第四十三話「絶滅記録」
視点:リディア・ヴァンデル、57歳。
第4,018,772番世界線・王立自然史博物館、絶滅生物復元部門。
リディアは、
絶滅したものを元に戻す仕事をしていた。
死んだ動物を、
生きた状態へ戻す。
失われた植物を、
再び咲かせる。
消えた微生物を、
培養する。
それが彼女の仕事だった。
ただし、
この世界では、
絶滅はそれほど珍しくない。
毎年、
何千種類もの生物が消える。
そのたびに、
復元部門へ依頼が来る。
「戻してください」
と。
リディアは、
その依頼に応える。
だから、
彼女は絶滅を恐れていなかった。
絶滅とは、
一時的な状態に過ぎない。
失われても、
補充できる。
そういう世界だった。
午前九時。
リディアは、
第7研究室へ入った。
透明な培養槽の中に、
一匹の小さな動物がいた。
灰色の毛。
長い耳。
黒い鼻。
丸い目。
絶滅した動物だった。
記録上、
最後の一匹が死んだのは、
三百年前。
リディアは、
復元個体を見つめた。
「かわいい」
助手が言った。
「そうね」
リディアは頷いた。
個体は、
餌を食べている。
生きている。
成功だった。
助手が記録した。
【復元成功】
【絶滅状態:解除】
【個体数:1】
【補充完了】
リディアは、
その記録を確認した。
そして、
妙な違和感を覚えた。
「……絶滅状態?」
「はい」
「解除された?」
「はい」
「いつ?」
助手は画面を見た。
「復元個体が生まれた時です」
「違う」
リディアは言った。
「この種は、
三百年前に絶滅した」
「はい」
「では、
復元個体が生まれたことで、
三百年前の絶滅が解除されたの?」
助手は答えられなかった。
リディアは記録を開いた。
絶滅日時:
3,000年前。
最後の個体死亡:
3,000年前。
しかし、
次の行には、
こう表示されていた。
【絶滅:なし】
リディアは眉をひそめた。
「……書き換わってる」
「何が?」
「絶滅したという記録」
「でも、
復元したんですよね?」
「そう」
「なら、
絶滅していないことになるのでは?」
リディアは黙った。
その考え方は、
この世界では正しかった。
補充されたものは、
最初から存在していたことになる。
だから、
絶滅という過去そのものが、
不要になる。
リディアは、
その時は、
それを便利だと思った。
まだ。
午前十一時。
別の種を復元した。
青い羽根を持つ鳥。
最後の一羽が、
二百年前に死んでいる。
復元成功。
【絶滅:解除】
【補充:完了】
すると、
博物館の展示室から、
その鳥の絶滅記録が消えた。
展示説明が変わった。
【現在も生息】
になっている。
助手が言った。
「よかったですね」
リディアは答えた。
「そうね」
だが、
少し変だった。
展示室には、
その鳥の剥製があった。
最後の一羽として、
二百年前に保存された剥製。
ところが、
復元した瞬間、
剥製が消えた。
台座だけが残った。
リディアは、
台座を見つめた。
「……これも?」
助手が答えた。
「何ですか?」
「絶滅した証拠まで消えた」
「復元したんだから、
当然では?」
リディアは、
それ以上言わなかった。
午後二時。
三種類目。
大型の草食動物。
五百年前に絶滅。
復元成功。
絶滅記録消失。
化石消失。
博物館の展示消失。
教科書からも消えた。
さらに、
不思議なことが起きた。
助手が、
その動物を知らなかった。
「知りません」
「昨日まで展示していたでしょう」
「展示?」
「この部屋で」
「そんな動物、
最初からいませんよ」
リディアは、
助手の顔を見た。
「昨日、
一緒に復元したでしょう」
「復元?」
「そう」
「何を?」
リディアは答えられなかった。
自分の記憶だけが、
残っていた。
それ以外の世界から、
「絶滅した」という事実が、
一つずつ消えている。
リディアは、
初めて恐ろしくなった。
彼女は、
古い記録庫へ向かった。
そこには、
紙の資料がある。
デジタル化されていない、
最も古い資料。
絶滅記録。
一冊を開いた。
ページには、
何も書かれていなかった。
別の本。
空白。
さらに別の本。
空白。
何百冊見ても、
同じだった。
「……どうして」
リディアは呟いた。
絶滅した生物が、
存在していた記録だけでなく、
絶滅したという事実まで、
消えている。
なら、
何を復元したのか。
リディアは、
自分の作業記録を探した。
あった。
三日前の記録。
【復元対象:オルド・ラビット】
【絶滅:300年前】
【補充理由:個体数0】
その下に、
奇妙な一文があった。
