やはり文句を言うのなら俺を呼びつけた生徒会長に直接ぶつけてやるべきだろう。
「さて、これからあなたには生徒会長に会ってもらいますが……」
道中、俺たちの間には何の会話もなかったが、生徒会室の前まで来たところで合歓木先輩が口を開いた。
「本当はあなたと会長を引き合わせたくはありません。なにせいろいろと悪い噂の絶えない人ですから、ひょっとしたらいきなり会長に襲い掛かるかもしれないですし」
「いくら何でもそんなことはないぞ……?」
俺の悪い噂が広まるのは結構だが、だいぶ脚色されているようだな。俺は人を殴ったことなんか一度もないのに、そんなに暴力的なイメージになっているなんて。
「誤魔化そうとしても無駄ですよ。あなたが体中にナイフを仕込んでいることに、私が気づいていないとでも?」
「………………いや、仕込んでないが?」
「その肩に装着されたオイスターキャノンだってバレバレです」
「だからそんなもの仕込んでな……ってか、何それ? オイスター?」
「ふん、あくまで白を切るつもりですか」
とんでもなくシリアスな目つきで俺を睨んでいるが、本当に心当たりがない。それともここは彼女の勘違いを利用して、悪役っぽく振る舞ったほうが良かっただろうか。
「まあいいでしょう。あなたが何を企んでいようと、会長には通じません。なにせ会長は会長ですから」
意味不明なロジックで勝手に納得した先輩は、生徒会室の扉を開けて中へと踏み込む。
「こっちは訳も分からず呼ばれた側なんだから、企んでるとしたらそっちの方だと思うんだけどな……」
不本意な扱いに不満を覚えつつも、仕方がないので合歓木先輩に続き室内に入る。
「会長、切畑秀児君を連れてきました」
生徒会室に入るのはこれが初めてだ。室内はやや縦に長い構造になっていて、部屋の両側には本棚が隙間なく並んでいる。そして奥にはまるで玉座のように鎮座する木製の長机があり、それに両肘をついて偉そうに出迎える男の姿が見えた。
「来たか」
男は俺を見るなり、不敵な笑みを浮かべる。窓から差し込む光が逆光になり、あまり顔は見えないが、その雰囲気は明らかに普通の男子生徒とは違った。
「あんたが俺に休日出勤させた生徒会長だな」
集会やイベント事をすっぽかしがちな俺は、これまで生徒会長の顔を見たことがなかったが、相対すればこいつがそうだということはすぐにわかった。
短髪で眼鏡をかけた長身の男子生徒。実にありふれたビジュアルではあるが、その眼光の鋭さは高校生とは思えない風格を感じさせる。
「ご苦労だったな、合歓木君」
「全くです。この子に散々怒鳴りつけられて怖かったんですから、これは念入りに労ってもらわないと釣り合いません」
「……それについてはまた後で時間を取るとしよう」
生徒会長はコホンと一つ咳払いを入れ、改めて俺を見た。
「なぜ昨日来なかった? 合歓木君に言伝をお願いしておいたはずだが?」
そうか、こいつの雰囲気はどうにも嫌な感じがすると思ったら、どこか姉さんに似ているんだ。気が強く、絶大な自信を持っていて、一挙手一投足にカリスマ性を滲ませる。たしか姉さんも高校時代は生徒会長だったはずだが、同じ役職に就いているせいか雰囲気が酷似していて苦手だ。
「人を呼び出すなら用件も一緒に伝えてくださいよ。何でもいいからとにかく来いなんてよほど仲のいい相手でもない限り従うわけないじゃないですか」
しかし、俺にだって意地がある。相手が生徒会長だからって、素直に言うことを聞いてやるわけにはいかないんだ。
「詳細を迂闊には明かせない理由があるんだ。僕たち生徒会には生徒の健全な学校生活を守る義務があるからね」
背後の扉が合歓木先輩の手によって閉じられる。
「さて、適当なところにかけたまえ」
生徒会長の座る席の前、部屋の中央にあたる位置にはテーブルが置かれている。その両脇に設置された椅子の中で、最も出入り口に近い椅子に腰掛けた。
「知っているとは思うが、改めて自己紹介しておこう。僕は猿投利光、二年生だ。そしてこの学校の生徒会長でもある」
俺の一つ上かよ。その割にはやけに風格があるな。所詮は高校の生徒会長に過ぎないくせに大企業の重役顔負けの迫力を持ってやがる。一体どんな人生を送れば十六かそこらでこんな渋みが出るのやら。
「最初に確認しておくが、君が切畑秀児君で間違いないか?」
「ええ、まあ」
「新宮朱美君とはどういう関係だ?」
「……朱美? なんで朱美が?」
「説明は後でする。今は質問に答えてくれ」
どうも嫌な雰囲気だな。まるで取り調べでも受けてるみたいだ。
俺は別に悪いことなんて……してないとはとても言い切れないが、俺の素行じゃなく朱美について聞かれるなんて不自然な話だ。
