第31話 夜空に咲く花
────新宮朱美は、新宮建設三代目社長新宮雄三の一人娘である。しかし、彼女が四代目社長になるかどうかは、未だ定かではない。
父は必ずしも娘に会社を継いでほしいと思っているわけではないし、娘もまた父の会社を継ぎたいと思っているわけではない。
代々一族で経営してきた会社ではあるが、決してそのことに拘りを持っているわけではないのだ。だから四代目は全く血縁関係のない人物になるかもしれないし、そもそも会社を誰にも継がせず今代限りで畳む可能性だってある。
三代続いた会社とはいえ、規模は極めて小さいし、従業員もかなり高齢化してしまっている。今後も会社を残していくには大幅な改革が必要だが、そのための資金も体力もあるとは言えない。それが新宮建設の現状だ。
それでも、地元ではそこそこ名の通る会社だったので、朱美は幼少期からお嬢様だとか次期社長だとかいって揶揄われることが多かった。
社長というと無条件でお金持ちのイメージがあるらしい。しかし、実際はそういうわけでもないということを、朱美はよく知っている。むしろ自分の家は割と貧乏なのだと、小学校に入る頃には何となく察していた。
ランドセルは親戚からのお下がりだったし、文房具も可愛いキャラクターものは買ってもらえず、神社との付き合いで貰った五角形の鉛筆なんかを使っていた。服に穴が空いても買い替えることはなく、母に補修してもらって着続けた。
そんな生活に不満はなかったが、自分より裕福な暮らしをしていそうな同級生からお嬢様扱いされると腹が立った。小学二年生の時には、同じクラスの男子と殴り合いの喧嘩をしたこともある。
その喧嘩は、あのまま続けていたら、どちらかが大怪我を負っていたかもしれないというほどヒートアップしたが、別の男子が仲裁に入って事なきを得た。
「俺と同じクラスで、俺より悪目立ちすんな」
仲裁に入った男子はそんなことを言っていた。その後、彼はクラスの誰も朱美のことなど気にかけなくなるくらい、あれこれ多くの問題を起こし続け、嫌われ者となった。
その男子のことを朱美は小学校に入学する前から知っていたが、まるで別人のようだと思った。もちろん、悪い意味でだ。
彼の家族は訳あって離れ離れになってしまったらしい。彼の性格が変わってしまったのもそれが原因だろう。
幼馴染の変貌は朱美にとって少なからずショックだった。しかし、だからこそ彼がどれほど悪目立ちしても、避けようとしたり、嫌ったりすることはなかった。
それどころか羨ましいと感じる事もあった。家族がいないということは、家庭のしがらみに囚われないということなのだから、自由でいいじゃないかとさえ思えた。
今でも、自由気ままに振る舞う彼に憧れる気持ちはある。あんなにも好き放題に生きられたらどれだけ楽か、ついつい妄想してしまうことだってある。
けれど、それじゃ駄目なんだ。
彼を孤独にしたくない。してはいけない。そう思って、ずっと彼の傍に居続けた。するといつの間にか、彼の存在が自分の中で特別になっていた。
何か劇的なきっかけがあったわけではない。ただずっと一緒にいて、それが苦ではないことに気が付いた。それだけで十分な理由になった。
そして彼もまた、口ではなんだかんだと言いつつ、同じ気持ちでいてくれているんだと思っていた。……しかし、それはどうやらただの自惚れ、思い上がりだったらしい。
「約束したのに……嘘吐き」
町内会の会長や、来栖高校の校長、地元の政治家などが並ぶ来賓テントの一角で、朱美は何とも言えない居心地の悪さを抱えながら錆びたパイプ椅子に座っていた。
緊張が見受けられる強張った表情であり、背筋は後頭部に銃でも突き付けられているようにピンと伸びている。
本当はこんな気まずい空間に来るつもりはなかった。普通に綿菓子を買ったり金魚すくいをしたりするつもりだったのに、祭り会場に着くなりあれよあれよとここへ押し込まれてしまった。
本来なら父がこの席に座るはずだったのだが直前で体調を崩してしまい欠席、代理で出るはずだった会社の関係者も道中でちょっとした交通事故に遭ってしまい大幅に遅刻。
その結果、元々祭りに来る予定だった朱美がこの席にあてがわれたということらしい。
「はぁ……来るんじゃなかったわ……」
少し顔を上げれば、こっちを動物園のパンダか何かみたいに、物珍しそうな目で見る来栖高生たちの姿が目に入る。
場違いな来賓席に押し込められているというだけでも居心地が悪いのに、こうも奇異の目に晒されれば、もう我慢の限界だった。
一体なぜ自分がこうも注目されるようになったのかはわからない。しかしこの感覚はお嬢様扱いされ、揶揄われていた小学生の頃とよく似ている。
あの頃ほどの悪意は感じないが、だからこそ質が悪い。朱美は怒るに怒れず、ひたすら不快感だけを募らせていた。
「もう……帰ろう……」
席を立ち、テントを出ようとする。
「ま、待ってください! どこへ行くんですか? 新宮さん!」
すると、会話をしたこともないような同級生たちが馴れ馴れしく目の前に立ち塞がってくる。
「どこって、もう帰るところだけど」
「そ、そう言わないでくださいよ! まだお祭りは始まったばかりなのに!」
「そうですよ新宮さん! 僕、たこ焼き買って来ましょうか?」
「ちょっと! そんなの駄目に決まってるでしょ! あんたらに任せたら何を選んでくるかわかったものじゃないんだから! 私が買ってくるわ!」
彼らは朱美のことを見ているようで見ていない。朱美を蚊帳の外にし、自分たちだけで楽しそうに揉めている。
本当に鬱陶しいことこの上ないというのが朱美の本音だった。しかし、それを言葉にするわけにもいかない。彼女はただ口を閉じ、退屈そうに空を見上げる。
「……たこ焼きかぁ。食べたかったなぁ」
巾着袋の中に入れてきたお小遣いは、一切使うことなく終わりそうだ。何のためにこんなに頑張って準備して、お祭りに来たのかわからなくなる。
「断られたんだから、いるはずないのにね」
今日は天気がいい。星がよく見える。別に綺麗だとも思わないが、空を見上げている間は誰の視線も感じなくて、気分が少しだけ楽になる気がした。
────ふと、そんな夜空に光が昇っていくのが見えた。
「えっ……?」
アレは打ち上げ花火の光だ。しかしこの祭りでは花火なんて上がらないはず。一体誰の仕業だろうか。
夜空を彩る大輪が咲き誇り、少し遅れて軽快な破裂音が聞こえる。突然打ち上った花火に皆が気を取られ、目線を空に向ける。
その時、朱美だけは花火から視線を切り、正面を向いていた。
空を見上げる群衆の合間を縫うように、輝く大輪に背を向け、真っすぐに歩いてくる少年の姿を見つけたからだ。
「────悪い。少し遅れたけど、約束を果たしに来た」
そう言って彼は、朱美に手を差し伸べる。
時が止まったみたいだった。
どんな文句を言ってやろうかとか、ビンタしてやろうかとか、いっそのこと何も言わずに逃げてやろうかとか、そんなことを考える。
しかし、朱美は結局、素直にその手を取ることにした。
「だいぶ遅刻よ。おかげでずっと気まずかったんだから」
嬉しいと感じていることが悔しい。そんな自分を抑えられないことはもっと悔しい。それでもどこか覚悟を決めたような表情の彼を見れば何もかもが吹き飛んでしまう。
この感情こそが、彼が特別であるという証明なのだ。




