イチノセ・イチカ 4-➁ 交渉
チャンズ国際空港内を歩いていると、携帯電話を片手に持ったタカヒトに問われた。
「イチカ様。予想通り、コノエ・リュウゲンから謝罪と釈明をさせてほしいとの連絡が来ていますが……どうされますか?」
「突っぱねていいよ。ケイに対して下衆な発言をしたんだ。今後一切、わたしは関わるつもりはない」
わたしと見合いをするという名目でエフィアを狙ってくるのはよくある話だから許容できるが、ケイに対して気色の悪い奸計を巡らせていたことはわたしの逆鱗に触れた。イチノセ家の権力を存分に利用して、コノエ家の社会的立場を即座に陥れたのだ。
やり方は至ってシンプルで、大したことはしていない。コノエ家は暴力団と繋がりがあったとメディアで大々的に報道させただけだ。
西で強い権力を持つ名家だったコノエ家は、一夜にして世間から叩かれる悪党に成り下がった。しばらくは輝かしい生活に戻れることはないだろう。
これまでだったら警察やメディアはコノエ家を守ってくれただろうけれど、今は世界中からそっぽを向かれて完全に孤立している。だからと言って、今更泣きを入れたところでもう遅い。コノエ・リュウゲンには、自分の犯した罪を死ぬまで反省してほしい。
「かしこまりました。しかしながら、リュウゲン氏はともかく、イチカ様がリョウキ様に対しても温情を与えなかったのは意外でした。……コノエ家は漏れなく全員、非難の対象になっています。いつもだったら、ただ巻き込まれただけの人に対しては、救いの手を差し伸べていらっしゃったのに」
「彼がリュウゲンに利用されただけの完全な被害者だったら、なんとかしたよ。まあ、これからコノエ家が本当に凋落するのか、這い上がってくるのかはわたしの知ったところじゃないけれど……案外、リョウキさんはしっかりしているから、当主が彼に代わったら風向きが変わるんじゃないかな」
リョウキさんは確かに、育ちの良い青年だった。だが手塩に掛けて育てられた箱入り息子、という「演技」をしていたことをわたしは見抜いている。
本当の箱入り息子だったなら、たとえリュウゲンから計画の全容を事前に知らされていたとしても、襲撃の隙を突いて声も出さずに冷静に避難できるだろうか。そもそも、肝の据わっていない青年をわたしを釣る餌にするはずがないのだ。
「終わった話はもういいよ。それより、これからのことを考えよう。タカヒト、ケイ、わかっているとは思うけれど、今この時間も一瞬たりとも気を抜くな。また皆で食卓を囲むために、全力を尽くそう」
「「承知いたしました」」
その返事を最後に、わたしたちは空港まで迎えにきていた紅蓮一家の構成員と合流して、彼らが手配していたベンツに乗り込んだ。
車窓から外の景色を眺めつつ、拳を握り締めた。一刻も早くノエルを取り戻したいという気持ちだけが先走って、頭に血が上っていては何も成すことはできない。
すべてのしがらみをなくしてノエルを自由にしてやるためには、ライネ家にノエルの解放を説く前に、まずは紅蓮一家から彼を脱退させる必要がある。いわゆる「筋を通す」ってやつだ。
だから今からわたしたちが向かうのは、紅蓮一家の本拠地だ。
◇
本部に到着したことを告げられたわたしは、首元までブラウスのボタンが締まっていることを確認してから車を降りた。
往訪前にコンタクトを取った相手は紅蓮一家の執行幹部の一人だったが、わたしと交渉のテーブルに着くのは、次期組長の若頭である郭哉藍だ。
十七歳のわたしが言うのもおかしいとは思うが、哉藍はまだ三十歳で、巨大な組織をまとめるには少々若すぎると言われる年齢だ。現組長相手に話をするよりは有利に進めやすいだろうけれど、若さゆえに血の気が多いことも予想される。