「一応……幼馴染ってとこですかね。小学校入る前からの付き合いなんで」
「友人関係なのか? 恋人ではなく?」
「……さっきから何なんですか? あんた、朱美に気があるのか? それなら俺なんか使わず朱美を直接呼び出せばいいでしょ。あいつ今フリーのはずですよ」
「会長はそんな不純な人間ではありません」
会話に割り込むように、背後に立つ合歓木先輩が鋭い声を発する。
「……なんであんたが答えるんだよ」
「会長のことなら何でも知っているからです」
「何でもって……」
「ま、まあ、それはいいとして、すまない。少しプライベートな領域に踏み込み過ぎたかもしれないな。ただ、君と彼女がどれだけ深い関係にあるのか把握しておく必要があったんだ」
逸れかかった話題を会長が引き戻す。合歓木先輩はやや不満げに唇を尖らせながらも引き下がった。
「深い関係?」
「そうだ。小学校入学以前からの幼馴染と言ったね。となると、十年来の友人ということになるか。それなら資質は充分にあるな」
猿投先輩は何やらブツブツ言いながら立ち上がり、壁際の本棚から一冊のファイルを取り出し、俺に手渡してきた。
「特異属性対策部調査レポート……?」
「まずはそれに目を通してくれないか」
なんだこれ……と思いつつページをめくってみた。しかし読めば読むほど、なんだこれ……という感想が強まるばかり。
そこに書かれていたのは過去にこの学校で起こった出来事の記録のようだが、抽象的な上に専門用語的なものが多くて理解できない。
「あの、何ですかこれ? 二〇七とか何とか……意味がわからないんですけど」
「この学校に入学した生徒には、特異属性と呼ばれるものが発現する。それは時に生徒たちの心や体を蝕み、健全な学校生活を阻害する要因になることがある。そのレポートに記されているのはその一例だ」
「……は? 特異属性? 何のことですか?」
「詳しいことは僕たちにもわからない。とにかくこの学校に入学した生徒は、通常では考えられない現象を度々引き起こす。そのことに気づいた過去の生徒会が、異常現象だと思われる事態が発生する度に記録を取り、特異属性としてファイリングして後世に託してきたんだ。不幸な目に遭う生徒を少しでも減らすためにね」
……真剣な顔をして何を言っているんだこの人は。
特異属性? 異常現象? よくそんな馬鹿馬鹿しいことを平気で口にできるな。わざわざそんな設定を自分で考えたのか?
「あのねぇ、生徒会長。別にそういうことをするなとは言いませんよ? 俺だって何かと好き勝手自由にやってますからね。常識を説けるような立場にはないとわかってます。ただ、こんなくだらない遊びは一人でやってくださいよ。休日にわざわざ呼び出されたかと思ったらこれって、勘弁してほしいっていうか………………いっ⁉」
ふと、背後に視線を向けると、合歓木先輩がこの世のものとは思えないどす黒いオーラを放出しながら、子どもが見たら一発でトラウマになりそうな悪魔染みた形相で俺を睨んでいた。
「今……会長を……馬鹿にしましたか?」
「え? あっ……あぁ~いや、そうだ! 特異属性! はいはい特異属性ね! わかってるわかってる! アレね!」
強引に軌道を修正し、話を合わせることにする。そうでもしないと、俺はこの部屋から生きて出られない気がした。割とマジで。
「信じられないのも無理はない。何しろ突拍子もない話だからね。僕も最初は信じ難かったよ。ただ、先代の会長からファイルの全てを託されて、実際に心当たりのある事例もいくつか見て、信じざるを得なくなった。どうも来栖高校には、生徒をおかしくする何かがあるとね」
当の生徒会長は冷静に、そして軽やかに語り掛けてくる。その態度を見る限りでは、ふざけているつもりはないらしい。本人は至って真剣だ。
「……まあ、信じるかどうかはともかく、話くらいは聞きますよ。少なくとも、このレポートが昔から引き継がれてきたものってのはマジっぽいですしね。このファイルの劣化具合は、そう簡単に再現できるとは思えない」
しかも本棚には、まだこれと似たようなファイルが大量にある。それらすべてを下らない脳内設定を楽しむためだけに用意したと考えるのはやや強引か。
「だからこのレポートの内容もデタラメってことはないんでしょうけど……」
記録されている日付は、一九九六年六月十八日。今から三十年近く昔の話だ。文章は全て手書きで、紙は日に焼けて色あせている。
「ああ、間違いない事実だ。特異属性対策部調査レポートは、全て実際にあった過去の出来事をそのまま記録したものだからね」
