えにぐまとエニグマ④
翌火曜日の昼休み、E組に近づくなという黒峰の忠告をありがたく無視して、私は本田とともにE組の教室に入った。
だが、そこに千草さんはいなかった。
「千草さんは?」
私は歩み寄ってきた小林に聞いた。
「授業終わったらすぐに出ていったよ」
「そっか。ちょっと探してくる。二人は先に食べててくれ」
そういって私は千草さんを探したが、校内を一周しても見つからなかった。今日は香も奈緒も用事でいなかったので、E組に戻り男三人で昼飯を食べた。
「千草さんに何かあったのか?」と本田が私に聞いた。
「昨日廊下で熊代の彼氏の黒峰にもうE組に来るなってからまれたんだ。それを千草さんが見ていた」
「そんなことあったんだ」と小林。「じゃあ千草さんは自分のせいで古口くんがこんな目にあっていると思って避けたのかな」
「ありうるわ」と本田がうなずく。
私もそう思っていた。
「そのことはあとで千草さんと話しておく。ところで、前から気になっていたんだが、E組のみなは私らのことどう思っているんだろう? ほかのクラスから毎日来ているわけだからやはりウザいと思っているんだろうか」
小林を見た。
「人によると思うな」
「そりゃそうだが、実際どうなんだ?」
「半々かな。熊代と近田ウザい、千草さんかわいそうと思っている人はそれなりにいるよ。そのためのバスターズとして僕らは期待されているけど、ほかのクラスのやつらが自分のクラスでデカい顔しているのを面白くないと思っている人もいるのはたしかだね。さすがに面と向かってはいってこないけど」
「やはり早く解決してB組に帰るべきなんだろうな」
千草さんをなんとかしようと私らが介入することで今度は別のよからぬ力がかかってしまう。わかってはいるが、人間関係は難しいものだとあらためて思う。
「俺はB組でメシ食うよりここで岩崎さんや高梨さん、千草さんの美女三人と一緒のほうがいいわ。誰がどう思おうと気にならん。そんなのつまらぬ嫉妬だわ」
「本田だって加わる前は私や小林に嫉妬してなかったか?」
「古口、人間とは哀しい生き物なんだわ」
「たまに来る分にはいいだろうが、千草さんにとってはE組のみなと打ち解けられたほうが理想だろ」
「まあそらな」
「熊代と近田の件だけどうにかなれば、あとは僕や高梨さんがなんとかするよ」
小林は見た目こそかわいい坊っちゃん風だが、なかなかどうして骨がある男だ。知り合って間もないが、小林のことはかなり買っていた。
「そうしてくれると助かる。問題はそこまでどう持っていくかだ」
放課後ショートホームルームが終わるや否や私はE組へ向けて駆けだした。ちょうど千草さんが教室から出てきたところで、私は進路をふさぐように彼女の前に立った。
「千草さん一緒に帰ろう」
「うっ……」
千草さんは私の横を通り抜け玄関に向かおうとする。
後を追うと「ついてこないでください」とか細い声でいわれたが、かまわず続いた。
下駄箱で私はすばやく靴を履き替え、E組の下駄箱に向かったが、そこに彼女の姿はなかった。
巻かれたのか? 一瞬思ったが、そうではなかった。
彼女は下駄箱の横にあるゴミ箱から外靴を拾っていた。
いつもそんなことをされていたのだろうか。いや、私が千草さんに関わるようになってからかもしれない。やつらのお気に召さないことをしているのは明らかなのだから。
千草さんと目が合った。彼女はいまにも泣きだしそうな顔をしている。だが、私は何もいわなかった。
校門の外に出たところで千草さんが振り向いた。
「どうしてついてくるんですか。もうわたしにかまわないでください……」
千草さんは振り絞るような声でいった。
「千草さん逃げようとするから。なんで逃げるの?」
「だって……。わたしに関わるとみなさんに迷惑がかかります」
「迷惑なんてかかっていない」
「でも昨日古口さん、黒峰さんに詰め寄られていました」
「あんなのはやつなりのコミュニケーションの取り方だし、千草さんが気にすることではないさ」
「でも、わたしはみなさんに迷惑がかかるのは嫌なのです。なぜ古口さんはわたしにかまうのですか?」
「千草さんに楽しい学校生活を送ってもらいたいから、かな」
「まったく関係ない人なのにですか? ……信じられないです。なぜ古口さんはわたしに近づいてきたのですか?」
たしかにアンパンマンでもあるまいし、いきなり助けに来るなんてあやしいといえばあやしい。千草さんのために何かしたいとか、彼女に楽しい学校生活を送ってほしいというのももちろん嘘ではないが、正直に事の経緯をいうべきだろうなと思った。
「元はいえば頼まれたんだ。千草さんのブログが荒らされて、嫌がらせされているから助けてあげてほしいって」
「誰にですか?」
「ごめん、私にもわからないんだ。校長先生あてにそういう匿名のメールがあった。千草さん学校に知り合いとかいる?」
「いえ、いないです」
「どうも書き方がE組の生徒ではないような感じだったから、miniとかブログで千草のことを知った人じゃないかな」
