第五話 「縫合記録」
> 視点座標:第1,887,004番世界線 現代相当期 ある都市の郊外 個人住宅地下室
> 話者:子ども・性別不明・推定年齢十二歳前後
> 記録取得方法:意識の最終残留から自動抽出
> 抽出精度:低(話者の意識構造が抽出時点で部分的に変質済み)
おとうさんが地下室を「実験室」と呼んでいた。
最初から地下室があったわけじゃない。去年の春ごろ、おとうさんが一人で掘り始めた。週末のたびに土を運び出していた。わたしはときどき手伝った。おとうさんは「お前がいると捗る」と言った。褒められた気がして、嬉しかった。
半年かかって地下室ができた。
壁はコンクリートで固めてあった。換気口が一つ、天井の角についていた。照明は蛍光灯が三本、水平に並んでいた。真ん中の一本が最初から少し点滅していた。
おとうさんは地下室にいろいろなものを持ち込んだ。金属の棚。瓶がたくさん。針と糸。メスのような刃物。それと、動物の体の部位。
動物の体の部位は、最初は小さいものだった。うさぎとか、猫とか。
段々大きくなっていった。
わたしはおとうさんが好きだった。
ちゃんと好きだったと思う。おとうさんはわたしの話を聞いてくれたし、ごはんをいっしょに食べてくれたし、休日はよく出かけた。地下室ができてからは出かける回数が減ったが、地下室に連れて行ってもらえることが増えた。
おとうさんは地下室で「作業」をしていた。
作業の内容は最初、わたしにはよく分からなかった。縫っているのは分かった。でも何を縫っているのかが分からなかった。
ある日聞いた。
「何を作っているの?」
おとうさんは少し考えてから言った。
「友達を作っている」
「友達?」
「バラバラになっているものを、一つにする。そうするとちゃんと動く。動くものが友達だ」
おとうさんがそう言ったので、そういうものだと思った。
最初に「動いた」のは、猫と犬の体の部位を組み合わせたものだった。
頭が猫で、前半身が犬で、後ろ半身がまた猫だった。縫い目がいくつもあった。おとうさんが何かを注射したあと、それが動いた。
足がうまく合っていなかったので、歩き方がおかしかった。右前足と左後ろ足が同時に出る歩き方をした。でも動いていた。
「動いた」とわたしは言った。
「そうだ」とおとうさんは言った。嬉しそうだった。わたしも嬉しかった。動いているのが嬉しかった。怖くなかった。
おとうさんと一緒にいる時は、怖くなかった。
動くものが増えた。
地下室の奥に、金属のケージが並んだ。ケージの中に、動くものが入っていた。全部、複数の動物の部位を縫い合わせたものだった。
わたしは時々ケージに近づいて、中のものを見た。中のものは、わたしを見た。目が複数あるものもいた。目が一つしかないものもいた。鳴くものもいた。鳴いても声が出ないものもいた。
一つだけ、よく動くものがいた。
大きさは猫より少し大きくて、全体的に水色と赤の毛色だった。体の各所に縫い目があった。尻尾が二本あった。どちらの尻尾も独立して動いた。
わたしがケージに近づくと、それはケージの前に来た。格子をつかんだ。指が七本あった。
「この子、名前あるの?」とわたしは聞いた。
「まだない」とおとうさんは言った。
「わたしがつけていい?」
おとうさんは少し考えてから「好きにしろ」と言った。
わたしは少し考えた。
「輪廻って名前にする」
なぜその名前にしたか、うまく説明できなかった。でも、何度も死んで何度も動き出すものに、その名前が合う気がした。
輪廻は賢かった。
格子をつかむことを覚えた次に、格子の留め具を外すことを覚えた。外し方を見せてやったのはわたしだった。怒られると思ったが、おとうさんは「賢い」と言った。
ケージの外に出ると、輪廻は地下室を歩き回った。歩き方はおかしかった。脚の継ぎ目のせいで、右と左で歩幅が違った。でも慣れていくのが分かった。三日後には段差を越えられるようになった。
わたしは輪廻に食べ物をやった。何でも食べた。金属のボルトを食べても平気だった。
「なんでも食べるんだね」とわたしは言った。
輪廻はわたしを見た。目が三つあった。三つの目で同時に見るのは、少し不思議な感じがした。
おとうさんの「友達」が増えていく一方で、何かが変わり始めた。
地下室から出るとき、おとうさんが施錠するようになった。以前は鍵をかけていなかった。
「なぜ鍵をかけるの?」と聞いた。
「大事なものがあるから」とおとうさんは言った。
「何が大事なの?」
「全部だ」
それだけだった。
ある日の夜、地下室から音がした。
わたしは自分の部屋で寝ていたが、音で目が覚めた。地下室の床を叩くような音だった。繰り返していた。
翌朝おとうさんに「昨日の夜、音がした」と言った。
おとうさんは「聞こえなかった」と言った。
次の夜も音がした。次の次の夜も。
三日目の夜、わたしは地下室の扉まで行った。扉の前に立った。音は扉の向こうからしていた。叩く音だった。でも輪廻の叩き方ではなかった。もっと重くて、一定だった。
