ノエル 2-➁ 毒見
広すぎる会場内では、オーダーメイドだという高価な木製のダイニングテーブルが存在感を主張していた。リュウゲンの奥方とコーディネーターが相談して決めたという家具は一つひとつが美しく高級感があり、鑑定士であるイチカにそれらの価値を説かれてリュウゲンは鼻が高そうだった。
リュウゲンは余程自分に自信があるのか、社交辞令かもしれないだなんて発想には一切至らないらしい。その性格には少し呆れながらも、羨ましいとも思った。
「コノエ家で抱えている自慢の料理人に腕を振るわせたので、期待してくださいね。私たちは西の人間なので料理は本来薄味なのですが、イチカ様に合わせて東の味付けをベースに作らせました。気に入っていただけると思います」
女中達が配膳する様子を見ながら、イチカの対面に座ったリョウキが誇らしげに口にした。リョウキは西の訛りはあるものの、リュウゲンとは異なり標準語を使っていることから、イチカに合わせようとする健気な様子が伝わってくる。
「うわー、本当に美味しそうです!」
「イチカさん、イイ反応なさいますなあ。なんやこっちまでうれしくなりますわ」
リュウゲンもまた得意気に口角を上げた。だがいくら美味しそうな食事とはいえ、手配しているのはリュウゲンだ。可能であればイチカが口にする食べ物すべての毒見をしたいところだが、この場でそんな失礼な真似はできない。
こういう見合いや大事な会食ではノエルたちの食事はなく、イチカのために出された料理にも手を出せない。イチカの近くで、主人の身に何かあってもすぐに動けるように備えておくだけだ。
歯がゆさを感じている中、テーブルの上には彩り豊かな料理が並べられた。
「見た目だけでも楽しめるように趣向を凝らしておりますので、どうぞ存分に召し上がってください」
「ありがとうございます。頂きます」
イチカは爽やかな笑みを浮かべて、見るからに美味しそうな大振りの海老の天ぷらを口に入れた。だが、美味しそうに咀嚼していたイチカは表情を崩さないまま、「失礼」と言って折りたたんだナフキンにそっと天ぷらを吐き出した。
表情と行動がちぐはぐなイチカを、コノエ家側の人間は皆呆気に取られた様子で見つめていた。
――ノエルの緊張感は急激に高まる。すでに戦いの火蓋は、切って落とされている。
毒見ができない分、その判断はいつだってイチカの舌に委ねられている。イチカを心配しつつもノエルたちが毒見をしないことには、理由があった。
身を守るために、幼い頃からあらゆる薬や毒の知識を叩き込まれ、徹底的に舌と胃を鍛えられてきた彼女の毒見は、ボディーガードの誰よりも正確なのだった。
「ど、どうされましたか? お口に合いませんでしたか……?」
リョウキが心配そうに問いかけている。イチカの行動の意味をわかっているノエルたち三人はアイコンタクトを取り、いつでも動けるように構えを少しだけ変えた。
張り詰めた空気の中で、イチカはふわりと微笑んだ。
「この天ぷら、眠剤が入っていますよね?」
ノエルたち三人はイチカを囲うようにして立ち、視線と殺気でコノエ側の人間に威嚇をした。温厚な関係でいる間は動けなくとも、明確な敵意を向けられれば、護衛としての任務を果たすほかない。
リュウゲンは不快感を隠そうともせず、露骨に眉間に皺を寄せていた。
「……何を失礼なことを言うてますのやら。証拠もないって言うのに」
「証拠、ですか……すみませんが今この場で提示はできません。無礼な真似をしてしまったので、今回の縁談の話はなかったことにしてください。リョウキさん、申し訳ございません」
イチカが一礼して立ち上がった、そのときだった。明らかに訓練された動きの武装した男が何人も部屋に入ってきて、あっという間にイチカたちを取り囲んだ。
