ケイ 2-① 救出
コノエ家に残ったケイとタカヒトは、逃走したイチカとノエルを銀蛇団が容易く追えないように彼らの車やバイクのタイヤに穴を開けて追跡手段を絶った後で、広大なコノエ家を二手に分かれて、残った構成員の足止め任務に当たっていた。
コノエ家が銀蛇団とグルだったことには驚かされたが、それでもケイは目の前の戦況を冷静に判断し、適確に動いている自信はある。たった今始末したばかりの足元に転がる死体を一瞥して、壁の向こう側で息を潜めている人数を計算しながら弾を装填した。
銀蛇団といえば知名度の高い犯罪組織だが、この場にいる構成員は人数こそ多いものの、一人ひとりの実力は大したことはない。余程の腕利きでもない限り、ケイの息の根を止めることはできないだろう。
足止めよりもこの家に残る関係者を殲滅させることの方が遥かに容易だが、現在ケイに出されているのは「イチノセ・イチカをこの場から逃がし、コノエ・リュウゲンを捕虜として連れて帰る」という指令である。
騒動の根源であるリュウゲンの首を取ってとっとと終わらせてしまいたいけれど、今後のイチノセ家とコノエ家との関係を考えれば、勝手な真似をするわけにはいかないだろう。
有象無象を蹴散らしながらリュウゲンを捕えるために家の中を探索していると、三階がやけに騒がしいことが気になった。タカヒトが暴れているのだろうか。彼が簡単に殺られるとは思えないし放っておこうと思ったケイだったが、一度足をとめた。
タカヒトは馬鹿ではないし腕も立つが、優しすぎるきらいがある。たとえばリョウキを盾にされたら、きっと無抵抗のまま殺されてしまうだろう。不安になったケイはタカヒトと合流するために、階段を駆け上がっていった。
「はようエフィアを捕まえてこいや! たったふたりのガキに足止めされるなんて情けなくないんか⁉」
階段を登りきると廊下を歩きながら物に当たり散らすリュウゲンの姿が目に入り、近くの部屋の中に隠れた。リュウゲンが花瓶を割ったり壁を殴ったり、銀蛇団の連中を怒鳴りつけていることが騒音の原因だったようだ。
この様子から察するに、コノエ家は銀蛇団と手を組んだというより、銀蛇団を金で雇ったと表現した方が正しそうだ。傭兵だから平気で罵倒しているのだろうが、銀蛇団に対して舐めた応対をすれば必ず報復が待っている。リュウゲンは怖いもの知らずの大物か、無知すぎる馬鹿か。十中八九後者だろうけれど。
廊下を歩くリュウゲンの怒気に満ちた声が段々と近づいてきた。
「チッ! ホンマ面倒なことになったで! こんなことになるなら、ハイザカイに金なんか払わんかったわ!」
決して看過できない単語を耳にし、ケイは動けなくなった。リュウゲンの隣にいた黒縁眼鏡の男が窘めるように、
「銀蛇団の仲介をしたハイザカイに支払った金も、襲撃のために銀蛇団に支払った金も安くはありませんでしたが、各組織とパイプができただけでもよしとしましょう。それより……ハイザカイが売ろうとしているケイという男、写真以上に器量が良いですね。戦士としての腕も確かです。エフィアに逃げられたのは残念でしたが、彼に関しては奴らの売り文句ではなく本当に逸品だと確認できたことは、収穫と言っていいのではありませんか?」
「……まあ、せやな。男の件は話半分に聞いとったが、割とええな。オークションにかけたらいくら入るやろか」
気色の悪い厭な笑みを浮かべるリュウゲンを見て、黒縁眼鏡は口角を上げた。
「銀蛇団がエフィアの襲撃に失敗しても、エフィアを守るボディーガードとしての実力をアピールする好機と考えて営業を怠らないとは、ハイザカイも頭が回りますね。早速、連絡をしておきます」
次第に彼らの話し声も足音も遠ざかっていったが、ケイはその場に座り込んで動けなくなってしまった。だが、いくら精神にダメージを受けようとも、敵陣地にいるときに思考回路を切断するなんて愚行は絶対にやってはならない、戦闘における常識だ。