わたしの命運がどう転がっていくのか、誰も知る由はない。
「この事務所内の至る所に、並々ならぬ実力者が配置されていますが……僕とケイが必ずお守りいたしますので、ご安心を」
「ありがとうタカヒト。それにしても、顔を見る人みんなが、欲望丸出しの顔をしているね。能ある鷹は爪を隠すっていうのは、アズワノだけの諺なのかな」
エフィアが自分からのこのことホームにやって来たのだから、紅蓮一家の連中からしてみれば格好の獲物でしかないだろう。剥き出しのぎらついた欲を肌に受けながら、広々とした客間に案内されたわたしたちは、建前上は客人として丁寧な扱いを受けた。
「若旦那が戻られたようです。迎えに行って参りますので、少々お待ちください」
そう言って、わたしを接待していた幹部が途中で席を立ったときを見計らい、ケイが小声で不満を口にした。
「こっちが出向いているのに、郭哉藍は外出していて遅れてくるだなんて……舐めた真似してくれますよね」
「向こうはわたしがノエルを取り戻したいって目的を知っているから、こっちが下手に出るべきだと思ってる。まあ、マウントを取りたいんでしょ」
早くも郭哉藍がどういう男かは大体察しがついた。ある意味、やりやすい相手かもしれないと思っていると、
「遠路はるばるようこそ、イチカさん。ノエル・ライネ・アムロの素性を知って、余程お怒りと見える」
遅れて来たことに対しての詫びなど一言もなく、哉藍は横柄な物言いで部屋に入ってきた。
哉藍はあくまでチャンズ語で話を進める気だ。馴れ馴れしく名前呼びされたのも癪に障る。だがまあ、そちらの要望にはあえて従うが、へりくだるつもりは全くない。
「怒ってなんかいませんよ。ただ、お伝えしているようにわたしはノエルのボディーガードとしての能力をとても高く買っておりますので、そちらから引き抜きたいだけです」
哉藍はわたしの対面に座り、喫煙の許可を取ることもなく葉巻を燻らせ始めた。
「流暢なチャンズ語を話すのだな。さすがは世界七璃の一人だ、語学にも堪能とは」
「大国であるチャンズの言語を身につけておくのは当然ですよ。もちろんわたしだけではなく、彼らも話せます」
タカヒトとケイに視線を送った。言葉がわからないだろうと高を括って、こそこそとふたりを傷付けるような陰口を叩く真似を未然に防ぐためだ。
彼らは顔に出さないように努めていたが、哉藍相手にすこぶる気分を害しているようだった。プロ意識が高いから心配いらないとは思うが、この交渉が終わるまでは牙を剥かないように気をつけてほしいところだ。
煙を大きく吸い込んだ哉藍は、ゆっくりと吐き出した。
「そうか。では通訳はいらないな。互いに忙しい身分だということも考慮して、早速本題に入るとしよう」
葉巻の火を消した哉藍が背もたれに寄りかかったタイミングで、わたしは穏やかに話しかけた。
「その前に、一つ約束してもらいます。今からわたしが何を言おうとも、わたしたちに手を出すことは許しません。わたしたちと、そして……ノエルに危害を加えた瞬間に、表も裏も関係なく、世界中のあらゆる組織があなた方の敵になると思ってください」
哉藍も、彼以外の構成員たちも皆一様に唖然とした後、馬鹿にしたように笑った。
「ははっ、なかなか面白いことを言うな。前もって強気に出ておけば、交渉が有利に進むと思ったか? エフィアの所有者とはいえ、所詮は世間知らずのガキだな。そんな脅しに屈するようなら、マフィアなんてやってねえんだよ」
「わたしがなんの覚悟も持たないでここにいると思っている阿呆が次期組長なら、紅蓮一家の未来はなかなか暗いですね」
わたしの急な態度の変化に哉藍は眉を顰め、室内には殺伐とした空気が張り詰めた。




