第三十七話「補充工場」
視点:アナ・ベルク、31歳。元・小学校教師。第18,402番世界線、北ドイツの地方都市。現在:nの次元・補充製造区画B-19、稼働時間・不明。
子どもたちが、毎朝一人ずつ増えていた。
最初に気づいたのは、席だった。
三十人のクラスだった。
教室には三十個の机があった。
月曜日の朝、三十一個目の机があった。
アナは机を数えた。
三十一。
昨日までは三十だった。
新しい机には、名前が書いてあった。
「ルーカス」
知らない名前だった。
「ルーカスは誰?」
子どもたちは全員、アナを見た。
誰も答えなかった。
教室の一番後ろに、一人だけ知らない男の子が座っていた。
金髪だった。
青いシャツを着ていた。
アナは出席簿を開いた。
三十一人目の名前があった。
ルーカス。
登録日は今日。
生年月日は、アナの誕生日だった。
「ルーカス」
男の子が手を上げた。
「はい」
声は普通だった。
アナは少し笑った。
「昨日から来ていた?」
「はい」
「昨日、先生はあなたを見ていないけど」
「先生が見ていなかっただけです」
その答えが妙に引っかかった。
「どこから来たの?」
「補充です」
教室が静かになった。
翌日。
三十二個目の机が増えた。
名前はマリア。
その翌日は三十三個目。
名前はヨナス。
さらに翌日は三十四個目。
名前はエルザ。
全員、普通の子どもだった。
普通に笑った。
普通に授業を受けた。
普通に給食を食べた。
ただ一つだけ、全員に共通していることがあった。
アナは、誰一人として昨日まで見た記憶がなかった。
それなのに、子どもたちは全員、
「ずっとこのクラスにいた」
と言った。
一週間後。
教室は三十七人になった。
机が増え続けていた。
壁を壊して教室を広げる必要はなかった。
机が増えるたびに、教室そのものが広がった。
窓の外の景色も変わった。
最初は学校の校庭だった。
そのうち、知らない街になった。
さらにその外に、別の街が見えた。
アナは校長に相談した。
校長は笑った。
「問題ありません」
「子どもが毎日増えています」
「増えていません」
「三十人だったクラスが三十七人になっています」
校長は名簿を見た。
「三十七人です」
「最初から?」
「最初からです」
アナは黙った。
校長は名簿を閉じた。
「先生」
「はい」
「補充は良いことですよ」
「……何の補充ですか」
校長は答えなかった。
その夜。
アナは職員室に残った。
子どもたちの出席簿を全部確認した。
一人ずつ。
名前。
住所。
生年月日。
保護者。
全部ある。
全員が、この世界で生まれたことになっている。
しかし出生記録を確認すると、存在しない。
戸籍を確認すると、存在しない。
病院記録を確認すると、存在しない。
それでも学校の記録には存在する。
アナはルーカスの住所を地図で調べた。
そこには学校があった。
別の学校だった。
住所を入力した。
画面に建物の写真が出た。
その学校には、アナ自身が写っていた。
アナは椅子から立ち上がった。
写真には、自分がいた。
教師として。
同じ服。
同じ顔。
同じ笑顔。
写真の下には日付があった。
三年前。
写真を拡大した。
自分の後ろに子どもたちがいる。
三十人。
全員、今のクラスの子どもたちだった。
だが、その中に一人だけ知らない女の子がいた。
アナはその顔を見た瞬間、名前を思い出した。
「……エマ」
声に出した。
知らない名前だった。
でも知っていた。
エマは三年前に死んだ。
事故だった。
アナは担任だった。
思い出した。
思い出した瞬間、写真の中のエマがこちらを見た。
画面の中で、エマが口を動かした。
「先生」
アナは画面から離れた。
「先生」
もう一度。
「補充して」
写真の中の子どもたちが、全員笑った。
翌朝。
教室の机が一つ減っていた。
三十七個から三十六個。
アナは数えた。
一つ減っている。
「誰がいないの?」
子どもたちは答えなかった。
アナは出席簿を開いた。
エマ。
名前があった。
昨日までいなかった名前。
