第五十五話「売切れランプ」
山道の自動販売機は、売り切れたことがない。
少なくとも、タクミが補充を始めてからは。
町から四十分。展望台の脇。赤い屋根の下に、古い自販機が一台ある。
水。お茶。缶コーヒー。炭酸。
その日、午前十一時。
登山客が最後の水を買った。
ごとん。
《売切》
タクミが荷台からケースを下ろす。
扉の鍵を回す前に、赤いランプが消えた。
登山客がもう一本買う。
ごとん。
出てきた。
「……あれ?」
扉を開ける。
水が二十四本。冷えている。
一本抜く。
二十三。
扉を閉める。
三秒。
開ける。
二十四。
「便利じゃん」
言ってから、嫌になった。
増えた一本の製造番号を撮った。
営業所へ戻って調べる。
同じ番号の箱が倉庫にあった。
二十四本入り。
一本だけ足りない。
*
翌日、タクミは倉庫の缶コーヒーに油性ペンで小さな丸をつけた。
山へ行く。
自販機のコーヒーを全部買う。
《売切》
三秒。
ランプが消える。
一本買う。
ごとん。
底に、黒い丸。
営業所へ電話する。
「倉庫、コーヒー一本減ってない?」
『減ってる。お前持ってった?』
「持ってってない」
『じゃあ誰だよ』
目の前の缶を見る。
「自販機」
『寝ろ』
切られた。
*
一週間後、苦情が来た。
《箱を開けたら一本足りない》
《客室用の水が減っている》
《冷蔵庫に入れたはずの炭酸がない》
全部、山の自販機で売っている商品だった。
販売記録。
水、三百八十一本。
お茶、百九十二本。
コーヒー、二百七本。
炭酸、九十六本。
補充した数。
ゼロ。
*
「止めればいい」
所長が電源を抜いた。
翌朝、自販機は冷えていた。
表示も点いている。
硬貨を入れる。
買える。
ブレーカーを落としても同じ。
トラックへ積もうとしても、地面から一ミリも離れない。
「じゃあ壊すか」
タクミは首を振った。
「中身、どこから来るか分かってないです」
「だから止めるんだろ」
「壊して全部出たら?」
所長は工具を置いた。
*
タクミは一晩、自販機の前にいた。
買わなければいい。
午前一時。若い女が水を買う。
午前二時。運転手がコーヒーを買う。
午前三時半。自転車の男が炭酸を買う。
「買わないでください」
男は手を止めた。
「なんで?」
「……故障です」
「出てるじゃん」
買って帰った。
午前四時十二分。
炭酸の売切ランプが点いた。
消えない。
一分。
五分。
十分。
初めてだった。
《売切》
赤い二文字が、妙にまともに見えた。
*
営業所で確認した。
炭酸は全国的に欠品していた。
工場設備の故障。出荷停止。倉庫にも店にもほとんどない。
「ないものは出せないんだ」
所長が言う。
「当たり前だろ」
「当たり前ならよかったんですけど」
販売記録に見たことのない欄が増えていた。
炭酸。
《補充候補 0》
水。
《補充候補 4,821,660》
お茶。
《補充候補 2,104,113》
コーヒー。
《補充候補 3,771,902》
所長が椅子を引いた。
「これ、全国の本数か?」
数字が、一秒ごとに減っていた。
誰かが飲むたびに。
*
山へ戻った。
タクミは水を一本買った。
ごとん。
《補充候補 4,821,659》
もう一本。
《4,821,658》
返却口へ一本置いても何も起きない。
タクミは補充扉を開けた。
空いている炭酸の列へ、自分で買った水を一本入れた。
扉を閉める。
《商品不一致》
「知ってる」
三秒。
《新規商品》
《120円》
硬貨を入れる。
炭酸だったボタンを押す。
ごとん。
水が出た。
底に、さっき爪でつけた傷。
扉を開ける。
水が二十三本並んでいた。
一つ入れたものが、二十三になっている。
所長へ電話した。
「逆です」
『何が』
「これ、持ってくるだけじゃない」
*
その日から、山の自販機は販売をやめた。
補充だけした。
不足している商品を一本入れる。
扉を閉める。
増える。
ケースへ出す。
また一本残す。
水。
経口補水液。
停電地域の乾電池。
乳児用の液体ミルク。
何でも、ではなかった。
ボタンの枠に入るものだけ。
一本目が必要だった。
それでも十分だった。
三日目。
最後の空きボタンへ、見覚えのない紙箱が入っていた。
自販機には少し大きく、角が潰れている。
《PANDEMONIUM BURGER》
値段表示はない。
タクミは扉を開けた。
一個だけ。
まだ温かい。
包み紙の下にレシートが挟まっていた。
《補充候補 1》
その下。
《売切にしないでください》
タクミはしばらく見た。
それから扉を閉めた。
ボタンの横に、赤いランプが点いた。
《売切》
三秒。
十秒。
一分。
消えなかった。
その日の営業日報に、タクミは初めてこう書いた。
《補充せず》




