第三十九話「交換部品」
視点:イェンス・ヴァーグナー、38歳。元・鉄道整備士。現在:nの次元・NCity地下第8,441機械区画、主幹動力伝達系・第十九歯車列。
身体を回せない。
右肩から腰までが、機械だった。
イェンスはそれを知っている。
見なくても分かる。
身体を動かすたび、金属が擦れる。
歯が噛み合う。
回転する。
止まる。
また回る。
彼の胸郭は円形になっていた。
肋骨は一本ずつ金属化され、巨大な歯車の歯になっている。
心臓はない。
心臓があった場所には、小さな回転軸がある。
一分間に三百二十回転。
規定値。
彼は毎日、それを確認する。
なぜなら彼は第十九歯車列の作業員だからだ。
自分自身を動かしている歯車を、自分自身で点検している。
「異常なし」
声を出すと、喉の奥で金属が鳴った。
「回転数、正常」
目の前に表示された。
【第十九歯車列】
【稼働率:99.9999997%】
【異常:なし】
【交換予定:なし】
イェンスは安心した。
交換されない。
それが、この場所で唯一の安心だった。
彼は三年ほど前まで、人間だった。
鉄道整備士だった。
夜勤があった。
線路を点検した。
油の匂いが好きだった。
工具を磨くのも好きだった。
妻がいた。
娘がいた。
最後に娘と食事をした日のことを覚えている。
ハンバーガーを食べた。
娘がポテトを一本だけ残した。
「食べていい?」
と聞いた。
娘は頷いた。
イェンスは食べた。
それが最後だった。
翌朝、駅がなかった。
街がなかった。
線路もなかった。
世界そのものがなくなっていた。
そして彼は、
ここにいた。
最初に見たのは巨大な機械だった。
次に見たのは、自分の身体だった。
身体は機械の中に固定されていた。
白い制服を着た作業員が言った。
「あなたは補充です」
イェンスは聞いた。
「何の?」
「歯車」
「私が?」
「はい」
「なぜ?」
作業員は答えなかった。
代わりに、工具を持ってきた。
「痛みますか?」
「分かりません」
「それなら問題ありません」
身体が分解された。
三年経った。
今では痛みはない。
痛みがなくなった理由も知っている。
痛みを感じる部分を、全部取り外したからだ。
代わりに回転軸を入れた。
だから彼は働ける。
永遠に。
午前八時。
警報が鳴った。
【第十九歯車列】
【異常】
イェンスは表示を見た。
自分ではない。
隣の歯車だった。
第十八歯車。
回転数が、
三百二十から三百十九になった。
一回だけ。
それだけだった。
だが警報は止まらなかった。
【交換推奨】
イェンスは隣を見た。
隣の歯車は、
女だった。
人間の顔が残っている。
彼女もこちらを見た。
口が動いた。
「まだ大丈夫」
イェンスは頷いた。
「一回だけです」
彼女が笑った。
「そう」
警報が鳴った。
【交換決定】
女の身体が止まった。
止まった瞬間、
彼女の顔だけが人間に戻った。
目が開いた。
「イェンス」
「はい」
「私、何年ここにいた?」
イェンスは答えられなかった。
女は笑った。
「そうよね」
彼女の身体が機械から外れた。
落ちた。
床に当たる前に、
床が開いた。
彼女は穴の中へ消えた。
イェンスは聞いた。
「交換部品は?」
作業員が答えた。
「到着します」
「どこから?」
「未来から」
イェンスは顔を上げた。
巨大な搬入口が開いた。
中から、
人間が一人入ってきた。
三十八歳。
男性。
黒い髪。
作業服。
顔を見た。
イェンスは動けなくなった。
自分だった。
「……私?」
未来のイェンスがこちらを見た。
「違う」
イェンスは言った。
「あなたは私じゃない」
未来のイェンスは笑った。
「そうだね」
「誰ですか」
「交換部品」
作業員が言った。
「第十八歯車の交換用です」
イェンスは叫んだ。
「彼は人間じゃないか!」
作業員は答えた。
「あなたも元々そうでした」
未来のイェンスが近づいてきた。
