タカヒト 1-④ 命令
「イチカ様。近日中に、銀蛇団がイチカ様を狙うという情報が入りました」
タカヒトが声をかけると、古書と睨めっこしていたイチカの顔が上がった。
怪訝な顔をしているのは仕事を邪魔されて気分を害しているからではなく、銀蛇団の悪評を知っているからだろう。
「……チャンズに本部のある巨悪犯罪組織、銀蛇団がとうとうわたしを直接狙ってくるのか……なんだか面倒なことになりそうだね」
タカヒトの携帯電話に届いた上司からのメッセージには、「銀蛇団がエフィア獲得のために本格的に行動を開始したという情報を掴んだ。厳重警戒しろ」とあった。
昨日メッセージを受信してからずっと、タカヒトはボディーガードの職に就いてから一番のストレスと不安を抱えて業務にあたっている。
「それは確かな情報なのでしょうか? あの悪名高い銀蛇団がエフィアを奪うなら、価値の跳ね上がる金色になってから狙ってくるかと思っていましたが……」
不可解そうに口にするノエルの疑問には、ケイが答えた。
「たぶんイチカ様ごと攫ってから、イチカ様を洗脳するか薬漬けにするかして、適当に用意した男に惚れさせて色を変えてから抉り出すんでしょ。やり方は何通りもあるわけだし、むしろ今まで様子見していたことの方がラッキーだったよね」
「……犯罪組織同士の腹の探り合い、何かしらの談合が終わったのだと思う。盗られる前に盗りたいっていうのは、どこの組織も同じ……つまり、銀蛇団を皮切りに組織絡みの大きな襲撃が増えることが懸念される」
イチカの前では彼女を怯えさせるような発言は本来控えるべきだとは思うが、いつも自分の運命を達観して生に拘らない彼女に危機感を持ってもらうためにも、あえてタカヒトも積極的に本当のことを話した。
ケイの身の毛もよだつ推測はおそらく正しい。過去の事例から考えてみても、銀蛇団の犯行は極悪卑劣で手段を選ばないのだ。
「まあ、確かに銀蛇団に襲われたら厄介だろうけど、非道で悪質な連中は今までにもたくさんいたし、特別に警戒することもないよ。皆もいつも通り、あんまり気負わずに仕事して」
胸中で何を思っているのかは読めないけれど、警戒心を抱いてほしい張本人は表情を崩すこともなく相も変わらず淡々としていて、タカヒトは気づかれないように小さく溜息を吐いた。
エフィアは無理に色を変えるよりも自然に変化した方がより価値が高いという風潮があるため、おそらく銀蛇団がイチカを捕らえた後に取るであろう過激なやり方は、彼女の瞳を狙う多くの組織の方針ではなかったはずだ。
だが、今回の銀蛇団の襲撃でそういった風潮はなくなるだろう。
イチカが歳を重ねて目の色の変化が望めなくなる二十歳のタイムリミットに近づけば近づく程、厄介な襲撃も増えるだろうし、タカヒトへ下される指令が変わる可能性だって上がる。
タカヒトは今の自分に与えられた任務がいつ、イチカの命を奪えという無慈悲な指令へと変わってしまうのか不安を感じていた。
「この間捕まえた動画配信者のように、犯行予告なんかは届いているの?」
「イチカ様、銀蛇団は怪盗ではなく、凶悪な犯罪集団です。そんな回りくどく、気障ったらしい真似はしません」
危機感の足りていないイチカに、ノエルも少しだけ怒っているのが声音でわかった。タカヒトは銀蛇団と直接対峙した経験はないけれど、こういう仕事をしている以上、奴らの情報は嫌でも耳に入ってくる。
シンヨークの宝石店に強奪に入った際に客と店員を全員殺害した挙句、一つだけヘマをした構成員を店があった区画を爆破して始末したとか、客室乗務員に人身売買がバレてしまった際は飛行機ごと落として証拠を隠滅したとか、組織を抜けようとすれば爪どころか両手を切断されるとか、身震いのするものだらけだ。
イチカが捕まればまず間違いなく強制的に目の色を変えさせられた後で、エフィアを抉り出されてから殺されるだろう。そしてイチカのボディーガードとして応戦したタカヒトたち三人は殺されるか、生涯奴隷として家畜のように生きる羽目になるか――いずれにせよ、人としての尊厳を無視した仕打ちを受けることは間違いない。
「私たちは今まで以上に、より一層気を引き締めて護衛任務にあたる必要がありますね。今日からイチカ様の就寝時間は、最低二人は同室体制にしましょう」
ノエルの提案にタカヒトは頷いた。今後の警備体制についてケイやノエルともっと詰めて考え直さなければと思っていると、
「そんなに負担がかかることはしなくていいよ。それよりさ、ノエルが家に来てそろそろ二ヵ月になるでしょ? だけどまだちゃんとした歓迎会をやってないし、タカヒトの誕生日も近いし、ケイは……身長が伸びたし! いろんな祝い事が重なった記念に、四人でどこか旅行にでも行かない?」
