第五十一話「不足移送便」
最初の荷物は、
赤い長靴だった。
片方だけ。
泥が乾いて、
かかとに子どもの名前が書いてある。
《ノア》
俺は伝票を見た。
配送先。
ベルグ村。
不足品目:
子供用長靴、左。
数量:
1。
ずいぶん細かい注文だと思った。
けれど、
災害復旧便なら、
そんなものもあるのだろう。
俺は箱を閉じた。
*
俺はマラ・ベック。
長距離貨物の運転手をしている。
二週間前、
山間部の豪雨で、
三つの村が孤立した。
道路が開通し、
物資輸送が始まった。
食料。
水。
毛布。
薬。
建材。
俺の仕事は普通だった。
少なくとも、
一便目までは。
*
ベルグ村は、
思っていたより壊れていなかった。
橋は落ちていた。
畑も泥を被っている。
だが家は残っている。
住民もいる。
荷物を降ろすと、
村の男が赤い長靴を見た。
「あ」
声を上げた。
「ノアのだ」
少年が走ってきた。
右足には、
赤い長靴。
左足は靴下。
箱から出した左を履く。
ぴったりだった。
少年は笑った。
「見つかった!」
母親も笑った。
俺も、
少し嬉しくなった。
いい仕事だと思った。
*
帰り道。
三十キロほど離れたルート村で、
道が混んでいた。
前に救急車。
人だかり。
徐行する。
道路脇で、
母親らしい女が、
裸足の少年を抱えていた。
少年は泣いていた。
右足に、
赤い長靴。
左足は靴下。
母親が叫んでいる。
「さっきまで履いてたの!」
俺は、
ブレーキを踏んだ。
後ろからクラクション。
少年の右長靴。
かかと。
泥で見えにくい。
白い文字。
《ノア》
*
次の荷物。
結婚指輪。
配送先:
ベルグ村。
不足品目:
婚姻指輪。
数量:
1。
内側に、
《L & E 2041.6.12》
刻印。
受取人の老婆は、
箱を開けた瞬間に泣いた。
「主人の」
四年前に亡くした夫の指輪らしい。
洪水の日、
形見箱ごと流された。
老婆は何度も、
ありがとうと言った。
俺は何も言えなかった。
*
帰路。
ルート村の食堂。
老いた女が、
床を這っていた。
「ない」
椅子の下。
テーブルの下。
ゴミ箱。
「何が」
俺が聞いた。
「指輪」
左手薬指。
日焼け跡だけがある。
「主人の形見なの」
胸の奥が冷えた。
「いつなくした」
「今朝よ」
刻印を聞いた。
女は答えた。
《L & E 2041.6.12》
*
俺は配送所へ戻った。
夜十一時。
荷積み担当は帰っている。
倉庫だけが開いていた。
照明が一本、
細かく明滅している。
パレットが十九台。
箱。
箱。
箱。
全部、
ベルグ村行き。
伝票を一枚ずつ見た。
台所用椅子。
犬用首輪。
写真立て。
子どもの教科書。
義足。
家の鍵。
乳児用毛布。
墓石。
俺は手を止めた。
墓石。
そんなものまで、
救援物資なのか。
箱を開ける。
石の表面に、
濡れた土。
彫られた名前。
《アニカ・ロウ》
生没年。
きちんと入っている。
裏側には、
地中から引き抜かれたばかりの根が絡んでいた。
*
ルート村へ向かった。
深夜。
墓地。
懐中電灯で照らす。
墓石が一つない。
穴。
湿った土。
根。
隣の墓の前に、
老人が座っていた。
「盗まれた」
俺を見る。
「娘の墓が」
名前を聞く必要はなかった。
*
配送所へ戻り、
残りの箱を全部開けた。
新品は、
一つもなかった。
椅子には擦り傷。
首輪には犬の毛。
教科書には落書き。
鍵には皮脂。
写真立ての裏には、
家族へのメモ。
補充物資ではない。
使用済み。
誰かの所有物。
どこかから、
そのまま抜き取られている。
最後の箱。
やけに大きかった。
人が一人入れるくらい。
伝票。
【配送先】
ベルグ村。
【不足品目】
住民。
俺は箱から離れた。
*
中から、
音がした。
こつ。
もう一度。
こつ。
「誰かいるのか」
返事なし。
箱の留め具へ手を掛ける。
外す。
蓋を少し開く。
暗い。
臭い。
汗。
人間の臭い。
「助けて」
男の声。
蓋を開けた。
四十代くらい。
作業着。
手足を縛られているわけではない。
なのに出ようとしない。
「立てる?」
男は俺を見た。
「ここ、どこですか」
「配送所」
「ルート村じゃない?」
やっぱり。
「名前は」
「エミル・ハース」
