イチノセ・イチカ 4-③ 条件
「……てめえ、今なんて言った? 俺の手元にはノエルがいるってこと、忘れてんじゃねえだろうな?」
「おまえこそ、ノエルに手を出したら許さないってわたしが言ったことを忘れてるだろ? それで? ノエルは今、どこにいる?」
哉藍が舌打ちをしたのを合図に、紅蓮一家の構成員はわたしに銃を向けた。だが、今までに数百回は銃を向けられてきたわたしが、こんなありきたりな威嚇で怯むはずもない。まるで動じないわたしに対して何を思ったか、哉藍は再び葉巻を取り出しながら煽るように言った。
「ノエルがどこにいるって? 任務に失敗したあいつはなあ、地下室に監獄しているよ。あそこは狭いわ暗いわ臭いわで俺は近づきたくもねえが、担当の奴が毎日熱心に懲罰を与えている。まあ、一応ライネ家の血縁だし、見た目は悪くねえから売り飛ばすことも考えて顔だけは傷つけるなとは言ってあるが、一通りの体罰はやったな」
身の毛もよだつ程の怒りを覚えたわたしは、わかりやすく顔に出てしまったのだろう。厭な笑みを浮かべながら哉藍は、葉巻でわたしを指した。
「てめえにとってノエルは、数多くいる家臣のうちの一人に過ぎないはずだ。何をそんなに怒る? 俺は紅蓮一家の門を叩いたあいつの覚悟に応えるために、組織のためにあいつを使っている。てめえもあいつをボディーガードとして、自分の命を守るための駒にしてるんだろ? 俺とてめえの何が違うっていうんだ?」
悔しいけれど、わたしは一瞬、反論を躊躇ってしまった。わたしがいくらノエルを家族のように大切に思っていても、第三者から見れば、わたしは自分を守るために彼に命を懸けて護衛してもらっている立場だ。
若い男性の命を利用している、と思われても仕方のないことなのかもしれない。ならば、こいつらと何も変わらないのではと思ったからだ。
「違う。全然違う。あんたらはノエルの覚悟を自分たちに都合よく解釈して、いいように利用しているだけじゃん」
わたしの躊躇を一蹴するように、哉藍の指摘を真っ向から否定したのはケイだった。
「僕たちは、イチカ様のためなら死んでもいいと思っています。心から忠誠を誓っています。次期組長だかなんだか知りませんが、あなたの態度や言動から察するに、あなたは紅蓮一家という組織の中で構成員に忠誠を強制しているでしょう? あなたみたいな小物とイチカ様を一緒にしないでくださいませんか?」
ケイに続いて、タカヒトもわたしと哉藍は違うと断言してくれたことで、大きな勇気と自信をもらえた。
ふたりの力強い言葉と信頼を寄せてくれる瞳に背中を押されたわたしは、今日ここにやって来た目的を堂々と告げた。
「単刀直入に言わせてもらう。エフィア……つまり、わたしの左目をくれてやるから、ノエルを紅蓮一家から脱退させろ。ノエルを解放し、自由にしてやることがわたしの望みだ」
予想外の提案だったのか、哉藍の細い目がわずかに見開かれた。室内にいた紅蓮一家の構成員も動揺からかざわつき始めたが、哉藍は彼らを黙らせてから腕を組んだ。
「……俺たちにとっては破格の条件だな。逆に疑わしさすら覚える」
「人を金とか価値とか条件でしか判断できない連中には、わからないだろうね」
哉藍はしばらく口を開かず、じっと、わたしの思考を読もうとするかのごとく、真正面から気色の悪い眼差しを向けてきた。欲にまみれたその目から視線を逸らすことのなかったわたしと奴との間に流れる独特の緊張感の中で、先に声を発したのは哉藍だった。
「……わかった、その条件を呑もう。交渉は成立だ」
だが、その言葉とは裏腹に、わたしの周りを紅蓮一家の構成員が囲んだ。タカヒトとケイが応戦体勢を取る中で、わたしは静かに哉藍に問いかけた。
「交渉が成立したとは到底思えない行動だけど、どういうつもり?」
「イチノセ・イチカ。悪いが、拘束させてもらう。……てめえの眼球は今の琥珀色でも十分すぎる程の価値があるのはわかっている。だが、俺が欲しいのはエフィアという名に相応しい、金色に変化した完全体なんだよ。……ヤク漬けにしてでも、強制的に色を変えさせる」
こいつは現組長に認められたくて、より大きな功績を欲しがっている若頭だ。強硬手段を取ってくることは予想範囲内だったとはいえ、どこまでも強欲で果てしなく馬鹿な奴であると実感したわたしは、呆れから大きく溜息を吐いた。
ノエルを解放するつもりがないのなら、もうこいつに用はない。
「――約束を違えたな?」
