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イチノセ・イチカ 2-③ 確率

 ケイに応急処置を施していたノエルだったが、手をとめてわたしに頭を下げた。


「報告です。最初にイチカ様を狙ったスナイパーですが、旅館の外で警備させていた護衛団によって捕らえたものの自殺を図られました。旅館の関係者に被害はありません。十人も外に警備させていながら敵の侵入を許してしまったという不甲斐ない結果となってしまい、誠に申し訳ございません」


「手はとめるな。こいつらの情報は大方掴んでいるし問題ない。旅館の関係者の方々には部屋の修理代に迷惑料を含めて後でお詫びをしよう。ケイ、大丈夫? もうすぐ救急車が来るからもう少し辛抱してね」


 ケイはわたしへの礼を口にしてから、苦しそうな表情で女の遺体を調べているタカヒトに告げた。


「……予想が外れていれば、いいんだけど……タカヒト、そいつらの両耳を、触ってみて……」


 痛みを堪えながら絞り出すように発したその言葉の意味をわたしは理解できなかったが、タカヒトはすぐにハッとしたように女の耳を触り、舌打ちをしてから右耳の耳朶を切り落として銃で破壊した。


「……申し訳ございません、しくじりました。通信機の類はすべて破壊したつもりでしたが、耳朶に小型の通信機が埋め込まれていたようです」


「そんなに深刻な顔をするな。大丈夫、何か不都合なことを言ったわけじゃない」


「……その女、『エフィアの本命はそこのケイとかいう、小柄な怪我人か?』と、呟いていませんでしたか?」


 ノエルの指摘に目を見開いた。できればエフィアを覚醒させた状態で手に入れたい連中にとって、わたしが好意を抱いている相手を知ることは目的達成へのショートカットになる。人質にも取りやすいし、「そういう存在」の有無を掴んでおきたかったのだろう。


「勘違いにせよなんにせよ、わたしだけじゃなくケイまで狙われる確率が上がったってことか……チッ!」


 ケイのことはもちろん家族として好きだけど、特別な異性として意識して好意を抱いているとは言えない。それなのに、誤解でケイの身が危険に晒されるなんて最悪の展開だ。


 頭を掻き毟るわたしを落ち着かせるためか、ノエルはさっきより優しい声色で告げた。


「ケイさんが狙われる可能性が浮上したので、私は病院までケイさんに付き添いたいと思います。タカヒトさんは護衛団へこれからの指示を終えたら、別室でイチカ様を守りながら待機していてください。……イチカ様、心中お察し致しますが、どうか冷静に……できれば体を休めてくださいね」


「……ケイのこと、頼んだよ」


「はい。それでは一旦、失礼します」


 力強い返事を残して、ノエルとケイはわたしの専属運転手のクロイワさんの車で病院へと向かった。普段は飄々としていて笑顔の多いケイが、額に汗を貼り付けながら痛みに堪えている姿を見るのは本当に心苦しく、辛かった。


 わたしが旅行に行こうって我儘を言ったから、こんな目に遭わせてしまったのだ。「自業自得だよ」「だから言っただろ?」誰かの声が聞こえてくる。わたしを蔑み、呆れ、愚か者として責めるたくさんの声が。


 でも、待ってよ。たった一泊二日、家族と旅行することすらわたしには許されないの? ……さっきケイに抱き締められたときにも感じた生に固執したいという気持ちは、やはりわたしには不要なものだった。大切な家族を苦しめるだけの不自由な人生を送るだけなら、もういっそ死んだ方が楽なのではないか?


「イチカ様、お気を確かに。……こういう言葉を使えばご不快に思われるのを承知で申し上げますが、僕たちがイチカ様をお守りして怪我をするのはごく当たり前、仕事の範疇なのです。ケイもプロです。わかっていると思います」


 いつも笑っている主人でありたいと心がけているのに、襲撃されてからずっと失態を晒し続けてしまっている。


「……心配かけてごめん。……大丈夫。いつもみたいに手伝おうか?」


「ありがとうございます。お手数をおかけいたしますが、エフィアのお力を拝借して確認していただきたいことがあります。男の胸部に彫られているこの刺青を見てください」


 被せていた掛け布団を捲って見せられたのは、小さな蛇と髑髏の刺青だった。銀蛇団のシンボルであり、彼が銀蛇団のメンバーだという確固たる証拠になる。


「うん、これは偽物じゃない。正真正銘、銀蛇団のものだ」


「……実は僕が懸念しているのは、所属の明らかになったこの男よりも、女の方なのです。こちらも見ていただけますか?」


 女の遺体は血が付着して見辛かったけれど、腹部に刻まれた赤い蓮に梵字の入った刺青を見て息を呑んだ。


「こいつ……『紅蓮一家(ぐれんいっか)』の一員なのか⁉」


 紅蓮一家。チャンズ系組織としては世界最大の組織犯罪集団であり、知名度、構成員の数、犯罪の規模、どれをとっても銀蛇団よりも上という、最も敵に回したくない組織の一つだ。政府や警察との繋がりも一際強く、楯突こうものならまず命はない。


 構成員を「ファミリー」呼びしており、固い絆で結ばれている仲間だと強調している。ゆえに裏切り者は許さず、もし組織を裏切る真似をすれば、必ず残虐な方法で殺されると言われている。


「異なる組織が共通の獲物……イチカ様を狙って行動を共にしているとなると、銀蛇団が紅蓮一家の傘下に入った可能性が高いです。……イチカ様のお命が、紅蓮一家にまで狙われているなんて……」


 その先を口にすることはなかったが、タカヒトの表情は険しく顔色は目に見えて悪くなっていた。極悪組織の手がすぐそこまで迫っているのなら、わたしのボディーガードとしては当然の反応かもしれない。


「そんな顔をするな。思い詰めたところで、わたしもおまえたちもやることは変わらないんだから。それより、折角の旅行が台無しになっちゃったのが悔やまれるね。三人には楽しんでもらいたかったんだけど……ごめんね」


「……どうしてこんな状況下で、僕たちのことを気にするのですか……」


 タカヒトは眉間を揉みながら息を吐いた後、わたしの目を真っすぐに見つめて告げた。


「……大変失礼いたしました。どんな敵がやってこようとも、僕たちが必ずお守りいたします」


 優しいタカヒトの言葉は気休めにしかならないことを知っていたけれど、わたしは「ありがとう」と返事をして微笑んだ。


 死体の横たわる血飛沫の跡がこびりついた部屋を眺めながら、わたしはいよいよ人生の終期に近づいているのかもしれないと妙に冷静な頭で思った。

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