イチノセ・イチカ 3-➁ 家族
「ごめんねノエル。わたしが家族ごっこを強いてしまったせいで、任務がやりづらかったでしょ? 淡々と業務をこなしているだけだったなら、おまえは今、こんなに泣きそうな顔をしていないはずだし」
顔面蒼白で閉口したままのノエルの頭を優しく撫でると、彼は混乱と恐怖の入り混じった瞳でわたしを見ていた。
「……なにを、言っているのですか……? なぜ、イチカ様が謝るのですか……!」
「言葉通りの意味だよ。恨んでくれていい。わたしは家族が欲しかったっていう自分本位の理由だけで、皆に無理させてしまったから。だから……」
わたしは自分の左目を指差し、告げた。
「もう一度言う。この目はノエルにあげるよ。でも、片方で勘弁してくれる?」
奇妙な静寂が室内を包む。眼前の青年は言葉の意味を理解していないのか、微動だにしなかった。
「ノエル? 聞いてる? 色が変わってからの方が良かっただろうけど、今すぐ必要なんでしょう? ……わかった。おまえがやらないなら、わたしが抉り出す。ちょっと待ってて」
片目を抉るくらいなら死にはしないと、戦争の際に右目を盗られて隻眼になった高祖母が証明しているから大丈夫だろう。
ひと思いにやってしまおうと息を止め、素手で左手の爪を目玉の周辺にあてがったとき、ノエルがわたしの手首を掴んだ。
「や、やめてください! わ、私、私は……!」
ずっと欲しがっていたものを差し出すと言っているのに、ノエルは喜ぶどころか苦悶に満ちた表情を浮かべていた。
「ノエルは優しいから、わたしが隻眼になることを心苦しく思っているんでしょ? 気にしなくていい。これはわたしの贖罪でもあるから。さっきも言ったけど、おまえやタカヒト、ケイの手にこの目が渡るなら惜しくはない。タカヒトやケイからは『ノエルばかりずるい』なんて、文句を言われるかもしれないけれど」
現状ではノエルが一番切羽詰っていそうだし、早いもの勝ちという形で納得してもらえないだろうか。三人にわだかまりの残らない方法を考えていると、立ち上がったノエルは突然拳銃で室内の鏡をすべて撃って粉砕した。それから自分の携帯電話を窓の外に放り投げ、胸に手を当てて荒々しい呼吸を鎮めようと深呼吸していた。
「ノ、ノエル……? どうしたの?」
「……盗聴器は携帯電話に、監視カメラは鏡の中に隠されていたので破壊しました。これでようやく、私とイチカ様はふたりきりです。ただ……乗り込まれるのも時間の問題なので、手短に話します」
さっきまでの動揺していた青年と同一人物とは思えないほどに、ノエルは堂々と美しいブルーの瞳でわたしを見据えていた。
「……私は世界七璃の一人、アルベルト・ライネが強姦したアズワノ人の孫です。エフィア所有者の血が混じっているとはいえ、存在を隠されてきた私自身にはなんの権力もありませんし、祖母は被害者にもかかわらずアルベルトの正妻から疎まれ、ライネ家から随分虐げられてきたようです」
「……複雑な家庭環境で育った人間を採用したって、言ったでしょう? 知ってるよ」
アルベルト・ライネはセロフィン国内における二代前の当主で、今は八十歳を過ぎた翁だ。数年前に大きな病気をしてからはすっかり覇気がなくなったが、若い頃は随分遊んでいたと聞いたことがある。
ノエルの祖母は生まれた子どもを認知こそしてもらったものの、肩身の狭い生活を強いられたらしい。アルベルトの一時的な性欲でノエルの家族が背負わなくてもいい苦労をさせられたと思うと、途轍もない怒りが湧いてくる。
「国交を重視するアズワノ政府は、世界七璃であるアルベルトの犯罪を揉み消しました。それだけでも祖母にとっては辛すぎるというのに、アルベルトは堕胎を許しませんでした。なぜだかわかりますか?」
「……その理由が、今のノエルってこと?」
「はい。……私の家族は皆、アズワノ国が秘匿している技術や情報を持ち出すセロフィンのスパイです。私たちは決して逃げられないように、常にライネ一族に監視されて生きています。……ですから今日、私は殺されると思います」
「大丈夫だよ、わたしが守るから。紅蓮一家に所属しているのも、ライネ一族の命令?」
ノエルは小さくかぶりを振った。
「私の意思です。ライネの当主には、私が世界一の暴力団と悪名高い紅蓮一家に所属することで、裏社会とライネ氏を繋ぐ架け橋になるという名目を語り活動を許されておりますが、私の本当の目的は……アズワノのエフィアを献上することを条件に、私たち家族をライネ一族の支配から解放してもらうことだったのです」
ノエルに見つめられるわたしの目は、彼が生きやすくなるための希望だったらしい。
「紅蓮一家のメンバーになってからは、これまでの仕事よりも遥かに辛い訓練と任務をこなす日々でしたが……幸いにも、私には才能があったようです。それなりの評価を与えられましたし、希望通りエフィア――イチカ様の目を直接狙える任務に就くこともできました」
勇気を出して真実を告白しているノエルに対して、誠意ある態度で話を聞きたい。そう思っているのに、わたしは彼を取り巻く環境のすべてへの怒りで、体を焦がしてしまいそうだった。
幼い頃、どうせ長生きはできないと将来を悲観したわたしは、「怒り」という体力を消耗する感情を捨てたつもりだった。
だけどさっきから、ノエルが傷ついて苦しんできたことを想像しただけで、どんな言葉を使っても言い表せない怒りが溢れてくる。
顔に出ていたのだろう。理由はノエルの裏切りではないのに、誤解したノエルは申し訳なさそうに俯いた後、自虐を零した。
「私は、打算的で狡猾な男です。それでも、イチカ様は私を許してくれますか? 私にエフィアを渡す気になりますか? 家族だと思ってくれますか? ……いくらイチカ様がお優しく、私に呵責の気持ちがあると言っても、この話を聞いたうえで、今まで通り接するということは……」
「ノエルが紅蓮一家に入門したことを、家族は喜んでいるのか?」
これ以上の我慢はできなかった。わたしはノエルの言葉を遮るようにして、低い声を出していた。
「……そう、ですね。私がこの計画を相談したときには誰も反対しませんでしたし、同意しているものだと思います。誰かが何かしらのアクションを起こさなければ、現状を変えることなんて……ライネ一族から逃れることなんて、できませんから」
「ノエルが犠牲になることを『仕方ない』と思う連中なら、家族とは言わない!」
無意識のうちにノエルの肩を掴み、叫んでいた。