なのに、昨日までいたような気がした。
「エマ?」
返事はない。
教室を探した。
いなかった。
校庭。
廊下。
図書室。
どこにもいない。
職員室へ戻った。
校長がいた。
「エマさんは?」
「誰ですか?」
「昨日からいた子です」
「三十六人ですよ」
校長は名簿を見せた。
三十六人。
エマはいない。
アナは言った。
「昨日、三十七人でした」
校長は笑った。
「先生」
「はい」
「補充が必要ですね」
その瞬間、校長の背後の壁が開いた。
壁の向こうには工場があった。
学校より大きかった。
街より大きかった。
天井が見えなかった。
無数の教室が並んでいた。
無数の子どもたちが座っていた。
無数の教師が授業をしていた。
そして、教室と教室の間を、透明な管が走っていた。
管の中を、人間が流れていた。
眠っている人。
泣いている人。
笑っている人。
赤ん坊。
老人。
学生。
会社員。
兵士。
医師。
誰もが透明な液体の中を流れていた。
管の先には機械があった。
機械は人間を一人ずつ切り分けていた。
肉ではない。
記憶だった。
一人の男から、
「母親の声」
が抜き取られた。
別の人間から、
「初恋」
が抜き取られた。
別の人間から、
「怖かった夜」
が抜き取られた。
さらに別の人間から、
「学校に行きたくなかった朝」
が抜き取られた。
それぞれが小さな透明な球になった。
球はベルトコンベアに乗った。
その先に、子どもがいた。
子どもたちは球を一つずつ受け取っていた。
飲み込んでいた。
すると、子どもたちの目に色が入った。
笑顔になった。
人格が完成した。
アナは吐き気を覚えた。
「これは何ですか」
校長は答えた。
「補充工場です」
「子どもを作っている?」
「違います」
校長は指を差した。
工場の奥。
巨大なタンクがあった。
その中に、何億もの人間が浮かんでいた。
「不足している人生を作っています」
アナは理解できなかった。
「人生?」
「はい」
「人間ではなく?」
「人間は副産物です」
校長は淡々と言った。
「必要なのは人生です」
「どういう意味ですか」
「教師が必要なら、教師の人生を作る」
「子どもが必要なら?」
「子どもの人生を作る」
「じゃあ、私も?」
「先生もです」
アナは自分の手を見た。
指先が透けていた。
「私は……作られたんですか」
校長は首を横に振った。
「違います」
「では?」
「あなたは元々いました」
アナは少し安心した。
その直後。
校長が続けた。
「ただし、あなたの人生は補充用に加工されています」
アナは何も言えなかった。
校長は工場の奥へ歩いた。
アナもついていった。
巨大な機械があった。
そこには、
【人生圧縮機】
と書かれていた。
機械の中に、一人の女が入っていた。
白髪だった。
痩せていた。
目を閉じていた。
アナはその顔を見た。
自分だった。
今の自分より少し老いている。
髪が白い。
頬が痩せている。
でも、自分だった。
「これは……」
「前回の先生です」
「前回?」
「はい」
「私が?」
「あなたです」
機械が動いた。
女が目を開いた。
アナと目が合った。
老いたアナが笑った。
「次は、うまくやって」
アナは後ずさった。
「何を?」
老いたアナは答えた。
「補充を止めて」
その瞬間、機械が女を吸い込んだ。
身体は消えた。
代わりに、透明な球が一つ出てきた。
球には文字が浮かんでいた。
【恐怖】
その球を、工場の別の機械が受け取った。
圧縮した。
さらに圧縮した。
最後には、小さな黒い粒になった。
校長が言った。
「これが一番高品質です」
アナは叫んだ。
「やめて!」
工場の全ての機械が止まった。
静かになった。
校長がアナを見る。
初めて笑顔を消した。
「先生」
「……何」
「それができるなら、あなたは補充担当に適しています」
「何を言ってるの」
「あなたの恐怖が、非常に高純度です」
校長が一歩近づいた。
「だから、あなたを作ったんです」
アナは凍りついた。
「……私を?」
「はい」
