イチノセ・イチカ 2-① 襲撃
広縁の椅子に腰掛けると、開けた窓から吹き込んできた夜風がわたしの頬を撫でた。
風呂で火照った肌にはとても心地よく、楽しくなってきたわたしは三人を待たずに冷蔵庫から瓶のコーラを取り出し、そのまま口を付けて飲んだ。美味しい。どうして瓶で飲むコーラってこんなに美味しく感じられるのだろう。
贅沢過ぎる程に広い和室で一人の時間を堪能していたわたしは、対照的に現在、賑やかな時間を過ごしているであろう三人のボディーガードたちに思いを馳せてみる。
先日宣言した通り、わたしとタカヒト、ケイ、ノエルの三人は、とある温泉で有名な高級旅館に旅行に来ている。
人と人が親睦を深めるために、裸の付き合いをするのはとても有効な手段だと思っている。いつもならわたしを一人にしないように交代で風呂に入る三人は今日初めて、一緒に湯に浸かっている。
わたしのことは気にせずゆっくり風呂に入るようにと、彼らには命令という卑怯な手を使って釘を刺しておいたし、もうしばらくは上がってこないだろう。
護衛団から旅行前に「旅行は百歩譲って認めますが、他の宿泊客を危険に晒す可能性があるので旅館を貸し切ってください」と条件を出されたから旅行に来ている実感があまりないのが残念だけど、それ以外の部分は今のところ大満足している。
美味しい夕食には三人とも舌鼓を打っていたし、お喋りも弾んだ。大浴場で足を伸ばして名湯にゆっくりと浸かれば、日頃の疲れも取れるだろう。立場を利用して我儘を言わせてもらったけれど、今回の旅行を企画して本当に良かった。
自分で言うのはおかしいかもしれないが、わたしの警備は襲撃回数も多いし大変な仕事だ。彼らに親睦を深めてほしいのは、より家族に近い環境を作りたいというわたしの自己中心的な野望が先に立つけれど、たまには気を抜いてリラックスしてほしいと思う気持ちもまた本心なのだ。
口にすればタカヒトかノエルに「大人しく家にいてくれた方が心穏やかに過ごせます」なんて、苦言を呈されるのは間違いないけれど。
再びコーラで喉を潤してから、息を洩らした。昨日パパから連絡をもらったばかりで三人にはまだ話していないが、次の見合いは名家・コノエの令息が相手らしい。
見合い相手のコノエ・リョウキさんとは、幼い頃に一度だけ会った記憶がある。肌が白い、大人しい男の子だった気がする。今はどう成長しているかわからないけれど、あの頃のように言葉遣いが綺麗なままの、すれていない子になっていればいいなと思う。
ただ、彼の父親であるコノエ・リュウゲン氏は金や名誉に対する欲が透けて見えて苦手だな、と幼心にも感じた記憶もまた存在している。どうせ断りの連絡を入れることになるだろうし、リュウゲン氏のことを思うと今の早い段階で断ってしまおうかという考えが頭を過ぎる。
しかし名家であるコノエの顔を潰すわけにはいかないなと諦めて溜息を吐いていると、わたしの左目に赤い光が映りこんだ。
――予測はしていたはずだ。だけどそれはあまりにも突然に訪れた、命を脅かす光だった。
それを過去に何度も見てきた経験が生きた。脳が判断するよりも先に、本能が身の危険を知らせて反射的に身を屈めさせた。
瞬間、銃弾がガラスをぶち破って室内の壁にのめり込んでいった。あとコンマ数秒動作が遅れていたら、わたしの脳味噌は吹き飛んでいたに違いない。
やはり、ライフルスコープで狙われている。壁面に埋め込まれた銃弾から、93式狙撃歩槍を使用していると判断した。チャンズで生産されている狙撃銃で、有効距離八〇〇メートル、装弾数は五発だ。連射されるとは考えにくいが、確実に仕留めてやろうという不愉快な気合を感じ取ることができる。
危険を回避した直後から、心音がどんどん大きく速くなり、口の中が乾いていった。旅行中に狙ってくるなんて、セオリー通りの無粋な真似をしてくるのはどこのどいつだ。有象無象のチンピラか、それとも、皆が騒いでいた銀蛇団か。
まあどこの誰であろうと、せっかく羽を伸ばして旅行を満喫している最中に何してくれてんだ。おまえらのせいで、彼らもリラックスできる状態ではなくなってしまっただろうが。
段々とわたしは、自分が命を狙われている恐怖よりも、家族との旅行を邪魔された怒りの方が強くなっていった。ゆっくりと息を吐いて感情をコントロールしながら、次に取るべき行動を考える。
このままここでじっと助けを待つのは悪手だ。わたしに鉛玉をぶっ放した狙撃手には部屋の場所が割れているわけだし、殺されるのを黙って待つようなものだからだ。
狙撃手の仲間がここにやって来るのも時間の問題だし、早急にこの部屋を出て三人と合流するのが最善手だろう。
そう思って狙撃手から死角になる壁沿いを伝って退室しようとしたものの、わたしはどうやら思考が遅すぎる無能だったらしい。押入れの中から飛び出してきた黒服の男に声をあげる間もなく口を塞がれ、額に銃口を突きつけられた。一瞬の出来事だった。
「今ココデ、エフィアを抉り出されてから殺サレルのと、殺してから抉り出サレルのと、ドッチがいい?」
片言混じりの低い声で、胸糞悪い選択肢を突きつけられた。「両方勘弁願いたい」と言おうとしたものの、口を塞がれているため回答は不可能だ。どうしろと言うのだ。
「おマエが延命デキルジョーケンを一つダケ出してやる。オレタチは覚醒シタ、エフィアが欲しい。おマエを守る三人の男の中で、一番好意を持っテイル奴を教えろ。セットで監禁してやる。瞳の色が変わった時点でエフィアは抉り出すガ、その後はフタリとも解放してヤル。どうだ? 悪くないダロ?」
生殺与奪の権を握っている側からの一方的に出された交換条件を熟考するよりも、わたしは男が発したある単語が引っかかっていた。
わたしの専属のボディーガードが三人の青年だということは公にはしていないはずだが、こいつはどうして知っている? どこから漏れた? こいつが所属する組織の情報網が優れているのか?
エフィアと呼ばれるわたしの目の価値が高いと言われる所以は、見た目の美しさだけではなく、生物から無機物までジャンルを問わず、本質を見極める観察力が高いことが理由に挙げられる。
マスクとゴーグルで顔を隠したつもりだろうが、エフィアの力の前には気休めにもならない。わたしはこの目の力を駆使して、男の服装や所持している武器、仕草のすべてを観察した。
――成程。大体の情報は掴んだ。




