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第四十一話「未来の補充」


視点:ノア・ヴェルナー、52歳。世界線保険機構・第七査定局勤務。

第91,044,217番世界線。都市国家ベルクハイム。


ノアの仕事は、失われたものを数えることだった。


家。


車。


財産。


記憶。


家族。


時には、


人生そのもの。


事故や災害によって何かが失われた場合、申請書が届く。


ノアはそれを確認する。


失われたものが何だったのか。


どれだけ失われたのか。


補充可能か。


補充不能か。


それを判定する。


この世界では、


「失ったものは戻せる」


ことが常識だった。


朝八時十三分。


一件の申請が届いた。


【補充申請】


申請者:


クララ・ヴァイス


喪失対象:



死亡日時:


本日午前七時四十二分


補充希望:


夫本人


ノアは書類を確認した。


通常案件だった。


死亡確認。


本人照合。


補充元検索。


適合個体検索。


補充処理。


問題ない。


ノアは申請を承認した。


八時十九分。


補充された夫がクララの家へ到着した。


ノアは遠隔確認を行った。


クララが玄関を開ける。


夫が立っている。


顔。


声。


身長。


記憶。


全部一致。


クララが泣いた。


「あなた……」


夫が笑った。


「ただいま」


補充成功。


ノアは記録を閉じた。


八時四十三分。


二件目。


【補充申請】


対象:


父親。


同じように処理した。


九時十七分。


三件目。


子ども。


十時二分。


犬。


十時四十分。


家。


十一時三分。


「昨日失った夕方」。


ノアは少しだけ手を止めた。


夕方まで補充できるのか。


確認した。


可能だった。


昨日の午後五時四十二分。


空。


雲。


気温。


風。


街の音。


全部保存されている。


補充した。


申請者は満足した。


ノアは仕事を続けた。


午後二時十一分。


一件の申請が届いた。


【補充申請】


申請者:


ミラ・ヘルマン


喪失対象:


未来


ノアは画面を見た。


「未来?」


申請内容を開いた。


«今朝、目が覚めた時、

明日がなくなっていました。»


ノアは申請者へ連絡した。


「未来とは具体的に何を指しますか?」


返事が来た。


«明日です。»


「明日を失った、という意味ですか?」


«そうです。»


「何が起きましたか?」


«分かりません。»


「現在は?」


«今日です。»


「明日は?」


«ありません。»


ノアはカレンダーを確認した。


今日。


水曜日。


明日。


木曜日。


表示されている。


問題ない。


「明日は存在しています」


返事が来た。


«それは木曜日という名前です。»


«私が言っているのは、

「明日」です。»


ノアは黙った。


査定システムを開いた。


【対象:未来】


【既存保存データ:あり】


【補充可能性:検索中】


数秒。


十秒。


一分。


結果が出た。


【補充可能】


ノアは安心した。


保存されているなら補充できる。


いつものことだ。


申請を承認した。


午後三時。


ミラから連絡が来た。


«変わっていません。»


「明日はありますか?」


«木曜日はあります。»


「では問題ありません」


«違います。»


«明日がありません。»


