ケイ 1-③ 自覚
銀蛇団と紅蓮一家による襲撃で残念な終わり方を迎えた温泉旅行から、一ヵ月が経過した。
ケイの中に油断と慢心がなかったかと言えば嘘になる。たかが敵を一人殺したくらいで気を抜いて撃たれたなんて、末代までの恥だ。
完治には程遠いものの、長期間の離脱によって解雇されることを恐れたケイは、イチノセ家専属の医師に一日でも早く復帰したいと伝え続けてきた。
その甲斐もあって、若さと日頃の鍛錬の成果もあり驚異的な回復を見せたケイは、恐るべきスピードで医師から前線復帰の許可をもらうことができたのだった。
ベッドの上で天井を眺める日々がようやく終わったケイは久々の制服に袖を通しながら、名誉挽回のためにもしばらくは本気で仕事をしなければならないなと、決意を新たに病室を後にした。
「ケイ、今日から復帰しまーす! 迷惑かけてごめん!」
タカヒトとノエルに護衛任務に穴を開けてしまったことを謝ると、ふたりは柔らかく微笑みながら「おかえりなさい」と言ってくれた。叱責や責任を追及されることを懸念していたケイは、彼らの優しさに胸を撫で下ろした。
「無事に戻って来てくれて良かった。それじゃ、早速だけどケイが休んでいる間の近況報告を伝える。まず、銀蛇団が紅蓮一家の傘下に入った裏が取れた。正式な調査をしているからデマじゃない。それと――」
「あ、待って待って。その前に、オレから言いたいことがあるから」
息つく暇もなく始まったタカヒトの報告を強引に遮ったケイは、ノエルに向き直った。
「……あの、ノエル……オレが撃たれた後、すぐに手当てしてくれてありがと。ノエルの応急処置が完璧だったおかげで、後遺症は残らないってさ」
「お礼を言われるようなことは何もしていません。同僚として、当然のことをしたまでです」
謙虚というよりも、本心をそのまま口にしたというように淡々と話すノエルを見て、ケイはふっと笑った。
「オレさ、今までノエルのそういうちょっと気取ったところが苦手だなって思っていたけど、なんか一周回ってアリになってきたかも」
殺ろうと思えば、ふたりきりになったタイミングでノエルは動けないケイを抹消することも、証拠を隠滅することも容易にできたはずなのに助けてくれた。
クールな見た目と冷静な言動から、一見打算でしか動かなそうに見えるのに、理由もなく同僚を助けてくれる意外な一面を知った。腕に穴を開けられなければ気づけなかったことだと思えば、不幸中の幸いだったと言っていいのかもしれない。
裏任務のことを考えると甘い奴だと思うけれど、同僚としては礼を言わずにはいられなかった。
「ケイ、どうしたんだ? まだ本調子じゃないんじゃないのか? 熱とかあったりしないか? 大丈夫か?」
タカヒトの温かい手のひらがケイの額に触れた。この職場に来てから、今までに触れたことのない優しさを与えられる機会が多すぎる。ケイを形成する人格が揺らいでしまいそうで、怖いと感じることすらあった。
「……オレ、孤児でさ。産まれてすぐにゴミ捨て場に捨てられたみたいで、親の顔を知らないんだよね。それで、物心つく前には施設から今の組織に引き取られて、どんな場所でも通用する戦闘員になるための特殊な養成訓練を受けてきたんだ」
突然聞かれてもいない自分語りを初めたケイに、タカヒトもノエルも戸惑っているような瞳を向けてきたけれど、やめようとは思わない。自分のことを知ってほしいと思ったのは、初めてだった。
引き取られた先が暴力団だという部分だけは明言しなかったのは、人を騙し、恐喝し、一般的に悪と呼ばれる組織にいる自分を今更ながら恥じたからだ。
「ウチの組織って、スパルタっていうか……訓練がやたら厳しくてさ。子どもだろうが言われたことができないと容赦なく体罰だったから、いつだって体中が指導官から受けた暴力で痣だらけだった。今でも肩と背中には、押しつけられた煙草の痕が残ってる」
「……一緒に温泉に入ったときに、気づいていた。触れない方がいいと思って、見なかったフリをしたけれど……」
タカヒトが居心地の悪そうな顔をしていたので、空気を変えるように明るい声で続けた。
「でもオレにとって、殴られたり蹴られたりするよりもずっと辛かったのは、食事を与えて貰えなかったり、真冬に裸で外に放り出されることだった。その罰は最低一週間は続くもんだから、幼いながらに生きるために知恵を絞ったもんだよ。食べられる雑草なんかは、実際に食べてみて何度も腹を壊しながら覚えたからね」
歯を鳴らしながら小さな身を抱いて眠った。文字通り泥を啜ったこともある。このときの経験があったからこそ丈夫な体になったと前向きに捉えるように努めてはいるものの、あの頃を思い出すと口の中が急に泥臭くなる。
「だから何が言いたいかって言うと、久々にのたうち回るくらいの痛みを経験して改めて、イチカ様が当たり前のようにごはんを作ってくれて、温かいベッドで眠れる今の生活が幸せだなって感じたってこと。なんか、衣食住や人間関係も含めて全部、環境に感謝しなきゃなーって思ったんだよね」
こんな恥ずかしいこと口にするのはキャラじゃないなと思って頬を掻くと、真正面に立っているノエルの表情は和らいでいた。
「その気持ちは……私にもよくわかります。私はここに来て日は浅いですが、ボディーガードという職業に就いてからは長いです。今まで、護衛対象や給料をいただける雇用主に忠義を尽くすのは当たり前のことだと思い淡々と勤めてきた私ですが、奉公する相手によってこんなにも生活に彩りが出るなんて、思ってもいませんでしたから」
「だよね! あはは、今日は今までにないくらいノエルと気が合うね! ……でもさ、この生活にはいつか終わりが来るってことは、皆わかっているんだよね」
返事はなかったものの、ふたりの瞳は静かに肯定をしていた。
この夢みたいな生活は、イチカの目――エフィアが盗られたら終了だ。最長でも、イチカの目が金色に変化する可能性が消滅する二十歳までの契約となっている。
それ以前に、痺れを切らしたハイザカイのボスがケイの代わりに別の男を派遣すれば任務はそこまでだし、イチカを護衛している中で命を落とす可能性だって十分にある。いつまでここで働き続けられるのかなんて、誰にもわからないのだ。
嫌だな、寂しい。この任務を与えられた人間として、最も愚かで抱いてはいけない感情が胸中に生まれてしまった。




