ケイ 1-① 憐憫
「イチノセ・イチカを惚れさせて、エフィアを金色に変えてから奪う」という難易度の高い裏任務に対して、建前上はタカヒトとノエルには負ける気はないと引かない姿勢を見せていたケイだったが、内心では失敗してもいいと思っていた。
理由は単純。イチカのボディーガードとして働いている限り、高収入を確約されるうえに質の高い衣食住が約束されるからだ。
身の安全は保証されないとはいえ、なんの不自由もなく生活できるこの現状を自分から手放したくはなかった。もちろんエフィアを手に入れて莫大な報酬を貰えるに越したことはないけれど、エフィアの色変化が見込めなくなる二十歳のタイムリミットを迎えるまで、このままのんべんだらりと過ごすのも悪くないと考えていたのだ。
ケイが所属する組織は、アズワノの指定暴力団の一つであるハイザカイだ。
組織内でこのミッションに抜擢されたケイは身元を隠してボディーガードの採用試験に応募したが、どうせ落ちるだろうと最初からやる気はなかった。イチカに仕えるボディーガードの素性なんて、イチノセ家の専門部署に調べられたら嘘なんて吐きようがなく、暴力団に所属するケイが採用されるはずがないと思ったからだ。
しかし適当に採用試験に臨んだのにもかかわらず、筆記試験も実技試験もフルスコアを叩き出したケイはイチカのボディーガードとして採用された。イチノセ家側がハイザカイを御する自信があったのか、死に場所を探しているように見えるイチカが希望したのか、どんな思惑があったのかは興味もないし知ろうとも思わない。
だがこんな自分が現在まで雇用され続けている理由は、護衛としての実力を高く買われている以外にないだろう。
◇
話は、ケイが被弾する一ヵ月前に遡る。
「ひっ……勘弁してくれ! もう二度と、エフィアに手を出そうとはしねえから!」
闇夜に紛れて逃走を試みた男はケイによってあっさりと捕まり、地面に額を擦り付けながら許しを請うていた。
「ごめんで済んだら、警察もヤクザも世の中にはいないんだよ?」
傑出した身体能力、他を圧倒する戦闘センス、夜目も効く人間離れした動体視力。ケイに狙われた獲物は決して逃げることはできないと、敵味方問わず称賛と恐れを抱かれているらしいことを知っている。
「うっ……ああああ!」
自暴自棄になったのか、男が無造作に振り回したナイフがケイの手の甲を掠った。血がわずかに出てくる程度の軽傷だったが、ケイは不快だった。舌打ちをして胸元から取り出した拳銃の銃口を向けると、男は一層その表情を恐怖の色に染めた。
「とりあえずさー、警察に突き出すのは確定なわけだし、手足は拘束させてね。ねえ、君はどこの組織の人?」
「ぐっ……うう……」
「返事がおそーい」
引き金を引くと同時に大腿を貫通した銃弾は、男の顔を醜く歪ませた。侵入方法の甘さ、アクシデント発生時の判断の遅さ、どこを見てもこの男は二流もいいところだ。一矢報いようと最後に何かしでかしてくる可能性も、舌を噛んで自殺する度胸もないと判断したケイは、溜息を吐きながら男に後ろ手を組ませて手錠をかけた。
「覚悟も実力も足りない奴がさあ、イチカ様に手を出そうとしない方がいいよ?」
任務に失敗した男の姿を見下ろしながら、腹部を蹴飛ばした。何もかも半端な奴がエフィアを手に入れたいなんて欲を抱くことすらおこがましいのに、そんな至極当たり前のことにすら頭の回らない馬鹿なのだろう。そういう連中は見るだけで癪に障って仕方がない。
その後、やって来た警察に男を突き出して部屋に戻ると、イチカの護衛に回っていたタカヒトとノエルが待っていた。
「おかえりケイ、どうだった?」
「全然問題なかった。イチカ様は?」
「大丈夫だ。今はもう眠っていらっしゃる」
「そっか、よかった。それじゃ、オレもシャワー浴びて寝るね。おやすみー」
欠伸をしながらさっさと自室に戻ろうとしたケイは、ノエルに呼び止められた。
「ケイさん、敵の素性はわかったのですか?」
「んー、有象無象って感じ。銀蛇団ではなかったよ」
雑魚にはすぐ興味を失ってしまうケイは、今しがた捕まえたばかりの男の顔すらすでに忘れかけていた。配属されて日の浅いノエルはまだわかっていないようだが、エフィアやイチノセ家の財宝を狙う連中なんて掃いて捨てる程いるため、こんな小物の討伐なんて日常茶飯事だ。名の知れた大きな犯罪組織くらいでなければ、敵の情報なんていちいち覚えてなんかいられない。覚えるだけ脳味噌のリソースの無駄というものだ。
「……新人の分際でおこがましいかもしれませんが、同僚としての立場から言わせてください。ケイさん、裏任務はともかく、イチカ様を守るという表任務に関してはもっと真面目に取り組んでください。護衛とは、一つのミスが致命的になる集中力と根気のいる大変な仕事です」
「敵の情報をいちいち全部把握して報告しないと、不真面目って烙印を押されちゃうの? そんなのやらなくても、イチカ様の護衛はちゃんとやってるじゃん。何が問題なの?」
「イチカ様の安全を考えれば、敵についての情報を可能な限り入手し、仲間内で共有することは仕事の範疇だと思います。ケイさんが仕事に対してもっと真摯に取り組んでくれたなら、あなた程の実力があれば銀蛇団だろうと容易に打尽できるかもしれないと期待しているのです」
「はいはい。っていうか、ここでは一応オレの方が先輩だからね?」
口うるさいノエルを鬱陶しく感じたケイは、そう言って後輩の意見を断絶した。実力がすべてのこの仕事には本来、先輩も後輩も関係ない。さらに裏任務のことを考えれば誰もが等しくライバルとも言える。
だが真面目なノエルの性格を逆手にとった一手は実に有効だった。ノエルはまだ何か言いたそうな顔をしていたものの、ケイの思惑通り口を閉ざした。
「ふたりとも落ち着け。ノエルの言うことも大切だし、ケイの言うように結果的にイチカ様を守ることができれば問題ないという方針も間違っていない。平穏に円滑に、あまり喧嘩はせずに、イチカ様の求める『家族』の理想像に近い姿を見せる努力はしていこう」
「タカヒトはいつも説教臭いなあ。それにイチカ様イチカ様って、ちょっと入れ込みすぎじゃないの? 公私混同には気をつけなよ?」
顔に出さないように努めてはいるようだけど、タカヒトの瞳に焦りの色が灯るのをケイは見逃さなかった。自分たちの関係が険悪なものになるきっかけになり得るだろうが、別に構わない。馴れ合いの関係なんて最初から求めていない。後で面倒になるだけだ。
ただ、タカヒトの言う「イチカの前では仲が良い振りをするべき」という主張は支持している。金も名誉も家柄も持っていながら何も手にすることができない、哀れで優しい主人の数少ない望みは叶えてあげても罰は当たらないだろう。
そんな憐憫の情くらいは、薄情だと言われがちなケイだって持っているのだ。