イェンスは気づいた。
未来のイェンスの左腕には、
自分と同じ金属の線が入っている。
だがまだ完全には機械化されていない。
「いつの私ですか」
未来のイェンスが答えた。
「分からない」
「何年後?」
「分からない」
「どこから来た?」
「あなたの世界から」
イェンスは息を止めた。
「私の世界はもうない」
未来のイェンスは首を振った。
「ある」
「ない」
「ある」
「見たんです。全部消えた」
「消えたのは、あなたがいた時間だ」
未来のイェンスが言った。
「未来には残ってる」
イェンスは理解できなかった。
作業員が未来のイェンスを機械に固定した。
「やめろ」
イェンスは言った。
「その人はまだ人間だ」
作業員は工具を取り出した。
「第十八歯車が必要です」
「他の部品は?」
「ありません」
「では私が代わりになります」
作業員が止まった。
イェンスは続けた。
「私を交換してください」
未来のイェンスがこちらを見た。
「何を言ってる」
「あなたはまだ人間だ」
「あなたもそうだった」
「だから」
イェンスは自分の身体を見た。
「私を使ってください」
作業員が端末を確認した。
【交換候補】
【現在歯車:イェンス・ヴァーグナー】
【代替歯車:イェンス・ヴァーグナー】
【一致率:100%】
作業員が言った。
「適合しています」
イェンスは安心した。
これで未来の自分は助かる。
そう思った。
作業員が工具を入れた。
その瞬間、
未来のイェンスが笑った。
「ありがとう」
イェンスは答えた。
「いいんだ」
「違う」
未来のイェンスが言った。
「あなたは、私を助けたんじゃない」
イェンスは止まった。
「何?」
未来のイェンスが、
胸元を指差した。
「あなたが交換されることで、
私はあなたになる」
イェンスは理解した。
作業員が説明する。
「交換部品には、前任者の記憶が移植されます」
「……なぜ?」
「適応時間をゼロにするためです」
「つまり」
「第十八歯車が壊れるたび、
交換部品は前任者になります」
イェンスは未来の自分を見る。
「じゃあ彼は……」
「次のあなたです」
「私は?」
「前のあなたです」
未来のイェンスが笑った。
「だから、僕は君なんだ」
イェンスの頭の中で、
何かが崩れた。
三年前。
駅。
娘。
ハンバーガー。
ポテト。
妻。
全部が突然、違って見えた。
「……私が世界を失ったんじゃない」
未来のイェンスが頷いた。
「そう」
「世界が私を補充した?」
「そう」
「何度も?」
「何度も」
イェンスは自分の身体を見た。
歯車。
回転軸。
金属。
自分の記憶。
自分の名前。
全部、
前任者から受け継いだものだった。
端末が表示された。
【第十九歯車列】
【交換完了】
【第十八歯車:イェンス・ヴァーグナー】
【前任者:イェンス・ヴァーグナー】
【後任者:イェンス・ヴァーグナー】
【差異:なし】
【記憶:継承】
【人格:継承】
【寿命:継承】
【交換回数:計測不能】
イェンスは笑った。
笑ってしまった。
「じゃあ、私は最初から……」
未来のイェンスが答えた。
「最初なんてない」
その瞬間、
未来のイェンスの身体が機械化した。
皮膚が金属になる。
骨が歯車になる。
筋肉がベルトになる。
神経が配線になる。
そして、
完全に第十八歯車になった。
イェンスは見た。
隣で、
自分と同じ顔の歯車が回り始めた。
それから、
もう一つの警報が鳴った。
【第十九歯車列】
【異常】
イェンスは表示を見た。
自分だった。
回転数、
三百十九。
一回だけ。
【交換推奨】
イェンスは笑った。
「……また?」
搬入口が開いた。
誰かが入ってきた。
三十八歳。
黒い髪。
作業服。
顔を見た。
自分だった。
今度の自分は、
泣いていた。
「ここはどこですか」
イェンスは答えた。
「交換部品置場です」
「私は誰ですか」
イェンスは少し考えた。
そして、
昔の自分と同じ言葉を言った。