タカヒトの心配をまるで無視したイチカの提案に、言葉を失った。
「オレの身長は結構無理やりじゃないですか? でも皆で旅行に行くのは良いですね!」
「……待て、ケイ。自分の立場を考えて発言してくれるか?」
目を輝かせているケイも、イチカと同様にタカヒトにとっては頭の痛い問題だった。
「お言葉ですがイチカ様、今旅行に出かけることは、銀蛇団に絶好の機会を与えることになります。見送った方がよろしいかと」
セキュリティの万全なイチノセ家に籠った方が余程安全だというのにわざわざ外泊するなんて、誘拐も暗殺もどうぞお好きにと言っているようなものだ。
それなのに、正論しか吐いていないノエルの忠告をイチカは笑顔で一刀両断した。
「いや、決めた。絶対に行く。ケイ、来週の土日、一泊二日、車で片道二時間以内に行ける圏内でいい感じの温泉を見繕っておいて」
「イチカ様! ダメです!」
ノエルが強く禁止してもイチカは何処吹く風、暖簾に腕押し状態だ。タカヒトは当然旅行反対派なのでノエルに加勢する。
「イチカ様、旅行はやめましょう。近いうちに襲撃してくる銀蛇団を、僕たちと護衛団が必ず捕まえます。旅行を楽しむのはそれからにしましょう」
「タカヒトもノエルも反対しても無駄だよ? だってイチカ様の意思だし。イチカ様、オレが穴場の秘湯を探しておきますね! このケイにお任せください!」
「ケイさん! あなたはボディーガードとしての自覚が足りないのではありませんか? どうして私たちの立場で賛成できるのですか?」
ヒートアップしているノエルに対してケイは煽るように飄々としているため、このままでは真面目なノエルが爆発して大喧嘩に発展しかねない。
タカヒトはふたりに向けていた視線をイチカに戻した。無礼な言い方にはなるが、この無謀な主人の考えが翻らない限り問題は解決しないのだから。
「銀蛇団は卑劣で残忍、そしてどんな手を使ってでも成果を上げる犯罪組織です。そんな相手に狙われているとわかっていて積極的に外に出るのは、ただの自殺行為でしかありません」
「だったら尚更だよ。もしかしたら、皆で出かけられる最後のチャンスになるかもしれないし」
「おやめください!」
死ぬことを確信しているようなイチカの言葉を強く諌めた。
主人に対して声を荒らげたことで部屋には緊張感が張り詰められたが、その空気を穏やかなものに戻してくれたのは他ならぬイチカだった。
「……ごめんね。……タカヒト、ノエル、頼むよ。わたしはおまえたちと一緒に、どうしても今、どこかに行きたいんだよ」
イチカの心のこもった懇願に、タカヒトは口を噤んでしまった。
普段の彼女はタカヒトにはもちろん、イチノセ家に仕える全使用人の事情や心情を酌んで行動してくれる、年下とはいえ仕えるのに申し分のない立派な方だと思っている。だけど時々、突拍子もない我儘でタカヒトを困らせるのが玉に瑕だった。
こうなったら梃子でも動かないだろう。愕然としているノエルに胸中で詫び、タカヒトはイチカの目を見据えて告げた。
「……わかりました。僕たちは命を懸けて、イチカ様をお守りいたします。イチカ様が旅行を楽しめるように、努めさせていただきますので」
ボディーガードとして培ってきた矜恃を賭けて、主を守り抜くことを胸に誓った。
それなのに、タカヒトの決意を無下にする言葉がイチカの口から発せられた。
「んー、ちょっと違うな。この旅行はわたしだけじゃなくて、おまえたちにも楽しんでほしいんだよ。まあ、タカヒトとノエルは今すぐには考えられないかもしれないけど」
思わずノエルと目が合った。どうしてこの人はわかってくれないのだろう。どうしてこの人には気持ちが伝わらないのだろう。あまりに伝わらなくて悲しくなってきてしまった。
「でね、わたしからお前たちに一つだけ、必ず旅行中に遂げてほしいミッションを授ける。それは……この旅行期間中に、三人の仲を深めること。これは命令だから。いいね?」
目が点になるとはこういうことかと思った。小学生の遠足じゃあるまいし、命を懸けて守ると言ったばかりだというのに、気の抜けるような発言は控えてほしい。
イチカの無邪気で愚かな命令に、眩暈を起こして倒れそうになった。
「な、なぜそのような……私たちは仕事上支障のない程度には、コミュニケーションは取れているつもりですが……」
誰よりも戸惑いの表情を見せるノエルに、イチカは笑顔で言った。
「皆、返事が聞こえないけど?」
意図を語ることのない独裁者の命令に、三人は首を縦に振らざるを得なかった。




