表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
43/49

第四十三話「絶滅記録」


視点:リディア・ヴァンデル、57歳。

第4,018,772番世界線・王立自然史博物館、絶滅生物復元部門。


リディアは、


絶滅したものを元に戻す仕事をしていた。


死んだ動物を、


生きた状態へ戻す。


失われた植物を、


再び咲かせる。


消えた微生物を、


培養する。


それが彼女の仕事だった。


ただし、


この世界では、


絶滅はそれほど珍しくない。


毎年、


何千種類もの生物が消える。


そのたびに、


復元部門へ依頼が来る。


「戻してください」


と。


リディアは、


その依頼に応える。


だから、


彼女は絶滅を恐れていなかった。


絶滅とは、


一時的な状態に過ぎない。


失われても、


補充できる。


そういう世界だった。


午前九時。


リディアは、


第7研究室へ入った。


透明な培養槽の中に、


一匹の小さな動物がいた。


灰色の毛。


長い耳。


黒い鼻。


丸い目。


絶滅した動物だった。


記録上、


最後の一匹が死んだのは、


三百年前。


リディアは、


復元個体を見つめた。


「かわいい」


助手が言った。


「そうね」


リディアは頷いた。


個体は、


餌を食べている。


生きている。


成功だった。


助手が記録した。


【復元成功】


【絶滅状態:解除】


【個体数:1】


【補充完了】


リディアは、


その記録を確認した。


そして、


妙な違和感を覚えた。


「……絶滅状態?」


「はい」


「解除された?」


「はい」


「いつ?」


助手は画面を見た。


「復元個体が生まれた時です」


「違う」


リディアは言った。


「この種は、


三百年前に絶滅した」


「はい」


「では、


復元個体が生まれたことで、


三百年前の絶滅が解除されたの?」


助手は答えられなかった。


リディアは記録を開いた。


絶滅日時:


3,000年前。


最後の個体死亡:


