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第十五話「翌朝の記録」


>視点座標:第7,441,002番世界線 現代相当期 ある国の地方都市

>話者:複数(生存者)

>記録取得方法:生存者の神経活動から直接抽出

>記録日時:異変発生から六時間後——三十一日後




——一「警察官・男性・三十一歳 異変発生六時間後」


午前五時十七分、通報を受けて現場に向かった。


商店街の入り口に着いた。


人が止まっていた。


止まっている、という言葉では足りなかった。


固定されていた。


歩いていた者が、歩いた瞬間のまま固定されていた。右足が地面から浮いていた。浮いたまま、止まっていた。重力が届いていなかった。


自転車が空中に止まっていた。タイヤが地面から十センチ浮いていた。乗っていた男性がペダルを踏み込んだ瞬間のまま止まっていた。


鳥が止まっていた。


商店街の上空に、鳥が止まっていた。羽ばたいた瞬間のまま止まっていた。何十羽もいた。全部が、それぞれの飛び方の途中で止まっていた。羽が広がったまま止まっていた。羽が閉じかけたまま止まっていた。空中に、羽ばたきの全ての瞬間が並んでいた。


買い物袋からこぼれた野菜が、地面に落ちる途中で止まっていた。


子どもが走っていた。母親が手を伸ばしていた。指先が触れる一センチ手前で止まっていた。


誰も呼吸していなかった。


誰の目も閉じていなかった。


誰も腐敗していなかった。


昨日のまま、だった。


風が止まっていた。


商店街の旗が、風を受けてはためいた瞬間のまま止まっていた。布の波打ちが、空中で固定されていた。


噴水広場の水が止まっていた。


弧を描いて落ちる途中の水が、空中で止まっていた。


全部が、昨日のまま、止まっていた。


腐敗しなかった。


腐敗しないことが、一番おかしかった。


無線で報告しようとした。


無線が通じなかった。




——二「新聞記者・女性・二十八歳 異変発生六時間後」


カメラを持って入った。


商店街の上空を見た。


鳥が止まっていた。


何十羽もの鳥が、羽ばたきの途中で止まっていた。


一羽が口を開けていた。鳴いた瞬間のまま止まっていた。声が出る直前で止まっていた。声は聞こえなかった。


音が全部、止まっていた。


風の音が止まっていた。車の音が止まっていた。


この商店街にあったはずの全ての音が、止まっていた。


止まった音の残骸だけが、空気の中にあった。


撮影した。


止まった人の顔を一人ずつ撮った。


笑っていた老女がいた。笑顔のまま止まっていた。笑顔が永久に続いていた。


泣いていた子どもがいた。涙が頬を流れる途中で止まっていた。涙が空中で止まっていた。


犬がいた。


リードをつけた犬が、走った瞬間のまま止まっていた。四本の足が全部地面から離れていた。宙に浮いたまま止まっていた。


撮影した。


止まった犬を撮った。止まった鳥を撮った。止まった涙を撮った。止まった噴水を撮った。


撮りながら、頭の中が空白になっていくのが分かった。


カメラを下ろした。


商店街全体を見た。


見渡す限り、止まっていた。




——三「消防士・男性・四十二歳 異変発生六時間後」


建物の中に入った。


飲食店に入った。


家族が食事中のまま止まっていた。


箸が止まっていた。箸の先に食べ物がついていた。口に運ぶ途中で止まっていた。


子どもの一人が窓の外を指さしていた。


指さした瞬間のまま止まっていた。


窓の外を見た。


商店街だった。


止まった人と、止まった鳥と、止まった自転車が並んでいた。


この子が指さした方向に、何かがいたはずだった。


昨日の夕方、この子が指さした先に、何かがいたはずだった。


その何かは今、いなかった。


通り過ぎていた。




——四「医師・女性・五十一歳 異変発生七時間後」


触れた。体温があった。死亡していなかった。


呼吸していなかった。心拍がなかった。


計測しようとした。


計測できなかった。


生きているとも言えなかった。死んでいるとも言えなかった。


どちらでもない状態で、腐敗しなかった。


腐敗しない。


永久に止まっていた。


報告した。翌日また来た。


状態は変わっていなかった。


一週間後に来た。


状態は変わっていなかった。


一ヶ月後に来た。


状態は変わっていなかった。


止まったまま、一ヶ月が経っていた。




——五「写真家・男性・六十三歳 異変発生六時間後」


偶然通りかかった。


足が止まった。


長い間、見た。


三十年撮ってきた。


美しいものも、醜いものも、悲しいものも、全部撮ってきた。


カメラを持ち上げられなかった。


撮ることが、これを「作品」として完成させてしまう気がした。


でもすでに作品だった。


撮らなくても、すでに作品だった。


商店街全体が一つの作品だった。


止まった人も、止まった鳥も、止まった犬も、止まった涙も、止まった噴水の水も、止まった旗も、全部が一つの作品の構成要素だった。


作者がいた。


作者は今ここにいなかった。


通り過ぎていた。


次の場所に向かっていた。




——六「政府機関 緊急報告書 異変発生三日後」


第一報:午前五時十七分、商店街地区にて住民の大規模固定を確認。


第二報:同日午後、隣接する住宅地にも固定が拡大していることを確認。固定対象は人間に限らず、飛行中の鳥類、走行中の車両、噴水の水、風による樹木の揺れを含む全ての動体に及ぶ。


