有言実行
「……ありがとうございました」
蓮が頭を下げる。
紗季と理央も続いて頭を下げた。
「こちらこそ……来てくれてありがとう」
悠真の母親は、疲れの残った顔で小さく笑った。
「悠真のこと……よろしくね」
「……はい」
蓮は短く答えた。
それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。
「失礼します」
三人は病室を出る。
扉が閉まる。
カチャッ、と小さな音がして、母親の姿が見えなくなった。
廊下に出ると、さっきまでいた病室の空気が途切れた。
遠くで看護師が誰かに声をかけている。
車椅子の車輪が床を擦る音。
規則正しく鳴る機械音。
蓮はしばらく先程の会話を噛み締めるように、その場から動かなかった。
「……蓮」
紗季が小さく呼ぶ。
「ん?」
「……帰ろ」
「ああ」
三人はゆっくり歩き始めた。
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病院の自動ドアが開く。
外へ出た瞬間、夕方の少し生温い風が三人の間を通り抜けた。
院内の冷たい空気に慣れていたせいか、外の暑さが妙に重く感じられる。
空は徐々に暗くなっている。
太陽はもう低く、道路に並ぶ建物の影が長く伸びていた。
三人は横並びになって歩く。
しばらく誰も話さなかった。
病院で聞いたことが、それぞれの頭の中で整理されていく。
悠真は、一週間前から昔の学校について調べていた。
何かを知ろうとしていた。
そして、その数日後に消えた。
「……悠真、やっぱり何か調べてたんだね」
紗季がぽつりと言った。
「ああ」
蓮は前を向いたまま答える。
「一週間前からって言ってたな」
「私たちが白石について調べ始めるより前だよね」
「たぶんな」
理央が静かに言った。
「だったら、明日は悠真が何を調べていたのかを探した方がいい」
「図書室?」
「図書室だけじゃ足りないと思う」
理央は少し考えてから続ける。
「先生が持ってる資料、実際に先生に聞いてみるとか。」
「なるほどな」
蓮は頷いた。
そのとき、ふと病室での会話が頭をよぎった。
───悠真のこと、よろしくね。
蓮は少しだけ俯いた。
「……なあ」
「ん?」
紗季が振り向く。
「俺さ」
蓮は歩きながら言った。
「今まで、悠真を見つけるって何回も言ってたけど……」
二人が蓮を見る。
「言葉だけじゃ駄目なんだな」
「……」
「お母さんと話してて、気づいた」
蓮は拳を軽く握った。
「俺が『絶対見つけます』って言っても、口約束には変わりはない」
夕方の風が、蓮の前髪を揺らす。
「だから……行動で示さねえとな」
その言葉に、理央が少しだけ口元を緩めた。
「……ワトソン君が言うようになったじゃん」
「……は?」
蓮が理央を見る。
理央は、ほんの少しだけ口元が緩んでいる。
「自分から行動するなんて」
「まだその設定引きずってんのかよ」
「相棒なんだから当然」
「いつまで言うんだよ、それ」
蓮も呆れたように笑う。
「ワトソン君、頼りにしてるよ」
「だからやめろって」
「ふふ」
理央が珍しく声を漏らして笑った。
蓮もつられて笑う。
ほんの少しだけ。
悠真が消えてから、まともに笑えたのは久しぶりだった。
「……なにそれ」
紗季が二人を見る。
「私、知らないんだけど」
「え?」
蓮が振り向く。
「いつの間にそんな設定できたの?」
「前に図書室で」
理央が答える。
「勝手に理央が決めたんだよ」
「でも蓮も否定しなかった」
「いや、あれは……」
蓮が言葉に詰まる。
理央がまた笑った。
「ほら」
「うるさい」
二人の笑い声が、夕暮れの道に小さく響く。
紗季も笑った。
「ほんと、何それ」
そう言いながら、二人の少し後ろを歩く。
さっきまで自分もその輪の中にいたはずなのに。
二人だけで分かっているものが、いつの間にか一つ増えている。
そのことが、胸の奥に小さな棘のように引っかかった。
別に、嫌なわけじゃない。
蓮が笑っているのは、嬉しい。
それなのに。
二人の間にある空気が、少しだけ遠く見えた。
紗季はその感覚を振り払うように、少しだけ歩く速度を上げた。
「それよりさ」
「ん?」
「白石のこと、どうする?」
その言葉で、三人の意識が再び現実の事へと戻った。
「……そうだな」
蓮が答える。
「明日は、美月本人に聞けるなら聞こう」
「何を?」
紗季が尋ねる。
蓮は少し考えた。
「まず、二十年前のこと」
「いじめについても?」
「ああ」
蓮は頷く。
「ノートに書いてあったことが本当なら、かなり酷いことをされてた」
「だから、無理に聞き出すんじゃなくて……話せる範囲で聞く」
「うん」
紗季が頷く。
「誰にいじめられてたのかも知りたいけど、それだけじゃないよね」
「六月十七日に何があったのか」
理央が続ける。
「五人に二年三組へ呼び出された理由」
「六人目になったって書いてあったこと」
蓮が言う。
「それから、『あの人』が誰なのか」
三人は顔を見合わせた。
「……聞くこと、多いね」
紗季が苦笑する。
「一気に聞いたら、美月困りそう」
「だから、順番にだな」
蓮も苦笑した。
「まずは本人が話したいことから」
理央が頷く。
「それがいいと思う」
「でも、美月が明日も来なかったら?」
紗季が尋ねる。
蓮は少し考えた。
「その場合は……家を探すしかない」
「住所、知ってる?」
「知らない」
「私も」
蓮が顔を上げる。
「先生なら白石の住所、知ってるよな」
「学校に登録されてるはず」
「じゃあ、明日先生に聞こう」
紗季が頷く。
「美月が来てたら本人に聞く。来てなかったら、先生に事情を話して住所を教えてもらう」
「それでいい」
理央が答えた。
蓮も頷く。
三人の間で、明日やることが固まっていく。
蓮は少しだけ胸が軽くなるのを感じた。
悠真を探す。
白石に話を聞く。
二十年前の出来事を調べる。
まだ何も解決していない。
それでも、何をすればいいのか分からなかった昨日までとは違う。
「……じゃあ、今日はもう帰ろう」
紗季が言った。
「六時までには家に着きたい」
その言葉に、蓮の足が一瞬だけ止まった。
六時。
ただの時刻だったはずなのに。
「……そうだな」
蓮が頷く。
「今日は早く帰ろう」
「うん」
*
病院から少し歩いたところで、三人はそれぞれの帰り道へ分かれた。
「じゃあ、また明日」
「おう」
「気をつけて帰ってね」
紗季と理央が歩いていく。
蓮は二人の背中を少しだけ見送った。
それから、自分も歩き始める。
夕暮れの街には、家へ帰る人たちの姿がちらほら見える。
電柱の明かりが一つ、また一つと灯り始めていた。
風は昼間より少し涼しい。
蓮は一人になって、今日のことを思い返した。
悠真の母親。
昔の学校。
白石美月。
そして、二十年前の六月十七日。
そのまま歩いていると。
少し先の歩道を、人影が横切った。
蓮は何となく目を向ける。
人影はそのまま角を曲がり、すぐに見えなくなった。
「…… 」
ほんの一瞬だけ、蓮の足が止まる。
けれど、それ以上気にすることなく、蓮は再び歩き出した。
夕暮れの街に、人影はもうなかった。