「いつ?」
「最初からです」
工場の壁一面に、モニターが点灯した。
映像が並んだ。
アナが生まれた日。
アナが学校へ入った日。
アナが教師になった日。
子どもたちと笑った日。
泣いた日。
エマが死んだ日。
その全てが映っていた。
そして最後の画面。
そこには、
【第18,402番世界線】
【補充教育実験】
【教師個体:アナ・ベルク】
【稼働期間:31年】
【目的:喪失感を伴う教育人生の生成】
【達成率:99.8%】
と書かれていた。
アナは画面を見つめた。
「……エマは?」
校長は答えた。
「実在しました」
「じゃあ……」
「あなたが死を経験するために」
アナの膝から力が抜けた。
「私の人生は……」
「本物です」
校長は言った。
「だから品質が高い」
アナは泣いた。
校長はそれを止めなかった。
泣いている間に、工場の機械が動き始めた。
涙が空中で止まった。
一滴。
二滴。
三滴。
全てが透明な球になった。
【喪失】
【後悔】
【愛着】
【罪悪感】
【恐怖】
球が次々と流れていく。
校長が言った。
「先生」
アナは顔を上げた。
「あなたは、ようやく完成しました」
「……何が」
校長は微笑んだ。
「補充される側としての、あなたがです」
アナの身体が透明になった。
指先。
手。
腕。
胸。
顔。
全部が透明になっていく。
最後に残ったのは、声だった。
「私は……何になるの?」
工場のスピーカーから、機械音声が答えた。
「次の先生です」
暗転。
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【補充記録 No.037】
分類:人格生成・教育人生型
対象世界線:
第18,402番世界線
生成個体:
アナ・ベルク
生成目的:
教育職における喪失・愛着・責任・罪悪感の複合感情生成。
稼働期間:
31年。
生成された主要感情:
喪失
3,184,992単位
愛着
8,771,201単位
後悔
2,994,003単位
罪悪感
1,772,440単位
恐怖
9,331,884単位
特記事項:
当該個体は、自身が補充用に生成された事実を最終段階まで認識しなかった。
これは正常。
なお、当該個体が31年間に担当した児童1,284名についても、
全員が独立した教育用人格生成個体である。
児童のうち、
17名は教師補充用素材へ転用。
91名は悲鳴蒸留用素材へ転用。
312名は感情結晶化工程へ転用。
残余は世界線圧縮時に統合処理。
教育実験は成功。
生成された「教師としての人生」は、
補充工場の標準素材として保存。
次回補充時、
同一人生を再利用可能。
なお、エマ・ベルクについて:
実在個体。
事故死。
死後、当該個体の記憶と感情を採取。
「先生が悲しむ」という反応を生成するため、
アナ・ベルクの人生へ再配置。
採取されたエマの感情は、
現在も第七感情蒸留槽で稼働中。
廃棄不要。
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【グリマス博士・品質管理記録】
«第18,402番世界線の教育実験について確認。
教師個体の人生生成は非常に良好。
特に「本物だった」と認識させた後に、
「だから品質が高い」と告知する工程の効果が高い。
人工的に作られた人生より、
本物の人生を加工した方が、
感情成分の保持率が高い。
今回、教師個体アナ・ベルクは
最終的に補充工場そのものの
次期担当者として再利用された。
つまり、
「補充される教師」を作るための教師が、
「補充される教師」を作る工程に組み込まれた。
教育は継続している。
生徒も継続している。
教師も継続している。
人生も継続している。
どれも終了していない。
だから補充も終了しない。
なお、第18,402番世界線は
現在も通常運用中。
明日の朝も、
子どもたちは学校へ行く。
新しい机が一つ増える。
誰も、それを不思議だと思わない。
在庫切れ、なし.
I'm lovin' it.»




