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第七話 「斬られた後のこと」


> 視点座標:第9,002,441番世界線 中世相当期 ある王国の城塞都市・正門前広場 

> 話者:複数(城塞都市住民・兵士・市民・貴族 のべ二百三十一名)

> 記録取得方法:斬撃接触後の神経残存から自動抽出

> 抽出開始:当該クルーが広場に出現した時刻から




衛兵・男性・二十四歳


正門の前に、女が立っていた。


黒いスーツを着ていた。この国の衣装ではなかった。目の下に深い隈があった。書類の束を脇に抱えていた。腰に一本の刀を差していた。


「誰何せよ」と副長が言ったので、私は槍を構えた。


女は私を見た。目の焦点が、人の目が合う場所の五センチ奥にあった。私の目を見ているのではなく、私の目の向こう側の何かを見ていた。


「業務で来ました」と女が言った。声は穏やかで、感情の温度がなかった。


「業務とは何か」と副長が言った。


「徴募です」と女が言った。


何を言っているか分からなかった。


副長が「排除しろ」と言ったので、私は槍を突き出した。


女が刀を抜いた。


抜いた、という言葉が正確かどうか分からない。刀が鞘にあった次の瞬間、鞘の外にあった。その間がなかった。


槍が真横に両断されていた。


斬られたのが分かった。


手の中に槍の後ろ半分だけが残っていた。


女が私の右肩に刃を当てた。当てた、という言葉も正確かどうか分からない。刃が肩に触れた時、熱くも冷たくもなかった。ただ何かが決まった感触があった。


書類に何かを記録する音がした。


次の瞬間に、副長も、隣に立っていた兵士三人も、全員が同じ状態になっていた。


私は何も言えなかった。


女が正門をくぐった。


私は槍の後ろ半分を持ったまま立っていた。


立っていることができた。呼吸もできた。


ただ、何かが始まった感触があった。


何が始まったかは分からなかった。




商人・男性・四十一歳


広場で騒ぎがあった。


野次馬に混じって見ていたら、衛兵が刀を抜いた女と対峙しているところだった。


衛兵が吹き飛んだわけでも、倒れたわけでも、叫んだわけでもなかった。女が刀を一度動かした後、衛兵たちが全員静止した。


女が正門をくぐった。


衛兵たちがそのまま持ち場に戻った。


異常があったように見えなかった。でも衛兵たちの目の焦点が、少しおかしかった。


嫌な感じがしたので帰ることにした。


広場の端まで歩いたところで、女がいた。


正門をくぐったはずだった。でも広場の端に立っていた。


笑顔だった。


笑顔の中に何も入っていなかった。笑顔の形の空洞があった。


書類を広げていた。私を見ていた。私の目の五センチ奥を見ていた。


刀が動いた。




城塞都市・医師・女性・五十三歳


朝から急患が多かった。


全員、外傷がなかった。


意識がある。呼吸もある。歩ける。話せる。でも目の焦点がおかしかった。正しい場所より五センチ奥に焦点がある目をした人間が、朝から十七人来た。


症状を聞いた。全員が「広場で黒いスーツの女を見た」と言った。


見ただけで、と私は思った。


見ただけで、という言い方が正確かどうかは分からなかった。「刃が当たった」という人間が三人いた。でも傷がなかった。傷がないのに、傷があった時と同じ目をしていた。


「これはどういう状態ですか 」と一人が聞いた。


答えを持っていなかった。


「分かりません」と言った。


私が答えを持っていないことが、患者にとって良くなかった。顔が変わった。絶望の顔をした。


でも絶望すること自体は、人間の機能としてまだ生きていた。


絶望できる間は、まだ何かが残っている。


その日の夕方、広場で女を見た商人が担架で運ばれてきた。


目が開いていた。呼吸もしていた。


でも絶望の顔をしていなかった。


何もない顔をしていた。


この人間は絶望もできない段階まで進んだと分かった。




城主・男性・五十八歳


報告を受けた。


