第32話 摘み取られた花
俺は自己中心的で、自分勝手で、ワガママな人間だ。だがそれらを直すべき欠点だとは思っていない。
自分の人生なのだ。その中心に自分を据えて何が悪い。むしろ他人を中心に据える方がどうかしている。
だから俺は孤独を選んだ。誰も寄せ付けず、誰にも好かれず、誰に縛られることもなく一人で生きるのは、とても身軽で心地よかった。
……でも、そうじゃなかった。俺は一人だと思い込んでいただけだ。いつだって朱美は俺の傍に居てくれたし、俺はその存在を頼りにしていた。
気付けば、俺にとって朱美は特別な人になっていた。何者にも代えられない、掛け替えのない人だ。
仮に朱美が俺の前からいなくなっても、その後も俺の人生は続くし、朱美の人生だって続く。彼女はどこかで恋をするかもしれないし、俺だってまた誰か別の特別な人と出会うかもしれない。
それを心底嫌だと思うから、あいつは特別なんだ。もうとっくに、朱美は俺の人生の中心に入り込んでいる。
孤独に生きるのが一番身軽だ。そんなことはわかってる。それでも切り離せないものが人生にはある。俺の場合は、朱美がそうだったんだ。
だが、朱美の周りを囲うあいつらは違う。所詮はただ特異属性の影響で朱美を持て囃しているだけの有象無象にとって、朱美は特別でも何でもない存在のはずだ。
だとするならば、高嶺の花以上に目立つものを用意してやれば、それだけであいつらの注意は朱美から逸れるはずだ。実にシンプルな道理である。
しかし、中途半端な小細工ではバレーボール大会の時と同様、特異属性の影響を打ち破ることはできない。
相手が属性であり、現象である以上、重要なのはイメージだ。高嶺の花より目立つというイメージ。つまりは高嶺の花より、さらに高く咲く花があればいい。
だったらこの時期にピッタリのものがあるじゃないか。どんな花より高く、夜空でド派手に咲く大きな花が。
「────あ、テメェ! 切畑秀児!」
花火で気を逸らしている内に、朱美に近づく作戦は無事成功したが、それで稼げる時間は精々数秒程度。ここから朱美を連れ出すまでには至らない。それどころか、すっかり周りを取り囲まれてしまった。
「なんでお前がそこにいるんだ! 新宮さんに触るな!」
「そうだそうだ! お祭りだからって調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
あちこちから容赦のない罵声が飛んでくる。
まるで親の仇を目の前にしたかのような怒り具合だ。こんなところに長居しているといずれ暴動が起こりそうな勢いである。
「とにかく、ここから逃げるぞ」
「ええ」
朱美はキュッと、強く俺の手を握ってくる。
その冷たいような、生暖かいような、少し湿っているような感触が、こそばゆさとなって全身を駆け巡った。
「う、うわっ……おま、急になんだよ……」
「なんだよって、逃げるんでしょう? エスコートしてくれないの?」
「そ、それは……」
さっきはつい勢いに任せて手を差し出してしまったが、こう改めて手を繋いでいるのを実感すると妙に体温が上がってくる。
「何モジモジしてるのよ。高校生にもなってこの程度のことが恥ずかしいの?」
「は、恥ずかしいわけあるか。高校生ならこれくらいして当然だろ」
「そうよね」
この殺伐とした空気の中で、朱美は呑気にニコニコ笑っている。
「なんかお前……楽しんでない?」
「そう見える? なら、そうなのかもしれないわね」
朱美はいつも通り俺をからかって楽しんでいやがる。その平常運転っぷりには安心感すらあるが、今だけはしてやられてばかりもいられない。
俺は多くの来栖高生が見つめるこの場で、朱美の評判を貶めなくてはならない。そのための最も効率的な手段は、やはり猿投先輩が立てた当初の計画通り、朱美と俺が付き合っていると衆目の下で知らしめることだろう。