「歯車です」
その言葉を言った瞬間、
自分の身体の回転数が、
三百二十に戻った。
正常値だった。
────────────────────────────────
【補充記録 No.039】
分類:インフラ維持用生体歯車・自己継承型
施設:
NCity地下第8,441機械区画
対象:
第十八・第十九歯車列
構造:
生体労働者を機械部品へ転用。
機械化された個体には、
前任者の記憶・技能・人格情報を保存。
歯車交換時、
後任個体へ前任者の情報を移植。
これにより、
教育期間・適応期間・心理的不安定期間をゼロにする。
結果として、
「人間を歯車にする」
工程ではなく、
「歯車が次の人間を歯車にする」
工程が成立。
交換部品は、
前任者と同一人格情報を持つため、
交換後の作業効率に変化なし。
重要:
当該システムでは、
「最初の作業員」を特定することができない。
全個体が前任者の記憶を継承しているため、
全個体が自分自身を初代個体だと認識する。
現在確認されている最古の記憶:
駅。
鉄道。
家族。
ハンバーガー。
ポテト。
娘。
ただし、
当該記憶を保持していた初代個体の存在は確認できない。
初代個体が存在したという証拠もない。
初代個体が存在しなかったという証拠もない。
よって、
【初代個体:確認不能】
として処理。
交換回数:
計測不能。
稼働時間:
計測不能。
死亡者数:
0。
理由:
交換された個体は死亡していない。
前任者の人格が後任者へ継承されるため、
死亡という状態を定義できない。
欠員:
0。
交換:
継続中。
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【追加記録】
本工程の目的について、
「インフラを維持するために労働者を補充している」
という従来の説明に誤りが確認された。
正確には逆。
歯車列を維持するために、
労働者が存在しているのではない。
労働者を継続させるために、
歯車列が存在している。
歯車が回る限り、
イェンス・ヴァーグナーは存在する。
イェンス・ヴァーグナーが存在する限り、
歯車は回る。
この循環に起点はない。
終了条件もない。
したがって、
「補充」は欠員を埋める工程ではなく、
同一個体を永遠に継続させるための工程
として再分類。
ただし、
本人には説明しない。
説明すると、
「自分は何人目なのか」
という疑問が発生し、
回転効率が平均0.000003%低下する。
微小ではあるが、
全歯車列へ適用した場合の損失が大きい。
説明不要。
────────────────────────────────
【グリマス博士・品質管理記録】
«第十八・第十九歯車列を確認。
非常に優秀。
特に評価すべき点は、
「人間を部品として使う」ことではない。
「部品になった人間が、
次の人間を自分自身として補充する」
という構造にある。
この方式では、
従業員の入れ替えが発生しない。
新人も存在しない。
古参も存在しない。
全員が同じ一人である。
したがって、
労働者数を数える必要もない。
一人。
一人。
一人。
何兆回交換しても一人。
これは非常に効率的。
なお、第十八歯車の交換履歴を遡ったところ、
最初の記録より前に、
「交換後の記憶を受け取った初代個体」が存在していた。
その初代個体をさらに遡ると、
また交換後の個体だった。
さらに遡ると、
また交換後だった。
現在、起点探索は継続中。
起点が存在しない可能性についても検討している。
もし起点が存在しない場合、
この歯車列は誰にも作られていないことになる。
それでも回っている。
問題はない。
むしろ、
誰が始めたかを必要としない設備は、
最も優れた設備である。
本日の稼働率:
99.9999997%
欠員:
0
死亡:
0
交換:
無限
在庫切れ:
なし。
I'm lovin' it.»




