↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
48/51

第四十八話「見られる側」


「エリック」


店の外から、


誰かがそう呼んだ。


俺は振り向かなかった。


Fry.Gではない。


知らない名前だった。


「エリック」


もう一度。


女の声。


近い。


自動ドアの向こうに、


一人の少女が立っていた。


見える。


石じゃない。


輪郭でもない。


顔がある。


髪がある。


汚れた黄色い上着。


片方だけ靴紐がほどけている。


俺を見ると、


泣きそうな顔になった。


「やっと見つけた」


俺は、


抱えていたミアの石を少し強く抱いた。


「誰だ」


少女の顔が止まった。


「……何言ってるの?」


「俺を知ってるのか」


「知ってるよ」


一歩近づく。


「お父さん」


背後で、


レジが鳴った。



「違う」


俺は言った。


少女は、


何も答えなかった。


その沈黙が、


妙に痛かった。


俺には子どもはいない。


少なくとも、


覚えていない。


少女がポケットから写真を出した。


三人。


少女。


知らない女。


そして、


俺。


写真の俺は、


今より少し太っていた。


笑っている。


裏面。


《エリック、リナ、ソフィ》


俺は写真を返した。


「加工だ」


「何が?」


「俺はFry.Gだ」


少女。


ソフィは、


写真を胸へ抱いた。


「それ、仕事の名前でしょ」


店の外に、


別の足音。


男が一人。


老婆が一人。


小さな男の子。


みんな見える。


男が俺を見て言った。


「主任」


老婆。


「先生」


少年。


「お兄ちゃん」


さらに来る。


十人。


五十人。


百人。


全員、


俺を知っている。


全員、


違う呼び方をした。



管理端末を開いた。


【観測対象補充:開始】


【不足項目:被観測関係】


意味を確認する暇はなかった。


ソフィが俺の袖を引く。


「帰ろ」


「どこへ」


「家」


「俺の家は観測施設だ」


「違う」


初めて、


強く言った。


「昨日も帰ってきたじゃん」


端末。


【エリック・フェルド】


年齢:41。


職業:保険調査員。


配偶者:リナ・フェルド。


子:ソフィ・フェルド。


俺は39歳だ。


次。


【エリック・フェルド】


年齢:67。


元大学教員。


次。


【エリック】


年齢:24。


兄。


次。


【主任F.G】


年齢:39。


世界線観測員。


それだけが、


俺の知っている俺だった。


ただし。


写真がない。


家族なし。


出生記録なし。


学歴なし。


観測施設へ配属される以前の履歴、


空白。


俺は画面を閉じた。


ソフィが言った。


「ねえ」


「なんだ」


「私のこと、本当に分からない?」


「……分からない」


少女は泣かなかった。


代わりに、


ほどけていた靴紐を結び直した。


それから言った。


「じゃあ、思い出すまで一緒にいる」



二十四日目。


街に人が戻った。


そう見えた。


昨日まで石ころだった道に、


人間が歩いている。


母親が子どもの手を引いている。


会社員が電話をしている。


犬の散歩。


買い物袋。


笑い声。


俺は走った。


「戻ったのか」


石がない。


人がいる。


人が、


互いを見ている。


ぶつかれば謝る。


名前を呼ぶ。


笑う。


俺は、


久しぶりに街の喧騒を聞いた。


ソフィが隣で、


アイスを食べていた。


「だから言ったじゃん」


「何を」


「みんないるって」


その時は、


少しだけ、


信じた。



公園のベンチ。


老人が鳩へパンを投げている。


昨日、


そこには石があった。


声を記録した。


《妻を待ってる》


俺は老人へ近づいた。


「奥さんは?」


老人が笑った。


「独身ですよ」


喉が乾いた。


駅前。


若い女性。


昨日の記録。


《子ども迎えに行かなきゃ》


「子どもは?」


「いませんけど」


住宅街。


あの家。


母親を呼んでいた子ども。


玄関の前に、


若い夫婦がいた。


子どもはいない。


俺は端末を開く。


記録が書き換わっていた。


八千四百十二件。


全部、


別人。


声も違う。


名前も違う。


人生も違う。


人間は戻っていなかった。


補充されていた。



走った。


店へ。


ミアを置いてきた。


カウンター。


菌糸の店員。


その奥に、


石がある。


「ミア」


亀裂。


小さな声。


「……いる」


まだいた。


俺は石を抱き上げた。


「よかった」


それだけ言った。


その時、


ソフィが店へ入ってきた。


息を切らしている。


「急に走らないでよ!」


俺は振り向く。


「お前は誰だ」


「またそれ?」


「本当に答えろ」


「ソフィ」


「誰の?」


怒った顔。