「心当たり……ないです。でも校長先生に頼んだのに、なぜ古口さんなのですか?」
「校長の美衣さん――奈緒のお母さんだけど、はウチの母親とむかしからの友人で、私のことも幼いころからよく知っているんだ。それでこの件について頼まれた」
「そう、だったんですね」
「そう。だから自分でやりたくてやっているのもあるけど、同時に仕事でもあるから千草さんが気に病むことはないよ」
「……」
千草さんは黙っている。ここが勝負どころだ。一気に行こうと、私は語気を強めた。
「なあ、千草さん聞いてくれ。君はこれから先も熊代や近田の様子を窺い、怯えながら毎日を過ごしたいのか? ちょっとしたときにクラスメートと話したり、友だちと趣味の話をしたり、放課後気ままに好きなことをしたいと思わないのか? 私らのことを心配してくれるのはありがたいが、入学後の君の姿を親や地元の友だち、こちらでお世話になっているおじさんおばさんが見たらどう思う? きっとみな『新雪学園へ入れるんじゃなかった』と思うはずだ。さっき私もいったが、千草さんを助けてあげてくださいというメールにもこう書いてあった。『千草さんにも楽しい学校生活を送ってもらいたいです』と。美衣さんもいつも同じことをいっている。みな同じ気持ちだ。君はいま、楽しい学校生活が送れているのか?」
千草さんは涙を浮かべ首を振った。私は続けた。
「だが君に手を差し伸べてくれる人はいる。メールを送ってくれた人や美衣さん、香や小林たち、それにE組のみなもきっと心の奥で千草さんを応援しているはずだ。いまその手を取らないでどうするんだ」
少しうつむいた千草さんの顔からしずくが落ちた。
「信じてくれないか、私やみなを」
私はまっすぐに千草さんを見た。
「っぐ……はい……わたし、新雪学園に来れてすごくうれしかったんです。だからがんばろうと思って逆に空回りしちゃって、うまくいかなくて、迷惑かけてばかりで……。だからもう諦めて静かに誰にも関わらず日々を送ろうって思ったんです。でもそんなときに古口さんが現れて……。わたしも、本当は、楽しい学校生活送りたいです」
「なら送ればいいさ」
「古口さん……助けて、くれますか?」
彼女は決意したように顔を上げ、腫れた目でそういった。
「オーケー。よくいった」
手帳に一筆書きたい気分だった。
『君はいま 大きな一歩を 踏み出した』
ちょっとくさいな。いやかなりくさいな。
でも、青春ってそういうものだろ?
私たちは千草さんが住むおじさんの家へ向けてゆっくり歩き出した。
途中青々とした玉ねぎ畑があって私はそれをなんとなく眺めた。むかしはもっとこのあたりにも畑があったような気がするが、めっきり少なくなったと感じる。
少し歩くと千草さんも落ち着いてきたので、近くのファミレスに入って話を聞くことにした。
ドリンクバーを頼み、エスプレッソのボタンを押したが出てくる量がやたらと少なくて機械の故障かと思った。どうもそういうものらしい。にがっ。千草さんのなめた苦渋のようだ。ならば甘くしてくれようとスティックシュガーを入れた。
千草さんはアップルティーにコーヒーフレッシュ二個とスティックシュガーを一本入れてまぜまぜしていた。
「それで、なぜ熊代と近田の二人と関わることになったんだ?」
「あ、はい。入学直後席は出席番号順で、わたしの前が近田さんで、隣がちょうど熊代さんだったのです。お二人は同じ中学で仲がよくて、あるとき二人がminiの話をしていたので、あ、あの、わたしもやってるんですっ、って思い切って話かけてみたんです。わたしこの学校に知っている人いないので、お友だちつくりたいなーと入学前から積極的にいくぞ、勇気を振り絞ってやるぞって思っていたので」
おいおい、いくらなんでも相手は選べよ、なんてことを私は思ったりしていない。ただ彼女はきっとブラックタイガーとホワイトタイガーとトラッキーの区別がつかない人だ。
「お二人とお話はあまり合わなかったのですけれど、それでも朝や帰りにあいさつするようになって、少しずつ仲良くなれてきたような気がしてました。熊代さんはminiに日記を書いていたので、コメントすると『ああ』とか『おう』とか『そっか』とか、ちゃんとお返事してくれるので、更新されると必ずコメントするようにしてました」
そんなコメントもらってうれしいだろうか、とも私は別に思っていない。とりあえずまあ相手が地蔵でないことはわかるのだから。
「それであるとき、熊代さんが『えにぐま』のぬいぐるみの画像をのせたので、かわいいですね、わたしも持ってますーってコメントして自分のぬいぐるみの画像をアップしたのですが、どうもそれがよろしくなかったみたいで……」
「ん? よくわからない。なんでえにぐまの画像をアップしたことがまずかったわけ?」