「過去の出来事をそのまま……ねぇ。だとしても、それがなんだっていうんですか? これを読む限り、昔この学校に人気者の女子がいたが、あまりに人気になり過ぎて学校を辞めないといけなくなったってだけの話ですよね? 珍しいことではあるだろうけど、この人が芸能人か何かだったとするなら説明はつく。別に異常だなんていうほどのことでもないと思うんですけど?」
「識別番号二〇七、通称『高嶺の花』。容姿の整った女子生徒を対象として発現し、その生徒が自分たちとは住む世界の違う高貴な人間であると、周りの生徒に思い込ませる属性を持っている」
「……はい?」
「言っただろう? 特異属性は生徒たちの心や体を蝕む。彼女は芸能人だったから人気者になったんじゃない。人気者になる特異属性が発現してしまったんだ。だから学校を辞めるしかなくなった」
「……人気者になる特異属性って何ですか? まさか本人は何もしてないのに、勝手に人から好かれるようになったとでも?」
「その通りだ! 呑み込みが早くて助かるよ」
猿投先輩は難問を見事に解いた学生を褒める教師のように、大袈裟な身振り手振りで俺を称賛した。
「そんなことあるわけがない。それじゃまるで集団催眠だ。人の心を操れるわけじゃあるまいし、何の理由もなく大勢の感情が動くわけもないじゃないですか。学校にいられないほど人気になったのなら、何か必ずきっかけがあったはずですよ」
「いいや、それがないんだよ。二〇七特異生徒は容姿こそ整っているが、一生徒の域を大きく超えるような特徴を持ってはいなかった。なのに唐突に学校中から祀り上げられるようになっている」
「唐突にって……本人の意思も関係なく? それは……」
もし仮に、ある日突然、何か不思議な力によって自分の実力以上の人気を集めてしまったらどうなるのか。人付き合いが怖くて、必死に嫌われ者を目指している俺だからこそわかる。人の好意がどれだけのプレッシャーになるのか。そんなものを意図せず集めてしまった人間が、どれだけ精神的に疲弊するのか。
「……つまり、その特異属性ってやつが当時の学生たちの心を操って、一人の女子生徒を過剰な人気者に仕立て上げるという異常現象を引き起こしたと、そういう話ですか?」
「そうだ。この件の危険性は理解してもらえたかな?」
「……それが本当なら、そのことを先生に伝えればいいでしょ。こんな資料を作ったってどうしようもないんだから」
「ああ、僕もそう思って試してみたよ。だが駄目だった」
そりゃそうだ。こんなアホみたいな話、教師が信じるわけがない。
「取り付く島もなかったね。理解されないどころの話じゃなかった。上手く説明ができなかったんだ。いや、そもそも説明に入ることすらできなかったと言うべきかな。僕自身に何らかの異常が発生したとしか思えない」
「……は?」
「これは先々代の生徒会長の仮説だけど、恐らく特定の生徒だけでなく来栖高校の生徒全員に特異属性が発現しているんだ。その内容は『特異属性についての情報を生徒以外の人間とは共有できない』というものだと思う。しかもこれについては、記録に残すという行為そのものにも影響を及ぼすらしく、レポートを作成できない。識別番号を与えることすらできない特異属性なんだ」
……そろそろ話についていけなくなってきた。マジで何を言ってるんだこの人。
俺も姉さんには中二病扱いされているが、これとは系統が違う。俺はあんまり妄想たくましい方ではないのだ。
「今すぐ全てを理解し、納得しろとは言いませんよ」
俺が顔をしかめていると、合歓木先輩が口を挟んでくる。
「特異属性の存在を話したのはその方が脅威をより実感できると判断したからです。仮に私たちのことを信じないのだとしても、あなたの役割に致命的な影響が出るわけではありません」
「……俺の役割? 俺に何かさせるつもりなんですか? 勘弁してくださいよ。俺はこんな訳の分からない話を信じたつもりはないですからね」
「このままでは新宮朱美さんが退学してしまうとしても?」
「あ?」
脅しとも取れる合歓木先輩の発言には、一瞬頭に血が上った。しかしすぐに長い息を吐き、心を落ち着ける。
「……どういう意味ですか?」
「それは僕から説明しよう。君をここへ呼んだ本題についての話だ」
猿投先輩は長机を回り込み、俺の前まで歩いて来る。
「特異属性というのは一度発現して終わりではない。そういうものもあるが、大抵の場合は何度も起こる。レポートによれば、二〇七は再び発現するまでに最低でも三年のスパンが必要とされているが、前回この二〇七が発現したのは五年前。もう次の二〇七特異生徒がいつ誕生してもおかしくないんだ」
