第五十三話「羽毛補充場」
ホテルの枕は、少しずつ軽くなる。
最初に気づいたのは、客ではなく洗濯係のイサだった。
昨日まで一・二キロあった枕が、今日は九百グラム。
破れてはいない。
羽毛も落ちていない。
なのに中身だけが減っている。
三日で、百二十七個。
支配人は言った。
「交換しよう」
倉庫から新品を出した。
翌朝、それも軽くなった。
五日目、納品業者が来た。
白い袋を三十個。
《補充用羽毛》
イサは一袋持ち上げた。
妙に冷たい。
「これ、何の鳥?」
業者の男は伝票を見た。
「鳥ではありません」
袋の口から、白いものが一片こぼれた。
指でつまむ。
羽毛ではない。
水だった。
触れた瞬間だけ綿のように形を持ち、指先で溶けた。
男は言った。
「雲です」
*
補充場は、山の上にあった。
ホテルから車で一時間。
観光道路を外れ、柵を二つ越えた先。
巨大な銀色の塔が並んでいる。
塔の上部から、太い管が空へ伸びていた。
吸い込み口は見えない。
ただ、雲が近づくと形が崩れた。
白い稜線がほどけ、一本の管へ吸い込まれていく。
下の建屋から袋が出てくる。
《一号積乱雲 十二・四キログラム》
《層雲 七・一キログラム》
《巻雲 〇・八キログラム》
作業員たちは普通の顔で袋を積んでいた。
イサは聞いた。
「空から取っていいの?」
若い作業員が笑った。
「減ったら、またできますよ」
「誰が?」
「空が」
*
最初の一週間は、うまくいった。
枕はふかふかになった。
客室の苦情も消えた。
ホテルは追加発注した。
近隣の病院も。
寝具メーカーも。
航空会社も。
《天然雲綿》
軽い。
蒸れない。
形が戻る。
評判になった。
補充場は二十四時間稼働になった。
空だけが、青くなった。
*
雨が降らなくなった。
十日。
二十日。
天気予報には雨の記号が出る。
しかし雲が来ない。
気象台は上空の水蒸気量を発表した。
平年並み。
雲だけがない。
貯水池の岸が日に日に下がった。
畑が割れた。
川底に自転車が出た。
ホテルでは、客がよく眠った。
「最高の枕だった」
チェックアウトのたび、そう言われた。
イサは笑えなくなった。
*
補充場へ行った。
夜だった。
塔は全部動いていた。
晴天。
星が異様に多い。
なのに管の中を、白い塊が流れている。
「雲なんてないじゃない」
作業員は答えなかった。
袋を見る。
《未形成雲》
《降水予定 二日後》
《降水予定 六日後》
イサは一袋を落とした。
「未来の雲まで取ってるの?」
責任者が出てきた。
「需要が増えましたから」
「雨は」
「不足しています」
「補充しないの?」
責任者は端末を見た。
【雨水:不足】
【補充原料:雲】
【雲:不足】
【補充原料:未形成雲】
その下。
【未形成雲:不足】
イサは画面を指した。
「この次は?」
責任者は黙った。
表示が一行増えた。
【補充原料:海】
*
翌朝、海面が一センチ下がった。
ニュースでは潮位変動と説明された。
二日後、三センチ。
補充場の倉庫には、新しい袋が積まれていた。
《海由来雲綿》
ホテルの発注画面には、割引表示。
《大量入荷につき二〇%OFF》
イサは全客室の枕を集めた。
三百四十二個。
従業員に何も説明しなかった。
説明したら止められると思った。
駐車場へ積む。
カッターで一つ裂く。
白い綿が噴き出した。
地面へ落ちない。
空へ昇った。
二つ目。
三つ目。
百個目で、ホテルの上に小さな雲ができた。
警報が鳴った。
【商品損耗】
【在庫流出】
イサは二百個目を裂いた。
雲が厚くなった。
三百個。
風が吹いた。
最後の一つを裂いた時、雷が鳴った。
雨が落ちてきた。
最初は数滴。
すぐに土砂降りになった。
従業員たちが玄関から出てきた。
誰も怒らなかった。
何人かは、ただ空を見ていた。
イサも濡れた。
制服が重くなった。
こんなに重い雨は初めてだと思った。
*
三日後。
補充場は閉鎖された。
塔は止まった。
公式理由は設備不良。
ホテルは普通の羽毛枕へ戻した。
少し蒸れる。
へたりやすい。
客から苦情も来る。
それでいいとイサは思った。
納品口に、一つだけ白い袋が残されていた。
宛先。
《バーガーショップ・パンデモニウム》
内容物。
《雨上がり 一袋》
イサはしばらく見た。
それから袋の口を開けた。
何も入っていなかった。
外で、水たまりを踏む音がした。
子どもが笑った。
袋の底に、雨の匂いだけが残った。