3,000年前。


しかし、


次の行には、


こう表示されていた。


【絶滅:なし】


リディアは眉をひそめた。


「……書き換わってる」


「何が?」


「絶滅したという記録」


「でも、


復元したんですよね?」


「そう」


「なら、


絶滅していないことになるのでは?」


リディアは黙った。


その考え方は、


この世界では正しかった。


補充されたものは、


最初から存在していたことになる。


だから、


絶滅という過去そのものが、


不要になる。


リディアは、


その時は、


それを便利だと思った。


まだ。


午前十一時。


別の種を復元した。


青い羽根を持つ鳥。


最後の一羽が、


二百年前に死んでいる。


復元成功。


【絶滅:解除】


【補充:完了】


すると、


博物館の展示室から、


その鳥の絶滅記録が消えた。


展示説明が変わった。


【現在も生息】


になっている。


助手が言った。


「よかったですね」


リディアは答えた。


「そうね」


だが、


少し変だった。


展示室には、


その鳥の剥製があった。


最後の一羽として、


二百年前に保存された剥製。


ところが、


復元した瞬間、


剥製が消えた。


台座だけが残った。


リディアは、


台座を見つめた。


「……これも?」


助手が答えた。


「何ですか?」


「絶滅した証拠まで消えた」


「復元したんだから、


当然では?」


リディアは、


それ以上言わなかった。


午後二時。


三種類目。


大型の草食動物。


五百年前に絶滅。


復元成功。


絶滅記録消失。


化石消失。


博物館の展示消失。


教科書からも消えた。


さらに、


不思議なことが起きた。


助手が、


その動物を知らなかった。


「知りません」


「昨日まで展示していたでしょう」


「展示?」


「この部屋で」


「そんな動物、


最初からいませんよ」


リディアは、


助手の顔を見た。


「昨日、


一緒に復元したでしょう」


「復元?」


「そう」


「何を?」


リディアは答えられなかった。


自分の記憶だけが、


残っていた。


それ以外の世界から、


「絶滅した」という事実が、


一つずつ消えている。


リディアは、


初めて恐ろしくなった。


彼女は、


古い記録庫へ向かった。


そこには、


紙の資料がある。


デジタル化されていない、


最も古い資料。


絶滅記録。


一冊を開いた。


ページには、


何も書かれていなかった。


別の本。


空白。


さらに別の本。


空白。


何百冊見ても、


同じだった。


「……どうして」


リディアは呟いた。


絶滅した生物が、


存在していた記録だけでなく、


絶滅したという事実まで、


消えている。


なら、


何を復元したのか。


リディアは、


自分の作業記録を探した。


あった。


三日前の記録。


【復元対象:オルド・ラビット】


【絶滅:300年前】


【補充理由:個体数0】


その下に、


奇妙な一文があった。


【補充後、欠損履歴を消去】


リディアは、


その文を何度も読んだ。


「欠損履歴……」


補充とは、


失われたものを戻すことだ。


しかし、


失われたものを戻したなら、


「失われていた」という事実は、


邪魔になる。


だから、


消す。


存在しなかったことにする。


リディアは、


そこまで理解した。


その瞬間、


電話が鳴った。


「リディアさん」


助手だった。


「はい」


「復元部門から、


新しい依頼です」


「何を?」


助手は答えた。


「人間です」


リディアの手が止まった。


「……人間?」


「はい」


「誰を?」


「絶滅した人類」


リディアは、


電話を切った。


自分の身体が、


冷たくなっていく。


この世界に、


人間は普通にいる。


街にもいる。


博物館にもいる。


助手も人間だ。


なのに、


「絶滅した人類」


という依頼が来ている。


リディアは、


記録庫の一番奥へ走った。


人類史の資料。


開いた。


最初のページ。


【人類】


【発生:記録なし】


【絶滅:記録なし】


【現在個体数:多数】


普通だった。


二ページ目。


人類の進化。


三ページ目。


文明。


四ページ目。


戦争。


五ページ目。


宇宙進出。


何もおかしくない。


しかし、


最後のページだけが違った。


【人類絶滅記録】


【最終個体:リディア・ヴァンデル】


リディアは、


息を止めた。


「……私?」


記録には、


日付があった。


本日。


17:42。


リディアは時計を見た。


まだ、


16:03。


つまり、


彼女は、


今日の17:42に、


人類最後の一人になる。


そして、


その後、


誰かが人類を復元する。


彼女は、


自分の死亡記録を見た。


死因:


不明。


死亡場所:


王立自然史博物館・第7研究室。


復元者:


リディア・ヴァンデル。


リディアは、


笑ってしまった。


「私が?」


自分自身を復元する。


そのために、


自分が最後の人間になる。


なら、


17:42に自分が死んだ瞬間、


人類は絶滅する。


そして、


復元する。


だが、


復元した瞬間、


人類は「絶滅していなかった」ことになる。


では、


自分が死んだ事実も消える。


リディアは、


そこで初めて気づいた。


自分は、


死んでから復元されるのではない。


「自分が死んだ」という事実を消すために、死ぬのだ。


17:00。


博物館の来館者が、


一人ずつ帰っていく。


17:10。


職員が帰る。


17:20。


助手が、


突然いなくなった。


「どこへ?」


周囲を見た。


誰もいない。


17:30。


街の人間が、


一人ずつ消えていく。


死んでいるわけではない。


ただ、


「人間が存在している」


という記録が、


少しずつ薄くなっている。


17:35。


リディアは、


窓から街を見た。


道路。


車。


信号。


建物。


人がいない。


いや、


人はいる。


いるのに、


見えない。


世界が、


人間という存在を、


「補充前の状態」へ戻している。


17:40。


リディアは、


第7研究室へ戻った。


培養槽の中に、


小さな灰色の動物がいた。


最初に復元した動物。


それだけが、


こちらを見ていた。


リディアは、


その動物を見て、


突然理解した。


この動物も、


最初から存在していたわけではない。


「絶滅していた」という記録を、


誰かが保存していた。


その保存記録から、


復元された。


つまり、


復元個体は、


絶滅個体の「生存」ではない。


絶滅という情報を消すために生成された、新しい個体だ。


17:42。


時計が鳴った。


世界から、


人間が消えた。


リディアだけが残った。


最後の一人。


そして、


端末が表示された。


【人類】


【個体数:1】


【絶滅まで:0秒】


【補充条件:成立】


リディアは、


笑った。


「そういうことだったのね」


彼女は、


自分の遺伝情報を採取した。


培養槽へ入れる。


細胞が増える。


一つ。


二つ。


十個。


千個。


一万個。


人間の細胞が、


急速に増殖する。


リディアは、


それを見ていた。


新しい人間が、


生まれていく。


一人。


十人。


百人。


一万人。


街に、


人間が戻っていく。


窓の外が、


明るくなる。


電話が鳴った。


助手だった。


「リディアさん!」


「はい」


「人類が復元されました!」


「そう」


「すごいですね!」


「そうね」


「ところで、


昨日まで人類は絶滅していたんですか?」


リディアは、


少し考えた。


そして、


答えた。


「いいえ」


「最初から、


絶滅していなかったわ」


電話を切った。


リディアは、


最後の記録を開いた。


【人類】


【絶滅:なし】


【補充:なし】


【欠員:なし】


【保存:完了】


彼女は、


そこに一行追加した。


【備考:


