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第二話 「骨が覚えていること」


> 視点座標:第7,341世界線 鉄紀後期 ある大陸の鉱山都市・地下採掘区画 

> 話者:採掘労働者・男性 享年:記録なし 

> 記録取得方法:死亡直前の神経網から自動抽出




俺の右腕が機械になったのは、三年前だということになっている。


「なっている」というのは、記録上そうなっているという意味だ。本当にそうだったかどうかは、俺には確かめる方法がない。俺が覚えている「右腕があった頃の記憶」が、実際にあった記憶なのか、それとも右腕を失った後に貼り付けられた何かなのか、区別できない。


右腕の肘から先は、今は鋼鉄でできている。関節は三箇所あり、動かすとかすかに油の匂いがする。指は五本で、本物と同じ数だ。力は本物より強い。感触は本物より三分の一秒くらい遅れて来る。


熱いものに触れると、一瞬後に熱さがわかる。


その一瞬の間に、すでに皮膚が焼けていることがある。




俺が働いているのは採掘区画の第十七層だ。地上から百八十メートル下にある。昇降機で降りるのに四分かかる。昇降機の内壁は錆びていて、乗るたびに赤い粉が服についた。一日目は気にしていたが、三日目には気にしなくなった。


採掘する鉱石の名前は教えられていない。


運搬する先も教えられていない。


俺たちは掘って、削って、砕いて、カートに積む。それだけをやる。


カートが満杯になると、どこかに持っていかれる。誰が持っていくのか、俺の目には入らない。翌朝には空のカートが戻ってきている。


鉱石の色は暗い赤で、割ると内側が黒かった。内側の黒い部分を顔に近づけると、バニラに似た甘い匂いがした。甘い匂いがする鉱石を削っているうちに、頭が少しぼんやりしてくる。休憩を取ると戻る。取らないと戻らない。


だから俺たちは休憩を取らない方がいい、ということになっていた。


誰がそう決めたのかは知らない。気がついたらそういうことになっていた。




俺と同じ班で働いているのは七人だ。全員、どこかに機械が入っている。


左腕が機械の男。両足の膝から下が金属の女。脊柱に金属の棒が入っている男。目が両方とも光学機械になっている男。右半分の顔が金属板に置き換わっている女。耳が機械になっている男。


俺が来た時には、全員すでにそうなっていた。


俺が来てから六ヶ月後に、顔が半分金属の女が機械化を受けた。彼女は右手も機械になった。作業のたびに右手がうまく動かなくて、彼女は毎朝少し時間をかけて調整していた。調整しているのを見た。黙って見ていた。何も言わなかった。何を言えばいいか分からなかった。


彼女は今、問題なく働いている。


右手の調整をしなくなったのは、三ヶ月前からだ。


馴染んだのか、諦めたのか、それとも感覚がなくなったのか、俺には分からない。本人にも分からないかもしれない。




食事は一日に一回、昇降機が降りてくる時に一緒に届く。


金色の包み紙に包まれた、丸い肉の塊を挟んだパンだ。毎回同じものだ。


匂いは良い。食べると体が動く。それ以上のことは分からない。


六ヶ月目くらいから、食べるたびに何かを思い出せなくなっていることに気づいた。


最初は小さなことだった。昨日の朝の食事の内容。三日前に誰かと話した会話の内容。


それが段々と大きなものになっていった。


父親の顔が、薄くなった。


輪郭は残っているが、目の色が出てこなくなった。次に鼻の形が出てこなくなった。最終的に、父親という概念だけが残って、それに結びつくはずの全部の細部が消えた。


母親の名前を、ある朝思い出せなくなった。


名前の最初の音だけが残っていた。何という音だったか。何から始まる名前だったか。それだけが残って、後は消えた。


自分の名前は、まだある。


今のところは。




一年が経った頃、左腕が機械の男が動かなくなった。


朝、昇降機が来て食事が届いて、班の全員が起きあがった時に、彼だけ起きなかった。


床に座ったまま、目が開いていた。呼吸はしていた。でも動かなかった。目の焦点が、人の目が合う場所より五センチくらい奥にあった。


俺は昨日、ある深夜のコンビニ店員の話を読んだことがあるような気がした。その記憶がどこから来たか分からなかった。でも確かに、同じような目をした人間を、どこかで見た気がした。


俺たちは彼を置いて採掘を始めた。


夕方戻ってきたら、彼がいた場所に金属の腕だけが残っていた。


本人はいなかった。




翌朝、新しい人間が昇降機で降りてきた。


二十代くらいの男で、両腕はまだ本物だった。目が少し怯えていた。


俺はその目を見て、自分が最初にここに来た時も同じ目をしていたはずだと思った。でも自分がどんな目をしていたか、もう覚えていない。覚えていた記憶が、食事のたびに少しずつ溶けた。