乱れる脈拍を整えるために、静かに深呼吸を試みた。今の会話を反芻し、整理してみる。
コノエ・リュウゲンはエフィアを手に入れたかったが、強奪するにも自陣にはイチノセ家の護衛を上回る駒は持っていなかった。そこで、権力者と懇意にするやり方で金を集めることを得意とするハイザカイに依頼し、銀蛇団の紹介を受けたのだろう。
そうして後ろ盾を得たリュウゲンが舌なめずりをしてイチノセ家に息子との見合いを持ちかけ、接触を図ったということか。
銀蛇団の襲撃が成功すればハイザカイに報酬は多く入り、失敗してもケイのアピールの成功となって、高く売り飛ばせる算段というわけだ。さすがボス、賢いやり方だ。
ケイは天井を見上げた。早くタカヒトと合流して、リュウゲンを捕まえてこの家を出ようと思っているのに足が動かない。
幼い頃、ケイは人身売買によってハイザカイに買われている。詐欺グループである彼らの下で成長したケイは、汚い欲望と嘘にまみれた大人を見て育ってきたし、人は裏切るものだと教育を受けてきた。イチカのボディーガード兼、エフィアの奪取任務という裏切り前提の任務だって、良心になんの呵責も覚えずに拝命した。
それなのにどうしてだろう。育ての親であるハイザカイの組長に売られたという、たったそれだけのケイにとっては「当たり前」のことなのに、泣きそうになっている自分を情けなく思った。
「……イチカ様の顔が、見たいなあ……」
無意識に呟いた言葉で、ケイは自分の気持ちに気づいて手のひらで顔を覆った。
イチカの声が聞きたい。イチカの手料理が食べたい。イチカの肌に触れたい。
原始的で本能的な欲望は、ケイに立ち上がらせる力を与えた。こんなモチベーションで行動するなんて、今までなら考えられなかった。一年前のケイが今のケイを見たら、鼻で笑うだろう。
それでも、涙を袖で雑に拭って走り出すケイの足は、何かの枷から外れたかのようだった。銃口を向けてきた銀蛇団の連中を薙ぎ倒し、リュウゲンを捕えるべく戦場を駆けていく。
寝室の大きなベッドに身を隠して装填していると、タカヒトが部屋に入ってきて期せずして合流に成功した。
「ケイか。良かった、探していたんだ。……特に目立った外傷はなさそうだな」
「なあタカヒト、すごくムカつくことがあったからさー、リュウゲンはオレが甚振ってもいい?」
心の中を見透かされないようにわざとらしく明るい声音を出すと、タカヒトはじっとケイを見据えた後で小さく息を吐いた。
「……何があったのかは詮索しないけど、許可することはできない。リュウゲンは一旦放っておく。今すぐにここを出る理由ができた」
「えー、なんで? 殺すわけじゃないよ? まずい事情でもあるの?」
「あんな奴は後からなんとでもなるからだ。今は一刻も早く、イチカ様を救出することが最優先だ」
たった二文字の単語だったが、ケイの心は大いにかき乱された。
「救出? ……まさか、ノエルがしくったってこと?」
タカヒトは自分の感情を必死に押し殺すかのように、不自然なほどの無表情で告げた。
「……落ち着いて聞いてくれ。たった今、警視庁から連絡が入った。……ノエルは民間警備会社S・P・F所属じゃなかった。彼は……世界的犯罪組織、紅蓮一家の一員で……今日、イチカ様の瞳を強奪する可能性が高いらしい」
血の気が引くとはまさにこのことだ。体は冷たくなりつつあるのに鼓動だけが早いケイの心臓が、悲鳴を上げていた。
「……つまり……今、イチカ様は……!」
「ああ、急ごう」
イチカの命を狙う犯人と、ふたりきりというわけだ。
一も二もなく外に飛び出して、タカヒトが独自のルートで手配していた車に乗り込んだ。追走してくる銀蛇団を散弾銃で追っ払い車がコノエ家の敷地を出たあたりで、焦る気持ちを抑えきれずに苦しさから胸を押さえた。