「熊代さんのえにぐまは誕生日プレゼントに黒峰さんからもらったもので、こう、その、このくらいのロールケーキくらいの大きさなんです」と千草さんは彼女の華奢な肩幅くらいに手を広げて説明した。
「でも、わたしのは高校の合格祝いにおばあちゃんが買ってくれたもので、こーんなに大きいんです」
千草さんは彼女の等身大くらいの大きさを手でつくって示した。
「それが自慢というか嫌味に感じたみたいで熊代さん怒っちゃいました」
「はあっ? そんなのが理由?」
私は大声を出してしまった。くだらない。実につまらない理由だ。小学生かよ。
「きっと熊代さん、黒峰さんにぬいぐるみをもらってうれしかったんです。その気持ちを踏みにじってしまったわたしが悪いんです」
「いや、だからといって誰かを貶めていいわけないし。千草さん謝ったんだろ? まあ謝るほどのもんでもないと思うけどさ」
「はい。ごめんなさいと何度もいいました。けど……」
たしかにけんかやいじめなんてほんの些細なことから始まるが、さすがにこれはひどい。サラッと水に流して終わりということにすればいいのに。流したトイレットペーパーを追って下水道へ入っていくぐらい滑稽で粘着質な行為に思える。
「で、その後は?」
「お二人はminiのわたしの日記にコメントをするようになりました。わたしはいたたまれなくなって日記を削除したのですけど、そのこともお気に召さなかったようで、今度はブログにもいろいろ書き込むようになりました。でも消したらまた怒られるかなと思ったのでブログは結局そのままにしています」
「あのブログって親とかおじさんとか見てないの?」
「へっ? 親もおじさんもたぶん知らないと思いますけど」
「そう。でもブログはコメントだけでもすぐ消してしまいなよ。コメント欄自体なくすこともできるし。あんなのもし知っている人が見ると心配するよ」
「あの……でも……」
「信じてくれるんだろ」
「あ、はい」
「でもさ、私らが昼休み行くようになってからかえっていじめがエスカレートしたんじゃないのか? さっきの靴とか」
千草さんはどう答えようか迷ったあげくうなずいた。
「ごめん、私のせいだ。もう少しでなんとかするから、悪いがもう少しだけ辛抱してくれ」
そう述べると私は伝票を手に取って席を立った。
家に戻るとまず筋トレをした。日課ではあるが、いつもは腕立て伏せ三十回、腹筋背筋五十回のところを、今日から腕立て五十回、腹筋背筋百回に増やすことにした。
続いてminiを開き、熊代のページを入学後から順に見ていった。しばらくすると千草さんのいっていた日記があった。
[もらった]
たんじょぅびにカレシからぇにぐまもらった。まぢカワ←←
文はこれだけで、ぬいぐるみの画像が載せられている。たしかにそんなに大きくはない。三〇センチくらいだろうか。
コメントはいくつかあってそのなかに千草さんのもあった。
『熊代さんもえにぐま好きなのですね! わたしもです。合格したときにおばあちゃんからもらったぬいぐるみ、あとでのせるので見てください♪』
他のコメントは古代エジプトの象形文字かというくらい絵文字だらけで、それでいて文は『まぢうらやまー』とか『ちょーしっと』とかしか書いていないので、千草さんのコメントだけ圧倒的に毛色が違った。まさに異文化コミュニケーションだ。このなかに飛び込む千草さんまぢチャレンジャー。
他のコメントには熊代は「あんがと」とか謎の象形文字で返事をつけているが、千草さんのコメントにだけ返事はなかった。だが、これ以前の千草さんのコメントには熊代は短いながらも返事を書いているので、やはりここで国交断絶したようだ。
だいたいの事情は飲みこめた。
で、どうするかだ。
私は手帳を開き、万年筆で一筆書いた。
『兵は詭道なり』
これは孫子の言葉で「戦いとはだましあいである」という意味だ。
孫子の基本は「戦わずして勝つ」「勝算なきは戦わず」だが、いざ戦うとなった際には積極的に計謀を用いて優位に立つように説く。
だが孫子もいっているように、戦いは終わらすことが何より難しい。下手すれば報復合戦となって千草さんへのいじめがエスカレートするかもしれないし、さらに多くの人を巻き込んで大々的なもめごとに発展する可能性だってある。
もちろんいまの段階で先生方に報告し、対応をあおぐという選択肢もあるが、それでは学校での表立った嫌がらせはなくなっても、ネット上や裏での嫌がらせは終わらない気がする。
やはり、もう二度と千草さんに手が出せなくなるような解決方法が望ましい。
私は本棚から『兵法三十六計』の解説本を取り出しページをめくった。
兵法三十六計とは中国の兵法書の一つで、戦術を三十六に分けたいわばまとめ集のようなものだ。もっとも、すべてが使える戦術でもないし、いまいちピンとこないものもあるが、基本的にはシンプルでわかりやすい兵法書だ。
私はその本を片手に、いくつかを手帳に書き抜いて今後の具体的な戦略・戦術をシミュレートしていった。
結果立てた作戦を私は『キルミーベイベー作戦』と名付けた。




