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イチノセ・イチカ 3-③ 無礼

 わたしは人生の中で最も強い怒りを抱いていた。


 子どもに重すぎる期待をかけて、自分たちは静観を決め込んでいるノエルの家族にも、ノエル個人の尊厳をないがしろにして自由を奪うライネ一族にも、彼の待遇に付け込んで彼を道具のように使う紅蓮一家にも、全部に腸が煮えくり返っていた。


「家族」という単語は鎖じゃない。拠り所であるべきだと、どこまでも理想に拘り続けてきたわたしは信じて疑っていないのだ。


「ノエル、おまえの家族はわたしとタカヒトとケイだ! わたしたち以外の言うことなんて聞かなくていい!」


 自分勝手な命令をくだされたノエルは無言のまま、大きな瞳から一筋の涙を零した。普段はクールで真面目なノエルの知らない顔を、今日一日でたくさん見た気がする。


 その一つひとつにわたしの心が揺さぶられているのは、きっと気のせいではないだろう。


「……先程、『家族ごっこを強いてごめん』と、そう仰っていませんでしたか……?」


「……ごめん、前言撤回! おまえたちは『ごっこ』じゃなくて、わたしの家族だ! だから文句の一つや二つ言ったっていいの!」


 ノエルはわたしの暴論を聞いて、涙ぐみながら微笑んだ。


 生まれながらに過酷な運命を背負わされ、自分を傷つける手段でしか解決方法を見つけられなかったこの不器用な青年を、解放させてあげたいと心から思った。


「ノエルが自由になれるなら、わたしが直接ライネ氏の元まで赴いてこの目を差し出してやる。国際問題になる? 紅蓮一家はどうする? 知るか。両方ともわたしが話をつけるから、まずはわたしをライネ氏のところに連れていけ」


 雇い主という立場を利用してここぞとばかりに命令した。嫌われるのも当然の行為かもしれないが、強引にでも動かない限り、彼の運命を変えることなんてできやしない。


「イチカ様……私を、許してくださるのですか? こんな、ひどい裏切りをした私を……」


「許すもなにも、わたしは最初からノエルに怒ってなんかいない。いいから早く言うことをきけ。逆らう権利はない」


「……あなたに仕えたばかりの頃の私だったら、喜んでそのお話に乗ったと思います。……ですが、もうダメなのです……もう、あの頃の私には戻れません……」


 言葉にして伝えようとしてもノエルには届かず、彼はいつまでも申し訳なさそうに俯くだけだ。


 ――どうすれば伝わる? 言葉を聞き入れてもらえないならもう、行動で示すしかないだろう。


 折れた骨の痛みなんかすっかり忘れて、ノエルを真正面から思い切り抱き締めた。だから彼が今、どんな顔をしているのかはわからない。


 ただ、いつもはわたしを守ってくれる鍛え上げられた強靭なしなやかさを持った体は、温かく強い鼓動を打っていて、首の後ろから興奮がせり上がってきた。


 ノエルを心底大切に想っているからこそ抱き締めたはずなのに、もっとノエルに触れたいという欲望を抑えられないという矛盾した感情を抱く羽目になった。


 ドアの向こう側から聞こえてくる騒音に、ノエルの体がびくりと震えた。どうやら、紅蓮一家の連中がこの部屋の周りに集結し始めたようだ。


「……この任務は、失敗してしまいました……」


 わたしの腕の中でそう呟いたノエルは、そっと腕の拘束から逃れた。


「……いくら仕事だからといって、あなたのことを知ろうとするんじゃなかった。あなたと一緒に過ごす時間なんて、少ない方が良かった……」


 告げられた言葉に胸が激しく痛んだ。自分勝手なわたしに嫌気が差していたであろう彼の意思を無視して強引に抱き締めたことで、今まで以上に輪をかけて嫌われてしまったに違いない。


 大切に想っている人に嫌われるのは、過去に受けてきたどんな暴力よりも堪えた。だけど、傷ついている場合ではない。わたしはどんな手を使ってでもノエルを自由にしてやりたいのだ。


 紅蓮一家が侵入してくる前に何か別の手段を考えなくてはと焦っていると、ノエルはわたしの手をとった。


「――好きです、イチカ様。生まれてから今日、この日まで……私が心から愛しいと思えた人は、あなただけです」


 外は騒がしいのに、わたしとノエルの間だけ時間が停止したように感じた。


 それはまるで予想できなかった、ノエルからの直球の告白だった。


「自分の中にこんな気持ちがあったなんて、知りませんでした。ろくな思い出のない人生ですが、愛を知らないまま死んでいく懸念がなくなったことは、幸せだと思います。ありがとうございます。イチカ様のおかげです」


 心臓の音が大きくなり、体が熱を帯びていく。わたしは世界七璃という立場からか、今まで男性から好意を告げられたことは少なくない。


 だけど、たとえお相手がどれだけ美しい容姿をしていても、由緒ある家柄でも、一度たりとも惹かれたことはなかった。


 だが今は違う。わたしは初めて抱く感情に戸惑いながらも、ノエルが伝えてくれた好意に対して決して悪い意味ではない胸の締め付けを感じていた。


 もしこの感情が恋だというのなら、わたしは――。


「ノエル、わたしは……」


 わたしの唇は、ノエルの人差し指によって塞がれてしまった。その先の言葉を禁止されたことが不服で、もう一度仕切り直そうとノエルの手を握り直すと、彼の指先は冷たく震えていた。


「……イチカ様……最後の無礼をどうか、お許しください」


 どうやらわたしは、ノエルの思惑を察するのが遅すぎたようだ。


 ボディーガードとして鍛錬を重ねている彼に、身体能力で敵うはずもない。首を絞められたわたしは必死の抵抗もむなしく、あっという間に意識を手放してしまったのだった。

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