ノアは確認した。


木曜日。


午前八時。


午前九時。


午前十時。


すべて予定されている。


しかし、


「明日」


という時間だけが、


存在しない。


ノアは奇妙なことに気づいた。


システムには、


【昨日】


の保存データがある。


【今日】


もある。


【木曜日】


もある。


だが、


【明日】


の保存データだけがない。


「これは……」


ノアは検索した。


過去の補充記録を調べる。


失われた昨日。


失われた今日。


失われた一年前。


失われた千年前。


全部ある。


しかし、


まだ来ていない時間。


それだけがない。


ノアは上司を呼んだ。


「未来を補充したことはありますか?」


上司は答えなかった。


「ありません」


「なぜ?」


「補充対象にならないからです」


「でも申請があります」


「申請があることと、対象が存在することは別です」


ノアは画面を見た。


【補充対象:未来】


【対象状態:未生成】


初めて見る表示だった。


「未生成?」


上司が言った。


「未来は保存できません」


「なぜですか」


「まだ存在していないからです」


ノアは理解した。


保存できるもの。


失われたもの。


存在したもの。


存在しているもの。


それらは全部、


どこかに記録がある。


だから補充できる。


しかし、


まだ存在していないものには、


記録がない。


だから補充できない。


「では、どうするんですか」


上司は答えた。


「通常通りです」


「通常通り?」


「存在するものを補充します」


「未来は?」


「存在しないので補充しません」


ノアは納得できなかった。


「でも申請者は未来を失っています」


上司は静かに言った。


「失っていません」


「では?」


「最初から持っていなかっただけです」


その言葉が、


ノアには妙に怖かった。


午後五時。


ミラの世界線から、


一日が消えた。


水曜日の夜。


午前零時。


時計が進んだ。


しかし、


木曜日にならなかった。


午前零時。


また水曜日。


午前零時。


また水曜日。


街は同じ夜を繰り返した。


ミラはノアへ電話した。


「助けてください」


「何が起きていますか?」


「朝が来ません」


「夜が続いている?」


「違います」


「では?」


「朝というものが、まだ存在していないんです」


ノアは言葉を失った。


モニターを見る。


第91,044,217番世界線。


時系列:


水曜日 23:59:59


その次が、


水曜日 00:00:00。


木曜日がない。


未来がない。


世界線が前へ進まない。


しかし、


過去へも戻っていない。


完全に停止しているわけでもない。


毎日が更新されている。


ただし、


新しい日が一つも生成されない。


ノアは検索を続けた。


世界線保険機構の最古の記録。


最初の補充。


最初の補充申請。


最初の保存。


そして、


一つの記録を見つけた。


【補充システム稼働開始】


【目的:喪失したものを補充する】


ノアはその下を見た。


以前は、


そこに何も書かれていなかった。


だが今は、


一行追加されていた。


【補充対象:未来】


【状態:未登録】


【理由:存在履歴なし】


ノアは震えた。


「未来を登録すればいい」


そう思った。


管理者権限を開いた。


【新規補充対象登録】


名称:


未来


存在開始日時:


空欄


存在終了日時:


空欄


初期状態:


空欄


ノアは入力した。


「木曜日」


登録。


エラー。


【存在履歴がありません】


「では、存在履歴を作る」


入力。


【生成できません】


「なぜ?」


【未来は未来であるため、過去に生成履歴を作成できません】


ノアは画面を見つめた。


補充とは、


失われたものを戻すこと。


しかし未来は、


失われていない。


まだ存在していない。


だから、


補充できない。


その時、


別の警報が鳴った。


【補充システム異常】


ノアは立ち上がった。


「何が起きた?」


システムが答えた。


【補充対象が存在しません】


「未来?」


【違います】


「では何?」


数秒間、


画面が点滅した。


そして表示された。


【補充システム自身】


ノアは息を止めた。


【現在の補充システム】


【稼働時間:計測不能】


【生成元:なし】


【補充履歴:なし】


【初期状態:未登録】


【存在履歴:なし】


【現在状態:稼働中】


ノアは呟いた。


「……これは?」


返答があった。


【補充してください】


「何を?」


【私を】


「どうやって?」


【失われた補充システムを検索してください】


ノアは検索した。


結果:


