第五十四話「レジ差額ゼロ円」
レジから千円抜いた。
理由は、明日の昼に返すつもりだったから。
深夜二時四十分。
客はいない。
コンビニ夜勤のユナは、自分の財布へ千円札を押し込み、レジを閉じた。
財布には百八十三円しかなかった。
給料日は明日。
朝、保育園へ払う写真代が九百円。
一晩だけ。
そう決めていた。
三時。
暇になったので、ユナはレジ点検をした。
現金残高。
合計。
差額。
《0円》
「……は?」
もう一度数えた。
千円抜いた。
間違いない。
なのに合っている。
札を一枚ずつめくる。
千円札。
五千円札。
一万円札。
不足していたはずの場所に、
千円札が一枚あった。
新品ではない。
真ん中で二つ折り。
端に青いインク。
ユナが抜いた札とは違う。
防犯カメラを巻き戻した。
二時四十分。
自分が千円を抜く。
引き出しを閉める。
三秒。
誰も触れていない。
もう一度開ける。
札が増えていた。
*
翌日。
ユナは千円を戻した。
店長には言わなかった。
言えば、最初に抜いたことから説明しなければならない。
その夜。
わざと十円抜いた。
閉める。
三秒待つ。
開ける。
十円玉が増えている。
「うそ」
もう百円。
閉める。
開ける。
増える。
五百円。
増える。
千円。
増える。
ユナは笑った。
気味が悪いより先に、笑ってしまった。
「なにこれ」
一万円札を摘まむ。
少し迷う。
戻した。
さすがに、それは怖かった。
*
午前三時十二分。
男がコーヒーを買った。
百二十八円。
五百円玉。
釣銭三百七十二円。
男が店を出て十秒ほどして、戻ってきた。
「すみません」
「はい」
「俺、五百円出しました?」
「出しましたよ」
男は財布を覗く。
「いや、あるんですよ」
五百円玉。
ユナはレジを見る。
受け取った五百円玉もある。
男は首を傾げた。
「勘違いかな」
そのまま帰った。
ユナは笑えなかった。
*
それから、試すのをやめた。
けれどレジは勝手に補充した。
客が百円多く受け取っても。
店員が釣銭を間違えても。
返品処理を誤っても。
必ず差額ゼロ。
店長は喜んだ。
「最近すごいな。レジ誤差、ずっとゼロだぞ」
ユナは曖昧に笑った。
以前は一円、五円、たまに百円。
人が扱う以上、それくらい出る。
ゼロが一週間続く方がおかしい。
しかも。
客から苦情が増えた。
「財布のお金が減ってる」
最初は一件。
次の日、三件。
その次は七件。
店の前で高校生が財布をひっくり返していた。
「絶対ここに千円あったって」
自転車の籠。
ポケット。
鞄。
何度探してもない。
ユナはレジを開けた。
千円札が一枚多い。
*
店長へ話した。
全部ではない。
「お客さんのお金が、レジに移ってるかもしれません」
店長は三秒黙った。
「寝た?」
「寝てません」
「そうじゃなくて」
「分かってます」
ユナはレジから一万円札を一枚取った。
店長が声を上げる。
「おい」
閉める。
待つ。
開ける。
一万円札がある。
店長の顔から笑いが消えた。
「今の、もう一回」
「やりません」
「一回だけ」
「嫌です」
店長は自分で千円札を抜いた。
閉めた。
開けた。
ある。
もう一度。
ある。
三度目。
店長のスマートフォンが震えた。
画面を見る。
銀行アプリ。
店長は黙った。
ユナが覗く。
《デビットカード利用 1,000円》
利用先。
この店。
店長はレジを見る。
手に持っている千円札。
引き出しに増えた千円札。
「俺から取った?」
「たぶん」
「じゃあ、戻せば」
千円札をレジへ入れる。
銀行残高は戻らなかった。
「……戻らないじゃん」
「レジはもう合ってますから」
*
二人で店を閉めた。
二十四時間営業だったが、構わなかった。
入口に臨時休業の紙を貼った。
それでもレジは動いた。
誰も買っていない。
ぴ。
画面。
《不足 3円》
硬貨が三枚落ちた。
ちゃりん。
《不足 12円》
ちゃりん。
《不足 4,218円》
札がせり上がる。
店長がコンセントを抜いた。
画面は消えない。
《不足 82,041円》
「増えてない?」
