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あの教室には、五人しかいない  作者: 飛べない夜鷹/渡辺はるき
第三章

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偽物はニセモノ

朝の昇降口は、いつもより騒がしかった。

神谷理央は、自分の下駄箱を開けた。

上履きを取り出し、履き替える。

靴箱の扉を閉める。

ぱたん、と小さな音がした。

その音を聞きながら、理央は昨日のことを思い出していた。

───悠真のお母さん。

病院の白い壁。

震える声。

『一昨日から病院に来てないのよ』

「……」

理央は自分の手を見る。

少し冷えている。

朝の空気のせいなのか。

それとも、別の理由なのか。

昨日までなら、こんなことを考えたりしなかった。

怖い。

そう思っている自分が、少し意外だった。

理央は、普段なら何か分からないことがあれば調べる。

感情よりも事実。

思い込みよりも証拠。

でも、今回ばかりは違う。

目の前で起きたことを、いくら考えても説明できない。

黒田悠真が消えた。

それなのに、学校は何も変わらない。

そして、その異常さに気づいているのは──

自分たちだけ。

二十年前の二年三組。

白石美月。

六月十七日。

六人目。

悠真が調べていたもの。

そして、まだ分かっていないこと。

理央は鞄の持ち手を握り直した。

───まずは白石に聞く。

昨日、二十年前のことを調べていく中で分かったことは多かった。

けれど、それでも肝心な部分は分からない。

なぜ白石は狙われたのか。

五人は何をしようとしていたのか。

六月十七日に、二年三組で何が起きたのか。

そして────

『あの人は私を助けるために六人目になった』

あの人とは、誰なのか。

本人に聞けば分かるかもしれない。

いや。

分からなくてもいい。

少なくとも、何かは聞ける。

理央は昇降口を離れ、二年三組へ向かおうとした。

そのときだった。

廊下の先に、一人の女子生徒が見えた。

黒髪。

見覚えのある横顔。

「……白石」

白石美月だった。

理央は思わず足を止める。

昨日までなら、偶然会えただけで何とも思わなかった。

でも今は違う。

聞きたいことがありすぎる。

理央は一歩、前へ出た。

「白───」

声をかけようとした。

その瞬間。


「ちょっと、押すなって!」


「何? 何があったん?」


「二年三組らしいぞ!」


突然、後ろから大勢の生徒が押し寄せてきた。

「……っ」

肩がぶつかる。

身体が横へ流される。

「待って……!」

理央は白石へ手を伸ばした。

けれど。

人。

人。

人。

次々と生徒が間に入り、視界が塞がれていく。

白石の姿が、人の波の向こうへ消えた。

「白石!」

呼んだ。

返事はない。

もう一度探す。

いない。

「……どこに行ったの」

......自分の見間違いだったのだろうか。

ふと周りに目をやると、周囲の生徒たちは二年三組の方へ向かっていく事に気づいた。

何かが起きている。そう思った。

そして、その直後。

「佐伯と黒田が喧嘩してるらしい」

すぐ近くを通った男子生徒の声が、理央の耳に入った。

「……黒田?」

足が止まった。

聞き間違い。

そう思ったが、

「黒田悠真。朝からヤバいくらい揉めてるって」


────心臓が、強く鳴った。


「…………悠真?」


頭の中が、一瞬だけ真っ白になる。

そんなはずがない。

だって。黒田は

「消えた……はず」

理央は呟いた。

それでも、身体はもう動いていた。

人混みを押し分ける。

階段を上がる。

息が苦しくなる。

それでも止まれない。

もし、本当に悠真がいるのなら。

昨日まで自分たちが探していた悠真が、本当にそこにいるのなら。

今度こそ、自分の目で確かめなければならない。

二年三組。

教室の前まで来た。

中から怒鳴り声が聞こえる。

「ふざけんなよ!」

蓮の声。

理央は扉を開けた。

そして。

「……っ」

言葉を失った。

教室の中央。

蓮と黒田が、向かい合っていた。

蓮の制服は乱れている。

黒田も険しい顔をしている。

周囲の机はいくつか動いていた。

二人は互いを睨みつけている。


「お前が言ったんだろ!」


「だから何だよ!」


「忘れたとは言わせねぇぞ!」


「俺は何も───」


そこで、理央は動けなくなった。

いる。

本当にいる。

黒田悠真が。

昨日まで、自分たちが必死になって探していた人が。

何事もなかったように。

ここにいる。

「……どうして」

