第12話 無自覚な雨乞い
放課後、俺は保健室へ行き、窓際にかけていた制服を回収した。天気は昼前には回復していたため、日差しが良く出ており、制服もしっかりと乾いている。
今日はもう下校するだけだし、借りた制服はどうせ持ち帰って洗濯しなければならないのだが、俺はどうしてもここで自分の制服に着替えたかった。借り物の制服はどうにもむず痒いのだ。
「ふぅ……やっぱり自分のが一番落ち着くな」
朝と違い、保健室には誰もいなかったのでスムーズに着替えを終えられた。脱いだ制服は畳んで袋に入れておく。
「────あ」
その袋を持って部屋から出ようとした時、入れ違いになるようにバッタリと例の突進女と出くわした。
「うげ、犬山三春……」
人の顔と名前を憶えるのは苦手だが、今朝の奇行と暑苦しい格好があまりにも印象的過ぎて憶えてしまった。
「…………」
犬山は特に何も言うことなく、そそくさと俺の横をすり抜けていく。
そうだ。それでいいんだ。俺たちは気さくに挨拶を交わし合うような仲じゃない。こっちだってあんまり関わりたくないと思っていたところだ。無視してくれるならそれが一番ありがたい。
「この匂い……」
しかし、すれ違いざまに犬山は何やら呟くと、踵を返して俺の後を尾け始めた。昇降口で靴を履き、校舎の外へ出てもまだ彼女はついてくる。
「おい、なんだよ。さっきからウロチョロと」
せっかく無視してくれたと思ったのに背後にピタリとくっついて来られて、たまらず声をかけてしまった。
「………………ッ」
俺が声をかけたのに驚いたのか、彼女はサッと素早く、近くにあった木の陰に体を引っ込めてしまった。
「何なんだよ……ったく」
よくわからんが、いなくなってくれたのならいいか。
俺は正面に向き直り、帰宅するべくまた歩き始める。
「────あの」
「ぶわぁっ⁉ ビックリした‼」
突然耳元で声がして、跳び上がって振り返ると、そこには犬山三春が忍者みたいな気配の薄さで佇んでいた。いつの間に回り込んだんだこいつは。
「やっぱりあなたは……嘘吐き……ですね……!」
目の下までマフラーに顔を埋めながら、犬山は震える声で叫ぶ。
「う、嘘吐き? 何が……?」
「朱美様と……ただならぬ関係なんでしょう……!」
「そ、そのことか。何度も言っただろ。俺と朱美は付き合ってないって」
「い、いいえ、信じ……られません……」
犬山は首をゆっくりと横に振り、俺を睨みつけてくる。
「なんでだよ。今朝は信じてくれたじゃないか」
「あなたが嘘を吐いたから……信じられなくなったんです……!」
「嘘……?」
もしかして、弁当の試食を頼まれてたって話のことか? 自然と弁当のおかずを分けてもらう流れになったと正直に言うより、そっちの方が余計な疑いを持たれずに済むと思ったんだが……かえって逆効果だったみたいだな。
「待ってくれ。それは誤解だ!」
「もう……信じられません……違うと言うなら……証拠を出して……ください!」
「しょ、証拠って言ったって……」
そんなもの出せるわけがない。交際している証拠というならともかく、交際していない証拠なんてあるわけないじゃないか。
「し、証拠がないなら、私は……あなたを信じません!」
なんて面倒なやつなんだ。証拠を出すべきなのはむしろお前の方だろ。お前が俺と朱美が付き合っているという証拠を出せよ。
というか、俺はこいつに無実を証明する必要があるのか? こいつが俺と朱美の交際を疑っていようが、放っておけばいいじゃないか。気も弱そうだし、何か実害があるとは思えない。
「はぁ……付き纏われそうなのだけが難点だが、まあいいや。俺を信じる気がないなら話はここで終わりだ。俺は帰らせてもらうぞ」
「ま……ま、待ってください!」
犬山は俺の前に先回りし、もじもじと体をくねらせながら立ち塞がる。
「何だよ。これ以上話して意味があるのか? 俺の言葉を信じずに、証明しようのないことを証明しろの一点張りじゃ埒が明かないだろ」
「で、でも……でも……」
犬山の頬がクシャクシャに歪み、今にも泣き出しそうな表情になる。
「……」
俺は何となく空を見上げた。何か理由があったわけではない。ふと、合歓木先輩の話を思い出しただけだ。感情を昂らせると、その場に雨を降らせるという雨女の話を。
「びえええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっ‼」
他にも下校中の生徒が何人かいるというのに、犬山は一切躊躇せず全力フルスロットルで大泣きし始めた。その涙は濁流のようにポタポタと地面に注がれ、泣き声は校舎の裏側まで響きそうなほどに轟く。
頭上に広がるのは明るい青だ。今朝の曇り空など見る影もないほどの快晴だ。雨など一滴も降りそうな気配はない。
「まあ、そりゃそうだよな」