「お父さんの娘!」


「その父親はいつからいる」


「何言ってるの」


「生まれた時からか」


「当たり前でしょ!」


「俺が生まれた時は?」


ソフィが止まった。


「……え?」


「俺はどこで生まれた」


答えない。


「母親の名前は」


答えない。


「俺の子どもの頃の話をしてみろ」


ソフィの口が開いた。


閉じた。


また開いた。


「お父さんは……」


声が震えた。


「お父さんは、私のお父さんだよ」


それしか、


出てこなかった。



端末が鳴る。


【補充進捗:61%】


【被観測者:正常化中】


【人物関係:補充中】


【過去履歴:補充中】


街の人間が増えていく。


石の声が、


減っていく。


一人補充されるたび、


一つ消える。


俺はミアを抱えた。


「止めるぞ」


ソフィが袖を掴む。


「待って」


「離せ」


「止めたらどうなるの」


「知らない」


「私も消える?」


答えられなかった。


ソフィは、


袖を離さなかった。


「私、お父さんの偽物なの?」


「分からない」


「じゃあ」


涙が落ちた。


「分からないまま助けてよ」


端末。


【進捗:72%】


窓の外で、


誰かが笑う。


その足元から、


小さな石の声。


「ここにいる」


補充された男は、


気づかず踏んだ。


俺は端末を床へ置いた。


電源を切ろうとする。


反応なし。


叩く。


反応なし。


ソフィが、


横から端末を奪った。


「これ?」


補充停止。


赤いボタン。


俺が見落としていた。


「押すな」


自分でも驚いた。


ソフィの指が止まる。


「なんで」


押せば止まる。


たぶん。


そして、


ソフィも消えるかもしれない。


目の前にいる。


泣いている。


俺を父親と呼ぶ。


記憶は偽物かもしれない。


人生は後から追加されたのかもしれない。


それでも、


今はいる。


ミアの石から、


小さな声。


「……Fry」


ソフィ。


「お父さん」


二つの名前。


俺は、


ソフィの手ごと、


ボタンを押した。



街から、


音が消えた。


一秒。


二秒。


誰も消えなかった。


ソフィもいる。


補充された人々もいる。


石もある。


端末だけが、


表示を変えた。


【観測対象補充:中断】


【補充済対象:保持】


【未補充対象:保持】


俺は笑った。


「雑だな」


ソフィが鼻をすすった。


「何が」


「どっちも残した」


「いいじゃん」


「よくねえよ」


「私はいい」


妙に即答だった。


その時、


ミアの石が割れた。


今度は、


手だけではなかった。


肩。


顔。


黒い髪。


幼い女の子が、


石の中から転がり出た。


咳をした。


床へ手をつく。


俺を見る。


次に、


ソフィを見る。


「……誰?」


ソフィは、


しゃがんだ。


「ソフィ」


ミアは少し考えた。


「私はミア」


二人が、


握手した。


その瞬間。


端末に、


新しい表示。


【同一座標に二つの人口を検出】


俺は画面を見た。


数字が二段あった。


【保存人口:8,412】


【補充人口:8,412】


合計。


16,824。


そして、


街のあちこちで、


石が割れ始めた。


────────────────────────────────


【補充記録 No.048】


分類:


観測対象・関係履歴補充型


対象:


No.046世界線


処理目的:


石ころとして保存された対象群に対し、


「人間として観測可能な対象」を補充。


処理結果:


補充対象は、


保存対象の復元ではなく、


それぞれ独立した人物履歴を持つ新規個体として生成。


元保存対象:


維持。


補充個体:


維持。


処理中断により、


双方が同時存在状態へ移行。


例外個体:


ソフィ・フェルド。


補充履歴上、


Fry.Gを父親として登録。


Fry.G側に対応記憶なし。


ただし、


補充中断時、


Fry.G自身の判断により保存対象から除外されず。


追加例外:


ミア。


石ころ保存状態より、


自発的人型復帰を確認。


現在人口:


保存人口 8,412。


補充人口 8,412。


重複判定:


不能。


備考:


今回初めて、


「補充された存在を廃棄せず、


元の存在も回復させる」


状態が発生。


在庫管理上、


不足は解消された。


ただし、


在庫数は二倍となった。


────────────────────────────────


翌朝。


ソフィが、


俺の隣で眠っていた。


ミアは床で丸くなっていた。


俺は二人分の毛布を掛けた。


窓の外では、


昨日まで一人だった人間たちが、


二人ずつ歩いていた。


片方は、


もう片方を見ていた。


そして、


街のどこかで、


最初の悲鳴が上がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。