えにぐまとエニグマ⑤
水曜日の放課後、私は熊代を廊下の隅に呼び出した。
近田は熊代にくっついているだけで、黒峰も熊代と付き合っているからいじめに加担しているに過ぎないと私は見ていた。つまりこのようなイメージだ。
近田(手下)→熊代←黒峰(マイカレ 笑)
つまり要である熊代さえどうにかすればよい。
近田もすぐ横にはいたが、私は熊代だけを見て話した。
「なあ」
「あ? なに」
「千草さんの靴をゴミ箱に入れたのはおまえか」
「はあ? 何いってるの、おまえ?」
そういいながら熊代はにやけていた。なかなかいい性格をしている。
「元はえにぐまのぬいぐるみの件なんだろ?」
「はあ? 何のことだか」
「千草さんも謝っているんだし、もう許してやれよ。頼む」
私は頭を下げた。孫子のいう通り無益な戦いなどすべきではないし、これで解決するなら安いものだ。
だが、熊代は「けっ」という顔をした。
「おまえ何カッコつけてんの? あのおにぎり頭にほれたのか。きめえ」
――ブチッ――
交渉決裂。どうやらこいつにはラーメンどんぶり一杯のお灸が必要なようだ。
「いや、千草さんかわいいだろ。おまえの彼氏はなんていったっけ? 黒なんとか。まあ黒だしゴキブリ(仮)でいいか。あいつより千草さんのほうが一京倍はいい」
「ああっんだと、てめえブチ殺すぞ!」
「いや、ぶちのめされるのはおまえらだから。私がつぶす」
私は親指を立て下に向けた。熊代の顔が怒りで赤く染まっていく。
「ゴキブリ(仮)に伝えておいてくれ。明日の放課後E組の教室で叩きつぶしてやると。その前にくれぐれもゴキブリキャップは食べないようにアドバイスしておくといい。あれはかなり強力だからな」
私はこちらをにらんでいた近田にも視線を送りその場を歩き去った。正直なところ予定通りというかこうなるだろうとは思っていた。
キルミーベイベー作戦発動だ。わさわさしてきた。
校長室に美衣さんはいなかった。
いつも通り無音だった。だが、いつもよりさびしく感じる。隣の職員室の音もしない。まるでこの世にはこの部屋にしかないような、そんな気分に陥る。
あんなやりとりの後だったが、不思議と私は平静だった。
ふと千草さんのことを思う。遠くから来て、おじさんの家で世話になって、期待に胸ふくらませ(見た目上はさしてふくらんでいな――ゴホン)この高校に通い始めたわけだが、最初からつまづいてしまい、よい高校生活を送れているとはいえない。
ひとりになったとき千草さんは何を思っているのだろう?
昨日周囲の人たちは、きっと新雪に通わせないほうがよかったと思うに違いない、と彼女にいったが、実際のところ千草さん自身がそう思っているのではないだろうか。
この先彼女の高校生活が光に満ち溢れたものにすることまではできないが、少なくてもいまある状況を変え、毎日の生活を憂いなく送れるようにはしてあげたいと思う。
自席に座りそんなことを考えたあと、つぶやっきーとminiをひと通りチェックして、本田にメールを送った。
「あとで会えないか? 頼みたいことがあるんだ。できれば小林も一緒だと助かる」
すぐに返信がきた。
「いまから新聞部の部室に来いよ。ほかの部員出かけているから小林と二人なんだ」
文化系の部室は校舎の奥まったところにある。特別教室や準備室を間借りしている部も多いみたいだが、新聞部は小さいながらも部室を持っている。
ノックすると、本田が顔を出した。
「お、きたな。入ってくれ」
「やあ、いらっしゃい」
小林は奥のパソコンで作業をしていた。
新聞部室は六人も入れば満員になるような縦長の小部屋だった。戸棚に囲まれ、机には書類があちこちに積み重ねられている。全体的に雑然とした雰囲気だ。
「他の部員はどうしたんだ?」
「華道部の展覧会の取材に行った。俺たちは興味ないからお留守番なんだわ」
「僕もお華の世界には惹かれなくて」
「ふーん、新聞部って全部で何人いるんだ?」
「幽霊部員入れたら七人」
「これ最新号?」
「そっ。一部やるわ」
私はテーブルにのっていた最新号を手に取った。
『野球部春季大会ベスト4! 夏の甲子園予選に期待高まる』
これが見出しで、モノクロ印刷なのだが、背景にピッチャーの投球モーションの大きなくり抜き写真が使われていて構図が斬新だった。中学時代の学校新聞とはレベルが違う。
「デザインすげえな。プロみたいだ」
「デザインは小林の担当だ」
「いや、まだ先輩の見習いだけどね」
「デザインはパソコンでつくってるのか?」
「うん。フォトショップってソフトでつくってるんだ。このソフト前から使ってみたかったんだけど、買うとものすごく高いんだよね。新聞部にあるって本田に聞いてそれで僕ここに入部したんだ」
「へえ、そういう理由なのか」
「それはそうと、古口の頼みごとってなんだ? 千草さんのことか」
「ああ、そう。小林にもお願いしたいんだ」
「うん」
私は千草さんがなぜ熊代、近田、黒峰にいじめられるようになったのかから話し始め、今回の作戦について説明した。
「悪いがこの作戦の成否は二人にかかっている。頼む、協力してくれないか」
「古口、おまえいいのか、こんな作戦で?」
「そうだよ、古口くん。何かほかにいい手はないの?」
「たしかに方法自体はベストではないかもしれないが、ベストの結果を出すにはこの作戦しか思いつかないんだ。二人にもリスクはあるが頼めないか」
「そっか。古口がいいのならわかった。手伝うわ」
「うん、まかせて」
「ありがとう。では明日」
意識していなかったが、高校に入り私にも頼れる友だちができていたことにいま気づいた。まるでありきたりな平日に寝て起きたら、靴下のなかにプレゼントが入っていたような、そんな気分だ。
そう、私はうれしかった。