「武力行使をなさるおつもりなら、こちらも徹底的に抗戦いたしますが……」
イチカの忠告を完全に無視し、リュウゲンはただ黙してイチカを見ていた。
武装集団が入室する際のどさくさに紛れて、愛息だけは避難させる用意周到ぶりを見せておきながら、白を切れるなど彼自身も考えてはいないはずだ。
「武力行使なんて、とんでもあらしません。ただね、ほんの少し……その目を、エフィアをじっくり見させてほしいだけなんですわ」
「ご存じだとは思いますけど、わたしの目に手を出そうとすれば罰せられることが法律で定められています。代々続くコノエ家の名前を汚したくないのであれば、このまま手を引いてくださるのが賢明な判断だと思いますよ」
リュウゲンから目を逸らさずに受け答えをしているイチカは、とても十七歳には見えない。身の危険に晒されながらも冷静でいられるなんて、大した度胸だ。
「ご忠告痛み入るわ。でもなあ……それはあくまで、表社会での話やろ?」
薄汚い笑顔を見せつけられたのと同時に、イチカたちを取り囲んでいた武装集団は一斉に銃口を向けてきた。
彼らの拳銃は皆、USSRマカロフだ。銀蛇団が密売に関わり愛用しているとされる拳銃であることから、彼らはおそらく銀蛇団のメンバーだろう。コノエ・リュウゲンは犯罪組織の一つ、銀蛇団と密な関係にあるということか。
コノエ家が裏で悪事を働いていようが、ノエルには関係がない。だけど今、ノエルはリュウゲンに対して明確に憤怒の念を抱いている。
「リュウゲン氏に尋ねたいことがあります。せめてリョウキ様には、銀蛇団と繋がりがあることを隠せなかったのですか? ご子息の身も危険に晒すような真似は、父親としてどうかと思いますが」
ノエルは口にしてから、自分が抱いている怒りの正体に気がついた。この怒りには、自分の父親に対する非難が含まれているのだと。
「綺麗事ばかり言うてたらな、家なんて簡単に潰れるわ。これからの時代、子どもだって強く逞しくないとあかんのや。リョウキだってそこんところは理解してるで。あんたらもそんな仕事をしてるんや、ようわかっとるやろ?」
リュウゲンの舐め回すような不躾な視線がとても不快で、きつく睨みつけた。
「欲のために反社会的組織と平気でつるむあなたと、一緒にしないでください」
ここまで無礼な口を叩いても、イチカはノエルを咎めなかった。何も言わずともノエルの意思を尊重してくれる静かな優しさに胸中で感謝しながら、息を吸った。
「――イチカ様!」
リュウゲンの呼吸を読み、彼の体から力が抜けた一瞬の隙を突いて、ノエルはイチカの手を引きながら胸元から銃を取り出して窓ガラスに発砲した。
大きな破砕音が宴会場に響き渡り、その音を合図に銀蛇団も発砲を開始した。だが彼らの銃弾はケイがテーブルを倒して作った盾のおかげで一発も当たることのないまま、ノエルとイチカは粉々になった窓へ向かって一直線に走った。
イチカとノエルの脱出を食い止めようと銀蛇団の連中が発砲しながら追いかけてきたものの、銃弾が肌を掠める気配はない。一度も振り返らずに走るノエルには戦況の詳細はわからないが、タカヒトとケイがイチカを逃がすために奮闘してくれているのだ。
裏任務に関してはライバル同士であるとはいえ、ノエルはふたりの戦闘力においては今や100パーセントの信頼を置いている。
銃声の響く室内を全力で走り、行く手を塞ぐ連中を撃ってイチカの手をより強く引いた。
「行きます!」
ここは一階だし命に関わる怪我をすることはないと踏んだが、銃弾で粉砕した窓ガラスに安全性は皆無だ。ノエルは細心の注意を払ってイチカを抱きながら、窓枠を蹴飛ばして戦場からの退散を決め込んだ。




