表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
35/49

第三十五話「最後の拍手」


劇場には、観客が一人もいなかった。


いや。


最初からいなかったのか、途中で消えたのか、それは誰にも分からなかった。


椅子だけが並んでいた。


何千席も。


そのすべてが、誰かが立ち上がった直後のように、わずかに温かかった。


舞台には、一人の老人が立っていた。


燕尾服を着ていた。


白髪だった。


痩せていた。


手には指揮棒があった。


老人は誰もいない客席へ向かって、一礼した。


静寂。


それから、拍手が鳴った。


一人もいない客席から。


老人は笑った。


「ありがとうございます」


また拍手。


今度は少し長かった。


老人は泣きそうな顔で何度も頭を下げた。


「まだ……聴いてくださるのですね」


舞台袖には誰もいなかった。


照明室にも。


音響室にも。


劇場職員も。


演奏者も。


全員、何年も前にいなくなっていた。


老人だけが残っていた。


毎日、開演時間になると舞台へ出て、


誰もいない客席へ礼をして、


聞こえない楽団を指揮していた。


そして毎日、


終演になると、


誰もいない客席から盛大な拍手が送られた。


ある夜。


舞台袖の監視カメラが、初めて客席を映した。


誰もいなかった。


空席だけだった。


しかし、


一瞬だけ。


拍手の音に合わせて、


全席の背もたれが、


ほんの少しだけ前後に揺れた。


まるで、


見えない誰かが座り、


拍手をしているように。


老人は最後の曲を振り終えた。


深く礼をした。


その瞬間。


劇場全体が、


立ち上がった。


椅子が。


何千脚もの椅子が、


一斉に立ち上がった。


木が軋む音。


金具が鳴る音。


座席という座席が、


人間の代わりに総立ちになった。


割れそうなほどの拍手。


老人は微笑んだ。


「ありがとう」


その一言だけ残して、


老人は、


誰にも見えない拍手の中へ歩いていった。


舞台には、


燕尾服だけが残っていた。


翌日。


劇場は取り壊された。


解体業者の報告書には、


奇妙な一文だけが記録されている。


「客席のボルトが、すべて人間の指骨だった。」


────────────────────────────────

補充記録 No.035

分類:情動素材(喝采・承認欲求凝縮型)

担当クルー:憧憬

供給先:共鳴培養ホール 第四観客席炉

処理完了時刻:終演後も拍手継続中


備考: 対象劇場より「最後まで拍手を送り続ける意思」2,814席分を回収。


肉体は不要。


承認だけが永久保存に成功。


現在、当該素材は新規来店者への歓迎音響として循環利用中。


初来店時に「誰かが自分を歓迎してくれている」と感じた場合、


その拍手の一部は、あなた自身の未来分である。


在庫切れ、なし。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