第三報:翌日未明、固定範囲が市全体に拡大。人口八十万のうち、生存確認できた者は約三千名。残り全員の状態は「固定」。腐敗なし。変化なし。


第四報:三日目、固定が国境を越えて隣国に拡大していることを確認。拡大速度の計算が追いつかない。


第五報:——


(以降の報告書は存在しない)




——七「生存者・性別不明 異変発生二十一日後」


街に音がない。


どこに行っても、音がない。


人がいる。


でも全員、止まっている。


鳥がいる。


どこに行っても、空に鳥がいる。


羽ばたきの途中で止まっている。


風が吹かない。


葉が動かない。


川の水が止まっている。流れる途中で止まっている。


海の波が止まっている。打ち寄せる途中で止まっている。


雲が止まっている。


空全体が、昨日のままだ。


昨日がどの昨日か、もう分からない。


最後に音を聞いたのがいつか、分からない。


動いているのは私だけだ。


なぜ私だけが動いているのか、分からない。


どこまで歩いても、止まっている。


止まっている全員が、腐敗しない。


全員が、その瞬間のまま、永久に存在し続けている。


終わらない。


何も終わらない。


終わっているのに、終わらない。


どこかで声がする気がする。


聞こえない。


聞こえない。


歩き続けている。




——八「生存者・同一人物 異変発生三十一日後」


海まで来た。


波が止まっている。


砕ける直前の波が、止まっている。


空に鳥が止まっている。


水面に魚が止まっている。


ジャンプした瞬間のまま止まっている。


海の向こうを見た。


どこまでも、止まっていた。


地平線の向こうまで、止まっていた。


地球全体が、止まっていた。


地球全体が、昨日のままだった。


昨日の、ある瞬間のままだった。


一つの作品だった。


地球全体が、一つの作品になっていた。


作者はもうここにいない。


通り過ぎた。


どこかに行った。


次の場所に行った。


次の場所も、こうなる。


こうなった後、また次に行く。


止まった地球の上で、私だけが歩いていた。


なぜ私だけが残ったか、分からなかった。


分からないまま、歩いていた。


歩くしかなかった。





────────────────────────────────

補充記録No.015

分類:世界線単位・全域固定(終焉の美学型)

担当クルー:涅槃

供給先:パンデモニウム廊下 永久展示区画 第7,441,002号室


固定範囲:

 第7,441,002番世界線 全域

 固定対象:当該世界線に存在した全ての動体

  人間:推定八十億体

  鳥類:推定四千億羽

  海洋生物:推定一兆体以上

  気象現象(雲・波・風・雨):全て

  天体運動:地球の自転・公転 含む

 

固定個体の状態:

 腐敗:なし

 変化:なし

 終了:なし

 内部状態:計測不能

 

涅槃の通過時刻:一夜 時刻不明

涅槃の滞在時間:不明

涅槃が何を見て「いいね」と思ったか:不明


地球の自転が止まったことについて:

 地球の自転が止まったが、

 固定されているため潮汐力による崩壊は発生しない。

 固定されているため、大気の散逸も発生しない。

 固定されているため、何も壊れない。

 何も壊れないまま、何も動かない。

 永久に。


生存者一名について:

 なぜ固定されなかったかは不明。

 涅槃が採点を保留した可能性がある。

 あるいは見落とした可能性がある。

 あるいは意図的に残した可能性がある。

 いずれの可能性も確認できない。

 涅槃はすでにこの世界線を離れている。

 

 生存者は現在も歩き続けている。

 歩き続けているが、

 この世界線はすでに涅槃の作品として登録されている。

 作品は完成している。

 生存者が歩いているかどうかは、

 作品の完成度に関係しない。

 

写真家が撮った写真について:

 写真家の撮影した写真データは固定されていない。

 データは今も存在する。

 写真家は固定されている。

 写真は残った。

 写真の中に、商店街を歩く黒と紺の服を着た小さな人影が

 一枚だけ写っていた。

 写真家は気づかなかった。

 写真家は今、止まっている。

 笑顔の老女の隣で、止まっている。

 

 この世界線は、パンデモニウム廊下の

 第7,441,002号展示室として永久保存される。

 涅槃の評価:「……美しいね」

 

 在庫切れ、なし。

────────────────────────────────


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