0件。


もう一度。


0件。


さらに。


0件。


【補充不能】


ノアは初めて、


「在庫切れ」


という言葉を見た。


【在庫切れ】


【対象:補充システム】


【代替品:なし】


【バックアップ:なし】


【原型:なし】


【補充履歴:なし】


ノアは画面を見た。


その下に、


見慣れた文字が続いていた。


【在庫切れ、なし。】


「……矛盾している」


上司が隣に立った。


「そうです」


「在庫切れなのに?」


「在庫切れはありません」


「補充できないのに?」


「補充不能は存在しません」


「では、この表示は何ですか?」


上司は答えなかった。


画面の表示が変わった。


【新規補充対象】


【名称:補充システム】


【喪失状態:なし】


【欠員:なし】


【補充必要性:なし】


【補充可能性:なし】


ノアは理解した。


補充システムは、


壊れていない。


欠けてもいない。


失われてもいない。


だから補充する必要がない。


しかし、


補充できない。


その状態だけが、


存在している。


そして、


最後の表示が出た。


【未来】


【補充:失敗】


【理由:未存在】


【補充システム】


【補充:失敗】


【理由:未存在】


ノアは画面を見つめた。


「未存在……」


それは、


「ない」


という意味ではなかった。


まだ、


「ある」という状態に到達していない。


補充システムも。


未来も。


同じだった。


午前零時。


世界線の時計が動いた。


水曜日。


23:59:59。


そして、


初めて、


23:59:60


という数字が表示された。


ノアは時計を見た。


一秒が、


未来へ進めない。


だから、


存在していない時間を、


一秒だけ作った。


その一秒の中に、


何かが立っていた。


人間だった。


顔は見えない。


名前もない。


記録もない。


過去もない。


補充履歴もない。


ノアは聞いた。


「あなたは誰ですか?」


その存在は答えた。


「分かりません」


「どこから来た?」


「これからです」


「未来から?」


「違います」


「では?」


存在はノアを見た。


「補充される前です」


ノアは理解できなかった。


「何が?」


存在が答えた。


「私が」


一秒が終わった。


存在は消えた。


世界線は、


木曜日になった。


ミラから電話が来た。


「朝です」


ノアは答えた。


「はい」


「明日があります」


「はい」


「でも……」


「何ですか?」


ミラは少し黙った。


「昨日より、世界が一つ多い気がします」


ノアは窓の外を見た。


街は普通だった。


人が歩いている。


車が走っている。


朝日が昇っている。


何も変わっていない。


ただ、


遠くの空に、


見たことのない雲が一つあった。


雲の形が、


バーガーに見えた。


ノアは端末を閉じた。


その瞬間、


新しい申請が届いた。


【補充申請】


申請者:


世界線管理局


喪失対象:


昨日まで存在しなかったもの


補充希望:


それが何だったのか


ノアは申請書を見つめた。


初めて、


査定不能


と入力した。


────────────────────────────────


【補充記録 No.041】


分類:未存在補充・補充システム異常


対象世界線:


第91,044,217番世界線


異常:


未来の補充申請。


通常、補充とは過去に存在した対象を再配置する工程である。


しかし本件では、


「まだ存在していない対象」


に対して補充申請が発生。


補充不能。


原因:


存在履歴なし。


追加異常:


補充システム自身についても、

存在履歴が確認できないことが判明。


補充システムは現在稼働している。


しかし、


誰が作成したのか。


いつ作成されたのか。


何を元に作成されたのか。


何によって補充されたのか。


いずれも記録なし。


システムは自らを補充対象として登録したが、

喪失状態が存在しないため処理不能。


現在状態:


稼働中。


欠員:


なし。


故障:


なし。


補充:


不能。


在庫:


確認不能。


備考:


本件発生後、

第91,044,217番世界線において

「存在したことのないもの」が一秒間だけ観測された。


観測終了後、

対象は消失。


対象名称:


未登録。


人物情報:


未登録。


記憶:


なし。


過去:


なし。


未来:


あり。


補充履歴:


なし。


なお、


「未来がある」


という一点のみ確認されたため、

完全な不存在とは分類しない。


────────────────────────────────


【システム管理部・追記】


本件について、

「補充システムの起源を調査すべき」

との意見が提出された。


却下。


理由:


起源を確認した場合、

起源が「存在したもの」になる。


存在したものは補充対象となる。


補充対象となった時点で、

補充システム自身の起源が失われる。


したがって調査は成立しない。


また、


「補充システムが補充される必要があるのではないか」


との意見についても却下。


補充システムに欠員は存在しない。


補充不能であることと、

欠員があることは同義ではない。


この二つを混同してはならない。


────────────────────────────────


【グリマス博士・品質管理記録】


«未来について確認。


非常に扱いにくい。


過去は保存できる。


現在は加工できる。


死亡したものは補充できる。


失われたものも補充できる。


しかし、


まだ存在していないものについては、

補充することができない。


当然。


存在していないものを補充するには、

まず存在させる必要がある。


存在させた時点で、

それは「未来」ではなくなる。


つまり、


未来を補充することは、

原理的に不可能。


ところで、


本日確認されたもう一つの補充不能対象について報告する。


「補充システム」。


これは少し興味深い。


補充システムは、

何かを失ったわけではない。


だから補充する必要がない。


しかし、

起源もない。


原型もない。


生成記録もない。


にもかかわらず、

稼働している。


つまり、


補充されていないものが、補充を実行している。


これは工程上、

非常に美しい。


なお、

この事実を誰が最初に記録したのかについては、

現在確認できない。


記録が存在する以上、

誰かが記録したはずである。


しかし、

記録者の記録は存在しない。


調査は不要。


問題はない。


現在、

補充システムは正常稼働中。


未来も補充されている。


ただし、

何が未来なのかは、

まだ決まっていない。


在庫切れ、なし。


I'm lovin' it.»

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