【補充後、欠損履歴を消去】
リディアは、
その文を何度も読んだ。
「欠損履歴……」
補充とは、
失われたものを戻すことだ。
しかし、
失われたものを戻したなら、
「失われていた」という事実は、
邪魔になる。
だから、
消す。
存在しなかったことにする。
リディアは、
そこまで理解した。
その瞬間、
電話が鳴った。
「リディアさん」
助手だった。
「はい」
「復元部門から、
新しい依頼です」
「何を?」
助手は答えた。
「人間です」
リディアの手が止まった。
「……人間?」
「はい」
「誰を?」
「絶滅した人類」
リディアは、
電話を切った。
自分の身体が、
冷たくなっていく。
この世界に、
人間は普通にいる。
街にもいる。
博物館にもいる。
助手も人間だ。
なのに、
「絶滅した人類」
という依頼が来ている。
リディアは、
記録庫の一番奥へ走った。
人類史の資料。
開いた。
最初のページ。
【人類】
【発生:記録なし】
【絶滅:記録なし】
【現在個体数:多数】
普通だった。
二ページ目。
人類の進化。
三ページ目。
文明。
四ページ目。
戦争。
五ページ目。
宇宙進出。
何もおかしくない。
しかし、
最後のページだけが違った。
【人類絶滅記録】
【最終個体:リディア・ヴァンデル】
リディアは、
息を止めた。
「……私?」
記録には、
日付があった。
本日。
17:42。
リディアは時計を見た。
まだ、
16:03。
つまり、
彼女は、
今日の17:42に、
人類最後の一人になる。
そして、
その後、
誰かが人類を復元する。
彼女は、
自分の死亡記録を見た。
死因:
不明。
死亡場所:
王立自然史博物館・第7研究室。
復元者:
リディア・ヴァンデル。
リディアは、
笑ってしまった。
「私が?」
自分自身を復元する。
そのために、
自分が最後の人間になる。
なら、
17:42に自分が死んだ瞬間、
人類は絶滅する。
そして、
復元する。
だが、
復元した瞬間、
人類は「絶滅していなかった」ことになる。
では、
自分が死んだ事実も消える。
リディアは、
そこで初めて気づいた。
自分は、
死んでから復元されるのではない。
「自分が死んだ」という事実を消すために、死ぬのだ。
17:00。
博物館の来館者が、
一人ずつ帰っていく。
17:10。
職員が帰る。
17:20。
助手が、
突然いなくなった。
「どこへ?」
周囲を見た。
誰もいない。
17:30。
街の人間が、
一人ずつ消えていく。
死んでいるわけではない。
ただ、
「人間が存在している」
という記録が、
少しずつ薄くなっている。
17:35。
リディアは、
窓から街を見た。
道路。
車。
信号。
建物。
人がいない。
いや、
人はいる。
いるのに、
見えない。
世界が、
人間という存在を、
「補充前の状態」へ戻している。
17:40。
リディアは、
第7研究室へ戻った。
培養槽の中に、
小さな灰色の動物がいた。
最初に復元した動物。
それだけが、
こちらを見ていた。
リディアは、
その動物を見て、
突然理解した。
この動物も、
最初から存在していたわけではない。
「絶滅していた」という記録を、
誰かが保存していた。
その保存記録から、
復元された。
つまり、
復元個体は、
絶滅個体の「生存」ではない。
絶滅という情報を消すために生成された、新しい個体だ。
17:42。
時計が鳴った。
世界から、
人間が消えた。
リディアだけが残った。
最後の一人。
そして、
端末が表示された。
【人類】
【個体数:1】
【絶滅まで:0秒】
【補充条件:成立】
リディアは、
笑った。
「そういうことだったのね」
彼女は、
自分の遺伝情報を採取した。
培養槽へ入れる。
細胞が増える。
一つ。
二つ。
十個。
千個。
一万個。
人間の細胞が、
急速に増殖する。
リディアは、
それを見ていた。
新しい人間が、
生まれていく。
一人。
十人。
百人。
一万人。
街に、
人間が戻っていく。
窓の外が、
明るくなる。
電話が鳴った。
助手だった。
「リディアさん!」
「はい」
「人類が復元されました!」
「そう」
「すごいですね!」
「そうね」
「ところで、
昨日まで人類は絶滅していたんですか?」
リディアは、
少し考えた。
そして、
答えた。
「いいえ」
「最初から、
絶滅していなかったわ」
電話を切った。
リディアは、
最後の記録を開いた。
【人類】
【絶滅:なし】
【補充:なし】
【欠員:なし】
【保存:完了】
彼女は、
そこに一行追加した。
【備考:
絶滅したという事実について、
記録なし。】
その瞬間、
リディアは、
自分が何をしたのか分からなくなった。
人類は救われた。
誰も死んでいない。
絶滅もしていない。
すべて正常。
だから、
問題はない。
ただ一つ。
博物館の地下には、
巨大な保管庫があった。
そこには、
消去される前の、
人類絶滅記録が保存されていた。
紙。
写真。
映像。
化石。
DNA。
死者の名前。
最後の人間、
リディア・ヴァンデル。
すべて、
まだ残っている。
保管庫の管理端末には、
こう表示されていた。
【絶滅資料】
【保存状態:完全】
【公開:不可】
【廃棄:不可】
【補充:不要】
リディアは、
その表示を見ていなかった。
彼女は今も、
人類を守ったと思っている。
そして、
その認識もまた、
保存された。
────────────────────────────────
【補充記録 No.043】
分類:絶滅事象・履歴消去型
対象:
人類
世界線:
第4,018,772番世界線
処理工程:
1. 対象の絶滅を発生。
2. 最終個体を確定。
3. 絶滅情報を保存。
4. 最終個体を素材化。
5. 保存情報から対象を再生成。
6. 個体数を回復。
7. 「絶滅状態」を解除。
8. 絶滅に至った履歴を現行世界線から除去。
9. 絶滅を経験した個体の記憶を必要に応じて再構成。
10. 現在状態を「絶滅なし」として固定。
結果:
人類は存続。
ただし、
「人類が一度絶滅した」
という事実は、
現行世界線から消失。
────────────────────────────────
【重要補足】
本工程において、
補充されたのは人類ではない。
人類が「絶滅した」という欠損状態である。
欠損状態を補充するため、
絶滅状態そのものを消去。
したがって、
補充前:
人類は絶滅している。
補充後:
人類は絶滅していない。
しかし、
補充前の状態は完全に保存されている。
保存場所:
王立自然史博物館・地下保管庫。
このため、
現行世界線では、
「人類は絶滅していない」。
しかし、
保存記録上は、
「人類は一度絶滅した」。
両方が成立する。
矛盾なし。
────────────────────────────────
【保存区画管理記録】
本区画には、
現行世界線から除去された、
以下の状態が保存されている。
絶滅。
死亡。
崩壊。
消滅。
欠員。
喪失。
廃棄。
失敗。
それぞれについて、
「それが起きる前の世界」
と
「それが起きた世界」
の両方を保存。
理由:
補充工程の検証用。
注意:
保存された「失敗状態」は、
失敗しているとは限らない。
現行世界線では、
失敗が発生しなかったことになっているため。
保存されているのは、
失敗そのものではなく、
「失敗した可能性」
である。
────────────────────────────────
【内部監査メモ】
補充処理における重要な変化を確認。
旧認識:
喪失
↓
補充
↓
回復
新認識:
喪失
↓
保存
↓
補充
↓
喪失履歴消去
↓
「喪失していない状態」を生成
↓
旧状態を保存
したがって、
補充とは、
失われたものを元に戻すことではない。
「失われたという事実が存在しない現在」を生成すること
である。
この場合、
保存された旧状態は、
現行世界にとって不要になる。
しかし、
廃棄されない。
なぜなら、
「存在しなかったこと」と
「存在しなかったことにされたこと」
は、
異なるからである。
────────────────────────────────
【グリマス博士・品質管理記録】
«絶滅復元について。
非常に完成度が高い。
絶滅した生物を復元する。
それだけなら、
ただの復活。
しかし、
絶滅したという事実まで消してしまえば、
復活する必要すらなくなる。
最初から、
絶滅していなかったことになる。
これは非常に効率的。
ただし、
一つ問題がある。
絶滅していなかったことになった後も、
絶滅した世界が保存されている。
つまり、
「存在しなかったことになったもの」
が、
「存在しなかったことになったという事実」
として保存される。
少し複雑。
しかし問題ない。
保存できるなら、
問題ではない。
本日の品質評価:
現行世界線 正常。
保存世界線 正常。
絶滅状態 正常。
復元状態 正常。
全て正常。
では、
「正常ではなかった状態」はどこにあるのか?
調査したところ、
地下保管庫にあった。
当然。
そこに保存してある。
在庫切れ、なし。
I'm lovin' it.»