「ここは何をする場所ですか」と新しい男が聞いた。


「掘る」と俺は答えた。


「何を」


「鉱石を」


「何のために」


俺は少し考えた。何のために、という問いに答えたことが、ここに来てから一度もなかった。考えたこともなかったかもしれない。


「分からない」と俺は言った。


「教えてもらえなかったんですか」


「教えてもらおうとしたことがなかった」


男が何かを言おうとした。俺は先に採掘を始めた。




その男の右腕が機械になるまで、三ヶ月かかった。


俺の時より早かった。それが何を意味するのか分からない。


彼は機械になった右腕の調整を、最初の一週間だけやっていた。二週間目にやめた。感覚の遅れに慣れたのか、諦めたのか、それとも感覚がなくなったのか、俺にはやはり分からなかった。


本人に聞かなかった。


聞いても何の役にも立たないと分かっていた。




今日、俺の左腕が重くなった。


正確には、朝起きた時から左腕の感覚が半分になっていた。動かすことはできるが、触れたものが正確に分からない。鉱石を削る時、削れているかどうかを左手で確かめていたが、今日からその方法が使えなくなった。


明日、昇降機が降りてきた時に、機械の左腕と交換されるだろう。


俺はそう思っていた。昨日まで。


でも今日、昇降機が来た時に一緒に降りてきたのは機械の腕ではなかった。


降りてきたのは、人だった。


女だった。


黒いワンピース型の制服を着ていた。胸のところに金色の「M」のバッジが付いていた。


俺たちは七人全員、手を止めた。ここに来てから初めて、外部の人間を見た。


「確認作業です」と彼女は言った。声は穏やかで、丁寧で、でも感情の温度がなかった。


「何の」と俺は言った。


「在庫状況の確認です」


「何の在庫ですか」


「魂の在庫です」


俺は少し考えた。


「俺たちは働いているが」


「ええ」


「働いているなら在庫じゃない」


「今は、そうですね」と彼女は言った。「ただ、確認させていただくと」


彼女は手元の薄い紙を見た。


「今月、補充の申請が七件入っています。全件、本日付で処理が完了します」


俺は班の七人を見回した。


七人いた。


「俺たち全員ということか」と俺は言った。


「ええ」


「全員同時に」


「ええ」


「なぜ」


「在庫の入れ替えです」と彼女は言った。「旧在庫の稼働効率が基準値を下回りました。補充後の新在庫が本日の昇降機で届く予定です」


俺は右腕を見た。鋼鉄の右腕だ。三年前から、あるいはもっと前から、ここにある。


「この腕はどうなる」と俺は聞いた。


「回収されます」と彼女は言った。「再利用できる部品はリサイクルします」


「俺自身は」


「解体されます」


「どこに」


「因果律プレス工場に送られます。素材として使います」


俺は少し考えた。


恐ろしいかどうか分からなかった。恐ろしいという感情がまだあるかどうか、確かめる方法がなかった。


「一つだけ聞いていいか」と俺は言った。


「どうぞ」


「ここで掘っていた鉱石は何だったか」


彼女が少し間を置いた。


「お答えします」と彼女は言った。「あの鉱石は、終わりかけた世界線の神経網から析出する感情結晶です。絶望や諦念が長期間圧縮されると、物理的な結晶として析出されます。その結晶を採掘して精製したものが、バーガーのソースの原材料の一部になります」


俺は少し考えた。


「俺たちが削ったのは絶望か」


「そうです」


「俺たちが食べていたバーガーのソースにも入っていたか」


「ええ」と彼女は言った。「品質維持のために、採掘者自身の絶望を微量混入した方が純度が上がります。採掘者が絶望するほど、採掘物の品質が向上します。これはシステムの設計上の工夫です」


俺は何も言わなかった。


班の他の六人も何も言わなかった。


何も言うことがなかったのか、何かを言う機能がもう残っていなかったのか、分からなかった。




昇降機が動き始めた。


上から降りてくる音がした。


「新在庫の到着です」と彼女は言った。


俺は右腕を見た。最後にもう一度、鋼鉄の右腕を見た。


三年間。あるいはもっと長い間。この腕で鉱石を削った。父親の顔を忘れながら削った。母親の名前を忘れながら削った。自分の名前以外の全部を忘れながら削った。


自分の名前は、まだある。


今のところは。


昇降機の扉が開いた。


中には、目が少し怯えた人間が七人いた。両腕がまだ本物の、七人だった。


彼らは俺たちを見た。


俺たちは彼らを見た。


俺は彼らの目を見て、何かを言おうとした。


でも彼女が俺の肩に手を置いた。


それだけで、俺は何も言えなくなった。


手のひらから、何かが流れてきた。暖かくはなかった。冷たくもなかった。ただ、何もなくなっていく感触だった。




俺の名前は、まだあったかもしれない。


最後の最後まであったかもしれない。


でももう確かめる方法がない。





────────────────────────────────

補充記録 No.002

分類:感情結晶採掘用人員(七体一括)

供給先:因果律プレス工場 素材投入口C

処理完了時刻:測定不能


備考:旧在庫七体、稼働効率が規定値の三一%まで低下。

   解体後の有機成分は感情結晶の精製補助材として再投入。

   記憶成分(残存量〇・〇三%)は悲鳴蒸留所に送付。

   新在庫七体の初期記憶洗浄は昇降機内で完了済み。

   採掘区画第十七層、本日より通常稼働を再開。

   在庫切れ、なし。

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