わたしは扉を開けようとした。
鍵がかかっていた。
次の週末、おとうさんは新しいものを地下室に持ち込んだ。
今度は動物ではなかった。
わたしはその時、地下室の入り口に立っていた。おとうさんが運んでいるものを見た。大きさは、わたしと同じくらいだった。
目が合った。
目が合ったが、向こうは何も言わなかった。目が開いていたが、焦点が人の目が合う場所より、五センチくらい奥にあった。
おとうさんがわたしに気づいた。
「先に上がっていなさい」とおとうさんは言った。
いつもより声が低かった。
わたしは言われた通りに上がった。
その夜から、地下室の音が変わった。
それまでは叩く音だった。叩く音の中に、別の音が混じり始めた。
声だった。
何を言っているかは聞き取れなかった。でも声だということは分かった。
わたしは自分の部屋で布団をかぶった。布団をかぶっていても聞こえた。
翌朝、おとうさんは普通に朝ごはんを作った。普通に食べた。普通に話した。わたしも普通に食べた。普通に話した。
普通だった。
普通にしていることが、怖かった。
二週間後の土曜日、おとうさんが「手伝え」と言った。
地下室に降りた。
奥のケージに、新しいものがいた。
人の形をしていた。ほぼ人の形をしていたが、腕が三本あった。一本だけ色が違った。継ぎ目がはっきりと見えた。
目が三つあった。
中の一つは、輪廻の目だった。
わたしは輪廻を探した。ケージを全部見た。輪廻はいなかった。輪廻がいたケージは空だった。
「輪廻は」とわたしは言った。
「部品が足りなかったから使った」とおとうさんは言った。「お前がつけた名前は引き継いでいい。新しい方が輪廻だ」
新しい方を見た。
輪廻の目が、わたしを見た。
わたしのことを認識しているのかどうか、分からなかった。
わたしは地下室を出た。
階段を上がった。
自分の部屋に入った。
扉を閉めた。
翌朝から、おとうさんは地下室に泊まるようになった。
朝ごはんを一人で食べた。学校に一人で行った。帰っても地下室から出てこなかった。扉の前に立って「おとうさん」と声をかけたら「後で行く」と言った。後では来なかった。
一週間そういう日が続いた。
八日目の朝、玄関に見知らぬ人が来た。黒いワンピース型の制服を着た女性だった。胸のところに金色のMのバッジが付いていた。
「確認作業に来ました」とその人は言った。
「何の確認ですか」
「在庫状況の確認です」
「何の在庫ですか」
「素材の在庫です」とその人は言った。「最上品質の縫合素材が、この座標に集積していると記録されています。確認と回収に来ました」
わたしは少し考えた。
「素材というのは、地下室にいる人たちのことですか」
「はい」とその人は言った。「及び、製造者の方も対象です」
「おとうさんも」
「はい」
その人は微笑んだ。スマイルが、物理的に明るかった。
「なぜですか」とわたしは聞いた。
「製造者は製造物の品質の一部です。製造者の技術・思想・感情が素材の品質を決定します。高品質な製造者を回収することで、より高品質な縫合素材の継続生産が可能になります」
「おとうさんは、これからも縫い続けるということですか」
「はい。環境が変わるだけで、業務は継続します」
「どこで」
「工場で」とその人は言った。「より効率的な設備の整った場所で、より多くの素材を扱っていただきます」
わたしは地下室に降りた。
おとうさんがいた。作業台の前にいた。作業台の上には、また何かが横になっていた。
「おとうさん」とわたしは言った。「外に人が来た」
おとうさんが振り向いた。目が、焦点より少し奥を見ていた。
「業者か」とおとうさんは言った。
「確認と回収に来たと言っていた」
「そうか」とおとうさんは言った。「来ると思っていた」
「知っていたの?」
「こういうものを作り続けると、いつか来る」とおとうさんは言った。「来た人間が何者かは分からなかったが、来ることは分かっていた」
「なぜ続けたの」
おとうさんがしばらく黙った。
「お前に怒られると思うが」とおとうさんは言った。「やめられなかった。動くものが好きだった。動かないものが動き始める瞬間が好きだった。それだけだ」
動かないものが動き始める瞬間。
わたしも、それが好きだった。輪廻が初めて格子をつかんだ時。段差を越えた時。
「わたしも連れて行かれるの」とわたしは聞いた。
おとうさんが少し止まった。
わたしを見た。
「お前のことは」とおとうさんは言った。「心配しなくていい」
「なぜ」
おとうさんが口を開きかけた。
閉じた。
また開いた。
「……お前は、最初から大丈夫なはずだ」とおとうさんは言った。声が少し変だった。「だから、心配しなくていい」
最初から、という言い方が、少し引っかかった。
でも制服の人が降りてきたので、それ以上聞けなかった。
地下室に、制服の人が降りてきた。
後ろにもう二人いた。
おとうさんを見た。作業台の上のものを見た。ケージを見た。奥の、人の形をしたものを見た。