理央の言葉は、誰にも届かなかった。

その瞬間。

「何をしてる!」

担任が教室に入ってきた。

「佐伯! 黒田! やめろ!」

教師が二人の間に割って入り、強引に引き離す。

「朝から何をやってるんだ、お前たちは!」

教室が静まり返った。

蓮は悔しそうに拳を握りながら席へ戻る。

悠真も何も言わず、自分の席へ戻った。

理央は座ったまま、悠真を見る。

何度見ても。

いる。

幻でもない。

夢でもない。

確かに、そこにいる。

それなら。

昨日の自分たちは何だったのだろう。

病院で聞いた話は。

悠真が帰ってきていないという話は。

自分たちが追いかけたものは。

全部、間違いだったのか。

やがて朝の会が始まった。

先程の取っ組み合いを一通り注意すると、教師が普段通りに連絡事項を話す。

クラスメイトも、少しすればいつもの調子に戻っていく。

まるで、さっきの喧嘩だけが、朝のちょっとした出来事だったかのように。

やがて朝の会が終わる。

理央はすぐに蓮の席へ向かった。


「蓮」


「……理央」


そこへ紗季もやってくる。


「二人とも……」


三人は教室の隅へ移動した。

しばらく、誰も口を開かなかった。

最初に口を開いたのは蓮だった。

「……悠真が消えたのは、俺がこの目で見た」

理央は黙って頷く。

蓮の声は低かった。

「なのに……なんであいつが、普通にここにいるんだよ」

紗季が不安そうに悠真を見る。


「……私も分かんない」


「私も」


理央が答える。

「でも、黒田が消えた事は間違いだったとは思わない」

蓮が理央を見る。


「じゃあ……何なんだよ」


「分からない」


理央は正直に答えた。

一度、悠真を見る。

そして、少しだけ声を落とした。


「でも……今は、下手に動かない方がいいと思う」


「……なんで?」


「もし、あれが本当に悠真じゃなかったら」


理央は言葉を選ぶ。


「悠真の形をした何かが、私たちを試している可能性だってある」


蓮の表情が険しくなる。


「……」


「今までだって、普通じゃないことが起きてる。だったら、これ以上不用意に動いたら───」


理央は悠真の方を見た。

「存在を消されるかもしれない」

その言葉に、蓮の顔が強張った。

「……」

拳を握る。

助けたい。

今すぐ確かめたい。

昨日まで必死に探していた悠真が目の前にいるのに、何もするなと言われている。

それが、蓮には何より苦しかった。

けれど。

理央の言っていることも分かる。

蓮はしばらく黙ったまま、唇を強く噛んだ。

そして、悔しさを押し殺すように小さく息を吐く。


「……分かった」


「蓮……」


「今は、普段の悠真と同じように接する」


理央が頷く。


「うん。それがいい」


「でも」


蓮は悠真を見る。

その目には、明らかな警戒が残っていた。


「何か変なことがあったら、すぐ教えてくれ」


「もちろん」


紗季も小さく頷く。


「私も気をつける」


三人はそれ以上、悠真について話さなかった。

少なくとも、今は。

教室の中では、いつも通りにする。

笑う。

話す。

友達として接する。

まるで何も知らないように。

───それが今の三人にできる、唯一の方法だった。

理央はもう一度、悠真を見る。

何気なく。

「……」

理央の視線が、悠真の顔で止まる。

どこを見ても、黒田悠真本人だった。

前まで一緒にいた悠真と、何一つ違わない。

目の形も。

眉の位置も。

笑ったときの口元も。

少し癖のある髪の流れまで。

まるで本人の顔を、そのまま作り直したように。

もし、本当に別の何かが悠真の姿をしているのだとしたら。

そこまで考えた瞬間。

別の可能性が、頭に浮かんだ。

────じゃあ。

悠真だけなのか?

もし、この学校にいる誰かが。

自分たちが気づかないうちに。

すでに何かと入れ替わっていたとしたら。

蓮も。

紗季も。

そして────

……私も?

自分の胸に、嫌な感覚が広がった。

理央は無意識に、自分の顔に触れた。

指先が、頬に触れる。

ちゃんと自分の感触がある。

それなのに。

自分が本当に自分なのか。

それを証明する方法を、理央は思いつかなかった。

「……」

教室の中は、いつも通り騒がしい。

誰も気づいていない。

誰も疑っていない。

その日常の中で。

理央だけが、ひとつの考えから離れられなくなっていた。

私たちは、本当に全員が「本人」なんだろうか。

そう考えた瞬間。

背筋が、ぞくりと冷えた。

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