ノエル 2-① 到着
「今日見合いがあることをすっかり忘れてたからさ、昨日はケイに助けられたんだ。ニンニクたっぷりの餃子を食べる前に止めてくれたんだよ」
「お見合い前日の夜にニンニクを食べるなんて、いくらイチカ様でも許されませんからね! ……っていうか、それは建前です。本音としては、この密室空間にニンニク臭を充満させたくなかったので!」
イチカとケイのやり取りを聞きながら、ノエルは小さく溜息を吐いた。
今日、イチカは西の名家で生まれ育った令息――コノエ・リョウキと見合いをするために、プライベートジェットでコノエ家の自宅に向かって移動している。
忙しいイチカに移動の手間を取らせるコノエ家に苛立ちを覚えていたノエルは、三度目になる抗議を申し立てた。
「やはり、納得いきません。この見合いは先方からのたっての希望と伺っております。それなのになぜわざわざイチカ様がコノエ家まで出向かわなければならないのですか? 見合いに相応しい高級店なら、こちらでいくらでも用意できます。今からでも手配いたしましょうか?」
「前にも説明したでしょ? リョウキさんはお体が少し弱いらしくて、遠出は負担がかかるんだよ。別に、わたしは下に見られているとか舐められているとか思ってないから、そんなカリカリしないで」
イチカは笑いながらそう言ったが、仮に見合いが上手くいって婚姻が成立したとしても、病弱な箱入り令息に激務のイチカを支えられるとも思えない。
それにイチノセ家と婚姻を結ぶことがいくらコノエ家にとってメリットになるとしても、常に命を狙われる立場にあるイチカに、溺愛している一人息子を嫁がせたいと思うだろうか。
この見合い話を無理に押し込んできたという、コノエ家当主――コノエ・リュウゲンにきな臭さを感じる。ノエルの懸念はタカヒトとケイも同様に抱いたらしく、三人はアイコンタクトを取りつつ警戒心を強めた。
事前に情報を仕入れていたとはいえ、コノエ家に到着したノエルは思わず息を洩らした。
コノエ家はとにかく広大で、敷地内でも車移動が必須だった。これだけの広さならば罠も仕掛け放題、人員も配置し放題だ。どこから銃口を向けられているか油断ならないので、周囲の状況に常に目を光らせ、一秒たりとも気を抜くことは許されないだろう。
リュウゲン氏が手配したハイヤーの運転手が言うには、コノエ家は歴史ある家だが家屋自体は老朽化が進んでいたため、最近建て替えをしたという。黒い外壁がモダンな新築は大層立派なものだったが、ノエルの懸念は一つだ。
――今日のために、家を防音・防弾仕様に造り変えたのではないだろうか?
敵陣にわざわざ乗り込んでいくような悔しさと緊張感を抱きながら、敷地面積も含めたらイチノセ家よりも大きいコノエ家の本邸に足を踏み入れた。
使用人に案内されながら、ようやく当主が待つ客間に到着した。
「よう来てくれはったなあ、イチノセさん! お会いできて光栄ですわ!」
写真で見るよりもっと油っぽい肌をした小太りの男性が大きな口を開いて、イチカに手を差し出した。この人がコノエ・リュウゲンだ。イチカは社交的な笑みを浮かべながら、差し出された太い手を握った。
「この度は日程を調整してくださいまして、ありがとうございました。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
「そんな堅苦しいこと言わんといてください。ささ、どうぞこちらに掛けて。長旅で疲れましたでしょう」
コノエ・リュウゲンから明確な殺気というのは感じられないが、大らかそうに見えてもどこか胡散臭さを感じる奴だ。促されるままにイチカが座椅子に腰を下ろすと、リュウゲンもまた対面の座椅子に座った。
「早速ですが、倅を紹介させてもらいますわ。かなりの男前に育ったと思いますよ」
リュウゲンに目配せされた女中が客間を出て行くと、再び扉が開けられたときには女中ではなく、美しい着物を召した華やかな容姿の青年が入室した。一般人には纏えない気品あるオーラに、ノエルは一目でこの青年がリョウキだと理解する。
「イチカ様、ご無沙汰しております。コノエ・リョウキと申します。幼少の頃一度だけお会いしているのですが、覚えていらっしゃいますでしょうか……?」
イチカに向かって一礼し柔らかく微笑むリョウキは、肌も髪も手入れの行き届いた品のある美しさを纏っていた。リュウゲンをはじめ、周囲の人々から大切に育てられてきたのだと推測したノエルは、不意に自分の境遇と比較してしまい胸が痛んだ。
父から言われた言葉が、母が見せた表情が脳裏にフラッシュバックして、脈拍数が上がったことを自覚する。叫び出したくなる強い衝動に駆られたが、仕事中という現実がノエルを冷静にしてくれた。
任務に支障が出てはいけない。自分はプロだ。私情を挟むなんて決して許されない。
「イチノセ・イチカと申します。リョウキさんのことはもちろん、覚えております。再会をうれしく思いますが、すっかりご立派になられているので、こうしてお顔を見ながらお話するのは少し緊張しますね」
世辞とも本心とも取れぬ挨拶を皮切りに、時刻が十八時を回った頃、穏やかな雰囲気で見合いは始まった。
時折冗談なんかも入れながら優しく話すイチカと、相槌を打ちながら上品に笑うリョウキ。互いに幼い頃から社交の場に出る機会が多かったことも影響しているのだろうか、十代同士の見合いとは思えない程に滞りなく進んでいるように見えた。
ただ、若者同士で会話が弾んでいても、我の強いリュウゲンが会話に強引に入ってくる回数が多いのが少々目に余った。だがまあ、一人息子を持つ父親ならば、過保護になるのも仕方のないことかもしれない。
おそらくイチカはこの縁談を断るだろうが、リョウキはこんな過保護な父親がいてこの先普通に結婚できるのだろうかと、ノエルは胸中で余計なおせっかいを焼いていた。
「ほな、食事の準備も整いましたのでそろそろ移動しましょうか。本当は私の自慢の酒も味わってもらいたかったんですがね、このご時世、未成年に酒を無理に勧めたら老害扱いされてしまいますからねえ……残念ですわ」
「わたしも残念です。三年後にまたお誘いいただけますか?」
目に見えて上機嫌になったリュウゲンに促されて、ノエル達は客間を後にした。イチノセ家側の人間の中で最後に退室したノエルは、何やら不躾な視線を感じて背後を振り返ったものの、後ろに立つ女中は穏やかな笑みを浮かべるだけで、尻尾を掴ませることはなかった。
何かが仕組まれていると直感したが、攻撃の意思があるという確かな証拠がなければこちらから動くことは許されない。いついかなるときも瞬時にイチカを守れるように、全身に神経を集中させながら宴会場に足を踏み入れた。




