第九話 「記憶洗浄ランドリー勤務記録」
> 視点座標:nの次元 NCity 記憶洗浄ランドリー 第三棟
> 話者:施設内作業員(識別番号:MLL7731)
> 記録取得方法:作業中の神経活動から逐次抽出
> 記録期間:入職から廃棄まで(日数換算不能)
> 注記:話者は本記録の存在を知らない。抽出はリアルタイムで行われている。
入職初日——
洗濯機が並んでいる。
それが最初の印象だった。白い洗濯機が、左右の壁に沿って並んでいた。縦型洗濯機で、蓋がガラスになっていて、中が見える。全部が動いていた。全部が回転していた。
中に何かが入っていた。
何が入っているかは、最初は確認しなかった。
案内した監督員が「仕事内容を説明します」と言った。声に感情の温度がなかった。
「洗浄が完了した個体を取り出して、次の工程に送ります。洗浄の設定は自動です。あなたは取り出しと搬送だけを担当します」
「分かりました」と私は言った。
何を洗浄しているのかを聞こうとした。
監督員が先に歩き始めたので、聞けなかった。
二日目——
洗濯機の蓋を初めて開けた。
洗浄が完了したことを示すランプが点灯した機械の蓋を、指示通りに開けた。
中から、湯気が出た。
甘い匂いがした。
中を覗いた。
何かが入っていた。
人の形をしていた。
座っていた。洗濯機の中に収まるサイズで、体を丸めて座っていた。目が開いていた。
「取り出してください」と監督員が言った。
手を伸ばした。
手が当たった。体温があった。呼吸をしていた。
「立てますか」と聞いた。
立った。洗濯機の中から出た。床に立った。
目の焦点が、合う場所の五センチ奥にあった。
「次の工程に送ります。番号を確認してください」と監督員が言った。
腕に番号が書かれていた。MLL7801という番号だった。
台帳に記録して、搬送ベルトに乗せた。
MLL7801はベルトに乗ったまま、次の部屋に送られた。
十日目——
作業に慣れた。
一日に何十個も取り出す。
取り出した後に何を聞いても、全員が同じ目をしていた。焦点が五センチ奥にある目だ。名前を聞いても答えない。どこから来たか聞いても答えない。ただ立って、搬送ベルトに乗って、次の部屋に送られていく。
送られた先に何があるかは知らない。
知ろうとしたら「業務外です」と言われた。
一日の作業が終わると、休憩室に行く。休憩室には他の作業員がいる。全員が似たような仕事をしている。
「あの中に入っているのは何ですか」と同僚に聞いた。
同僚が少し考えた。
「魂だそうです」と言った。
「魂が洗濯機に入っているんですか」
「記憶を洗い流す施設だと聞きました」と同僚は言った。「人間だった頃の記憶を洗い流して、真っ白にする。そうすると次の工程で使いやすくなるそうです」
「使いやすくなる、というのは」
「歯車になりやすくなるということだと思います」と同僚が言った。「詳しくは知りません。業務外なので」
私は少し考えた。
「私たちも、同じ施設から出てきたんでしょうか」と聞いた。
同僚が少し止まった。
「分かりません」と言った。「覚えていないので」
二十三日目——
今日、取り出した個体が泣いていた。
洗浄が完了したランプが点灯したので蓋を開けたら、中から泣き声がした。
取り出した。
泣いていた。目を開けて、泣いていた。
目の焦点が、正しい場所にあった。
「大丈夫ですか」と聞いた。
「どこにいるんですか」とその個体が言った。声が震えていた。
「NCityの記憶洗浄ランドリーです」と私は答えた。
「どこですか、それは」
「nの次元にある施設です」
その個体が私を見た。正しい焦点で見た。
「帰れますか」と聞いた。
私は少し考えた。
「分かりません」と言った。正直に言った。
その個体が泣き続けた。
監督員が来た。「作業を続けてください」と言った。
「この個体は洗浄が不完全です」と私は言った。
監督員がその個体を見た。端末に何かを入力した。
「再洗浄します」と監督員が言った。
その個体を洗濯機に戻した。
蓋を閉めた。
ガラス越しに、中を見た。
その個体が蓋を叩いていた。
叩いていた。
叩き続けていた。
回転が始まった。
叩く音が聞こえなくなった。
三十一日目——
今日、洗濯機の並びを確認していたら、一台だけ動いていないものがあった。
ランプが点灯していなかった。
監督員に報告した。監督員が確認した。端末に入力した。
「故障記録を起票します。中身を確認してください」と監督員が言った。
蓋を開けた。
中に個体が入っていた。
動いていなかった。呼吸をしていなかった。
「この個体は」と私は言った。
「廃棄処理します」と監督員が言った。「次を入れてください」