俺は伝票を見る。
ベルグ村。
不足品目:
住民。
詳細:
電気設備技師。
男を見る。
作業着の胸。
《ルート電設》
「家族は」
「妻と娘」
「今、どこにいる」
「家」
「何時まで覚えてる」
男は眉を寄せた。
「夕飯食べて……」
少し考える。
「娘が数学の宿題を聞いてきて」
そこで終わったらしい。
*
俺は箱から男を引きずり出した。
端末が鳴った。
【配送不履行】
無視。
男を助手席へ乗せた。
ルート村へ走る。
午前一時十二分。
男の家。
明かりが点いている。
妻。
娘。
二人とも玄関へ出てきた。
娘が男へ飛びついた。
その瞬間、
家中の電気が消えた。
村も。
街灯も。
遠くの変電施設まで。
真っ暗。
俺の配送端末だけが、
助手席で光っていた。
【不足を再検出】
【ベルグ村】
【電気設備技師:0】
男の娘が、
父親を掴んだまま言った。
「行かないで」
男は、
ようやく状況を察したらしい。
俺を見る。
「俺を運ぶ予定だった?」
答えなかった。
端末。
【代替品検索中】
数秒。
【候補を検出】
画面に、
俺の名前が出た。
マラ・ベック。
職業:
貨物運転手。
技能:
大型車両運転。
電気設備技能:
なし。
【適合率:12%】
【加工により使用可能】
*
端末を道路へ投げた。
割れない。
何度踏んでも。
男が娘を家へ押し戻す。
「車に乗れ」
「何する」
「ベルグへ行く」
「自分から?」
「俺を欲しがってるんだろ」
「届ける気か」
「違う」
男は暗い村を見る。
冷蔵庫が止まり、
ポンプが止まり、
病院の非常灯が点いた。
「俺がいなくなったら、ここが困る」
「だから戻した」
「なら向こうも困ってる」
俺は黙った。
それはそうだ。
ベルグ村の技師は、
洪水で死んだのかもしれない。
だから補充しようとしている。
ただし、
補充元は別の村。
男が車へ乗った。
「見てくる」
「何を」
「本当に足りないのか」
*
夜明け前。
ベルグ村。
発電設備は故障していなかった。
技師もいた。
若い男。
作業中。
エミルが声を掛ける。
「技師はいるじゃないか」
村長が困った顔をした。
「一人しかいない」
俺とエミルは、
同時に黙った。
「洪水前は二人だったんです」
村長は続ける。
「一人亡くなった」
一人いる。
でも、
以前は二人。
だから、
不足。
それだけだった。
*
倉庫へ戻った。
俺は配送予定を全件開いた。
ベルグ村だけではなかった。
ルート村。
ハイゼ村。
近隣都市。
別の世界線座標。
不足がある場所へ、
余っている場所から送る。
いや。
余っているかどうかは、
判定されていない。
必要数との差だけを見る。
椅子が一脚足りない。
別の家から一脚。
墓石が一つ足りない。
別の墓地から一つ。
家族が一人足りない。
別の家族から一人。
画面の最下部。
【総不足数】
18,401,227。
【総在庫数】
18,401,227。
ぴったり同じ。
俺は、
しばらく意味が分からなかった。
分かった瞬間、
倉庫の奥からトラックのエンジン音がした。
一台。
二台。
十台。
シャッターの向こうに、
延々と並んでいる。
全部、
満載。
────────────────────────────────
【補充記録 No.051】
分類:
不足移送型
補充方式:
不足対象と同種の既存在庫を、
他地点より転送。
製造工程:
なし。
復元工程:
なし。
複製工程:
なし。
確認された移送例:
衣類。
生活用品。
家具。
記念品。
医療用品。
建材。
社会設備。
住民。
重要事項:
本処理は、
世界全体の在庫総数を増加させない。
不足地点Aへ対象を補充した場合、
供給地点Bに同数の不足が新規発生する。
Bの不足は、
地点Cより補充可能。
Cの不足は、
地点Dより補充可能。
理論上、
処理を継続することで、
すべての不足地点へ順次補充可能。
ただし、
不足総数は減少しない。
────────────────────────────────
朝六時。
配送所のシャッターが開いた。
最前列のトラックに、
新しい行先が表示される。
《バーガーショップ・パンデモニウム》
積荷欄。
空欄。
その下だけ、
赤い文字。
【現地調達】




