ノエル 1-① 任務
シンプルな黒のスーツという地味な格好ながらにして、瀟洒な佇まいを隠し切れていないのは齢わずか十八の青年だった。
ノエルという名を持つその青年は、今日初めて会うクライアントに失礼のないようにと意識するあまり、尋常でなく緊張していた。不安は次第に大きくなるばかりだが、受けた依頼の報酬と責任の大きさを考えれば当然のことかもしれない。
「……よし……行きます」
ようやく覚悟を決めて顔を上げると、目の前にはあの『世界七璃』の一つを代々引き継いでいる名家・イチノセ家の豪邸がそびえている。
民間の警備会社である株式会社S・P・Fに所属しているノエルは、今日からイチノセ家の次期当主であるイチノセ・イチカのボディーガードという責任重大な任務に当たる。
エフィアの継承者であるイチカの護衛任務は、極めて重要である。
ゆえに、ボディーガード任務の失敗――つまりイチカに何かあった場合、当然ノエルは切腹、S・P・Fは倒産、愚かな会社の代名詞としての汚名を着せられたまま、未来永劫語り継がれることになる。十八歳の青年の細い双肩に伸し掛かる重圧としては、相当なものだった。
門番がノエルの身分証明書を確認した後、使用人の女性が出てきた。掃除の行き届いた埃一つない豪邸の中を歩いて三階の一番奥の部屋の前に到着すると、女性は頭を下げて去っていった。
この扉の向こうに、彼女がいる。
緊張で乱れた呼吸を再び呼吸を整え、ノエルは背筋を伸ばして重厚な扉をノックした。
「どうぞ」
まだあどけなさの残る声だった。扉を開けて、今日から仕えることになる主人の姿を視認した。
「よく来てくれたね、ノエル。道に迷わなかった?」
雇用主であるのにもかかわらず、彼女は尊大な態度など微塵も見せずに座っていた椅子から腰を上げ、フランクに手を差し出してきた。
護衛対象となる、ノエルより一つ年下の主人――イチノセ・イチカをこの目で見たのは、もちろん初めてだ。
写真で見るよりも穏やかで優しい顔つきをしていた彼女は、真っすぐな黒髪と琥珀色の瞳という珍しい組み合わせの色彩と、整った目鼻立ちでノエルを魅了した。
彼女の両隣には派遣元の会社こそ異なるものの、ノエルの先輩にあたるボディーガードの青年がふたり、友好的な笑みを浮かべながらもどこか品定めするような目つきで、ノエルを観察していた。
震える手を隠すように重ねて、イチカの顔を正面から見据えて息を吸った。
「お初にお目にかかります。株式会社S・P・Fより配属されて参りました、ノエルと申します。今この瞬間より、命に代えても必ずやイチカ様をお守りすることを約束いたします」
深く頭を下げると、イチカは困ったように笑った。
「そんなに畏まらないでいいよ。それで、ノエルは『世界七璃』についてどこまで知っているの?」
世界七璃。今回の任務に就くにあたって上司から知識を叩き込まれたし、事前にしっかりと勉強してきた。早くも試されていると思ったノエルは、緊張で乾いた唇を舌で軽く湿らせてから答えた。
「はい。世界七璃とは人類が持つ多様な瞳の色彩の中でも、最も美しいとされる七色の目玉のことでございます。具体的には、チャンズの趙一族の濃褐色、カリベイのヒューズ一族の淡褐色、マリジュナのノイマン一族の緑色、シアーのヴォルコフ一族の灰色、セロフィンのライネ一族の青色、世界でも稀であり、家系ではなくその時代によって選出者が変わるアルビノの赤色、そして、アズワノ……イチノセ様ご一族の琥珀色の瞳のことでございます」
世界七璃と呼ばれるイチノセ家の瞳は、世界で最も貴重で高価な財宝の一つである。
人類の奇跡の産物とも言われる七璃は、アズワノではイチノセ家だけが持つ瞳のことだが、中でも本家の女子だけに現れる特徴――「物の本質や価値を見抜く」という特別な力がイチカの瞳の価値を爆発的に上げていた。
その力を使って、イチノセ家の女は代々目利きの鑑定士として莫大な収入を得ている。目玉単体の価値と、有能な鑑定士としての存在価値。イチカには、金目当ての輩にその身を狙われる十分すぎる理由があるのだった。
今現在、イチノセ家本家の女はイチカだけだ。女の出生率低下が大きな問題になっていることはノエルの仕事の範疇外、また別の問題だが、イチカの瞳の価値がここ数百年で一番高価だと言われている理由の一つにはなっている。
ノエルに今回与えられた任務は、生きているだけでその身を危険にさらされるイチカを、彼女が二十歳になるまで守り抜くことだった。
「なんかわたしの瞳って高い価値がつけられているみたいで、よく命やら目玉やら狙われるんだよね。そんなわけで、頼んだよノエル! わたしをしっかり守ってね!」
明るい声色と満面の笑みに、ノエルは目を瞬かせた。
イチカは希少なイチノセ本家の嫡女、次期当主なのだ。もっと傲慢で我儘、気難しい方なのだと勝手に推測していたのだが、まるで正反対の人柄に思える。
「あれ? 難しい顔してる? ボディーガードは裁量制で安定した勤務形態じゃないけれど、もちろん報酬は弾むつもりだし、質のいい衣食住は保証するよ?」
「い、いえ。そういうことを懸念しているのではなく……」
イレギュラーな質問に対して切り返しが上手くないのは、ノエルの短所だ。
今まで失敗もなく仕事を完璧に遂行してきたノエルは、自分が護衛任務において優秀な人材だと自負しているが、他人とのコミュニケーションにおいては不得意であるとも自覚していた。
「まあ、不安なことがあったらなんでも言ってね。タカヒト、ケイ、おまえたちもノエルの先輩としてちゃんと面倒見てあげるんだよ?」
「かしこまりました」
イチカの両隣に立っていたふたりの青年は恭しく頭を下げた。ノエルの本当の目的を悟られる確率を下げるためにも彼らと親しくなる必要性は感じないが、仕事に支障が出ない程度には交流をしていかねばならないだろう。
「ご厚意に深謝いたします。至らぬ点もあるかと思いますが、誠心誠意尽くしますので、よろしくお願いいたします」
背筋を伸ばして丁寧に頭を下げた。
ノエルの人生と矜恃をかけた任務が今、始まったのだ。