私は何も言わなかった。
次の個体を搬送ベルトから受け取って、洗濯機に入れた。
蓋を閉めた。
回転が始まった。
動かなくなった個体は、別の台車に乗せられてどこかへ運ばれた。
どこへ運ばれたかは聞かなかった。
業務外だと思ったから。
四十七日目——
今日、ランプが全部同時に点灯した。
三十六台が同時に洗浄完了を示した。
一人では対応できないので、他の作業員を呼んだ。
四人で手分けして取り出した。
三十六体の個体を取り出した。全員が同じ目をしていた。焦点が五センチ奥にある目。
搬送ベルトに乗せながら、番号を記録した。
三十六体の番号を全部記録した。
三十六体が全員ベルトに乗って次の部屋に送られた後、私は台帳を見た。
今日取り出した三十六体の番号を見た。
一番最後の番号がMLL7731だった。
私の番号だ、と気づいた。
気づいてから、確認した。
腕を見た。
腕に番号が書いてあった。
MLL7731と書いてあった。
四十七日目(続き)——
監督員に聞いた。
「私の番号と同じ番号の個体を今日取り出しました」と言った。
監督員が端末を確認した。
「記録上は問題ありません」と監督員が言った。
「私の番号と同じ番号が、洗濯機の中にいたということですか」
「番号は再利用されます」と監督員が言った。
「再利用というのは」
「使用済みの番号を、新しい個体に割り振ることがあります」
「では私の番号を持つ個体は、何番目に割り振られた個体ですか」
監督員が少し間を置いた。
「業務外の情報です」と言った。
私は何も言えなかった。
「作業を続けてください」と監督員が言った。
続けた。
六十日目——
今日、初めて悲鳴蒸留所を外から見た。
作業員の休憩ルートが変更されて、別の棟を通ることになった。
通り道に、蒸留所の外壁があった。
外壁はコンクリートだった。普通のコンクリートだった。でも壁に耳を当てたら、何かが聞こえた。
液体の音がした。
何かが流れていた。大量の液体が、パイプの中を流れていた。
液体の音と一緒に、別の音が聞こえた。
音の名前を書くことができない。
書けないが、聞いた。
壁から耳を離した。
離した後も、しばらく聞こえた気がした。
休憩室に戻った。
同僚に「悲鳴蒸留所の横を通ったか」と聞いた。
「通りました」と同僚が言った。
「中から音がしていた」と言った。
「知っています」と同僚が言った。
「あの音は何ですか」
「蒸留されているものの音です」と同僚が言った。それだけ言って、何も食べずに休憩を終えた。
七十八日目——
今日、洗浄中の洗濯機のガラスを、中から叩く音がした。
音がしたのは三十分ほど前に回転を始めた機械だった。
中を見た。
ガラスが曇っていた。
音が続いた。
叩く音が、一定のリズムで続いた。
三時間続いた。
三時間後に、音が止まった。
ランプが点灯した。
蓋を開けた。
中から湯気が出た。甘い匂いがした。
個体が入っていた。
焦点が五センチ奥にある目をしていた。
搬送ベルトに乗せた。
番号を記録した。
次の個体を受け取った。
洗濯機に入れた。
蓋を閉めた。
八十九日目——
今日、監督員が来て「効率評価の結果を伝えます」と言った。
「あなたの処理速度は標準を三%下回っています」と言った。
「改善してください」と言った。
それだけ言って、監督員は別の作業員の方に行った。
私は作業を続けた。
速くしようとした。
でも洗浄完了ランプが点灯する時刻は、私では変えられない。
変えられるのは、取り出してから搬送ベルトに乗せるまでの時間だけだった。
その時間を短くした。
中の個体が何か言っていても、聞かなかった。
聞いていたら、時間がかかる。
時間がかかると、効率が下がる。
九十七日目——
今日から、因果律プレス工場も兼務することになった。
工場に初めて入った。
天井まで届く巨大なプレス機が並んでいた。
プレス機の下に何かが置かれるたびに、機械が落ちてきて圧縮した。プシュッという音がした。
厚さ一センチの赤黒い板になった。
作業員が板を検品した。台車に積んだ。次の場所に運んだ。
私の担当は検品だった。
板を一枚ずつ持った。
重さを確認した。
色を確認した。
端末に記録した。
次の板を持った。
重さを確認した。
一枚目より、少し重かった。
記録した。
百三日目——
今日、検品中の板に、模様があることに気づいた。
板の表面に、細かい模様があった。
模様を見ると、何かに見えた。
建物に見えた。道路に見えた。人に見えた。
圧縮される前のものが、板の表面に残っていた。
他の板も確認した。
全部に模様があった。全部に、建物と道路と人があった。
どれも、圧縮されて一センチになっていた。