広場に女が出た。衛兵を無力化した。市民に接触した。被害が出ている。


「捕縛せよ」と命じた。


騎士団を出した。二十名。


全員が広場に向かった。


三十分後、全員が戻ってきた。


目の焦点が、正しい場所の五センチ奥にあった。


「どうした」と聞いた。


「業務を終えて参りました」と筆頭騎士が言った。


声のトーンが変わっていた。感情の温度がなかった。


「誰の業務か」と聞いた。


「M社の業務です」と筆頭騎士が言った。


M社、という言葉を、私は知らなかった。でも筆頭騎士は当然の事実として言った。


「何が起きた」と聞いた。


「徴募が行われました」と筆頭騎士が言った。「業務命令に従い、我々も参加しました」


「誰の命令か」


「業務命令です」と筆頭騎士が繰り返した。「業務命令があったので、業務を遂行しました」


筆頭騎士の目が、五センチ奥を見ていた。


「お前は今、何者か」と私は言った。


「筆頭騎士です」と筆頭騎士が言った。「業務中です」




城主の娘・女性・二十二歳


父が呼んだ。


部屋に行ったら、父が机に向かって座っていた。


「何かあったの」と聞いた。


父が振り返った。


目の焦点が、五センチ奥にあった。


「城主の業務を引き継いでくれ」と父が言った。感情の温度がなかった。


「父上?」と言った。


「業務命令を受けた」と父が言った。「引き継ぎが必要だ。書類を作った。確認してくれ」


机の上に書類があった。引き継ぎの書類が、几帳面に整理されていた。


父の字だった。


でも父の字で書かれているのに、父ではない何かが書いた書類に見えた。


「父上」ともう一度言った。


父が立ち上がった。書類を持った。私の手に押し付けた。


「よく頼む」と父が言った。


部屋を出た。


父が部屋を出た後、廊下に出た音がした。廊下を歩く音がした。階段を降りる音がした。


それきり、音がしなくなった。




城塞都市の寺院・司祭・男性・六十一歳


三日間で、城塞都市の人口の半分が変わった。


変わった、という言い方が正確かどうかは分からない。半分が、目の焦点のおかしい状態になった。


おかしい状態になった人間は、普通に生活していた。仕事をした。食事をした。会話をした。


ただ会話の内容が、少しずつ変わっていった。


「業務があります」という言葉を使う人間が増えた。「業務命令を受けました」と言いながら、それまでとは違う行動を取る人間が増えた。


業務の内容は誰も説明しなかった。説明を求めると「業務命令です」と繰り返した。


四日目の朝、寺院に女が来た。


黒いスーツを着ていた。書類を持っていた。刀を差していた。


「御用は何か」と言った。


「確認作業です」と女が言った。「この施設の在庫状況を確認します」


「在庫とは何か」


「魂の在庫です」と女が言った。「残存量が多い個体が確認できれば、業務として処理します。残存量が少ない個体は、今回の対象外です」


私は何を言えばいいか分からなかった。


「残存量が少いとはどういう意味か」と聞いた。


「すでに処理が完了している状態です」と女が言った。


寺院の中に信者が三十人いた。


女が書類を開きながら歩き始めた。


一人一人の顔の前で、書類を確認した。端末に数値を入力した。


三十人のうち、十九人の前で止まった。


十九人の前で止まるたびに、刀を一度動かした。


刀が動いた後、その人間の目の焦点が五センチ奥になった。


残りの十一人の前では止まらなかった。


「この十一人は対象外ですか」と私は聞いた。


「はい」と女が言った。書類に何かを記録した。「すでに処理が完了しています」


「誰が処理したのか」


「私です」と女が言った。「一昨日、広場で接触しました」


私は十一人を見た。


全員の目の焦点が、五センチ奥にあった。


全員、二日前から目がおかしかった人間だった。


女が寺院を出た。


残った二十九人が、私を見た。


二十九人全員の目の焦点が、五センチ奥にあった。


私だけが、正しい焦点の目を持っていた。