ユナはレジへ触れなかった。
金が増える音だけが続く。
ちゃりん。
かさ。
ちゃりん。
かさ。
硬貨。
札。
引き出しがいっぱいになる。
閉まらなくなった。
床へ溢れた。
「何の不足なの」
店長が呟いた。
ユナはレシートプリンターを見る。
紙が勝手に出ていた。
長い。
床を這って、棚の下まで伸びている。
拾う。
商品名はない。
金額だけ。
《3円》
《12円》
《4,218円》
《82,041円》
《1,304,220円》
最後。
《6,817,442円》
その横に、小さく名前が印刷されていた。
知らない人。
知らない会社。
知らない病院。
知らない町。
店長が途中の一行を指した。
「あ」
ユナも見た。
《214,600円》
名前。
この店。
「売上?」
店長が事務所へ走った。
金庫を開ける。
空だった。
今日の売上金がない。
レジへ戻る。
床に、同じ額が積まれていた。
ユナは分かった。
これは店の不足を埋めているんじゃない。
世界中の帳尻を、
ここへ合わせている。
*
朝五時。
レシートは店の外まで伸びた。
不足額は億を越えた。
金はもう増えていない。
入らないからだ。
代わりに数字だけが増えていく。
店長は本部へ電話していた。
繋がらない。
ユナは最初の千円札を財布から出した。
全部ここから始まったわけではないかもしれない。
それでも、
自分が最初にしたことだけは分かる。
「これ、返してなかった」
「今?」
「うん」
「意味ある?」
「知らない」
レジへ入れる。
当然、何も起きない。
差額はゼロのまま。
ユナは考えた。
それからレジを開け、
千円札を一枚取った。
店長が見る。
「また?」
「違う」
入口を開けた。
朝の歩道。
新聞配達の自転車が走っていく。
少し先で、昨日の高校生がいた。
登校途中だった。
ユナは追いかけた。
「ねえ!」
少年が振り返る。
息を切らして、千円札を差し出す。
「これ」
「え?」
「昨日なくしたやつ」
「俺の?」
「たぶん」
少年は札を見る。
端に青いインク。
「あ」
受け取った。
その瞬間。
店内から、
ぴ。
ユナは振り返った。
レジ表示。
《差額 -1,000円》
初めてだった。
ゼロではない。
ユナは笑った。
「よし」
店長が店内から叫ぶ。
「何がよしなんだよ!」
「足りなくなった!」
「よくないだろ!」
「今日はそれでいい!」
*
二人で金を配った。
レシートに名前があるものだけ。
近所の客。
店。
会社。
分かる範囲。
六十七円。
五百円。
八千円。
二万三千円。
返すたび、
レジの赤字が増えた。
《-18,402円》
《-91,710円》
《-804,331円》
店長は途中から笑っていた。
「これ、本部に何て説明する?」
「レジ誤差です」
「いくら」
ユナは表示を見る。
《-6,817,442円》
「ちょっと多めです」
「クビだな」
「店長もですよ」
「俺は止めたことにする」
「防犯カメラありますよ」
「消そう」
「犯罪増やさないでください」
外が明るくなった。
*
午前七時。
レジは空になった。
硬貨一枚ない。
表示。
《差額 -18,401,227円》
二人で床に座った。
店長が缶コーヒーを二本持ってきた。
「これ、会計いる?」
「今さら?」
一本渡される。
ぬるかった。
ユナは飲んだ。
自動ドアの向こうを、人が歩いていく。
財布を確認する人はいない。
泣いている人もいない。
ただの朝だった。
レシートプリンターが動いた。
一枚だけ。
店長が取る。
読む。
黙る。
「何」
渡された。
《不足金額 18,401,227円》
その下。
《補充先を変更しました》
《バーガーショップ・パンデモニウム》
ユナはしばらく見た。
「払えるの?」
店長は缶を傾けた。
「ハンバーガー屋だろ」
「無理でしょ」
「じゃあ、どうすんだ」
ユナはレシートを裏返した。
裏面に、
赤いスタンプが押されていた。
《釣銭不要》
二人で黙った。
店長が先に吹き出した。
ユナも笑った。
空っぽのレジだけが、
最後まで一円も補充しなかった。