確認するまでもない自明の理だ。わざわざ空を見上げてしまったことをちょっと恥ずかしく思うくらいだ。
「あれは……?」
少しばかり安堵しながら空から視線を切ろうとした瞬間、気のせいだろうか。空がキラリと光ったような気がした。
「太陽……じゃない? 何か落ちて……」
光は徐々に大きくなってくる。近づいてきているんだ。
「まさか……隕石⁉」
光の正体を悟った直後、辺り一面に強烈な風が吹き、俺は大きく体勢を崩す。
「ぐおわぁっ⁉」
とてつもない衝撃だ。飛行機やドローンなんかじゃない。やはり間違いなく、落ちたのは隕石だ。燃え盛りながら地上に降り注いだ隕石が、俺のすぐそばに落下したんだ。
隕石が落ちた方向からは、轟音と共に天まで届くかと思わせるような水柱が上がる。どうやら運良く来栖高校の屋外プールに着水したらしい。溜まっていた水がクッションになり、衝撃を和らげてくれたみたいだ。
「あ、危ない……こんな近くに隕石が落ちるなんて。人生でこんなことあるんだな……」
とんでもなく低い確率だと思うのだが……しかし不幸中の幸いだな。落ちた場所がプールでなければ、もっと大惨事になっていてもおかしく……。
「……ん?」
起き上がろうとした俺の頭上に、ポツポツと雨が降る。
隕石の衝撃で空に巻き上げられたプールの水が落ち、雨を再現しているようだ。
「晴れてるのに雨が……」
ほとんど反射的に、俺は犬山の方を見る。
「うぐっ……びえええぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ‼」
彼女は隕石落下の衝撃にも構わず泣き続けている。もはや精神力が強いんだか弱いんだかよくわからんやつだ。
しかし問題なのは、たまたま隕石が落ちてきて、たまたまプールに着水し、たまたま雨みたいになるという奇跡的な現象が、こいつが泣いた直後に起こったということだ。
今思い返してみれば、今朝のにわか雨もこいつが泣いた直後だった。これほどまでに偶然が重なるものなのか……?
いいや、そんなわけがない。ここまで偶然が重なれば、そこに何らかの力が働いたことを想像しない方がどうかしている。
「おいおい……マジかよ。嘘だろ……?」
雨女は実在した……⁉ 特異属性とかいう与太話は、真実だったのか⁉
「ってことは……マズい!」
隕石の衝撃によってひっくり返されたプールの水量はそう多くあるまい。こんな風に雨として空から降らせていれば、あっという間になくなってしまう。
この雨が止んでも、犬山が泣き止んでいなければどうなる? 特異属性はまた何らかの方法で、犬山の頭上に雨を降らせようとするんじゃないのか?
空に雨雲はないのだ。そしてプールの水もこれで使い果たす。そんな状況でまた雨を降らせようとすれば、何が起こる? 水道管の破裂か? 水を積んだトラックが突っ込んでくるか? 何にせよ、とんでもない大事故が起こりかねないぞ。
「クッソ……!」
危機が目の前に迫っていることは理解している。だが俺はヒーローじゃない。頭ではわかっていても、咄嗟に体が動くかどうかは別問題だ。
世界がやけにゆっくりに見える。そんな世界で自分の体はさらに鈍い。今にも空から降り注ぐ水が尽きようとしていることがわかっているのにどうすべきか思考がまとまらない。
このままじゃ────
「────やれやれ、うちに水泳部がなくて良かった」
もはや自分には何もできないと諦めかけたその瞬間、ふと気づけば、いつの間にか犬山の後ろに猿投先輩が立っていた。
彼は片手に園芸用のじょうろを持っていて、雨が止んだことを確認すると、花に水をやるように落ち着いた手つきで犬山の頭に水をかけ出した。
「怪我人がいるかどうかは確認しなければならないが、これだけ近くにいた君たちが無事なのであれば大丈夫だろう」
生徒会長が泣きわめく女子生徒にじょうろで水をかけている。目的はわかるし、それが最善であることにも同意するが、なかなか絵面が酷い。
「偶然にも園芸部の手伝いをしていたんだ。運が良かったよ」
たった今ほんの数十メートル先に隕石が落ちたばかりだというのに、猿投先輩は驚くほど冷静に淡々と話す。
「しかし困ったな。まさかこれほど精神的に不安定な生徒が雨女とはね。しかも目下重大な問題を抱えているようじゃないか」
猿投先輩は修羅場をいくつも潜り抜けた歴戦の猛者のような威圧感のある目を、地面に這いつくばったままの俺に向けてくる。
「とりあえず、彼女を泣き止ませてくれないか。それか、ホースを持ってきてくれ」
「え、あ、はい」
こいつを泣き止ませるのは骨が折れるということを俺は知っている。近くの水道からホースを持ってくる方が手っ取り早いだろう。
「ああ、それと」
立ち上がった俺を呼び止め、猿投先輩はいかにも性格の悪そうな笑みを浮かべる。
「高嶺の花への対処と並行して、君にはもう一つ頼まねばならないことができたようだ」




