イチノセ・イチカ 2-➁ 銃声
「……※※、☆、≠……!」
塞がれている唇からかろうじて声を発すると、男は一瞬力を緩めた。その隙を見逃さなかったわたしは拘束から逃れようと試みたが、残念なことに腕力に差がありすぎてまたすぐに捕まってしまった。馬乗りされて抵抗はほとんどできなくなったが、先刻までと違うのは、口だけは自由に動かせる状況になったことだ。
「なあ、わたしに手を出すのはやめておけ。おまえが所属する組織も、親玉も把握した。今ここでわたしを殺したら、イチノセ家が全力で報復に行く。おまえも家族も問答無用で断罪される。エフィアに手を出すってのはそういうことだ」
「フン、ハッタリだろ。オレはオレの仕事をスル」
「……おまえ、さっきからやけに訛っているよな。わたしのチャンズ語にも反応したし……所属組織はコクドか……銀蛇団だな?」
言い終わるより先に、ハンドガンの底部で男に鳩尾を殴打された。動揺したのか鬱陶しく思われたのかは不明だが、わたしの首を締め上げる力を強めながら男は撃鉄を起こした。
わたしは頬内の左の肉を跡が残るように強く噛んだ。これはイチノセ家で共有している「犯人は犯罪組織所属のエイジャ人で、複数犯」というメッセージであり、これで男が感情的になって今すぐわたしを殺すことになっても情報を残せるというわけだ。
「意思をモッテ使われル、エフィアは厄介ダ。その目はタダ、金を産む宝石として存在していればイインダ。黙ってロ」
酸素が行き届かなくなっていく頭に、わたしの人権を無視した発言が届く。命を脅かされる危険には幼い頃早々に慣れたけれど、大多数の人間が思っている事実を直に浴びるのは、いつまで経っても慣れないものだ。
次に生まれ変わるのならば、昆虫でも植物でもなんでもいい。世界七璃とは無関係の生を謳歌したい。
段々と現実から遠ざかっていく意識の中、そんなことを考えていたわたしを現実に呼び戻したのは、室内に響いた発砲音だった。
男が視界から消え、体がようやく解放された。畳の上に転がっていった男の状態を咳込みながら確認すると、銃弾で貫かれた大腿から大量の血が流れ出ていた。
「イチカ様!」
部屋に入ってきたケイがわたしを庇いながら男に銃口を向けた。男は苦悶に満ちた表情を見せながらも銃を持ち直そうとしたが、ケイの動作は男よりも遥かに速かった。
両の手首を撃ち落とされた男は銃を持つこともできず、出血によるショック死で動かなくなった。ケイが息を吐き、室内の緊張感が一瞬途切れた。
「大丈夫ですか?」
「ああ……助かったよ。せっかくゆっくりしてもらっているときに、ごめんね」
「……温泉では確かに楽しい時間を過ごしましたが、こんな危険しかない旅行の最中に本気で警戒心を解くはずがないじゃないですか。『イチカ様を狙うならこのタイミングだよ』って、襲撃犯連中にはわざと隙を作ったんですよ。まんまと乗っかってくる単細胞でしたね」
……家族が欲しいと決意したあの日の記憶が蘇る。効率重視でわたしの心身が傷つくことは二の次だったあの頃のボディーガードたちと、行動が同じだったからだ。
彼らを「家族」だと思って接してきたわたしの胸が小さく痛みを訴えていると、ケイはわたしの顔や首にかかった返り血をハンカチで拭き、真正面から抱き締めてきた。
「怖い思いをさせてしまって、申し訳ございません。どうか、お許しください……」
実際に命を取られかけても何も感じなかったけれど、ケイの気持ちはうれしかった。
……前言撤回だ。やっぱり、彼らはあの頃のボディーガードたちと同じなんかじゃない。わたしが三人を大切に思っているように、彼らもわたしのことをただの守護対象や雇用主としてだけではなく、家族だと思っていてくれるなら――いつでも終わっていいと思っていた人生だけど、もう少し長生きしたくなる。生に固執したくなってしまう。
「許すも何も、わたしは微塵も怒ってなんか――」
わたしの声は、違う種類の銃声にかき消された。
今まで気づかなかったわたしが阿呆でしかないのだが、押し入れの中に隠れていたもう一人の敵が、ケイの右腕に穴を開けたのだ。
吹き出す血を見たわたしが錯乱しながらケイに近づこうとすると、背後から「伏せてください!」というノエルの声が届いた。反射的にケイに覆い被さるように伏せると、数発の発砲音と人が倒れる音がした。
「遅くなりました。イチカ様、お怪我はありませんか?」
顔を上げると、冷静に仕事をこなしたノエルがわたしの背中を支えるようにしゃがみ込んだ。周りを見渡すと、わたしを殺そうとしていたチャンズの男の死体と、後ろ手を縛られてうつ伏せに転がされている流血した敵の女と、女を拘束しているタカヒトの姿があった。
「わ……わたしはいいから、早くケイを手当てして!」
人間が血を流す姿なんて今まで数え切れない程見てきたはずなのに、ケイが血を滴らせながら苦痛に顔を歪めている姿を見たわたしは、泣き出してしまいそうなくらい動揺していた。
触れた髪の毛の匂いも、体の温かさも全部現実だ。現実だからこそ、おびただしい流血量がわたしを恐怖の底へと突き落とす。
「かしこまりました」
ノエルは痛みに耐えているケイに応急処置を開始した。腕に止血帯を巻かれる度に痛みで声を漏らすケイの声に耳を塞ぎたくなる。家族の苦しむところなんて見たくない。
「……成程ね……エフィアの本命は、そこのケイとかいう小柄な怪我人か?」
タカヒトに組み伏せられている女が口角を上げた。ノエルに肩と足を撃たれていてもここまで普通に話せるなんて、大した精神力だ。
「余計なことは喋るな。おまえは僕の質問にだけ答えてくれればいい。ここに来ている仲間の数と、どこの組織に所属しているのかを吐け」
女への拘束を一層強めたタカヒトの声色は鋭く、いつもの優しい彼のそれではなかった。
「ふん、偉そうに。あんたらも『同じ』なんでしょ? 言えないってことくらい、わかるはずだけど?」
「自白すれば命は見逃す。それ以外は殺す」
「はっ。見くびられたものね。いいからさっさと殺りなさいよ」
「……残念だ」
怯えることも質問に答えることもしなかった女の頭に、タカヒトは一切の躊躇もなく一発の銃弾を放った。脳漿を散らかして動かなくなった女とすでに死んでいる男に、タカヒトは淡々と押入れから出した掛け布団をかけていた。
わたしにグロテスクなものを見せまいというタカヒトの心遣いなのだろうが、部屋に飛び散った敵の血や内臓を見るよりも、わたしにとっては、彼が人を手にかける瞬間を見る方が辛かった。
わたしを守ってくれるボディーガードとして雇っているくせに、人を傷つける姿は見たくないなんて自分でもひどく矛盾していると思っている。こんな矛盾、彼らに言える立場ではないとわかっているから、目を逸らして口を閉じた。