端末に何かを入力した。
「素材の品質を確認します」とその人は言った。
測定が始まった。
縫合素材の品質確認が一体ずつ進んだ。数値が端末に記録されていった。
「製造者の評価を行います」とその人はおとうさんに言った。
おとうさんが立った。
測定された。数値が記録された。
それからその人がわたしを見た。
端末を見た。端末を見て、少し止まった。
「この個体の分類を確認します」と言った。
わたしを見た。端末を見た。わたしを見た。
また止まった。今度は長かった。
「……少々お待ちください」とその人は言った。初めて声のトーンが変わった。事務的ではない何かが混じった。「確認事項があります」
端末を操作した。何かを検索しているようだった。
「この個体の生体登録コードを確認します」とその人は言った。「腕の内側を見せてください」
わたしは腕の内側を出した。
その人が端末のスキャナーをかざした。
ピ、という音がした。
端末の画面を見た。
「……」
その人が長い間、端末を見ていた。
それからわたしを見た。
「一点確認させてください」とその人は言った。声がさらに変わっていた。「あなたは、自分が人間だと思っていますか」
わたしは少し考えた。
「人間ではないんですか」
「記録によると」とその人はゆっくり言った。「あなたは、この製造者が最初に作った縫合個体です。製造から約十二年が経過しています。縫合精度が極めて高いため、外見上の判別が困難な状態です」
わたしは何も言えなかった。
「十二年前の製造記録があります」とその人は続けた。「製造者は当時、初めて人型の縫合に成功しました。その個体に、自発的な行動と感情模倣の機能を付与した。生活圏に置き、自然な環境で経過を観察していた。それがあなたです」
わたしは自分の腕を見た。
縫い目がないか確認した。
なかった。
でも、なかったことが、証拠にならないと分かった。
おとうさんが「縫合精度が極めて高い」と言われていた。
十二年間、縫い目を隠せるくらい精度が高ければ。
「……お前のことは心配しなくていい」
おとうさんの声が、頭の中で繰り返した。
最初から大丈夫なはずだ。
最初から。
わたしはおとうさんを見た。
おとうさんはわたしを見ていた。
目が合った。
おとうさんは何も言わなかった。
言わなかった。
表情が、普通だった。いつものおとうさんの顔だった。
普通にしていることが、怖かった。
ずっと、ずっと怖かった。
最初から。
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補充記録 No.005
分類:複数(内訳は以下)
対象A(製造者・成人男性)
分類:高精度縫合技術保有者
供給先:カワイイ縫製工場 特別縫合区画
備考:縫合技術の精度が規定値の三倍。独学での到達は異例。
思想・感情パターンを技術に統合した稀有な型。
当初の動機は「動くものへの愛着」。
当該感情は製造物の品質向上に直接寄与するため消去不要。
工場での稼働中も当該感情は維持させる方針とする。
対象B群(縫合済み個体・計八体+αは以下を参照)
分類:縫合素材(各種品質)
供給先:カワイイ縫製工場 素材倉庫
備考:「輪廻」と命名された最終型個体は品質最高位。
当該個体は工場での見本として保存。廃棄禁止。
対象C(話者・推定年齢十二歳)
分類:縫合個体・第一号(初期型・高精度仕上げ)
供給先:パンデモニウム本店 縫合担当クルー補助枠
備考:
対象Aが十二年前に製造した初の人型縫合個体。
製造から現在まで、生活環境での長期観察対象として運用。
外見上の縫合痕は完全に隠蔽されており、
対象C本人を含む周囲の人間は全員「人間」と認識していた。
これはM社の長期実証実験の結果であり、
「縫合個体が十二年間人間社会に溶け込めるか」という
命題への回答として機能した。結論:可能。
対象Cが「動かないものが動き始める瞬間が好き」という
感情を持っていることを確認。
これは対象Aが製造時に付与した感情モジュールではなく、
十二年間の生活環境で自発的に形成されたものである。
製造者の感情が製造物に伝播した可能性を示す貴重な記録。
対象Cに縫合個体であることを告知した直後の
感情反応データを回収済み。
純度:九十六・一%。
「理解した瞬間の絶望」として分類。
悲鳴蒸留所に転送し素材として使用する。
なお対象Cは現在も「自分が人間かもしれない」という
可能性を捨てきれていない。
この宙吊り状態が追加の絶望を継続生成しているため、
真偽の確定的な告知は保留する。
宙吊り状態を維持したままパンデモニウムに配属する。
対象Aへの再会については記録に残さない。
工場と本店は施設が異なる。
接触の機会は発生しない。
対象Cに説明する必要はない。
在庫切れ、なし。
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