道化遊戯 正義しか見なかった刑事と正義の味方になれなかった探偵の回想 帝都学習館学園中央図書館にて
帝都学習館学園中央図書館は静かだった。
地下鉄のホーム脇であれほど人が走り、裏であれほど多くの思惑が交錯した祝言の後に来ると、その静けさはむしろ白々しいほどだった。
「いらっしゃい」
カウンターの奥に座っていた高宮館長は、何事もなかったような顔で笑った。
まるで、あの日九段下で起きたことすべてが、最初から一冊の本の頁の上にでもあったみたいに。
縁もゆかりもない三田守が神奈水樹と共にここに訪れたのは、あの結婚式で彼女が何かしたらしいと聞かされたからに他ならない。
教えたのは小野健一警視で、彼も上から聞かされた口である。
当事者の夫婦は新婚旅行と称して旅行に出かけ、ゲオルギーも仕事は終わったと樺太にさっさと帰ったので、あの何もなかった話の〆を聞く羽目になった三田守はぼやく。
「これ、水樹ちゃんだけ聞けばよかったんじゃ……」
「駄目ですよ。三田さんが主人公だったんですから。最後まで主人公をしてください」
「いやだなぁ……めんどうじゃないか。主人公だなんて」
二人のやり取りを見ていた高宮館長が苦笑する。
少しの自嘲を含めて。
「ああ。私はここを間違えたのね」
高宮館長は、自分で淹れたのだろう紅茶の湯気を眺めながら言った。
告白というにはあまりにも穏やかで、反省というにはどこか他人事めいている声音だった。
「悪が裁かれて、正義が正義として残る。
そういう方が、みんな少しは救われると思ったのよ。少なくとも、何もなかった事にされるよりは」
「迷惑なんですよね。そういうの」
三田守は本棚の背にもたれたまま、気のない声で言った。
裏で何かやっていた知らない人間相手に怒鳴る気にもなれないし、もう終わった話に怒るほど彼は物事に熱心ではない。
熱心だったら、主人公として高宮館長が望むハッピーエンドの為にこんな場所に来ていない。
「こっちは別に、正義の味方になりたいわけじゃなかったんで。
ただ、あの日を壊したくなかっただけです」
「ええ。そうだったのでしょうね」
高宮館長はあっさり頷いた。
目は三田守をまっすぐ見つめ、彼と言う人間ではなく彼の物語を読もうとしているそんな目で彼女は質問をする。
「かつて平成天誅という過激派組織から抜けて、新宿ジオフロントのテロを未然に防いだ英雄。
聞かせて。
あなたにとってあれは、今回の結婚式は何だったの?」
真面目系クズの三田守はあっさりと言い切る。
簡潔に容赦なく。
「決まっているじゃないですか。
厄介事です。だから、そ ん な も の に関わりたくないんですよ」
高宮館長は、その言葉に少しだけ目を細めた。
失望でもなく、怒りでもなく、どこか眩しいものを見るような目だった。
「でも、貴方は関わったわ」
「巻き込まれただけです」
三田守は即答した。
そこに含みも余韻もない。
それが彼にとっての本音なのだろう。
「地下鉄のホームで人が死にかけてて、式はその真上でやってて、知らない顔なんてできないでしょう。
だから止めただけです。
正義がどうとか、悪がどうとか、そんな立派な話じゃない」
「ええ。そこなのよ」
高宮館長は紅茶のカップを置いた。
小さな音が、妙に静かな図書館に響く。
「悪を裁きたいとか、正義を証明したいとか、そういう人間は案外肝心な所で舞台を壊すの。
でも貴方は違う。
壊したくないから動く。
なかったことにしたいから、誰よりも最後の一線で踏みとどまる。
だから私は――」
「館長」
そこで神奈水樹が口を挟んだ。
声は強くない。
けれど、図書館の静けさの中でよく通った。
「館長が言いたいこと、たぶん分かります」
「そう?」
「はい。
悪い人はちゃんと裁かれて、頑張った人は報われて、正しいことをした人が正しいままで終われたら、その方が綺麗です。
私だって、そういう話の方が好きです」
高宮館長は黙って水樹を見た。
その続きが来るのを、もう半ば分かっている顔で。
「でも」
神奈水樹は一歩だけ前へ出た。
「館長はもう当事者でない」
その一言で、空気が少しだけ止まる。
「館長が見てるのは、ちゃんと終わるはずの物語です。
でも、あの場にいた人は、そんなもの見てなかった。
死にたくないとか、祝言を壊したくないとか、昔の女に縋ってでも生き延びたいとか、みんなそんなので動いてたんです。現実を」
三田守は黙っていた。
自分が来た理由は観客として。
この場が神奈水樹が高宮晴香を断罪する物語と分かったからだ。
「だから、館長の言うことは綺麗です。
でも、その綺麗さで押されたら困るんです。
当事者じゃない人の善意って、たまにすごく重いから」
高宮館長はしばらく何も言わなかった。
その沈黙は敗北というより、自分がもう盤面の中にはいないのだと改めて思い出した人間のものだった。
やがて、小さく笑う。
いつもの穏やかな笑みだったが、ほんの少しだけ寂しそうでもあった。
「そうね。
私はもう、いえ、いつも、そこにはいない」
達観したというか、苦渋と渇望がほんのりと残る声。
この場でしか出せない、高宮晴香の現実が二人の耳に届く。
三田守がそこで、ようやく本棚から背を離した。
「だから、面白くなくていいんですよ。
悪が裁かれたとか、正義が証明されたとか、そんなふうに綺麗にまとまらなくていい。
式が終わって、二人がちゃんと新婚旅行に行った。俺にとってはそれで十分です」
高宮館長はその言葉に、今度こそ少しだけ救われたような顔をする。
物語の外にいる人間に、物語の終わり方を決める資格はない。
けれど、終わった後に、それがどんな終わりだったのかを聞くぐらいは許されるのだろう。
それに気づいた顔だった。
「ハッピーエンドではあったのね」
「少なくとも、俺たちにとっては」
三田は肩をすくめる。
「だからもう、次の誰かを主人公にしてください。
俺は御免です」
神奈水樹が吹き出した。
高宮館長も、今度は本当に可笑しそうに笑った。
「ありがとう。
物語の結末を教えてくれて」
それが、この物語のおしまい。
誰に知られる事もなく、誰に語られる事もない物語はこうして幕をおろす。
「さてと、俺は帰るけど水樹ちゃんはどうする?」
「どうしましょうか?」
二人が歩く図書館の外では、いつも通りの街が動いている。
地下鉄が走り、人が歩き、本が読まれ、そして誰も知らない所で起きたことは、誰にも知られないまま積み重なっていく。
それでも、あの日の祝言だけは確かに壊れなかった。
ならば、物語としてはそれで十分だったのかもしれない。
裏設定
高宮館長の『悪が裁かれて、正義が正義として残る。そういう方が、みんな少しは救われると思ったのよ』の果てが第二次2.26事件で、最悪の結末になった結果彼女は自らを図書館の主として封じる事に。
それを解き放った小鳥遊瑞穂に彼女が乗ったのは、桂華院瑠奈が一期主人公として完結した結果、二期主人公の小鳥遊瑞穂の敵役に回るという物語を見てしまったから。
かくして彼女はまた同じかつ最悪の物語を紡ぎ……というのが本来の流れだったりする。
このあたり負けシナリオとして完璧に作ったので、ぶっ飛んで頭を抱えていたが、捨てるに惜しいので再利用したというのが、この話だったりする。
……まぁ、リアルで心を折ってくれたイランが悪いという事で〆させてもらおう。