私は記録を続けた。
記録の中に、模様のことは書かなかった。
書く欄がなかったから。
百十九日目——
今日の休憩中、窓から外を見た。
NCityが見えた。
工場の煙突からピンク色の煙が出ていた。
タワーが見えた。
タワーの窓に光があった。
空に球体が見えた。無数の球体が動いていた。
遠くに、ぱんでむが見えた。
黄色い光があった。
見ていたら、何かが変わる気がした。
変わった。
ぱんでむの扉が見えた。扉の向こうに、明かりがあった。
明かりの中に、笑顔があった。
笑顔がこちらを向いた。
窓から離れた。
何も見なかったことにした。
百二十七日目——
今日から、記憶洗浄ランドリーと因果律プレス工場に加えて、悲鳴蒸留所も兼務することになった。
蒸留所に初めて入った。
大きなタンクが並んでいた。
タンクの側面に、パイプがついていた。パイプから液体が流れていた。液体は黒くて、甘い匂いがした。
タンクの上部に、投入口があった。
投入口に何かが入れられていた。
何を入れるかは見えなかった。高いところにあったから。
私の担当はタンクから採取した液体の品質確認だった。
液体を少量、小さな容器に取った。
色を確認した。黒かった。
匂いを確認した。甘かった。
味を確認した。
確認する必要があった。指示書にそう書いてあった。
舌に少量乗せた。
甘かった。
甘さの中に、別の何かがあった。
何かは書き留めなかった。
書く欄がなかったから。
百四十日目——
今日、効率評価が行われた。
「改善が確認されました」と監督員が言った。
「継続してください」と言った。
私は「はい」と言った。
その日の夜、休憩室で鏡を見た。
目の焦点が、合う場所の三センチ奥にあった。
洗濯機から取り出した個体の目は、五センチ奥だった。
私の目は、まだ三センチだった。
まだ、という感覚があった。
まだ、という感覚があることを確認した。
それが何を意味するかは考えなかった。
業務に戻った。
百五十一日目——
今日、洗濯機の中で叩く音が聞こえた。
叩く音がしても、今は作業を止めない。
音がしても、ランプが点灯するまで次の作業をする。
音が止んだ。
ランプが点灯した。
蓋を開けた。
中を見た。
私と同じ顔をした個体が出てきた。
目の焦点が五センチ奥にある目をしていた。
搬送ベルトに乗せた。
番号を確認した。
MLL7731だった。
百五十一日目(続き)——
監督員に報告しようとした。
監督員を呼んだ。
監督員が来た。端末を見た。
「記録上は問題ありません」と言った。
「同じ番号の個体が」と言いかけた。
「番号は再利用されます」と監督員が言った。
前に聞いたことがある言葉だった。
前に聞いた、という記憶があることを確認した。
確認した後で、作業を続けた。
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補充記録 No.009
分類:施設内作業員(記憶洗浄ランドリー・因果律プレス工場・悲鳴蒸留所 兼務)
識別番号:MLL7731
備考:
本話者(MLL7731)は現在も稼働中である。
稼働開始から百五十一日が経過している。
「まだ三センチだった」という認識について:
正確である。
洗浄済み個体の目が五センチ奥になっているのは、
記憶洗浄が完了した状態を示す。
話者の目が現時点で三センチ奥であるのは、
洗浄が進行中であることを示す。
話者は記憶洗浄ランドリーの作業員として採用されているが、
実際には採用時から洗浄プロセスに組み込まれている。
日常業務が洗浄の工程を兼ねている設計である。
「同じ番号の個体が出てきた」件について:
説明する。
MLL7731は今回で三周目の個体である。
一周目(元の個体)は洗浄完了後に因果律プレス工場に送られた。
二周目(複製個体)は洗浄途中で動作停止、廃棄処理された。
今回の話者(三周目)は現在百五十一日稼働中。
三周目の洗浄完了予測:あと十七日。
洗浄完了後の話者の送り先:
パンデモニウム・タワー 第38階層 管理局
GL7741として登録予定。
なお、GL7741(パンデモニウム・タワー管理局在籍)は
本補充記録の第三話に登場した幽霊社員である。
第三話の話者と本話者が同一個体の別周回であることを
確認した。
百円玉のコーヒーの記憶は、
三周を経ても〇・〇〇七%残存している。
なぜ残存しているかは不明。
ただし当該記憶断片は感情結晶として析出済みのため、
本体が何度洗浄を経ても消えない理由の調査を推奨する。
在庫切れ、なし。
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