道化遊戯 正義しか見なかった刑事と正義の味方になれなかった探偵の回想 九段下桂華タワー式場内教会にて
結婚式というものは、不思議な儀式である。
どれほど多くの人間の思惑が交錯しようと、どれほど見えない所で騒ぎが起ころうと、ひとたび新郎新婦が定位置に立てば、それまでの雑音を全て『今日という日』の背景へ押し込めてしまう。
祝福とは、案外乱暴なものなのかもしれない。
桂華ホテル九段下の式場用教会には、何事もなかったような空間が広がっていた。
白い花。磨き抜かれた床。柔らかな照明。控えめに流れる演奏。
地下鉄のホーム脇に満ちていた事件の匂いなど、ここには一欠片も届いていない。
新郎近藤俊作は、ようやく腹を括った男の顔をしていた。
あるいは、逃げても無駄だと悟った男の顔と言い換えてもいい。
もっとも、それは結婚という人生の決断に対してなのか、それとも今日一日の身内と殿上人の圧力に対してなのかは、当人以外には分からなかった。
一方で、花嫁愛夜ソフィアは美しかった。
それは単に化粧と衣装の力ではない。
樺太から売られ、身体を売り、店を持ち、ようやくここまで辿り着いた女が、今日だけは自分が祝われる側に立つと決めた強さが、そのまま白いドレスの中に宿っていた。
だからこそ、彼女の隣に立つ男も、見守る側の人間も、今この場でだけは余計な顔をしてはならなかった。
だだっ広い式場用教会にて、この新郎新婦を祝福する観客はたったの五人だけだったが。
新郎父親役の小野健一警視はこの式の裏で何があったのか知っていたが、それでも可愛がっていた近藤俊作が所帯を持つ事を素直に喜び、目には涙を浮かべていた。
新婦母親役の北斗千春は、この式の裏なんて知るつもりもないが故に花嫁の母親役をきっちりと務めており、彼女の眼の涙が本物なのか芝居なのかは本人ですら分からないだろう。
「なぁ。何で俺はここに居るんだ?」
ゲオルギー・リジコフのボヤキ声を三田守は聞かなかった事にした。
彼も三田守と同じく式場に連れてこられて着替えさせられているのだから、知り合いだからと気を利かせたのは北斗千春だろうと察してはいたが、ここでそれを告げても無駄な事を三田守は己の経験からとてもよく分かっていた。
「お祝い事だからいいじゃないですか」
と神奈水樹があっけらかんと言い放つが、ゲオルギー・リジコフからすればそういう問題ではない。
つい数十分前まで地下鉄の線路脇で人を追い、戻れば戻ったでメイドたちに有無を言わさず引きずられて、気づけば礼服もどきの格好で教会の椅子に座らされているのだ。ぼやきの一つも出るだろう。
「そういうものか?」
「そういうものです。
少なくとも、今日ここに居る人はみんなそういうものだと思っていますよ」
「お前さんは?」
「私は面白いからです」
「正直だな……」
三田守はそのやり取りをやはり聞かなかった事にした。
今日一日、聞かないふりをした方がいい会話が多すぎる。
地下では命の値段がつき、別の所では男が己を売って生き延びた。なのに地上へ戻れば、こうして花嫁花婿の前で祝福の席が整っている。世界というものはつくづく都合よく出来ているのか、それとも都合の悪い所を見ないふりして回っているだけなのか。
おそらく後者なのだろう。
式場の前方では、神父役を引き受けたらしいホテルの関係者が、いかにもそれらしい厳粛な顔で進行役を務めている。
言葉は穏やかで、場は静かで、白い花に囲まれた祭壇の前には、ようやくここまで辿り着いた二人がいる。
これから誓いの口づけという所で、ドアが開き、身なりの良い老紳士が入ってくる。
橘隆二。桂華鉄道会長。
会長職に退いてからは、本業である桂華院公爵家執事の仕事に専念していると知っているのは、小野健一と北斗千春の二人のみ。
「申し訳ございません。
間もなく総理が別のパーティー会場にいらっしゃるのですが、避難経路の確認をしたいからと。
式の邪魔はいたしませんので、どうか続けてください。
お詫びとして、別会場のパーティーへご招待させていただきます」
三田守は思った。
何しろ、この結婚式の裏の一つが、お偉いさんが新宿ジオフロントでのテロ未遂を防いだ自分たちへの謝辞を告げる事なのだから。
そして、SPと護衛メイドに囲まれて、恋住総理だけでなく、岩沢都知事も顔を出す。
それを待っていたかのように、讃美歌が厳かに式場に響く。
「あ」
「なに? 水樹ちゃん。『あ』って」
「これ、録音じゃない。生歌よ。
桂華院さん……桂華院瑠奈公爵令嬢の」
その新宿ジオフロントに出席していたVIPが、恋住総理に岩沢都知事と桂華院瑠奈公爵令嬢の三人である。
だから、この式は彼らが三田守たちに感謝を伝える場だった。
恋住総理が新郎新婦と観客たちに頭を軽く下げ、岩沢都知事と橘隆二会長がそれに続く。
たった数秒。
この数秒の為にこの日は用意され、そして盤外で別のドラマが動いていたなんて知る人間はほんの数人しかおらず。
ほんのわずかな沈黙の後、神父の声が再び式場に響いた。
総理も、都知事も、公爵令嬢も、もうそれ以上は何も言わない。
言葉を重ねるより、この場に立ち会うこと自体が彼らなりの礼なのだろうと三田守は思った。
ならば、もう十分だった。
近藤俊作が花嫁を見て、愛夜ソフィアがわずかに笑う。
その笑みが営業用でも、処世術でもなく、今日この瞬間だけは自分の為のものに見えたので、近藤俊作はようやく肩の力を抜いて花嫁に口づけした。
祝福の拍手が静かに式場に響く。
地上では、それが全てだった。
地下で何があり、誰が誰を売り、誰が誰を消そうとしたのか――そんなものは、今日という日の前ではただの雑音に過ぎないとでも言うように。
結婚式というものは、不思議な儀式である。
どれほど多くの思惑が交錯しようと、最後に残るのは、誓い合った二人と、それを祝う拍手だけ。
そしてその乱暴なまでの祝福に押し流されるように、今日の出来事もまた、なかったことにされていくのだろう。