「ここに書いてあるような事例が、近い内に発生すると?」
「その通り……いや、少し違うかな。事態は既に進行しているんだ。頭のいい君なら察しがつくんじゃないかな?」
このレポートには、普通の女子生徒が異様なほどの注目を集めるようになり、徐々に平穏な学校生活を送れなくなっていく経過が記されている。
これと似たような状況に、俺は心当たりがある。特に何のきっかけもなかったはずなのにやたらと人気になり、みんなに持て囃されているやつを知っている。
「まさか、朱美が……?」
「ああ、そうだ。レポートに記された状況と、現在新宮朱美君を取り巻いている環境は非常に似通っている。僕らは彼女が今回の二〇七特異生徒で間違いないと判断した」
「そんな馬鹿な……」
朱美の容姿は優れている部類に入るだろう。それにクラス内では高嶺の花のような扱いを受けている。条件は完璧に揃っているというわけだ。
しかし、あまりにも非現実的な話だ。レポートには作り物とは思えない年季が入っていて信憑性が高い。こいつら二人の態度も嘘やでまかせを言っているようには見えない。
だからといって信用できるわけではない。たとえどれだけ常識外れな行動をしていようとも、所詮俺は平凡な人間だ。こういう時にすぐ状況を鵜呑みにできる対応力は持ち合わせていない自覚がある。
「あんたらの言うことが仮に本当なのだとして、俺に一体何をさせるつもりなんですか?」
「特異属性は目に見えない絶対的な力ではあるが、先人たちの残してくれたレポートのお陰で、対策を取ることはできる。君には新宮朱美君の退学を防いでもらいたい」
「そんなこと言われたって……生徒会が普段からこんなことをしてるなら、今回だってあんたらでどうにかすればいいでしょ……なんで俺が……」
「いいえ、私たちが新宮朱美さんに接触することはできません。もし彼女に接触してしまえば、私たちまで影響を受けてしまう危険性があります。なにせ二〇七は人間の認識に作用する特異属性ですから」
「あんたらまで朱美のシンパになりかねないってことか? そんな馬鹿な。こういう現象があるって事前に知ってるなら、自分で自覚できるだろ」
「そう思いたいところですが、そのレポートを書いた方は対象の生徒の特異性に一早く気が付いていながら、特に何の対策もせず数か月放置していることがわかります」
そう言われてレポートを見直してみると、六月の時点で異変に気が付いていながら、退学が起こった十二月までほとんど経過観察しかしていないことがわかる。
「当時の生徒会が怠慢だったのでなければ、二〇七の特異性に認識を改変され、対応が後手に回ってしまったのが原因ではないかと推測できるのです」
「そんな……そこまで強力なら、もう手の施しようがないだろ。朱美を見てるだけで、あいつの信者になるってんだろ? だったらもう誰にも止められないじゃないか」
「いいえ、二〇七の影響は浸透するまでに時間がかかります。つまり、認識次第で抵抗することも可能だということです」
「……認識次第?」
「新宮朱美さんの幼馴染であるあなたは、彼女が決して高嶺の花などではなく、普通の女子高生であると一番よく理解しているはず。つまり、二〇七の持つ影響力に最も抵抗がある人間であると言えるわけです」
なるほど、それで俺を呼び出したのか。あいつと同じ中学で、来栖に来てるのは俺だけだからな。
「……話はわかりました。でも信じられないですよ。もしあいつが何かトラブルに巻き込まれそうだっていうならそれを何とかしてやりたいって気持ちくらいはあるけど、現状ではただモテてるだけですし、退学に繋がるほどの危機に陥っているとは思えません。だから、俺にできることは何も……」
「わかった。今はそれで構わない。すぐに協力を得られるとはこちらも思っていなかった。けれど、時間がないことはわかってほしい。特異属性は影響力が強まれば強まるほど手を出しづらくなっていくからね」
「ええ、まあ……覚えときます」
こいつらの荒唐無稽な話は信じられないが、朱美に異様な注目が集まっていることは事実だ。トラブルに発展しないよう、注視しておくくらいならばしてもいいだろう。
「それと、君の気が変わった時のために、君がやるべきことを先に伝えておこう」
猿投先輩は指を一本突き出し、その力強い眼力で俺を見つめる。
「彼女を高嶺の花から引きずり下ろし、普通の生徒にすること。そのための最も手っ取り早い手段として────新宮朱美と交際すること。それが僕から君に与える役割だ」
……これはまた、なんとも変なところに話が着地したな。