梅雨はもう明けたはず。雨女を気にする必要はもうない。それに特異属性の影響力の強さを考えれば、もう俺の嫌われ具合を最大限利用するしか選択肢はないのだ。
覚悟を決めろ、切畑秀児。殻を破るのはこの瞬間だぞ。
「エスコートをご所望なら、こういうのはどうだ!」
俺は朱美の首の後ろと膝の下に腕を通して抱きかかえる。
「うわお、お姫様だっこね」
朱美は俺の腕の中でバランスをとるため、両手を俺の首の裏に回した。すると必然的に顔同士の距離が近くなり、互いの呼吸を薄っすらと頬で感じられるような姿勢になる。
「ぎゃあああああああああ!」
「おいおいおいおいおいおい!」
「お前ふざけんじゃねぇぞ!」
朱美ファンの阿鼻叫喚が聞こえる。そりゃそうだ。俺だってまつ毛の本数まで数えられそうなくらいの距離に朱美の顔があるのは落ち着かない。
「こっちの方が逃げるには都合がいいだろ?」
ど、どうだ! やってやったぞ! これだけ人目がある場所でお姫様だっこなんて、顔から火が出そうなほどの痴態だが、いかにも恋人同士らしい振る舞いなんじゃないか⁉
こんなものを全校生徒に見せつけてやれば、朱美のイメージもガタ落ちだろ! くたばれ特異属性!
「……………………」
朱美は特に何もリアクションせず、ジッと穴が空くほど俺の顔を凝視している。
「……ど、どうした?」
しまった。流石にやり過ぎたか?
朱美の評判を下げるためとはいえ、お姫様抱っこは荒療治過ぎたかもしれん。これで朱美が登校拒否になるほどのショックを受けてしまったら元も子もないぞ……!
「あ、いや、その、すまん。これは……その……悪ふざけというか……」
俺は慌てて朱美を下ろそうとする。
「ん」
しかし、朱美は俺の首元を掴んでそれを拒否し、逆に顔を寄せ、あろうことか唇と唇を重ねてきた。
「………………?」
あまりに突然のこと過ぎて、全く反応できなかった。一体何が起きたのか理解できたのは、朱美が唇を離し、再び俺を見つめてきた時になってようやくだ。
「なっ……なっ……なんで……?」
「……さあ?」
「さあってお前……」
「いや……顔が目の前にあったから……つい……」
「ついで済むか⁉ おま……これ……俺のファーストキスだぞ⁉」
「いいじゃない別に! 私だってファーストキスよ!」
「なんでお前がキレてんだよ! もっとこう……あるだろ! 初めてなんだから……そういう……雰囲気とかさぁ!」
「今がその雰囲気かなって……」
「絶対違っただろ!」
「────あの、君たち?」
俺と朱美が激しく言い争っているところに、横から穏やかな声が割り込む。
「うちの生徒だよね? ちょっと、いいかな?」
声のした方向を見ると、そこには人の良さそうな老人が立っていた。
……というか、こいつうちの校長じゃないか? そういえばここは来賓テントの下だったな……。
校長の後ろには、見るからに社会的地位の高そうなおっさんが他にも何人か並んで座っていて、全員がこっちを呆気に取られたような丸い目で見ている。
気付けば、さっきまで俺たちを取り囲んでいたはずの剣呑な空気はすっかり消え去っていた。
今この場に漂っているのは、ポカンとした間抜けな顔で俺たちを見つめる来栖高生たちの視線と、どこかで焼いているたこ焼きの香りくらいなものだ。
「……よし、秀児! 逃げるわよ!」
「お、おっしゃ!」
俺たちはゆでだこのように顔を真っ赤にして、この場からの逃走を図る。とんでもない大恥をかいたが、その甲斐あって楽々と包囲網を潜り抜けられた。
最近はだいぶ大人しかったのですっかり忘れていたが、朱美は元々男子相手に殴り合いの喧嘩を仕掛けるくらい無茶苦茶なやつだったんだ。
やっぱりこいつに高嶺の花なんて称号は似合わない。予測不能で、大胆で、それでいて自分のやったことをその直後には激しく後悔していそうな無謀さこそ、新宮朱美なんだ。




