第3話 呼び出しをぶっちぎろう
生徒会長からの呼び出しにシカトを決め込み、悠々と自転車で帰路に着く。
俺の心ではほんのりと胸を刺す罪悪感と、やってやったという達成感が混ざり合い、フワフワとした高揚感をもたらしていた。
「まったく、自分の勇気が恐ろしいね。あそこで帰ることができるなんて」
上司に休日出勤を頼まれた時、部活の先輩に飲み物を買って来いと言われた時、優しいおばあちゃんから健康ランドに誘われた時など、人間には行きたくもないのに行かざるを得ない状況がいくつもある。
もし断れば、相手との人間関係に亀裂を入れてしまう恐れがあるからだ。実際のところは断ってもさほど問題なかったりするのだが、人は嫌われることを恐れるあまりどうしても気を遣ってしまう。
しかし、俺は違う。行きたくなければ行かないし、断りたければ断る。自由人だとか無責任だとか、そんな風になじられることも厭わない。それこそが最も幸福で理想的な生き方なのだ。
「ふっふっふ……俺は誰にも縛られず生きるのさ……」
十五分ほど自転車を漕ぎ、家まで辿り着いた俺はぶつぶつとそんなことを呟きながら玄関の扉に手をかける。
「────おかえり」
中に入ると、そこでは一人の女が仁王立ちしていた。
身長は一七〇センチ。歳は二十三歳。水泳選手みたいな肩幅と、はち切れんばかりの脚が特徴的な長髪の女は、そこに立っているだけで凄まじい存在感であり、思わず圧倒されてしまう。
そんな彼女の名は切畑優子。全く似ていないが、俺と血の繋がった実の姉である。
「な……何だよ、そんなところに突っ立って。ビックリするだろ」
「ただいまって言え」
「え?」
「おかえりって言ったんだからただいまって言え‼」
別に大きな声を出されたわけでもないのに、後ろ手に閉めた玄関の扉が再び開け放たれそうな迫力があった。
「……………………た、ただいま」
たまらず俺は帰宅の挨拶を口にする。
「よし、それでいいんだ」
姉さんは腕組みを解き、朗らかな表情を浮かべながら俺に近寄ると、犬と触れ合うみたいに頭と顎の下をわしゃわしゃと撫で回した。
「よーしよしよし。よーしよしよし」
「ええい、暑苦しい!」
強引に振りほどいて一歩下がると、姉さんは寂しげな顔で俺を見る。
「なんだよぉ、昔はもっと可愛げがあったのに」
「俺はもう高校生なんだよ。姉にベタベタ触られて黙ってられるか!」
「寂しいなぁ、お姉ちゃん泣いちゃいそ」
姉さんはそう言うと、露骨に嘘臭く悲しそうな顔をする。
「クソ……俺の自由が脅かされる……」
「何か言った?」
「いや……別に……」
俺は顔を逸らし、そそくさと姉さんの横を通り抜けようとする。
「ところで秀児。来栖に入ってしばらく経つけど、そろそろ友だちできた?」
「はぁ? そんなの……関係ないだろ」
「いやいや、関係はあるよ。お姉ちゃんなんだから。あたしを追って、同じ高校に進学してくれたのは嬉しいけど、馴染めてなかったらどうしようかなって」
「べ、別に姉さんの真似をして来栖に入ったわけじゃない! ただ近かったから選んだだけだ! 学年一位なら学費も免除されるしな! それに友だちなんて……」
「必要ない?」
俺のセリフを先読みし、姉さんはため息を吐く。
「人から嫌われる方が楽なのに、好かれようと努力する意味がわからないってやつ? あんたまだそんなこと言ってんの? そういうのは中学で卒業しなって」
「う、うるさいなぁ……いいだろ? 俺の自由じゃないか!」
「自由ではあるけどさぁ。人付き合いってのも結構大事だよ? それに嫌われ者じゃ彼女もできないじゃん」
「いいんだよそれで……恋愛なんて一番面倒な人付き合いなんだから」
「ええ? じゃあ朱美ちゃんとはどうなの? あの子と結構いい感じじゃなかった?」
姉さんは俺の正面に回り込み、ぐいぐいと躊躇なく問い詰めてくる。
「う、鬱陶しい……」
「たしかあの子も来栖だったよね? せめてあの子だけは大事にしなよ? あんないい子ほかにいないんだから」
「余計なお世話だ! たしかに朱美とだけはちょくちょく話すけど……いずれはちゃんと嫌われる予定だ」
「嫌われる予定って何? スカートめくりでもするの?」
「いや……そんなことはしないけど……と、とにかく俺はみんなに嫌われて、一人で生きるんだよ!」
今度こそ姉さんをかわし、自分の部屋へと向かう。
姉さんと話しているといつもこうだ。子ども扱いされて、せっかくの決意が揺らいでしまいそうになる。誰に何を言われようとも、人から嫌われるのは楽だし、一人でいるのは心地いい。その事実は変わらない。
大切に想う人がいたとしても……いや、むしろ大切に想う人にこそ、嫌われなくてはならない。そうでなくては、お互いに不幸になるだけだ。
「────お父さんとお母さんのこと、まだ気にしてんの?」
俺の背中に、姉さんは呼びかける。
「あんなの特殊な例だよ。誰もがああなるわけじゃない。だから別に、人を好きになったり、好かれたりすることをそこまで怖がらなくたっていいのに」
「……わかってるよ。そんなこと」
それだけ言って、俺は部屋に入った。
鞄を下ろし、制服を脱いで、床に寝転がる。
「わかってるけど……怖いものは怖いだろ」
自分の耳にも届かないほど小さく呟く。さっきまで胸に渦巻いていた高揚感は、すっかり消え去ってしまっていた。