絶滅したという事実について、


記録なし。】


その瞬間、


リディアは、


自分が何をしたのか分からなくなった。


人類は救われた。


誰も死んでいない。


絶滅もしていない。


すべて正常。


だから、


問題はない。


ただ一つ。


博物館の地下には、


巨大な保管庫があった。


そこには、


消去される前の、


人類絶滅記録が保存されていた。


紙。


写真。


映像。


化石。


DNA。


死者の名前。


最後の人間、


リディア・ヴァンデル。


すべて、


まだ残っている。


保管庫の管理端末には、


こう表示されていた。


【絶滅資料】


【保存状態:完全】


【公開:不可】


【廃棄:不可】


【補充:不要】


リディアは、


その表示を見ていなかった。


彼女は今も、


人類を守ったと思っている。


そして、


その認識もまた、


保存された。


────────────────────────────────


【補充記録 No.043】


分類:絶滅事象・履歴消去型


対象:

人類


世界線:

第4,018,772番世界線


処理工程:


1. 対象の絶滅を発生。

2. 最終個体を確定。

3. 絶滅情報を保存。

4. 最終個体を素材化。

5. 保存情報から対象を再生成。

6. 個体数を回復。

7. 「絶滅状態」を解除。

8. 絶滅に至った履歴を現行世界線から除去。

9. 絶滅を経験した個体の記憶を必要に応じて再構成。

10. 現在状態を「絶滅なし」として固定。


結果:


人類は存続。


ただし、


「人類が一度絶滅した」


という事実は、


現行世界線から消失。


────────────────────────────────


【重要補足】


本工程において、


補充されたのは人類ではない。


人類が「絶滅した」という欠損状態である。


欠損状態を補充するため、


絶滅状態そのものを消去。


したがって、


補充前:


人類は絶滅している。


補充後:


人類は絶滅していない。


しかし、


補充前の状態は完全に保存されている。


保存場所:


王立自然史博物館・地下保管庫。


このため、


現行世界線では、


「人類は絶滅していない」。


しかし、


保存記録上は、


「人類は一度絶滅した」。


両方が成立する。


矛盾なし。


────────────────────────────────


【保存区画管理記録】


本区画には、


現行世界線から除去された、


以下の状態が保存されている。


絶滅。


死亡。


崩壊。


消滅。


欠員。


喪失。


廃棄。


失敗。


それぞれについて、


「それが起きる前の世界」



「それが起きた世界」


の両方を保存。


理由:


補充工程の検証用。


注意:


保存された「失敗状態」は、


失敗しているとは限らない。


現行世界線では、


失敗が発生しなかったことになっているため。


保存されているのは、


失敗そのものではなく、


「失敗した可能性」


である。


────────────────────────────────


【内部監査メモ】


補充処理における重要な変化を確認。


旧認識:


喪失

補充

回復


新認識:


喪失

保存

補充

喪失履歴消去

「喪失していない状態」を生成

旧状態を保存


したがって、


補充とは、


失われたものを元に戻すことではない。


「失われたという事実が存在しない現在」を生成すること


である。


この場合、


保存された旧状態は、


現行世界にとって不要になる。


しかし、


廃棄されない。


なぜなら、


「存在しなかったこと」と


「存在しなかったことにされたこと」


は、


異なるからである。


────────────────────────────────


【グリマス博士・品質管理記録】


«絶滅復元について。


非常に完成度が高い。


絶滅した生物を復元する。


それだけなら、

ただの復活。


しかし、

絶滅したという事実まで消してしまえば、

復活する必要すらなくなる。


最初から、

絶滅していなかったことになる。


これは非常に効率的。


ただし、

一つ問題がある。


絶滅していなかったことになった後も、

絶滅した世界が保存されている。


つまり、


「存在しなかったことになったもの」

が、

「存在しなかったことになったという事実」

として保存される。


少し複雑。


しかし問題ない。


保存できるなら、

問題ではない。


本日の品質評価:


現行世界線 正常。


保存世界線 正常。


絶滅状態 正常。


復元状態 正常。


全て正常。


では、


「正常ではなかった状態」はどこにあるのか?


調査したところ、

地下保管庫にあった。


当然。


そこに保存してある。


在庫切れ、なし。


I'm lovin' it.»

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