城塞都市・穀物商人・男性・三十七歳


今日も業務をした。


昨日も業務をした。


一週間前から業務をしている。


業務の内容は、穀物を管理することだ。それはいつもと同じだ。


いつもと違うのは、業務命令を受けていることだ。


業務命令の内容は、穀物を管理することだ。


いつもと同じ内容の業務命令を受けて、いつもと同じ業務をしている。


これが業務命令を受ける前と何が違うのか、今は分からない。


でも違う、という感触がある。


何かが違う、という感触だけが残っている。


何が違うかを考えようとすると、業務のことを考えてしまう。


業務があるので、業務をする。


今日の業務は穀物の検品だった。


明日の業務は穀物の出荷だ。


明後日の業務は——




城塞都市・司祭・男性・六十一歳(続き)


七日目に、女が寺院に戻ってきた。


今度は一人ではなかった。


もう一人の女がいた。


赤と黄色の服を着ていた。笑顔だった。最初の女と同じ種類の笑顔だった。笑顔の形の、空洞。


「憧憬です」とその女が言った。「徴募完了後の信仰エネルギー回収に来ました」


私は何も言えなかった。


「あなたも対象ですよ」と憧憬が言った。笑顔のまま言った。「残っていたんですね。珍しい」


「私には業務命令が来ていない」と言った。


「では今来ました」と憧憬が言った。


笑顔がこちらに近づいてきた。


笑顔の中に何もなかった。


近づいてくる速度は速くなかった。


ゆっくりだった。


ゆっくり近づいてきた。


ゆっくり、笑顔で近づいてきた。


ゆっくりであることが、最も恐ろしかった。


急ぐ必要がないから、ゆっくりだった。


逃げられないことを知っているから、ゆっくりだった。


私が逃げようとしたかどうかは、もう覚えていない。





────────────────────────────────

補充記録 No.007

分類:城塞都市単位・集団徴募(契約の太刀型)

供給先:因果律プレス工場 第七圧縮区画 および パンデモニウム・タワー 管理局


担当クルー:世達(徴募・一次接触・書類処理)

      憧憬(信仰エネルギー回収・二次接触)


回収結果:

 城塞都市総人口:推定二千八百名

  徴募完了(契約の太刀接触済み):二千七百九十一名

  未徴募:七名(接触機会が発生しなかった個体)

  未徴募個体の追跡:憧憬が対応中

  未徴募個体のうち回収不要と判断:〇名


  徴募済み二千七百九十一名の内訳:

   因果律プレス工場送り:一千四百二名(魂質量高・即時処理対象)

   パンデモニウム・タワー送り:八百九名(意識残存量が多い・長期稼働可能)

   現地歯車化(現地インフラ維持に転用):五百八十名

    ※城塞都市の物流・農業・行政機能を維持するため

     現地に残置。見かけ上の都市機能を継続させることで

     周辺都市への波及を防ぐ隠蔽措置として運用。


 世達の処理速度:標準比七倍(繁忙期モード)

 処理中の世達の発言記録:「……また残業になりました。有給が」

 当該発言の感情的意味:なし

 当該発言の業務への影響:なし

 記録目的:音声データとして蒸留所に送付(発言内容に

  「疲弊した感情成分」が含まれており素材として有効)


 司祭(話者・六十一歳)の最終状態:徴募完了

 最終状態に至るまでの時間:憧憬がゆっくり近づいてから

              十一秒

 「ゆっくり」であることを恐怖と認識した記録:あり

 当該恐怖の純度:九十四・七%

 悲鳴蒸留所に転送済み。


 城塞都市の現状:表面上、通常稼働中。

 周辺都市からの観測では異常なし。

 城主も、騎士団も、商人も、司祭も、全員が

  毎日業務をこなしている。

 業務の内容はそれぞれが担っていた役割と同一。

 ただし業務の目的が、城塞都市の維持から

  M社への供給に変わった。


 在庫切れ、なし。

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