わたしがそう口にした瞬間、室内にいた哉藍を除く紅蓮一家の連中は全員、右腕から血を噴出させた。
どこに身を隠しているのかもわからない、正確に右腕だけを貫く何人もの狙撃手の存在に慄き、痛みに顔を歪めながら戸惑う間抜けが大半。狙撃されてもなお攻撃の意思を緩めない根性のある輩が数人だ。
世界有数の犯罪組織とはいえ、異常事態に対しての対応能力はこんなものかと観察していると、すべての構成員は同じように頭を吹き飛ばされて、結局皆一様の姿になった。
紅蓮一家の中で唯一生かされた哉藍は、動揺と恐怖からか、誰が見ても紅蓮一家の将来はないと確信できる情けない顔をしていた。
「哉藍。おまえは本当に出来の悪い脳味噌をしている。わたしに手を出そうとするなら、表も裏も関係なく世界中の機関がおまえたちの敵になると……親切に忠告しておいただろ」
タカヒトが所属している警視庁の精鋭に、ケイが所属しているハイザカイの幹部。その他、錚々たる組織の面子およそ一六十人に、この家と周囲に潜伏し、わたしの合図一つで発砲するよう指示を出している。
最初に右腕を狙ったのは、ケイが撃たれた箇所と同じ場所に痛みを与えてやりたいという、わたしの自己中心的な我儘によるものだ。
「おまえの仲間を始末した皆は、組織ごとわたしに手を貸すと言っている。ああ、言っておくが今日この場にいない多くの組織とも、わたしの味方になるという協定を結んだぞ。さあ、どうする? おまえの親父の代で紅蓮一家を終わりにするか?」
紅蓮一家とはいえども、世界中の反社会的組織と警察、そして国家を敵に回せば、潰される以外の未来はない。
哉藍はわたしを指差しながら、みっともなく叫んだ。
「そっ……そんなハッタリが通用すると思うか⁉ いくらてめえがエフィアの所有者だからといって、世界中の組織が協力する理由なんてないはずだ!」
「理由ならある。今ここで無事にノエルを取り戻すことができたなら、協力してくれた組織にはわたしが成人するまで月に一度、わたしの右目を賭けたゲームの参加権を与えることになっている。本人の許可を得て堂々とエフィアを狙えるんだ。オイシイ話だと思わない?」
「ばっ……馬鹿かてめえは⁉ 自分から身を危険に晒してまで、手下のひとりを手元に置いておきたいっていうのか⁉ エフィアよりも、命よりも、たかがボディーガードのガキの方が大事だとでも言うのかよ⁉」
「さっきからそう言っているだろ? 早く返事を寄越せ。わたしの左目と引き換えに大人しくノエルを引き渡すのか。それとも、わたしを拘束しようとして八つ裂きにされるのか」
使えるものは自分自身であれ利用する。たとえ命が危険に晒されたとしても、家族を助けられるのならば惜しくはなかった。
そんなわたしを異常者とでも捉えたのだろうか。哉藍は顔を引きつらせながら、怯えた目でわたしを見ていた。
「……自分から死にたがっているとしか思えねえ……頭がおかしいんじゃねえのか?」
「紅蓮一家の次期組長にそう言ってもらえるなんて、光栄だね」
わざとらしく口元に笑みを浮かべて見せると、紅蓮一家の若頭である男の顔は、その組織名とは正反対に真っ青になっていた。
わたしが立ち上がると、哉藍はソファーに座ったまま後ずさりを試みた。相当焦っているのだろうか、あるいは腰でも抜けているのか。この場にいる味方が全員消えてしまった今、こいつにできることなんて何もない。まあ、惨めな姿を見ても微塵も同情する気はないけれど。
ゆっくりと近づいていくと、哉藍は胸ポケットから銃を取り出した。どこまでも予想通りすぎる行動に、落胆する。紅蓮一家は遠くない未来に、解体されるだろう。
「誰に向かって銃口、向けてんの?」
銃を構える哉藍の右肘を押さえ込みながら、人差し指を関節とは反対方向に折り曲げる。あっさりと銃を落とした挙句の、小さい悲鳴が鬱陶しい。そのまま奴の顔面に真っ直ぐ拳を入れておく。
いつも守ってもらう立場だといっても、必要最低限の護身術と武術は幼い頃から叩き込まれてきた。複数で取り囲まれたり裏をかかれて連携されたりすればまあ太刀打ちはできないけれど、腰の引けている大人ひとり相手だったら、負ける理由は一つもない。
思いっきり鼻に当ててしまったせいか、派手に鼻血が出ていた。哉藍の高そうなシャツもスーツも汚い血で汚れたのを見下ろしたわたしは、右手で奴の頬に触れた。
「二度とわたしと家族の前に、腐ったその顔を見せるな。いいな?」
優しく、笑って忠告したつもりだったけれど。
指先から伝わってくる哉藍の体は、小さく震えていた。




